せつなさだけが胸をしめつけていた。

もうずっと          

だから、苦しかった。

 

 

 

 

 

 

       ちゃん。大ちゃん。」

 

 呼ばれた声にびくっとして振り返ると、いつのまにかそこには博之が立っていた。

 

「時間、だよ。」

 

 先日手渡してあった譜面を手に心配そうに覗き込む。

 

 何も無い無機質な空間に二人っきりで閉じ込められる。一枚ガラスの向こう側からは何人もの人々がこっちを見ながら手元の機械と格闘している。

あらかじめ取ってあったリズムが流れ出すと、密閉された空間の中には博之の声と仕上げのシンセの音が響いた。

 

 こうして何度も気持ち良さそうに歌うヒロの後姿を見てきた。

初めて会った時に感じたインスピレーション。自分が探していたこの感性にただ純粋に惹かれていた。

だけど今は        

 

 

 気付いた時にはもう手遅れだった。いつでも姿を探していた。それは、絶望的な想いだった。それでも         ・・・。

この想いを止める事が出来なかった。

 

たった一言でこの関係は壊れてしまう。

それならばいっそ、何も告げずにこうしていたい。ヒロの気持ち良く歌う後姿を自分はずっと一番そばで見つめていられる存在でいたかった。

 

 

 ヒロの声がせつなくシャウトする。

ヒロの作る歌は時々凄く残酷だ。胸を抉るようなセリフを平気で叩きつける。

そしてその本人はその効果を知っているのだろうか、まるで人に挑むようなその歌い方に思わず耳を塞いでしまいたくなる。

人の気持ちを計ったようなその傷付いた言葉は、まさしく自分のものなのに         

 

 

 こんなにそばに居るのに、怖くてヒロに触れられない。触れたら最後ヒロを汚してしまいそうで、自分を止める術を失ってしまいそうで、もう、ずっと以前から距離をおいている。その事にヒロは気付いているのだろうか。一体        

 

 

「ねぇ大ちゃん。この頃あんまり調子良くないみたいだけど、大丈夫?」

 

 突然の博之の言葉に大介は一瞬、虚を突かれてしまった。

 

「大丈夫って、何が?」

 

 やっとの思いで作り笑顔を浮かべると問い返した。

 

「だから調子がさ。・・・聞いてる?」

 

「聞いてるよ。大丈夫。どこも悪い訳じゃないんだ。」

 

 そう言って小さく笑うと席を立った。

 

「大ちゃん・・・!?」

 

 残された博之は軽く手を上げるその後姿をただ見ていた。

 

 

いつの頃からか感じ始めた違和感。最初はほんの偶然だと思っていた。

 

       もしかして、避けてる・・・!?

 

何度も聞こうとしてその度に思い留まった。

もしこれが自分の思い過ごしであったらきっとものすごく傷付けてしまうだろう。そう思うと怖くて聞けなかった。

だけど、偶然にしてはあまりにも露骨すぎる。

 

どうしたら良い。

もし何か訳があるなら話して欲しい。

お願いだからオレの事、そんな目で見ないで           

 

 

ジャケット撮影、レコーディング、カメラテスト、衣装合わせ、ビデオ撮り。

びっしりと書き込みが入ってスケジュール表と化してしまったカレンダー。けれどそんな多忙さがホッとさせる。

こうして何かに取り組んでいられる方がずっと楽だと言う事を、もう、かなり前から知っていた。

 

事務所が対マスコミ用にと用意したこのマンションをこの所ずっと一人で使わせてもらっている。

自分の部屋に居ると色々な物がどうしても自分を苦しめていた。部屋のあちこちに置かれた博之から貰った物がじっと自分を見つめているようで、無言の反抗をしているようで息が詰まる。

 

何もか忘れていたい。もう総べてを忘れさせて欲しい。そっと、しておいて。誰も僕という存在を知らなかったかのように。

 

 

黒い革張りのソファの上にどかっと腰を降ろすと大きく息を吐き出した。

疲れているのかも知れない。

こんな訳のわからないイライラもきっと自分が疲れているからなんだ。ヒロの事をこんなにも息が詰まるように感じるのもきっと全部疲れているからなんだ。

だけど         

 

 

もう、潮時かも知れない。

 

 

自分は逃げている。音作りの中にだけ逃げ込もうとしている。だけどそうすればそうする程、イイ音なんて出来なくて、行き詰まる一方で・・・。

 

前は違ってた。ヒロの事を考えただけで頭の中には音が溢れて来た。ごく自然にヒロの声と音とがシンクロして行くのが解った。ヒロの声の出し方や、ブレスの取り方までがもう僕の中ではありありと必然的に映し出されていた。

 

         楽しかった、あの頃は。

まだお互いにお互いの事を余り良く知らなくて、今も互いの総べてを知っている訳ではないけれど、僕達はお互いに音を通じてコミュニケーションがとれた。

時には一方的に激しくぶつかったし、挑むようなリズムも打ち出した。二人で一緒に冒険だってしてみた。それはまるで音を使った鬼ごっこみたいだった。

 

だけど、最終的に追い詰められたのは僕の方だった。

今は         ヒロの為に作る音がとても辛い。もう鬼ごっこなんかする余裕なんてこれっぽっちも無くなってしまった。

 

いつしか僕は押し付けの音しか作れなくなっていた。
自分の気持ちばかりを押し付けたような音。
ひとりよがりの、ちっとも人の心なんて動かせない、マイナスだらけの音。

 

その事に気付いてしまった時からもう音が、生まれなくなってしまった。ヒロの声を、ヒロの(うた)を、最大限に活かせるような音がもう僕には出来ない。

それなのに       ヒロのそばに居るのは辛い

ましてやこんな気持ちに気付いてしまっては、もう、これ以         

 

ヒロが見えない。

今までごく自然に息をしていた筈なのに、それすらも怖くて出来ない。ほんの少しでも身動きしたら壊れてしまいそうで、この関係が終わってしまいそうで         

 

 どうしたら前みたいに普通でいられる?ヒロの隣で普通に話して、普通に笑って、もう何もかもさらけ出して想いを総て伝えたら、少しは楽になれるのだろうか。 

           ううん、駄目だ。そんな事したらもうヒロのそばには居られない。

どうしたらいい。

どうしたら           ・・・!?

 

 

「・・・ヒ・・・ロ・・・。」

 

 気付くとそこには博之が立っていた。

 

「大ちゃんのとこ電話したら居なくて、マネージャーに聞いたら、ここの鍵くれた・・・。」

 

 所在なげに佇む博之は、どこかばつが悪そうにポケットに手を突っ込んだまま言った。

 

「・・・何・・・で・・・。」

 

「だって大ちゃん、ここんところ変だし         。」

 

 気負い込む博之に大きく一つ息を吐き出すと平常心の自分を取り戻そうとした。

 

「とにかく、座れば。」

 

 やっとの一言を吐き出して、真摯に見つめる博之の視線から逃れようと横を向いた。

 

 何を話したら良いのか解らないままの気まずい時間が流れる。ただ一点を見つめたまま、コーヒーを落とす音だけが部屋に響いた。

 何を考えているのか解らない。ヒロも        そして、自分も。けれどこの沈黙を破る術を自分は知らなかった。

 そしてそれは博之にとっても同じ事であった。

 なんだか大ちゃんとの距離が離れて行くのに耐えられなくてここまで来てしまったけれど、いざこうして面と向かってしまうと、どうしたら良いのか解らない。部屋に入る前の決心なんて、もう、どこかへ消えてしまった。大ちゃんと一緒に居ればこの不安は消えると思っていた。だけど実際は不安なんてこれっぽちも消えやしない。それ以上に、何だか悲しいくらいどうしたらいいのか解らない。

 

「コーヒー・・・入ったよ。」

 

 小さな、今にも消えてしまいそうな声でカップを目の前に差し出した。

 きっかけは大ちゃんが、くれた          !?

 

「コーヒーなんかいいよ。別にオレ、コーヒー飲みに来た訳じゃない。」

 

「ヒロ・・・。」

 

 何だかきつい言葉しか出てこなくって、博之は自分を呪った。

 

「ねぇ、大ちゃん。オレ、何か気に入らない事でもした?」

 

「何で急にそんな事・・・。」

 

「急じゃないさ。ずっと考えてた。こんとこ大ちゃん、変だし、オレの事避けてるし。どう考えたって変だろ。それとも何か、オレに言えない事?」

 

 一方的にまくし立てられて、大介はどうしたらいいのか解らずに黙っているしかなかった。

だがその沈黙を博之は肯定と取ったのだろう。一瞬、悲しそうな顔をすると唇を噛み締めた。

 

「ごめん。言いすぎた。誰にだって言いたくない事くらいあるよね。」

 

 うつむき加減に髪をかきあげ、悲しげなその顔をもう一度大介に向けた。

 

「帰る。」

 

 言葉と同時にドアへと向かって歩き出す。そんな後ろ姿を見せ付けられながら大介の心の中は激しく葛藤していた。

 

 人の気も知らないで。僕がどれ程苦しい思いをしているか解らないくせに。残酷すぎるよ、それは        

 

「           もし。」

 

 ドアノブの手を掛けていた博之の後ろ姿に今まで聞いた事の無いような冷たい声が届く。

 

「もし僕が今思っている事を総て言ったら、ヒロはそれで満足なの。」

 

「大・・・ちゃ・・・ん・・・!?」

 

 振り返った博之の前には、悲しそうなそれでいて苦しそうな表情の大介が居た。

 

「ヒロなんか何も解ってなんかいない。」

 

 冷たく宣言されて、博之は一瞬目の前が真っ白になった。

 

「そ・・・そんな・・・こと・・・。」

 

 掠れる声を搾り出して笑って見せようとする。しかしそれは脆くも失敗した。顔の筋肉が凍り付いたように動かなかった。

 

「僕が一体どういう目でヒロを見てるか、ヒロは知らないからそんな事言えるんだよ。

僕がどれ程ヒロのそばに居るのが辛いか、ヒロは一度だって考えた事なんて無いんだろう。」

 

 大介は勢いに任せてここまで言って、しまったと思った。だがしまったと思った時にはもう遅かった。目の前の博之の顔はだんだんと青ざめ、『何故』と言うよな瞳が大介を見ていた。大介は自分の気持ちに歯止めを掛けようとあがいてみるが、一度溢れ出した感情は止まる事を知らなかった。それどころかいつもよりも流暢な言葉が流れ出していった。

 

「ずるいよヒロ・・・。そんな目で僕を責めないでよ。僕をこんなにしたのはヒロなのに。今更知らないなんて言わせないよ。

そうだよ。いつだってヒロは見せ付けて来た。ずっと。ヒロは自分がどれだけ人気があるかなんて知らないだろう。」

 

「人気なんて。オレはそんなものの為に歌ってるんじゃない!!」

 

「解ってるよ、そんな事ぐらい。僕だってそんな事の為に作ってるんじゃない。だけどヒロのその人気は現実だ。どうしてそんなにファンがつくか解らないだろ。

それはそうさ。ヒロは自分でもきっと気付いてないだろうけど、ヒロはライトを浴びても負けない人間なのさ。ライトを浴びれば浴びるほどヒロの魅力は2倍にも3倍にもなる。そこにみんな惹かれてるんだよ。

たかがテレビやコンサートでしかヒロの事を知らない、いわばアクセスのヒロとしてしかのヒロしか知らない人がこんなにもヒロに惹かれてるんだ。そして僕は、ずっと、ヒロの一番近くに居た。アクセスじゃないヒロだって知ってる。言い方は悪いけど、そこらのファンとは違うんだよ!!」

 

 大介は紅潮した顔で博之を見つめた。

 

「大・・・ちゃ・・・。何、言・・・って・・・。」

 

 博之は混乱した頭の中を一生懸命整理しようと努力した。

 

「そこまで僕に言わせるの・・・?」

 

 大介は辛そうな表情で博之を見つめ、その後ぎゅっと目を閉じた。

 

          ・・・ヒロが好きだよ。

こんな事言うつもりなんか無かった。だけどもう苦しくて・・・。何も手に付かないんだ。曲だって作れない。ヒロの事考えるだけでもう、自分が自分じゃなくなるみたいで・・・怖いんだ。

助けて・・・たすけてよ、ヒロ・・・。」

 

 大介の瞳からはいつの間にか涙がこぼれ落ちていた。堪えていた筈のものが一気に堰を切ってこぼれ落ちていった。

 部屋の中には大介の涙をしゃくりあげるような声が響いた。まるで子供のように泣きじゃくる大介に博之は戸惑いながらも声をかけた。

 

「大ちゃん・・・。」

 

 その途端、子供のような大介は一瞬にして消えていた。いつものように落ち着き払った大人の大介がそこには立っていた。

 

「ごめん・・・。もうこれ以上、僕には曲が作れないよ。ヒロのそばにも居られない。

もう、終わりにしよう。僕の一方的なわがままで悪いけど、ヒロだってこんな奴と一緒に居るなんて、もう、嫌だろう?

解散しよう、ヒロ。」

 

「大ちゃん・・・!?」

 

 博之は大介が何を言ったのか解らなかった。いや、解りたくなかった。いつものように笑って、『今のは嘘だよ』と取り消して欲しかった。

そんな願いを込めて大介を見つめたが、大介の表情はもう諦めたように穏やかだった。そして、静かに笑うと言った。

 

「ごめんね、ヒロ。僕を一人にしてくれないかな。」

 

 いつも通りの穏やかな口調で大介は言った。何者をも寄せ付けないような大介のその表情に博之はたまらなくなって部屋を飛び出した。

 

重い扉の閉まる音がやけに耳についた。その音が遠くに消えると、大介は全身の力が一挙に抜けたようにその場にへたり込んだ。

 

 

            こんな事言うつもりじゃ無かったのに・・・。

 

ずっと、自分の中にだけ閉じ込めておくつもりだった。そうしておけば何も変わらない筈だった。

たとえどんなに辛くてもそれは僕だけの事で、僕さえしっかりしていればこんな事にはならなかったのに。

 

失ってしまった。もう、何もかも。

今まで築き上げてきたものの総べてを僕が壊してしまった。一番大切な人を傷付けてしまった。ヒロを        ・・・。

 

 きっとヒロはもう僕の事など許せないと思うほど嫌っているだろう。だけど・・・。

 

それでいい。それでいいんだ。だって僕はヒロにとって一番嫌いな人種で、ある筈だから・・・。

 

 あんなにも輝いているヒロ。そんなヒロにやっぱり僕は不釣合いだったんだ。こんなにも汚い奴なんてきっと他に居るはずが無い。たとえ、万が一にもヒロが僕を許してくれたとしても、それでも僕はそんな自分を許せないよ。もう、いっその事、僕をとことん軽蔑して、口汚く罵って、もう二度とオレの前に現れるなと冷たく言い放って・・・。そうしてくれたら、いいのに・・・。 

 

知らぬ間に大介の頬をとどめておいたはずの冷たい雫がこぼれ落ちていた。

 

「・・・ヒロ・・・。」

 

 

 

 

 

 逃げるようにマンションを飛び出して、無我夢中で走り続けたその間も博之の頭の中には先程の大介の言葉が未だ鮮明に叫び続けていた。

 

 あの辛そうな悲しそうな顔が頭から離れない。それなのにどうして、自分は逃げるようにこうして大ちゃんから遠ざかろうとしているのだろう。

今まで一度だって見た事の無い表情。大ちゃんはいつも笑って、優しくて、怒るなんて事なかった。ましてや取り乱すなんて、おおよそいつもの大ちゃんらしくない。

あの時、一瞬だけ見せたあの顔。本当ならそばにいて、何も出来なくてもそばにいて、勇気付けてあげたいのに。それが今出来ないのは、あの言葉のせい・・・?

 

考えてもみなかった。大ちゃんがずっと          

少なくともオレは何でも分かり合える親友だと思ってたのに。それなのに、どうして・・・。

こんな事言うつもりじゃなかったと、泣き出しそうな顔で言った大ちゃんはオレよりも辛そうな顔をして、もう何もかも諦めたように『一人にして』と、そう言った。

 

何で今のままじゃいけないんだ。今のまま自然にお互い好きでいられないんだ。

そりゃあきっと大ちゃんの言う好きとは違うかもしれないけど、でもオレは大ちゃんが好きだ。それだけじゃいけないのか?今までだってずっと自然にやってきたのに。

それとも          大ちゃんにとっては自然じゃなかったの          ・・・!?今まで優しく隣に居た大ちゃんは、全部造られたものだったの・・・!?そして大ちゃんの本当の気持ちは         

 

もう嫌だ。

考えるのは嫌だ。

考えるのは辛い。

考えれば考えるほど大ちゃんを疑ってしまいそうで。今までの現実が総て壊れてしまいそうで、今まで作り上げてきたものが、嘘になりそうで             ・・・。

終わりにしようなんてあんなにも思い詰めて。

だけどそんなセリフを大ちゃんに言わせたのは、まぎれもなくこのオレで。

 

だったら、どうすれば良かったんだ。

大ちゃんのさっきの告白に嘘でもいいから答えれば良かったのか?

大ちゃんをもっと傷付けると知っていても、オレは嘘をつけば良かったのか?

 

違う。そんな事したって大ちゃんはちっとも嬉しいと思う筈なんかない。これだけは解る。大ちゃんはきっと、偽りに囲まれて生きるより現実で死ぬ事を望むだろう。大ちゃんはそういう人だ。だけど          

 

「どうすればよかったんだよ・・・。」

 

 うめくようにつぶやいて博之は路地裏の壁に寄り掛かった。唇をかみ締めるとその両手で自らの頭を抱え込んだ。

 

 会わなければ、それでいいのか。ユニットを解散してもう二度と会わなければ、大ちゃんはそれでいいと思ってるのか?あんなにも互いに解りあえたと思ったのに。

あんなにも自分と同じものを求め、それでいて全く違うものを持っていた人は初めてだった。

声に出さなくても言いたい事を解ってくれた。初めて大ちゃんの歌を唄った時感じたあのフィット感。これこそが自分のあるべき姿だとさえ思えた。この人ならオレの総べてを解ってくれると思った。

 

 失える筈なんてないのに。

好きとか嫌いとか、そんな事は解らない。だけどもう大ちゃんが居なくては『貴水博之』は居なくなってしまう。

 

自分のエゴでもいい。大ちゃんを今失いたくない。

大ちゃんがアクセスをやめると言ってもオレはやめたりなんかしない。オレのいる場所は、そこしか無い。そしてその隣は大ちゃんの為だけにいつまでもいつまでも空けておいてやる。

 

 勝手に1人で逃げる事なんてさせない。オレが納得するまで逃がしたりしない。

このエゴを大ちゃんが愛と呼ぶならそう呼んでもいい。

他人に何と罵られようと構わない。もう、総て解ってしまったから。大ちゃんの事がやたら気になったのも、泣き出しそうな大ちゃんの顔を見た時、戸惑いと一緒に感じたものの正体も。もうどんな事にも逆らわない。自分の気持ちをもっと見つめたい。大ちゃんのそばで・・・。

 

 オレは今、大ちゃんを失えない。

 

 博之は強く胸に思うと、来た道を戻り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何か物音がして大介はふいに目覚めた。フローリングの床が自分の居た所だけ妙に暖かかった。博之がここを出て行った後、そのままここで眠ってしまったらしい。目が心なしか腫れぼったい。涙の後が乾いてひきつっていた。

 

 物音のした玄関の方へと歩いて行くと、恐る恐るドアを開けた。

 

       ・・・ヒ・・・ロ・・・!?」

 

 そこにはコンクリートの上に座り込んだままの格好で眠っている博之が居た。手足を投げ出し心地良い寝息をたてながらその人は冷たいそこで眠っていた。

大介は博之に駆け寄りその体を揺すった。

 

「ヒロ・・・ヒロ・・・。」

 

 大介の呼びかけに答えるように博之は小さく声を発した。その声にびくっとして大介はその手を離した。

 

          どうしようと言うんだ。こうしてヒロを起こしても、お互い気まずいだけなのに。

さっき僕はヒロを傷付けたのに、それなのにまたこうして親友面しようとしているなんて。

 

もう、終わってしまったんだ。何もかも。それならばもうこれ以上、傷付けあいたくないのに。もうそばにいたくないのに。

 

 大介は立ち上がると部屋へ戻ろうとした。が、どうしても博之の事が気になってもう一度振り向いてしまった。

 このままじゃヒロが風邪ひいちゃう。せめて暖かい部屋の中へ。そう思うと大介は博之をそっと抱えて部屋の中へと入っていった。

 

 部屋へ入ると先程の記憶が大介によみがえってきた。大介はそんな脳裏の映像を消してしまいたくて首を振った。

 

「大・・・ちゃん・・・。」

 

 ふいに耳元で声がした。そして今まで肩に掛かっていた重みがふっと軽くなった。

 

         ・・・ヒロ・・・。」

 

 隣に立った博之と目を合わせられなくて大介はとっさに横を向いた。

 

「あ・・・あんなとこで寝てたら風邪ひくと思ったから・・・。

僕、もう家に帰るから、ヒロ、ここで休んでいきなよ。マネージャーには僕から連絡入れといてあげる。じゃあ。」

 

「待って!!」

 

 急に腕をつかまれて大介は焦った。

 

「離して。帰るんだから。」

 

「いやだ!!」

 

「離せよ!!もうここに居たくないんだ。さっき言った事、忘れたのかよ!!」

 

 大介は語気も荒く言い放った。だが博之の大介をつかむ腕はいっそう力強くなった。

 

「忘れてなんかない。解散なんて許さない。大ちゃんがなんて言っても、終わりになんてさせない。」

 

「ヒロ・・・。」

 

 博之の突然の言葉に大介は信じられないような表情で振り返った。

 

「どうして何でも一人で結論出しちゃうんだよ。何でも一人で納得して、それで勝手に終わりにするな。」

 

 博之のいつになく強い言葉に大介はただ黙っているしかなかった。するとそれを博之も解ったのかゆっくりと話し出した。

「オレも大ちゃんの事好きだよ。だけどそれが大ちゃんの言う好きかなんて事はよく解らない。だけどオレはずっと大ちゃんと一緒に居たいと思ってるし、大ちゃんの事失えないって解ったんだ。

今、気付いた。きっとオレも大ちゃんの事好きだ。初めて大ちゃんの歌、歌わせてもらった時感じたんだ。この人ならうまくやっていけるって。だって何も言わなかったのに大ちゃんはあの時オレの欲しい音を全部くれた。オレが目指していたのに辿り着けなかったそこへ、大ちゃんは連れて行ってくれたんだ。凄く不思議だった。もう一人の自分みたいな気がした。

余りにも近すぎて、大ちゃんの存在を忘れていたのかもしれない。空気みたいでそこにあるのが当たり前だと思ってた。だから大ちゃんもオレと同じように思ってるんだとずっと勘違いしてた。

オレにとって大ちゃんは好きとか嫌いとか、そんな事考える必要なんてなかったんだ。だってもう、ずっと        ・・・。」

 

 そこで博之は一息ついた。そして大介を見つめると一息に言った。

 

「大ちゃんのこと好きだったから。」

 

「ヒロ・・・。」

 

 大介は余りにも信じられない言葉に後から後から涙が溢れた。何かを言いたいのに博之の名前しか出てこない大介に博之は何度も答えた。

 

 もう十分だった。これ以上何もいらない。こうしてヒロが、今自分の目の前でこうしていてくれる。

 もう駄目だと何度も思った。もう二度とヒロには会えないと自分に言い聞かせて。僕は絶望的な思いを抱えたまま一人で死んでいくんだと思っていた。

もうヒロの為に音を作る事もなくなって、ヒロの声を聞く事もなくなって、ヒロの笑う顔やヒロのほんの小さな癖も、もう二度と見る事はないと覚悟を決めていたのに。こんな、こんな嬉しい事があるなんて思っても見なかった。

全面的にヒロが受け入れてくれなくても総べてを拒絶された訳じゃない。それだけでいい。もうそれ以上、何も望まない。今こうしてひろが居てくれる事だけで・・・。

 

「ヒロ・・・。ごめんね・・・。ありがとう・・・。」

 

 大介はそう言うと博之の服の端をちょこっとだけ掴んだ。何だか妙に意識してしまって、博之に触れるのが怖かった。触れたら総て夢のように消えてしまいそうで。

 

「ヒロ・・・そばに行っても・・・いい・・・?」

 

 大介は真っ赤な顔をして博之に聞くとそのままうつむいてしまった。そんな大介の様子を博之はほほえましく見つめて大介をそっと抱き寄せた。

 

「ヒ・・・ヒロ・・・!?」

 

「オレ達は何も変わらない。」

 

 博之の優しい言葉に大介は博之の背中に腕を回し、きつく抱きしめた。もう何も変わらない。そう思うだけで勇気が出た。

 

 この人に出逢えて、よかった。

 

「ヒロ・・・。大好き。」

 

「大ちゃん。」

 

 博之の腕の中で大介が幸せに包まれていると、突然頭上からくしゃみの音が聞こえた。

 

「ヒロ・・・!?」

 

 見上げるとそこには苦笑いを浮かべた博之が立っていた。

 

「風邪・・・ひいたかも・・・。」

 

「バカ。あんな所で寝てるから。早く、横になって。」

 

 大介は博之をベットに連れて行くとテキパキと博之を寝かしつけた。そんな大介の様子を博之は笑って見ているとふいに呼びかけた。

 

「ねぇ大ちゃん。ここに来て、一緒に寝ようよ。」

 

「ヒロ・・・!?」

 

「このままここでこうしてよう。明日もオフにしてもらてさ。オレは風邪ひいたって。大ちゃんはモノモライで目が腫れて外に出られませんって。」

 

 そう言って笑うと博之は大介の赤くなった頬に触れた。

 

「ヒロのいじわる。」

 

 大介はそう言うと博之に軽く触れるだけのキスをした。

 

「だ・・・大ちゃん・・・!!」

 

 驚く博之をよそに大介は博之の隣に横になると頭まで布団をかぶった。

 

「おやすみ。」

 

 大介の照れたような声が聞こえた。博之はぎこちないしぐさで大介の手を握ると、間もなく二人は深い眠りの中へと落ちていった。

  

 

 

                        END