<僕のホストちゃん>











羽織ったシャツの襟元を調えながら落ちてくる雫をタオルで拭う。バスルームからの湿気を伴う空気に女が寝返りを打ってこっちを見た。



「もうそんな時間?」



水気を拭った髪を手櫛で整えて小さく肩をすぼませて見せる。椅子に掛けてあったジャケットを手に取るとサラッと袖を通した。



「帰る時はあっさりね。」



「そんな事ないよ。いつだってこの時間が永遠に続けば良いのにって思ってる。」



「ウソつき。」



そう言って笑う女の唇を軽いキスで塞ぐ。



「また呼んで。」



渡された報酬を胸ポケットにしまいながらシーツしか身に纏っていないその人に軽く手を挙げて背を向けた。

抜けるような青空に浮かんだようなシティホテルの一室。暇もお金もそして身体も持て余した女を相手にするのがオレの仕事。
来る場所は違えどする事は変わらない。今日の客はその中でもいわゆる常連と言うやつで、羽振りも良いし女としてのレベルだって悪くない。こういう日の仕事は悪くない気分だ。
厚くなった胸ポケットの膨らみに軽く触れながらドアを開けると鈍い音と振動を感じた。



「・・・っ。」



何事かと部屋から出てみるとドアにぶつかったのだろう衝撃の正体がそこにいた。金色の髪をした男だった。



「あ、すみません。」



うずくまるその男に手を差し出すとオレを見上げてきたその目は既に赤く涙に濡れていてオレを睨み付けた。
オレの差し出した手を無視して立ち上がったその男は足早に去って行く。

何だよ、今の。

何となく憮然とした気持ちでエレベーターホールへと向かうとさっきの人物と遭遇してしまった。

うわ・・・最悪。

チンと軽い音を立ててエレベーターの到着を告げる。仕方なしに同じエレベーターに乗り込んでドア前に立つその男と距離を取るように反対隅に立った。
静かな降下音の中に響く明らかな泣き声。
後ろから見るその男の肩は震えてるし、時折鼻をすする音がする。
いい歳した男がこんな風に泣くなんてそれなりの理由があるに違いないが、ぶつかって来ておいてスミマセンの一言もないのはどうなんだ。確かにいきなりドアを開けたのはオレだけど、そもそもドアは開く可能性があるわけだし、それを一方的にオレのせいのように睨み付けられるのはお門違いも甚だしい。
まぁ、こういう時の精神状態なんて普通じゃないし、そういう事に腹を立てても始まらないから運が悪かったと思って諦めるしかないか。

それにしても一応、オレ、いますけど?

今時女でもこんなに泣いたりしないだろ。って、オレがそういうの面倒くさいからそうなりそうな女とはなるべく関係を持たないことにしてるって言うのもあるけど、久し振りにこんなに号泣してる人を見た気がする。
ドア前を占拠しているその男を見ながらそんな事を考えているとふと下降速度が変わり階数ランプがロビーラウンジ階を表示した。開くドアに男は鼻をすすったままエレベーターを降りて行こうとした。



「おい!ちょっと!そんなんで歩くつもりかよ!?」



思わず引き留めたオレの声に振り返った男はさっきよりも赤くなった目と鼻で、すでに顔は外を歩けるような状態じゃない。少なくともオレなら絶対に。
じっと見つめてくるその目からは涙が溢れ続けていて、その先のロビーをチラリとみるとエレベーターに向かって歩いてくる数人の姿が見えた。



「チッ、なんだよ。」



思わず舌打ちしてその男の手を引くと再びエレベーターのドアを閉めた。駐車場のある地下階のボタンを押すと無言でそのまま停めてあった愛車までその男を引っ張って歩いた。



「乗って。」



助手席のドアを開けて乱暴に押し込むと男は泣きながらシートに収まる。オレも運転席に乗り込むとようやく外の世界から隔絶された空間の中で小さくため息をついた。



「あのさ、そんな顔で外歩くつもりだったの?いい歳した大人がさ。」



答えは鼻をすする音のみ。オレは再びため息をついた。



「いいよもう。落ち着くまでここにいて。なんなら送ってくから。」



ため息と共に吐き出した言葉に男の赤い目がオレを見る。そしてそのふちからはまた涙が溢れ出す。噛み殺した隙間から漏れる嗚咽が激しくなる。頭を抱えたい心地でオレは身を乗り出してバックシートに転がしてあったティッシュの箱を掴むと「ん。」とその男に突き出した。

はぁ、最悪。どうしてこんな奴に関わっちゃったんだろうか。あのまま放っておけば良かっただけなのに、オレはどうして・・・。

まだ湿り気の残る頭をくしゃくしゃと掻き回してハンドルに突っ伏す。

理由は、あの目、だよなぁ・・・。

オレが掛けた声に振り返った時のあの目。縋るような、心細さを必死で隠してるようなあの目がいけない。
元々の性分なのか職業柄なのか、そういうのを見ると放っておけないのがいけなかった。相手は別に客になりそうな女でもないのに。

わざわざ面倒を背負い込まなくてもいいよな、オレ・・・。

自分の馬鹿さ加減に呆れる。
助手席に収まってティッシュケースを抱えてる男をまじまじと見る。
色素の抜けきったような白に近い金髪に赤のギンガムチェックのシャツ。指にはゴテゴテと大振りなリングがいくつも。どう見たって真っ当なサラリーマンとは思えない。ましてこんな時間にこんなホテルのしかもそれなりにいいフロアから出てくるなんてまともな職業なはずがない。って、オレもまともじゃないけど。
こんな時間にあんなところにいるって事は訳あり。だからどんなものを見ても干渉しない。そういった暗黙のルールみたいなものが確かにある。それなのに・・・。
チーンと鼻をかむ音がして呆けていたオレは意識を戻した。



「・・・ありがと。」



鼻づまりの声でポツリと言った男は上目遣いにオレを見た。



「落ち着いた?」



こくりと頷く。目元はまだ赤いけどどうやら涙は収まったようだ。



「うわ。ちょーぶさいく。」



サイドミラーを覗き込みながら自分の目元を押さえて呟く。そんな男に視線を向けるとサイドミラー越しに目が合った。



「ふられたの。」



「は?」



「ふられたのっ。」



口を尖らせ怒ったように言うその男は盛大にため息をつくとシートにぽてんと背中を預けた。



「もう潮時かもって思ってたけど、見ない振りしてたんだよね。言われるのはやっぱ辛いし。でもこうなるなら僕からふってやればよかった!」



初めてまともに口を開いた男は今までとはずいぶん印象が違うような気がして驚いた。
それにしても、ふられたくらいであんなに号泣って・・・随分気性が激しい奴なのかな?
何て言っていいか解らずに黙っていると男はくすりと笑った。



「ねぇ、君ってさ、優しいの?それとも考えなしなの?」



「はぁ?」



「だってさ、君、僕の事知らないでしょ?それなのにこんな風に車に連れ込んだりして。僕がちょっとおかしな奴だったらどうするのさ。」



今だって充分おかしいとは言えず黙っていると男はオレとの距離を詰め、ふ〜んと何やら納得したように頷いた。



「カッコいいね。いい男は悪い男が多いからな〜。君も相当悪い男っぽい。」



「何だよそれ。あのね、オレはアンタがあんな顔で外歩いたら恥ずかしいだろうと思って。」



「ふふ。優しいんだ。カッコいい男の優しさって罪だよね〜。」



ケラケラと乾いて笑うその男の表情はオレを余計におせっかいにさせる。こんな表情をする理由を知ってる。
オレは笑い続けているその男の金色の頭を引き寄せると自分の肩に乗せた。



「あのさ、無理すんのやめたら?」



客でも、ましてや女でもないこの男にどうしてこんな事をしたのか自分でもよく解らない。でもその時のオレは無意識にそうしていた。



「泣き足りないなら泣いていいし。もうアンタの泣くの、慣れたし。」



「あはは。酷い言われよう。」



肩に乗せた男の声が一瞬詰まったように感じてオレは引き寄せた頭を軽くポンポンと叩いた。けれど男はそれ以上涙を見せる事はなく、さっきとは変わって穏やかな声で言った。



「慣れてるね。やっぱり悪い男なんだ。ねぇ、何やってる人?」



「そっちこそ。」



「ん?僕?僕は〜愛されてないと死んじゃう天使?」



「はぁ!?」



「あははは。な訳ないじゃん。ねぇねぇ、君は?何やってんの?」



肩口で楽しそうに聞いてくる男の訳の解らない返答に半ば呆れながら、アホな返答に合わせるようにふざけた答えをしてみせた。



「愛をつまみ食いする悪い男。」



男は一瞬目を丸くした後弾けたように爆笑した。



「バッカじゃないのぉ!?」



「そんなに笑う事ないだろ。アンタの天使だってだいぶおかしいと思うけど。」



「だって僕は本当に天使だもん。」



「はいはい。言ってろよ。」



「で?本当のとこは何なの?こんな時間にこんなホテルでなんて、訳ありだよね。」



「それはお互い様だろ。」



「ねぇねぇどんな悪い事してたの?」



嬉々として聞いてくるその顔に説明する気も失せて胸ポケットから名刺を取り出した。



「え?なに?・・・HIRO?」



男は名刺に書かれた名前をそのまま読んで首を傾げた。



「出張ホスト。知らない?」



「ホストねぇ。やっぱり悪い男なんじゃん。へぇ〜ヒロって言うんだ。本名?な訳ないよね。」



名刺を表裏と見ながら尋ねる。



「本名だよ。こった名前付ける趣味なんてないし。」



「そうなんだ。確かにちょっと暴走族みたいだもんね。四露死苦とかさ。」



「暴走族って・・・。」



「まぁいいや。じゃあ僕行くね。」



「え?」



「泣かしてくれてありがと。」



抱えていたティッシュケースをオレに渡すとダッシュボードに置いてあったオレのサングラスをかけてドアを開けた。



「ちょっと!それオレの!」



「なんだよ。こんな真っ赤な目で歩けって言うの?」



サングラスをチラリとずらすと赤い目で睨んでくる。



「だから、送るって。」



「いらない。いいでしょ?このくらい。ホストなんだからまた誰かに買ってもらえば?」



意地悪く笑いながら彼の顔には大きすぎるサングラスをきちんとかけなおし助手席から滑り降りた。



「バイバイ、愛をつまみ食いする悪い男のヒロ。」



「ちょっと待てって。」



運転席から身を乗り出して閉まりかけた助手席のドアを開ける。その先に既に歩き出した男の姿。その後姿がくるりと振り返る。



「大介。大ちゃんだよ、僕。」



地下のスペースにその名前だけを響かせて、手をひらひらと振った男、   大ちゃんは現れた時と同じように呆然としている間に消えた。



「何なんだよ・・・。」



脱力感に襲われながらおもむろにエンジンをかける。条件反射でダッシュボードに手を伸ばしてさっき奪われたサングラスの事を思い出す。



「気に入ってたのに・・・。」



やりきれないため息を吐き出すと気持ちを切り替えるようにアクセルを踏み込んだ。
午後の日差しは虚しいくらい眩しくて、オレは突然見舞われた不幸な出来事に軽く悪態をつきながら家までの道を飛ばした。























 

その電話がかかってきたのは突然だった。



「もしもし?ヒロ?」



営業用の電話から聞こえてきた男からの声に一瞬眉をしかめる。返答が遅れてしまったその隙に電話の向こうから笑い声が聞こえた。



「何?忘れちゃった?僕だよ。天使の大ちゃん。」



その言葉にあの不幸な出来事が一瞬にしてよみがえる。



「ねぇねぇ、今暇?電話にすぐ出たって事はお仕事中じゃないって事だよね〜。じゃあさ今すぐ来て。」



「はぁ!?何言ってんの?」



思わず食ってかかろうとしたオレに電話の向こうから殊勝な声が聞こえる。



「この前のお礼、ちゃんとさせて欲しいし・・・サングラスもね。」



そう言えばあの後サングラスは買っていない。だから車に乗るたびにダッシュボードの上で手が空を切る。



「だめ、かな?この前のホテルのラウンジにいるんだけど。」



「・・・解ったよ。」



一応悪いと思ってるみたいだし、無碍にする理由もなかったオレは再びジャケットを手に取ると車を走らせた。



既にサングラスは必要じゃない夜の時間。地下駐車場に車を停めるとラウンジへと向かう。
くるりと見回すと金色の髪がオレを見つけて手を振った。



「遅いよ、もう。」



見ると既に結構出来上がってる。へへへと笑う彼は「彼にも同じもの」と勝手に頼み、車で来ているオレは酒は飲めないと必死で断ったが彼はそんなオレに唇を尖らせた。



「ちょっとぐらい良いじゃん。ケチ。」



「ケチとかそういう問題じゃないだろ。車で来てるって言ってるじゃん。」



「どうせこの後暇なんでしょ?だったら僕に付き合ってくれたっていいじゃない。」



「悪いけど男に付き合う暇はないの。そう言う事ならオレ、帰るから。」



「サングラスは?」



「やるよ。じゃあそう言う事で。」



この前の二の舞になる前に早々に立ち去ろうとするその手を掴まれた。



「じゃあさ、僕が君を買う。」



「はぁ!?」



言われた言葉の意味を測り兼ねて思わず振り返る。するとニコニコと笑いながら鞄から財布を取り出して見せた。



「だってホストなんでしょ?いくら払えばいい?」



「ちょっ!!」



慌ててその手を振りほどき周りを伺う。こんなところでいきなり何を言い出すんだ、こいつは。



「あのさ、何考えてんの?なんでオレが男に買われなきゃいけないんだよ。」



声を潜めて抗議するがそんな事全く関与していないみたいに財布を開けて金を出そうとする。



「ねぇ、いくらぁ?」



へらへらと笑うその顔はどうやら酔いのせいだけじゃないらしい。
もしかして、なんか自棄になってる?こういう感じの女は見た事あるから何となく解る。



「やめろよ。ホントに。オレに当たられても困るんですけど。」



これが女だったら甘い言葉のひとつでも囁いて慰めもするんだろうけど、当然仕事でもないし男に優しくする義理はないからオレの口調も突き放す感じになる。
すると彼はオレの手をきゅっと掴みポツリとこぼした。



「眠れないんだよ。」



その声は酔っ払いのふざけたものじゃなく、立ち去ろうとしていたオレの足を止めるには充分すぎる声音だった。
視線を落としたオレの目に手を掴んだまま俯く彼の金色の髪が見えた。
オレは浮かしかけた腰をため息と共に再び落ち着けると彼の濃い目のアルコールを並々と注いであったグラスを一気に飲み干した。カランと液体のなくなったグラスの中でこぼれる氷の転がる音に彼が驚いて視線を上げる。オレは彼の目の前に空になったグラスを戻した。



「これでもう帰れないからな。責任とって付き合えよ。」



その瞬間、エヘヘと笑った彼はまた目尻の端を赤く染めていて、オレの脳裏にはこの前の彼がフラッシュバックする。



「ちょっと、泣くなよ。こんなとこで泣かれても困るからな。」



小声で釘を刺すと、泣くんじゃないかと思っていた彼はパッと表情を変えた。



「じゃあさ、部屋、行かない?僕が泣いたら困るでしょ?」



到底泣くとは思えない顔でそんな事を言ってくる。



「・・・用意周到じゃん。」



「エヘヘ。だって今日は付き合ってもらおうって思ってたもん。」



まんまと奴の思惑に乗っかってしまったような気がしないでもないが、確かにこんなところでこれ以上とんでもない事を言われても困るし、どうせ今日はもう車に乗れないならくつろげる場所があるにこした事はない。
この前は気まずい気持ちで下ったエレベーターを上っていく。

なんだかなぁ・・・。こういうとこ来ると一気に仕事気分。
まぁ、半ば仕事じゃないのか?って思わなくもないけれど、とりあえずは男に金で買われるなんてホスト的に不名誉な事はしたくなくてあんな行動に出たけど、よく考えたらオレはこいつの素性も知らない。そんな奴にのこのこついて行くなんて正気の沙汰じゃないよなとは思うけれど、どうもこいつの邪気のない笑顔がオレをため息ひとつで動かしてしまう。



「ねぇ、飲むでしょ?なんか頼むね。」



勝手にルームサービスを頼んだ彼は当然オレを帰す気なんてさらさらないらしく、それどころか飲むぞ〜と気合を入れなおしている。

何なんだ、一体・・・。

結局奴の思惑通り勧められるままに飲んだ結果がこれだ。
奴は酒のせいなのか睡眠不足のせいなのかケタケタと笑い続けている。オレはと言うともうそんな状況にもいい加減慣れてこの得体の知れない男を開放する羽目になっている。



「だからさ〜そうやって寄りかかられたら重いって言ってるだろ。何の為のソファだよ。」



「え〜いいじゃん。ヒロのケチ〜。」



「はいはい、オレはケチですよ。だから男には優しくしないの。」



「そんな事言って〜充分優しいよ〜ヒロはぁ〜。もう大好き!!」



「ちょっと!!ホラまたこぼしてる。」



「あ〜ごめんね〜。」



「悪いと思うなら大人しく寝てくれよ。」



幾度目になるか解らない同じやり取りを繰り返す。ため息が大きくなっていくのは当然といえば当然の事だ。
眠れないとい言った彼はオレをも寝かさない気でいるのか、陽気に何の脈絡もない事をしゃべりつづける。おかげでこの男の素性が解ったけれど聞けば聞くほど自分とは全く接点のない奴だということが解る。
あの時ドアにぶつからなければ・・・。人生って言うのは何があるか解らない。
久し振りに騒がしい夜を迎えることになったオレはやかましいとは思いながらも何となく懐かしい気もしていた。まだ自分が店に勤めていた頃、こんなふうに毎夜バカ騒ぎしていた。あの頃はただそれだけで良かった。


噛み殺すことの出来なくなってきたあくびを手で覆いながら彼から顔を背けていると目ざとい彼はそんなオレを強引に引き寄せた。



「もぉ〜眠いの?」



口を尖らせながら覗き込んでくる目は、彼の方がよっぽど眠そうに見える。



「ホストのくせに夜に弱いって笑える〜。」



箸が転がっても可笑しい年頃なんてとうに過ぎただろうに、相変わらずケラケラと笑う。
笑いながらまた全体重をだらりとオレに預けてくるのを何とか座らせて、いい加減限界を感じてる眠気と戦う。



「あのさ、もういい加減寝てくれよ。じゃなきゃ寝かせてくれる?」



「えぇ〜?ヒロが寝ちゃったら一緒にいる意味ないじゃん。」



「そんな事言われても眠いもんは眠いんだから仕方がないだろ?あんたこそ寝てないんだから横になったらすぐ寝れるかもよ。」



そう言いながら何とはなしにテーブルの上を片付ける。その様子を見ていた彼は持っていたグラスをカタンと置いた。



「・・・寝たら、やな夢見るんだもん。」



「夢?」



コクリと頷く彼はそのまま憮然とした顔のまま項垂れた。

さっきしていた他愛のない話の中からその夢は別れた恋人の事なんだろうと察しはつく。
恋人とは公に出来るような間柄じゃなかったらしい。いつもこうしたホテルで逢瀬を重ね、それはそれで充実した恋愛関係だったらしいけれど、最初から感じていた小さな齟齬は次第に大きくなっていったらしい。それでも相手を失いたくなくてダラダラと関係を続けていた結果、彼曰く振られると言う事になったんだそうだ。
まぁ、そんな事はここに限った事じゃないし、オレだって今までそんなふうに泣いてる子を何度も見てきた。特に店にいた時は。今はそれほど頻繁じゃないにしても全くいないわけじゃない。ホストなんてそんな時に一番喜ばれる商売だから。甘い言葉を囁いて、もっとステキな恋をしようと擬似恋愛に付き合う役目。冷静になって考えるとバカらしくて笑えてくる。でもこうして商売として成り立っているって事はそういう子がたくさんいるんだって事。
で、ここにもこうしてめんどくさい奴が一人。やな夢まで見るって事は相当傷は深いらしい。
ホントに今時珍しいというか、男のくせにとは言いたくないけど、どこの乙女だよって言いたくなる。まぁそれだけ愛してもらった相手は本望だろう。



「ひとりなんだもん。」



「は?」



「やな夢見て、起きたらひとりなんだもん。」



「はぁ・・・。」



「一人じゃ寝れないよっ!!」



「はぁ!?」



一体何を言い出すのかと思ったら、いきなりの逆ギレ。
もういい加減睡魔だって限界だからなんだろうけど、こんなとこでオレに逆ギレされてもどうしろって言うんだ。だから大人しく寝てくれってさっきから何度も言ってるのに。



「ねぇヒロ・・・一緒に寝てよ。」



「はい!?」



「ヒロが僕の嫌な夢追い払ってくれたら寝れるもん。」



「寝れるもん・・・って。」



「ね、いいでしょ?」



ぎゅっと手を掴まれて、下から覗き込むその視線は寝不足と酔いのせいなんだろうけど妙に頼りなげに見えてオレは頭を振るった。
何考えてんだよ、オレ。今、一瞬でも絆されかかった自分が情けない。



「あのね、オレは男と寝る趣味はないの。」



崩れかけた自制心を取り戻す為にきっぱりと告げる。しかし彼はそんなオレを下から見上げたまま口を尖らせた。



「僕、このまま寝れなかったら死んじゃうから。死んじゃったらヒロのせいなんだから。」



「オレのせいって・・・あのね。」



「一緒に寝てくれないなら手ぐらい握ってくれてたっていいじゃん!!」



オレの手をぎゅうっと握りながら彼はポツリとこぼした。



「一人にしないでよ・・・。」



あぁ、もう、ダメだ。
完全にお手上げだ、オレ。

オレは掴まれていない方の手でぐしゃぐしゃと頭をかくと、座り込んだままの彼を引きずりあげた。



「ちゃんと寝なかったら承知しないからな。」



さっさとベッドに横になると空けたスペースをポンポンと叩いて見せた。
目を丸くして見せた彼は自分から言い出したくせに間抜けな顔で



「いいの・・・?」



「さっさとこないと勝手に寝るからな。」



「やだっ!!」



慌ててベッドに飛び乗って来てポテンとオレの横に転がるとえへへと笑った。



「ね、手、つないでてもいい?」



「はいはい。」



再びぎゅっと握ってきた手を嬉しそうに眺めながら彼がホンワカと笑った。



「人のぬくもりって、安心するね。」



「バカな事言ってないで寝ろよ。」



「はぁ〜い。」



そう言って目を閉じた彼はもぞもぞとオレの手を握りこむようにして身体を縮めた。



「おやすみ、ヒロ。」



「はいはい。おやすみ。」



丸まった彼のつむじを見ながら、こいつはいつも一人でこんなふうに寝てるんだと思ったらちょっとだけ切なくなった。こんなふうに身体を丸めてしか眠れない恋愛なんて淋しすぎる。こいつの突拍子もない行動もほんの少しだけ解る気がした。
そんな事を考えながらボーっと見つめていると気付けば呼吸が心地良い睡眠のそれになっている。



「なんだよ、のび太かよ。」



思わずその寝つきのよさに呟いたが、どうやら彼の耳にはもう届いてないらしかった。
ぎゅっと握られた手を見て苦笑しながら、気付けばオレも彼の呼吸に引き込まれるように眠りに落ちていった。















 

「ん・・・。」



携帯が鳴ったような気がして目が覚めた。
昨日の記憶を辿って携帯を探ったが、どうやらオレの携帯が鳴ったわけじゃなさそうだった。
眠い目をこすりながら目を開けるといきなり飛び込んできた金色の塊に驚く。



「んん・・・。」



金色の塊がもぞもぞとオレの胸で動く。



「ちょ・・・っ・・・。」



短い息を吐き出して動き出した金色と目が合った。



「あ、ヒロだ。おはよう。」



まるで小動物のようになついていた金色が伸びをすると、オレの胸からぬくもりが離れる。
いつの間にこんな近くに・・・。
てか、なんでオレ、男なんか抱いて寝てるんだよ・・・。
そう思いながらも割りとすっきりしたらしいそいつの顔を見て少しだけホッとする。
もう一度大きく伸びをしたそいつはいつものようにえへへと笑って再びオレのところへ転がってきた。



「おい!」



転がってきたのをよけるように起き上がるとそいつを残してベッドから立ち上がった。
しかしそんな事は全く気にしていないのか寝転がったままオレを見上げて笑った。



「ありがとね、ヒロ。久し振りにちゃんと寝れた。」



「それは良かった。」



「ホントヒロっていい奴だよね。」



ニコニコと笑うそいつはオレを見上げたままとんでもない事をさらりと言った。



「僕ね、ヒロのこと好きになっちゃったみたい。」



「はぁ!?」



「だからぁ好きになっちゃったの。」



「好き・・・って。あのさ、オレ、男だし。男同士で何言ってんの?」



「そんなの知ってるよ。ヒロこそ解ってないんじゃない?」



「何が?」



「僕、そっちなんだよねぇ。僕の振られた人って彼氏だよ。」



「えぇっ!?」



いきなり何を言い出すんだ、こいつは。
ってか、今、何て言った!?
そっちって・・・一体どっちだよ!?
オレの耳がおかしくなければ、確か『彼氏』って言ったよな。・・・って、彼氏ぃぃぃ!?


「やだ、ヒロ。目、白黒させて面白い。」



ケラケラと笑うそいつはベッドの上からオレを見つめていて。



「最初に会った時から結構タイプだな〜って思ってたんだけど、ホストって言うしさ、チャラいだけの男かなとか思ってたんだけど、ヒロ、優しいし。遊ぶだけの男なんて勿体無いって言うか。だからさ。」



クスリとオレに視線を合わせて笑う。



「僕のホストになりなよ。」



そう言って寝転がったまま差し出してくる手に気付けば指先から絡めとられていて。



「ね、いいでしょ?僕、うるさい事言わないし、女の子とも好きなだけ遊んでいいからさ。僕をヒロの一番にして?」



「・・・いち、ば、ん・・・って。」



「もう。じれったいなぁ。」



事態の飲み込めないオレにプッと膨れながら起き上がったそいつは、オレをちょいちょいと手招く。そしてそのまま背伸びをしたそいつが近付いて来て・・・えっ!?



「こういう事!」



「おま・・・っ!!何すん・・・っ。」



押し当てられたぬくもりと柔らかさにオレは自分の唇を思わず押さえた。
誰か嘘だと言ってくれ!!
相変わらずニコニコと笑ったままのそいつはオレの反応を楽しんでるのかじっと目を見つめてくる。



「ヒロはキスは嫌い?」



「いや・・・嫌いじゃないけど・・・。」



「じゃあもう一回。」



「うわぁ!!ちょっと待てって!!」



「なんでよ。」



「何でって・・・おかしいだろ。」



「おかしくないよ。僕はヒロを好き。ヒロも僕の事が好き。ほら、全然おかしくない。」



「つか、いつオレがお前の事好きだって言ったよ!!」



「え〜、だって好きになるでしょ?だったらもう好きでいいじゃん。それに僕はお前って名前じゃありません〜。ちゃんと名前で呼んでよね。」



「お前なんかお前で充分だ!」



「あ〜そう言う事いう?可愛くないな〜ヒロは。素直になれない人にはチュ〜しちゃうから。」



「うわぁっ!!」



再び背伸びをしてオレに迫ってきたこいつにオレは慌てて大声で叫んだ。



「だ、大介!!大ちゃん!!」



「なぁに?ヒロ。」



くりんと小首を傾げて答えるその愛らしい仕草に、オレは心の底から深いため息をついた。
全くなんだってこんな事になっているんだ。
こんな状況は普通じゃない。全力で否定したいはずなのに、オレの脳みそは完全にショートしたのか、今はもう何も考えたくない。

オレ、この後一体どうなるんだろう・・・。

たった一度の偶然がこんなにオレを困惑させるものになろうとは。人生本当に何があるか解らない。
目の前のこいつに尖った黒い尻尾が付いているような気がして、オレはそこから目をそらすように空を仰いだ。
オレの受難はこうして始まった。









 

   END 20130618