<My Precious>
その日、僕は小室さんに呼ばれてレコーディングスタジオに来ていた。
「悪いね。大ちゃん。無理な事ばかり言って。」
そう言って手渡されたアレンジ譜は懐かしい記号のような譜面。
きっと他の人が見ても何が何だか解らないであろうその譜面には、ビッシリ書き込みが入っていて、唯一主旋律だけがあらかじめインクで書かれていた。
「一時間・・・、うーん、四十五分で出来るかな」
「 ・・・やってみます。」
上目使いに小室をにらみながら大介は言った。手元に渡された枚数を考えると、どう考えても一時間はゆうにかかる。
全く、昔から無理な事ばかり言う人なんだから。
半ば諦めたように苦笑してマックの前に座った。取り合えずやってみない事には解らない。
そして五十分後。一人の軽快な声が聞こえた。
「どーもー。」
ぺこぺこと頭を下げて入って来た人はあのダウンタウンの浜ちゃんだった。
うわぁー本物だー。などと素人のような事を考えていると声が掛かった。
「あがってるかな?大ちゃん。」
「あ・・・あと少しです。」
そう答えておいて慌てて向き直す。残りあと数枚。
背後で小室と浜田の話す声を聞きながら大介は打込みを続ける。するとやけに通りの良い声が掛かった。
「いやー、むっちゃくちゃ速いわー。でたらめ打ってんのとちゃうん?」
こてこての大阪弁に振り返ると浜田が缶コーヒーをくわえながら自分の手元を見ていた。
「そ・・・そーですか?」
「コンビニのねーちゃんより速いで。お前、機械なんとちゃうん?」
もう何人目かさえ解らないほど言われたこの言葉も大阪弁で聞くと何だか新鮮だ。
そんな事を考えている自分に何となく笑みがこぼれる。
「何、にやついてんねん。いやらしいなぁ。」
からかう声に振り返るとそこにはもっとにやにやした浜田がいた。
「別に変な事、考えてたわけじゃないですよ。」
「またまたぁ。」
「ほんとです。」
苦笑しながら言う。
「まぁまぁまぁ。」
完全に浜田のペースでやり取りをしていると不意に聞きなれた声がした。
「あの、もしもし。そーやってるといつまでたっても終わらないんだけど・・・。
あんまり彼をいじめないでくれるかな?大事な助っ人なんだから、ね。
大ちゃんも手を動かす。」
「すいません。」
小室に軽くたしなめられる。浜田は何と無くバツが悪そうに、手にした缶コーヒーはそのままであらぬ方を見ていた。
「怒られちゃいましたね。」
大介が苦笑して言うと浜田は頭を掻いて笑った。
「はじめまして、浅倉大介です。」
大介はぺこりと頭を下げた。すると浜田はいやに畏まってぺこりと頭を下げた。
「どうも、Hじゃんぐるです。」
その間合いと言い方があまりにもおかしくて大介は思わず吹き出した。当の浜田も喉の奥で噛み殺したような笑いを漏らしている。
しかし急に真面目な顔になると頭を軽くはたいた。
「いつまで笑っとんのやー。」
この突っ込みはますます大介のつぼにはまったのか、どうにも笑いが止まらなくなった。
苦しくなったおなかを抱えながら残り数枚となっていた打込みを済ませると一息ついた。目の前では浜田が譜面とにらめっこをしている。が、しばらくするとバシッと譜面を机に置くと伸びをした。
「この曲、やっぱり浜ちゃんが歌うんですよね。随分大変なものを・・・。」
大介は譜面を覗き込むと言った。
「何や?この曲、何かあるんか?」
「これってジャングルって言って今イギリスで流行ってる新しいものですよ。日本ではまだ馴染みが無いんですけど。」
大介が返した譜面を浜田は驚いて覗き込む。
「レゲエとテクノがくっついて出来た、最新のダンスミュージックなんですよ。
簡単に言えばレゲエの“ズンチャ ズンチャ”って言うリズムとテクノの“ピコピコ”がひとつの曲の中に入っちゃったぞって言う感じなんだけどね。
歌っちゃえばすごく自然に解ると思いますよ。」
ハテナ顔の浜田にそう告げるとすかさず突っ込みを入れられた。
「解ってるのはお前だけちゃうんか!?」
あのガンたれているような独特の目つきで言う浜田を見てふと苦笑する。
考えたらさっきからずっと浜田のペースのような気がする。別にどうと言うわけでもないけれど、何と無く不思議な感じがする。今日始めて会った人なのに、こんなにも普通すぎるって変だろうか。
それにしても関西系のパワーとは凄い。何だか圧倒されてしまう。どちらかと言えばおっとりとしている自分などと比べると物事のペースが異様に速い。矢継ぎ早に繰り出される会話の数々はそのまま頭の回転の速さを見るようだ。それでいて人を和ませる雰囲気を持っている。
業界の噂で彼らの事はいくらか知ってはいたけれど、こうして会ってみると全く違った印象を受ける。
一体どこがふてぶてしいと言われるんだろう。わがまま放題だと言われているけど、それは多分良い方のわがままだと僕は思う。見るからに何かこう、一本、芯が通ったような強いイメージを受ける。きっとそれがある人にはわがままだとか、ふてぶてしいだとかに映るんだろう。
何と無く好きだなと思う。
こんな明るいパワーは誰かを思い出す。
自分の周りにはこういった人が多いような気がする。みんなものすごくポジティブでものすごいパワーを持っている。
その中でも今、ひときわ僕の心を叩くのは・・・。
ヒロ。
どうしてるかななんて、ふと思う。
お互いOFFに入ってから何度か電話でやり取りをしたけれど、確かジャマイカに行くと言っていた電話が最後だったと思う。それからもうどれくらいたっただろう。
もう帰っては来てるよね。きっと。
帰ったらお土産を持って行くよとか言っときながら、ちっとも、電話一本よこさない。
知らせが無いのは元気な証拠なんて言うけれど、やっぱりちょっと淋しい。もうヒロの中で僕は過去の人かな・・・なんて。
会わない間はいやに不安になる。今までがずっと一緒だっただけにあの元気な声が聞こえないのにはちょっと堪えている。
どうしてるかな、ヒロ・・・。
出来上がったばかりのサンプリングを手に大介は振り返った。
「あの・・・ひとつ聞いてもいいですか?」
譜面とにらめっこをしていた浜田が大介の声に視線を上げる。
「あの・・・浜ちゃんがこうして歌う事、何も言わないんですか?松ちゃん。」
些か変な質問だったとは思う。だけど他に何て言って良いのか・・・。正直言って解らなかった。
目の前で不思議がる浜田にもう一度説明する。
「あの・・・だから、こうして歌うって事は個人行動な訳ですよね。だからその事についてお互いどう思ってるのかなって・・・。」
「なんや、個人行動つーのは。別に隠密に動いてんのとちゃうで。」
「そーですけど。でも浜ちゃんとしてやってる訳でしょう?ダウンタウンとは別に。」
大介の問い掛けに浜田は真面目な顔になると一息ついた。
「あ・・・あのすみません。変な事言って。
でも気になって・・・。
実は僕、今、どうしたらいいのか解らなくって。なんかすごく不安・・・って言うか・・・淋しいなって・・・。
今までいっしょにやって来た人が今、居なくって、このまま離れちゃうのかななんて思うと、なんか・・・ね・・・。」
大介は照れたように頭を掻いた。話しているうちに胸の中の空洞がだんだん大きくなって行くようで怖かった。
「それってわがままなんとちゃうん?
お互い人間ですよ。自分のしたいようになるし、いくら頼まれたかて厭な事は出来ん、そうとちゃうのん?」
浜田の幾分投げやりな言葉に大介は視線を上げた。
「他はよー解らんけど、自分らはお互い好きな事やってると思いますよ。松本は松本でなんや訳解らんビデオ作っとるし、本、出したりしとるしな。
でもそれでええんちゃうん?
オレと松本でダウンタウンは出来てますけどオレは一度もこれが総てと思った事ないですから。
今回の事だって別に何も言わんし、お互い好きな事やるのが一番ええのとちゃう?
自分、ちゃうの?」
大介は首を振った。
「なら、それでええんちゃうかなぁ。
自分、松本好きやし。変な意味ちゃうで。ダウンタウン好きやしなぁ。
こうしておるのだって、なんや、気ぃ使わんでええし、気が合うてるだけやしなぁ。
もし松本より先にもっとごっつい奴がおったら、きっとそいつとやってたろうーしなぁ。何も言わんでも解ってくれる奴だからええんだと思うし。
まぁこれでもお互いの事尊重はしてる訳ですよ。
今のあいつを作り出しとんのもこう言う状況であって、それを壊す権利は自分には無いでしょ。逆にオレのこの状況を壊す権利も無いですけど。
何や難しい話やなぁ。訳解らんようになって来たで、自分。」
浜田は苦笑して照れたように譜面を手にした。
「強いんですね。浜ちゃんは、きっと。何か自分のやっている事に自信を持っている感じで。」
「それちゃうわ。自信なんてないねん、自分。いつもまわりに気ぃ使こうてびくびくしてますよ。
自信持ってるっつたらむしろ松本の方や。あいつは自分のしとる事よー解っとるし、周りの事もよー見えとる。悔しいけどかなわんわ。
それでもあいつのそんな自信が、自分強くさせてくれる。」
「え・・・?」
「だってそーやろ。あの松本に、あの松本にですよ、突っ込み入れられるのは自分だけですもん。そう思わへん?」
にやりと笑って見せる浜田はとても満足そうに見えた。
何だかすっと胸が軽くなるような気がした。
お互いに好きな事が出来るって事は、相手の総てを受け入れていると言う事。
相手が何をしていてもそれを認めてしまえる強さ。そしてそんな中で自分と言うものを持っていられる強さ。
絶対的なその強さは何にも揺るがないように見えた。
忘れていた。自分達もお互い好きなことをやってきた筈だ。
その強さは、ここにも確かにあった筈だ。
「何だか・・・どうもありがとうございます。僕の変な質問に答えてくれて。」
「別に何も言うてないけど・・・あっ・・・この事はあいつには言ったらあかんで。あいつすーぐ調子にのりおるから。ムカツクからごっつーどついたるんねんけどな。」
そう言って浜田は笑った。大介もつられて笑う。
何だかダウンタウンの人気の秘密を今聞いてしまったような気がする。こんな2人だからきっとみんな目が離せなくなるのかもしれない。
「すいませーん。」
突如として掛かった声に2人して振り向く。
「そろそろお願いします。」
スタッフの声が浜田に向けられる。
「あ・・・もしかして、暗譜、まだですか・・・?」
大介が小声で尋ねると、浜田はその答えを顔に表した。
「うわー、すいませんー。ごめんなさぁーい。僕がくだらない事聞くから・・・。」
「そーや。みぃーんなお前のせいや。なんや、めっちゃ腹たってきたわ。」
「ごめんなさぁーい。」
「随分楽しそうだけど、暗譜、まだだって?Hじゃんぐる君。」
くすくすと笑いながら小室が立っていた。
「ごめんなさい。僕が余計な事聞いちゃったから・・・。」
「そーですよ。この機械人形が変な事言うから。何とか言ってやってくださいよ、うぃずT。」
いつもの調子に戻って浜田がぽんぽんと言葉を繰り出す。
「駄目ですよ。機械人形君。」
小室が大介の頭をぽんぽんと叩いて言う。
「あかんわー。ぜんぜんおもんないわー。もっと笑いの勉強したほーがええんとちゃう?自分。」
浜田の厳しい突っ込みに苦笑する。
「精進します。」
小室がそう答えると同時にスタッフから声が掛かった。その声に浜田はブースへと向かう。
「すごいパワーですね。」
大介の言葉に小室は笑いながら頷く。
スタッフの声が掛かる。
「大ちゃん見てく?」
歩き出した小室にそう聞かれ、大介はしばらく考えた。
「いいです。」
「そう、じゃあ。今日はどうもお疲れ様。また、頼むかも。」
「今度はもっと時間の余裕のある時にして下さい。きっと無理なんでしょうけど。」
小室は苦笑した。
「じゃあ。気を付けてね。」
「はい。」
そう答えてスタジオから出ると、傾きかけた太陽が見えた。大介は思い切り伸びをして歩き出した。
帰りにちょっと足を伸ばしてみよう。
君の家の近くの道を歩いてみよう。
運が良ければ君と偶然、会えるかもしれないから。
END