<群青>
好きになるのに理由なんていらなかった。
でも好きでいるには理由が必要だった。我ながら不毛だと思う。
この歳になってこんな恋煩い。今まで自由に振舞ってきた自分が、まさかこんなことにつまずくなんて。
でも彼の存在は比じゃないほど重大で、失えないと思えば思うほどこじらせていることは自覚している。あぁやはり不毛だ。
答えなんて最初から出ている。言えるはずがない。拒絶されるのは目に見えている。
この関係に終止符を打つ気がないのなら、この想いは、永遠に秘めていかなければならない。虚しさをかみ殺してでも。
自分に向けられる笑顔は何も知らない無防備なそれで、この笑顔を曇らせることなど出来そうもない。
何も知らないままで、そうやって笑っていて・・・。いいんだ、それでいいんだ。
浅倉は薄い微睡みの中から目を覚ますと、未だ焦点の定まらない目で枕もとの時間を確認した。寝ようと思っていた時間の半分も眠れていないことにため息をつく。
再び目を閉じて二度寝を決め込もうとしたが、自分の意思に反して頭の中がせわしなく動き出す。
しばし抵抗を試みたが、遠のいていく微睡みに諦めて足で布団を剥ぐと、館内空調で整えられた冷気がサッと身体を撫でた。
こんなところにまで来てアイツのことを思い出すなんて。忘れて楽しむために日本を抜け出してきたのに、思いだけは彼の地に縛り付けられたまま。
今頃、嬉々としてソロ活動に勤しんでいるあの男が、自分の事を思う瞬間なんて微塵も持ち合わせていないことは解っている。ただのパートナーに割く時間なんてあるはずがない。
不公平だなと思うこともあるが、この想いを持ってしまった自分が悪いのだ。ただの友達なら自分だってこんなにも心を占めたりはしない。
自分に言い訳をしてこの不公平感を薄めて何年になるだろう。いや、もう何十年か。あの男を思う時、ないまぜになる感情の半分以上、言い訳に使っている気がする。
「バカらし・・・。」
パタリと寝返りを打つと布団から離れた背中がひんやりと寝汗の存在を感じさせる。瞬く間に汗はその湿気の分だけ冷たさを増していく。
想いも、こんなふうならいいのに。冷たく乾いて、消えてしまえばいいのに。
あの男を忘れるために抜け出した先で、返ってあの男の不在を噛み締めることになるとは。自分も全く学習しない。何度これを繰り返せばいいのか。
解っていても逃げ出さずにはいられなくなるのだ。苦しすぎて、あまりにも苦しすぎて。
違う何かに没頭していれば、そう考えた端からこれを見たらどんな顔をして見せるだろう、どんなに喜んでくれるだろうと考えている自分が嫌になる。自分の感情の中心にいつだってあの男が何も知らない顔で居座っているのだから。
呼べば来てくれる人なんていくらでもいるのに、あの男だけが手に入らない。現に今だって自分は一人じゃない。その気になれば身体を満たすことなんて容易いだろう。そうして自己嫌悪を増やすだけだ。
心も身体も、満たしてくれるのはあの男だけだと解っているけれど、永遠にその日は来ない。
虚しく片側だけを埋める生活にもう膿んでしまった。あの男を思う気持ちが恋心なのか執着なのか、もはや解らないくらいに・・・。
愛犬の居ない一人の空間は自分の中の饐えた虚しさを浮き彫りにする。高々この程度の人間なのだ、自分なんて。
無意識にタバコを探して彷徨ってしまう手に自嘲する。そうだ、止めたんだった。
自分を誤魔化すために吸い続けたそれすらも虚しくなって止めた。やっと止めたんだ、なんて嬉しそうにあの男が言うから、それ以降吸い辛くなってしまった。
自分を誤魔化すことが難しくなった時から逃げ出す回数は増えた。ベルカを思い切り走らせてあげたいなんてそんなのは口実で、本当はあの男の傍にいるのが耐えられないだけだ。
解っている。もう自分自身を誤魔化す材料は尽きている。だから物理的な距離を取るしかないのだ。自分が窒息しないために。それなのに・・・。
重そうなカーテンの向こう側にようやっと登ってきた太陽を感じる。
しばらくすれば日本とは違った喧騒がここを包むのだろう。
早く、一秒でも早く、賑やかな街の営みにうやむやになってしまえばいい。
笑って過ごせる楽しい出来事が想いを押し流してしまえばいい。
あの男が居座る余地がないくらい、眩しい太陽の光が自分を焦がしてしまえばいい。
心を、取り出して見せることが出来たらどんなに容易いか。それ程までにあの男への感情は複雑で、自分でももうどうしていいのか解らない。
逃げ出したいのにあの男の傍を譲る気なんてなくて、自分だけを見て欲しいけど、こんな醜い自分を曝すことは出来ない。
あの無防備な男は、自分の中に残された唯一の良心。多分、そうなのだと思う。だからこそ眩く、だからこそ憧れ、だからこそ苦しみ逃げ出したくなる。
決して離れられやしないのに、物理的な距離を取ることで逃げているのだと錯覚させている。
あぁやはり不毛だ。
物の輪郭が浮かび上がるくらいに明るくなった室内。今日のやりたいことリストを頭の中で起動する。
大丈夫、きっと今日だって楽しい1日になる。行きたい所も見たいものも、食べたいものだって数えきれないくらいあるのだから。
大丈夫。僕は大丈夫。きっと、大丈夫。
そうやって自分に呪文をかける。その隙間、あと何日したら・・・、頭の中では無意識に彼に会える日をカウントしている。
END 20220919