<obstinate ―昏迷−>
「これは一体どういう事。」
切り出した彼の口調は今までになく、重々しいものだった。
「じゃあ今回のアルバムはヒロにとっては原点になるって事?」
「ええ、そうですね。今の所は。まだどうとは言えないんですけど。これからももっとストレートにね、みんなが楽しめるようなものを作って行きたいですね。」
「それは歌だけじゃなくて?」
「ええ、そうですね。基本的に僕自身、歌だけって区切るの好きじゃないし、全部つながっていたいんですよ。音もヴィジュアルも。」
いつも通りに進められて行く取材。
聞かれた事はストレートに返す。その時自分が感じている事を思ったままに伝える。
「どうもお疲れ様でした。」
テープレコーダーをカチッと切って、取材が終わる。
「お疲れ様です。」
と、頭を下げて和やかなざわめきの中に帰ろうとした時、ふいに声が掛かった。
「ヒロ。実はさ、こんなのあるんだけど、知ってる?」
そう言ってカバンの中をごそごそとあさって一枚のビラを確認すると机の上に伏せる。
「そのうちこの件でもまた取材に来る事になると思うけど。
見て。」
そう言って顎をしゃくるその人は、妙に神妙な表情で自分を見ている。
得体の知れない緊迫した空気の中でそっとそのビラを裏返した瞬間、物凄い衝撃を受けた。後ろから不意にハンマーで殴られたような、ううん、それよりももっと、酷い。
シンセを慣れた手つきで叩く細い指。
金色の髪。
黒いスーツに身を包んで自分の良く知っていた筈のその人がいる。
大ちゃん。
その後ろに後ろ向きで佇む人。
スタンドマイクを左手に持ち、大ちゃんと揃いの黒いスーツ。
そしてその下には信じられない文字。
access始動。
オレ・・・!?
自分はこんなカットで写真なんか撮ってない。
それにこの大ちゃんを見ればこの写真が三年前の自分達でない事くらいすぐに解る。
それじゃあ、この後ろ向きでマイクを持っているのは?
access始動の文字は?
一体、何がどうなって。
この写真は何!?
「もしかしてヒロ、何も聞かされてない?」
雑誌社の人の声が遠くに聞こえる。
聞かされていないも何も、こんな事になってるなんて思っても見なかった。
マネージャーだって何も言ってなかったし、第一、大ちゃんだって何も ・・・。
愕然とした思いで立ち尽くしている自分の周りで時間は無情にも過ぎ去って行く。
眼球に映っている光景が脳に届く事はなくて、気が付くとマネージャーに肩を叩かれていた。
「どうかした?ヒロ。」
「 ううん。何でもないよ。」
作り笑顔を浮かべると手にしたビラをそっと後ろに回した。雑誌社の人はいつの間にかいなくなっていた。
この人は何か知っているんだろうか。知っていて、教えてくれないのだろうか。
それともこの人は何も知らなくて大ちゃんだけがこの事を・・・。
それとも大ちゃんとは全く違う所でこのプロジェクトが動いているんだろうか。
でも、そんな事有り得ない。大ちゃんのあの発言力を考えてもそんな事は。
だったら一体誰が、こんな事 。
オレは何も知らない。
何も聞かされてない。
一体何が 。
久し振りの帰宅。タクシーのドアが開くと、急にしんとした空気が肌を刺す。
吐く息が白い。階段を上りながらカバンの中から鍵を探す。
数日間に及ぶハードスケジュールで頭の中が真空状態になっている。もう一音でさえも音を作る事さえしんどい状態。
曲作りの後に必ず襲われるこの虚脱感に大介は襲われていた。
頭の中が音の洪水のように次から次へと今まで作っていた曲が回る。頭が痛くなるほど。
こんな時はもう何もせずに、ただひたすら眠りたい。頭の中がカラカラと音が鳴るほど、呆けていたい。
鍵を取り出してふと曲がり角を曲がると 。
「ヒロ・・・。」
思いもかけない人物がそこに立っていた。
「どうしたの?久し振りだね。」
小走りに駆け寄って肩を叩く。そこにはいつものあのはにかむような笑顔が 。
しかし大介が目にしたのは複雑な表情でぎこちなく微笑む彼。
「話が・・・あるんだ。」
ぽつりと漏らした言葉にも覇気がない。地の底で響くようなフラットした音。こんな彼は初めて。
大介の手の中の鍵がチャリと音をたててその存在をアピールする。
「取り合えず入って。立ち話も何だし。風邪ひくよ。」
そう言って博之の手を取りドアを開ける。
冷たい手。随分と冷えてしまっている。
一体いつからここでこうして自分を待っていたのだろうか。
電話してくるでもなく、突然。
もし自分が今日は帰ってこなかったとしたら一体どうしていたんだろう。ずっとここでこうしていたのだろうか。
冷たい手が何故だか痛い。いつもとは違う彼が何故だか物凄く遠く感じる。
急いでお湯を沸かして温かいココアを入れる。パタパタと片付け物をしていると部屋の中がやっと暖かくなってきた。湯気を立てているココアを彼に差し出して腰を落ち着けた。
「飲みなよ。温かくなるよ。」
向かいにいる博之に大介は微笑んだ。しかしそれは彼のどこか淋しそうな視線の前で崩れ落ちた。
「どうしたのヒロ。」
どことなく違和感の漂う空気を打ち破るように告げる。
「大ちゃんさ。オレに隠してる事ない。」
淋しそうな、哀しそうな瞳が問い掛ける。
「隠し事?えー、ないけどなぁ・・・。何?どうしたのヒロ。本当に。」
得体の知れない重圧を押し退けるように笑って見せる。
すると博之はポケットの中からくしゃくしゃになった紙を出した。
「これ。」
広げられたその紙にはaccess始動の文字。
シンセを弾いている自分の姿。
そしてその後ろにはヒロではないもう一人の人物。
「今日始めて知った。こんな事になってるなんて。大ちゃん一言も言わなかった。」
とつとつと語られる彼の言葉はいつもの彼の言葉ではない。
少なくとも自分の知っている彼のものではない。
「お互いソロでやって行くんだから干渉はしない。だけど、だからってこんなの酷すぎる。」
「ヒロ・・・。」
真摯な眼差しが射るように向けられる。
「大ちゃんが他の誰かとユニット組むのは構わない。けど、まさかこんな事 。
あの時卒業にしようって言ったのはこう言う事だったの!?」
「ちが・・・っ・・・!!」
「だってそうじゃない。ボーカルなんていくらでも挿げ替えがきく。オレじゃなくても大ちゃんとaccessをしてくれる人なら誰でもいいんじゃない。」
「 !!」
「大ちゃんにとってオレってその程度のものだったの?accessってその程度のものだったの!?」
痛いまでの激しさをぶつけてくる目の前の人物に言うべき言葉が見付からない。
今この胸の中にある真実の気持ちをどうすれば一点の曇りもなく、少しの偽りもなく伝えられるのか。
今まで繋がっていた筈の目に見えないデリケートなハートラインがぷっつりと遮断されてしまったようだ。
何も伝わって来ない。
何も伝えられない。
何故、こんなにも遠い。
「聞いてよヒロ。落ち着いてよ。」
「オレは落ち着いてるよ。」
きっぱりと言い返されてしばし言葉を失う。
「卒業って事にしようって言ったのは僕の個人的な感情だったかも知れない。それは認めるよ。
解散って何と無くマイナスのイメージが僕の中にはあったし、別れるっていうイメージが強かったせいか、自分達はそうしたくないってずっと思ってた。
別れるんじゃなくて自分達はお互いに別の場所に向かって歩き始めるんだっていう気持ちが僕の中にはあったんだ。
そんな時にふと卒業って言葉が浮かんできて、そうかって思った。僕達の関係を一番伝えられる言葉だと思ったから。
でもその事が今こうしてヒロにとって嫌だったんだとしたらそれは誤るよ。ごめんなさい。」
素直に謝罪を述べる大介を博之はせつなそうに見詰めている。
「そんな事じゃない。そんな事じゃないんだ。」
「ヒロ。僕はね。ヒロとのこの関係を大切にしたいと思ってる。
ヒロほど僕の事解ってくれる人なんていないと思ってる。それにヒロほど僕と正反対な人はいないと思う。
いつもヒロは僕に目の覚めるような刺激をくれた。自分一人じゃずっと動き出せずにいた事をヒロが可能にしてくれた。だから僕達はaccessとしてやってこれたんだと思う。
僕達のうちのどっちか一人が欠けても駄目だったんだ。もちろんスタッフの人達のおかげでもあるけど、でも総ては二人発信だった。僕とヒロの二人から作られたものだった。
今の僕があるのはヒロのおかげだよ。
今こうして僕が一人でやっていけるのも全部ヒロのおかげだよ。
ヒロが僕に勇気を与えてくれた。
総てはaccessから始まった事なんだ。もしあの時accessが出来なかったら、今の僕は無かったと思う。
それほど大切なんだよ。僕にとっては。
もう切り離すなんて事出来やしない。accessは、ヒロといた時間はもう僕の中の一部なんだ。」
「だからまた自分の中の一部をつくろうっていうの?切り離せないから?だったら無理に切り離す必要は無いって!?そう言う事!?」
「違う・・・!!違うよヒロ。」
「どこが違うんだよ。
何も解ってない。大ちゃんはaccessを個人の持ち物程度にしか考えてないんだ。
大ちゃんの中の一部は大ちゃんだけじゃない、オレの一部でもあるんだよ。そうだろ?
スタッフだってファンだって同じ時間を共有した人達みんなのものなんだ。私物化するなんて間違ってる。
それにそんな事しないって言ったの大ちゃんだろ。だから2WAYでって。それがaccessのやり方だった筈だよ。そうじゃないの!?」
糾弾されて大介は言葉に詰まった。
「解ってるよヒロ。それがaccessだった。
そしてそれは僕が目指す方向でもあった。だから同じように考えてくれるヒロに会えて良かったと思ってる。
沈黙に入ってからいろんな事考えた。ヒロに出逢えたのは運命だって思ってた。だけど加速し続けた2年間の後の空白は運命を揺るがせた。
本音を言えば可能性が見えなかった。そんな事に焦りも、苛立ちも感じてた。そしてやっとの事でソロをやろうって決まって凄くホッとした。少しでも見えている可能性ならそれにすがろうと思った。
それはaccessを始める前も、今もずっとそう思ってる。」
「それがこれって言う事?」
そう言って博之は互いの間にあった一枚の紙を指した。
「オレは何も大ちゃんにユニットを組むなって言ってるんじゃない。ただこんなやり方して欲しくなかった。自分達が辿ったあの3年間と同じようなやり方でこんな風にしなくても。
何だか凄く惨めな気分だ。あぁオレじゃなくても良かったんだな、別の誰かでも良かったんだなってそんな気がしてくる。
オレは自惚れかも知れないけど、accessは大ちゃんがいて、自分がいたから出来たんだって思ってた。それがこんなにも簡単に崩れるなんて思っても見なかった。
何だか裏切られたみたいだ。大ちゃんに。今までの3年間に。」
「ヒロ・・・。」
「accessを大切に思ってきたのはオレだけって事なのかもね。大ちゃんにとってみたらそれはただの機械用語に過ぎなかったのかもね。」
博之は勢い良く席を立った。
「ヒロ・・・!!」
思わず博之の手を取る。
「違う、違うよヒロ。僕にだってaccessは大切なものだよ。ヒロとしか出来ない大切なものなんだよ。」
真摯な眼差しで訴える。握った手に力がこもる。
「 悪いけど、大ちゃん。もうそれ以上何も言わないで。オレ、何するか解んないよ。」
博之が泣き出しそうな情けない顔で言った。
大介は握っていた博之の手を固くコブシを握らせると自分の顔の前へと持ってこさせた。
「殴ってもいいよ。それでヒロの気が済むなら。好きなだけ殴ってもいいよ。」
大介はいつも見せるあの柔和な微笑みを浮かべて言った。
っ・・・どうして・・・。
それが大ちゃんの答え?
殴ってもいいの?
本当にそうなの?
もう解んないよ。
一体何が本当なの?
オレどうしたらいいのか ・・・。」
博之は笑おうとしたがぎこちなく顔が歪み、細めた目からは不意に涙が零れ落ちた。
「大ちゃんごめん。オレ、帰る。」
「ヒロ?」
博之はくるっと背を向けるとコートを手に部屋から飛び出した。
「ヒロ・・・!!」
重いドアの閉まる音が響いて大介は一人取り残された。
空調の静かなモーター音が耳に付く。
テーブルの上にはくしゃくしゃの紙が一枚。
大介は博之の出て行ったドアをじっと睨んだ。
What’s
happen next year
END