<罪−guilty->

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信じるものはひとつではない。

それは常に形を変えて、今、この時も、形を変えて・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉は突然だった。

 

 

「え・・・?黒田君が・・・?」

 

 

神妙な顔をして作業中のスタジオに入ってきたアベちゃんが静かに言った。作業中に入ってくるなんて余程の事だろうとは思っていたけど、まさかそんな言葉を聞くとは思わなかった。

 

 

           黒田君が抜ける。

 

 

 

僕の実験的ユニット、Icemanのボーカリスト黒田倫弘くんがユニットを抜ける事を決めたという報告だった。

突然の事に僕も言葉が出ない。

 

 

          どうして・・・?

 

 

確かに今Icemanは活動休止状態にはなっていたけど、解散とか活動停止を考えていたわけではなく、これからの新しい実験的方向性を模索しているところだった。

止まっているように見えたかも知れない。もう、活動しないように見えたのかもしれない。

事実、僕達はそれぞれ別の活動も持っていて、黒田君もソロでやっていた。

その事をこのユニットをやっていく上での弊害と考えた事はなかったし、逆に僕はそういう形がIcemanにも新しいものを注入する良い刺激になると思っていた。

両立していく事はもしかしたら難しい事なのかも知れない。でも、それはこのユニットを始めた時から僕達の中では流動的に進んで行く事を前提としていた、ひとつの決まり事のようになっていた。僕だけではなく、黒田君にとっても伊藤君にとっても実験的な場所でありつづける事。それがこのIcemanというユニットの指針だった。

 

 

「どうするの、大介。」

 

 

「どうするって・・・言われても・・・。」

 

 

僕には彼を引き止める術がない。

 

 

「・・・そうよね。それがIcemanだったんだから・・・。」

 

 

アベちゃんも言葉を失う。

 

ひとつの大きな実験を終え、この方向性での可能性については多くのデーターを得られた。それは僕だけではなく、2人も感じていた。

 

 

このままこの方向でIcemanは固まっていいんだろうか・・・。

 

 

誰からともなく漏れた言葉。

もともと僕達の音楽の嗜好性はてんでばらばらで、それを上手く融合する事でここまでやって来た。それには強い牽引力が必要で、たまたまそれが初期の段階では、彼らよりは多少なりともこの業界のノウハウを知っている僕だっただけの事だ。

Icemanは僕だけのユニットじゃない。         確かに、その動機は不純だったかも知れないけれど・・・。

それでもこのユニットを大切に思う気持ちに偽りはなかった。

プロデューサー的役割を買って出たのもその為だ。このユニットをこの業界で新しいものにしたい。誰もやった事のないような、新しいものにしたい。その為の努力は僕達3人、惜しまずにやった。それが楽しかった。

でも・・・それはもしかしたら僕だけの話だったのかも知れない。彼が抜けるとは、そう言う事なのかも知れなかった。

 

 

「一度、ちゃんと話をしなくちゃ。3人で・・・。」

 

 

「そうね。伊藤君の意志も確認しないといけないし、このままって言うわけには、もう、行かないかも知れないわね。」

 

 

僕は頷く。

それぞれが納得出来る答えを見つけなければ、もう、前には進めないのかも知れなかった。

 

僕達は別々の場所を向いている。そこで常にバランスを取り合ってきた。

同じだけの強さで引っ張り合い、同じだけの強さで支えあってきた。

そのバランスが、崩れようとしている。

 

 

「大介。」

 

 

不意にアベちゃんの呼ぶ声に意識を取り戻す。

 

 

「貴方は大丈夫よね。」

 

 

意図するところが飲み込めず首をかしげる僕に彼女は言った。

 

 

「前のようにはならないわよね。」

 

 

「まえの・・・ように・・・?」

 

 

「貴方の仕事は今はそれだけじゃないって事。予定の変更はありえないのよ。」

 

 

厳しい視線を向けられて、僕は思い出したくもない過去の傷を思い出す。

何をする気も起きなかったあの頃・・・。がむしゃらに音ばかりを繋ぎ合わせたあの頃。

 

僕は真っ直ぐにアベちゃんを見て言った。

 

 

「大丈夫だよ。ちゃんと話をする。今度こそ、悔いのないように。」

 

 

それだけ言うと僕は作業に戻った。

何も言わずにアベちゃんが出て行く。

スタジオ内にまた静かな空気が流れる。僕は握っていたマウスを離して椅子に身体を預けた。

 

 

           Icemanをやめる。

 

 

まさかそんな決断を彼がするなんて思わなかった。

思えば長い休止期間だった。その前も、僕らのバランスは変わってしまっていたのかも知れない。

 

彼が何を考え、何を感じ、こうした決断に至ったのか、僕には解らない。

 

 

聞いても、いいんだろうか・・・。

理由を聞く事は彼を追い詰めたりしないだろうか。

 

 

彼は、真っ直ぐな人だ。

嘘のつけない人だ。

その真っ直ぐさはどこか・・・ヒロに似てる。

引き止めたりしたら彼はまた悩むだろう。歌う事を楽しむ彼には、ここは望む場所とは変わってしまったのかも知れない。

だから、引き止められない。

 

代わりなんていない。黒田君だって伊藤君だって、代わりなんてどこにもいないんだ。

僕達3人だから、Icemanはやってこれた。これだけの化学反応を起こす事が出来た。でも・・・それは僕のエゴから始まり、僕のエゴの為に、終わってしまうんだろうか。

引け目がないとは言わない。僕があの時この場所に求めたものは、ヒロの影から逃げる事だったから。

ヒロと作り上げたあの場所を守るため、僕はこのスタイルにこだわった。そのくせ、のめり込むのが怖かった。僕の心はヒロを失ったあの時ですら、ヒロを求めていたから。

 

僕のこの姿を見たらヒロは何て思うんだろう。

どこかできっと見てるはずのヒロの事を思って、僕はaccessとは違う自分になる必要を感じていた。そしてその為の仮面を被った。Icemanの浅倉大介という仮面。

 

ヒロに伝えたかった。

 

 

これはaccessとは違うんだよ。

あの場所は僕にとっては特別なものなんだよ。

ヒロがいなきゃ、出来ないことなんだよ・・・。

 

 

必死になって伝えようとしていた。

それなのに、ヒロは僕の目の前から何の答えもくれず、消えた。

 

もしかしたら黒田君は気づいていたのかも知れない。僕がそこにヒロの姿を探してしまっていた事を。同じボーカリストである彼は、自分のいる場所に求めるものを敏感に察知していたのかも知れない。

 

そうだとしたら・・・。

 

僕は・・・。

 

 

考えたくない答え。

知りたくない想い。

けれど、もう逃げるのはやめにした。

 

あの時、ヒロに聞けなかった事を僕は黒田君に聞く決意をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

話し合いは静かに終わった。僕達は一度もケンカさえする事なく終わってしまった。

穏やかな声で固い決意を語る黒田君に僕はもう、何も言えなかった。

 

 

「わがままを言って、すみません。」

 

 

静かに頭を下げた黒田君に僕はあの日のヒロを見ているみたいで胸が痛んだ。

 

 

また・・・同じ場面・・・。

 

 

あの時のヒロの決意も固かった。そして黒田君も・・・。

彼らの中の何が、こんなにも決意を固めさせたんだろう。僕は情けないくらい震えた声で聞いた。

 

 

「あやまらないで・・・。理由を聞かせて。」

 

 

「それは・・・さっきも・・・。」

 

 

「そうじゃなくて、本当の理由。音楽性の違いなんてキレイ事の理由じゃなくて、本当の事を言ってよ。」

 

 

僕は振り絞るように聞いた。黒田君が困った顔で僕を見ている。

 

 

「どんな口汚いことでもはっきり言って。その方がいい。」

 

 

僕は真っ直ぐに黒田君を見つめた。

どんな事を言われても、構わない。真実が知りたい・・・。

 

僕の心の底からの願いに黒田君は小さく溜息をつき、その重い口を開いてくれた。

 

 

「・・・本当に、音楽性の違い・・・スタンスの違いとしか言いようがないんですよ。もちろんそんな言葉で納得出来ない事は解ってます。でも、他に言いようがない・・・。」

 

 

一旦言葉を切ると、黒田君は僕と伊藤君をゆっくりと見た。

黒田君はたどたどしく、それでも真摯に話してくれた。

自分の置かれている状況。

止まったままだったIcemanの時間。

自分のいる意味。

自分が本当に歌いたいもの・・・。

 

まだ自分の中でもきちっと整理がついているわけじゃないと言う。けれど、このままではいられないと、Icemanが好きだから、自分はこのままではいられないと、そう言った。

1年と言う長い休止期間はそれぞれに考える時間を与え、それぞれに自由の扉を開かせた。

自分の音楽性とは何か、彼は甘える事なく決断を下した。

 

 

「止めることは・・・出来ないんだね。」

 

 

「すみません。」

 

 

「どうしても・・・って言っても?」

 

 

僕は苦い思いでそう聞いた。

すると黙って聞いていた伊藤君が小さく笑った。

 

 

「それはフェアじゃないでしょ。Icemanの信条から外れてしまう。自分達はそういう集まりだったはずでしょ?」

 

 

僕を伺うように見るもう一つの強い視線。彼の中でもすでに彼なりの答えが出ているのかも知れなかった。

答えを出せずにいるのは、僕だけ・・・?

 

もう僕達はひとつじゃない。歩き出してしまった答えを出さなければいけなかった。

 

 

「・・・そうだね。そうだった。」

 

 

そう短く答えて、総てが終わった。

今でもIcemanを誇りに思うこと、好きでいる事は変わらない。

その気持ちだけが同じ僕達は、こうして3人での時間を閉じた。

静かな終わりだった。

 

黒田君は最後まで謝り続け、部屋から出て行く時にたった一言、

 

 

「ありがとうございました。」

 

 

と言った。

一緒に出て行こうとしていた伊藤君が黙って黒田君の頭を強引に撫でて、俯いた黒田君の頭を抱えたまま出て行った。どうやら黒田君も泣いているようだった。僕も頷くだけで何も返せない。

下を向いたままの僕の耳にドアの閉まる音が聞こえた。そこでやっと僕は息と共に嗚咽を吐き出した。

 

 

         追い詰めたのは僕だ。彼から歌う場所を奪ったのは、結果として僕だ。

 

新しい形に固執するあまり、彼の気持ちをないがしろにしていた。彼の気持ちはIcemanとして歌う事を望んでいたのに、こんな形で『けじめ』をつけさせたのは僕だ。

Icemanを大切に思う気持ちは今でも変わらないと、彼の言ってくれた言葉が胸に痛い。

どうして僕は・・・。

 

 

あの時のヒロも同じ気持ちだったんだろうか。

僕の作るものに疑問を感じ、自分の存在意義に疑問を持って、自分じゃなくてもいいと・・・。

 

 

そうじゃない、そうじゃない!!

ヒロだって黒田君だって、僕にとって大切なボーカリストだった。彼らの歌声があったからこそ僕は曲を作ることが出来たのに。

 

 

今更叫んでみたところで、もう遅いのかも知れない。

黒田君は去った。

自分の意思で終わりを告げて、自分の信じる音楽の為に。

 

僕のエゴが、彼らを傷付けている。自分を疑わなくてはいけなくなるくらいに、僕は彼らを追い詰めていたんだ。

 

 

「ごめん・・・。」

 

 

誰もいなくなった部屋に虚しく響く言葉。

僕はあの時のヒロにも、黒田君にも、その言葉を告げる事が出来なかった。

ただ一人、この部屋の中で泣く事しか出来ない僕は、ただの卑怯者だ、そう思った。

 

3月の末になって僕達は正式にコメントを発表した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は淡々と過ぎて行く。

ファンの歎く声が聞こえないわけではなかったが、今はその声を聞きたくなかった。僕の中に失ってしまった空洞がある事は解っているのに、今はそんな事に気を取られている時間もなかった。

立て続けに予定の立っているプロデュースワーク。曲を上げ、アレンジをし、レコーディングにも立ち会わなければならなかった。

ヒロの状態も気にかかる。奥村先生は原因が解れば・・・と言っていたが、その原因を探る暇すら、僕にはなかった。

ヒロのそばにいる、その事事態が難しい日もたくさんあった。

あんな事を言って一緒に暮らす事を決めたと言うのに、今の僕はヒロの何も解っていない。仕事の合間にヒロの顔を見て、いくつか言葉を交わし、部屋の中の状態でヒロの状態を把握する。もしかしたら僕の知らない間にどこかへ出かけているのかも知れない。それでも、僕はそれすら知る術を持たなかった。ただ何事もない部屋の状態を見て安堵するだけ。もっとヒロと向き合う時間が欲しい、そう思っても、このスケジュールではどうする事も出来なかった。

そんな折、ヒロのマネージャー、林さんが僕達に話があると連絡を入れてきた。

 

 

「改まって、どうしたんですか?」

 

 

あれ以来、週に何度か足を運び続けてくれている林さんはここへ来る以外にも奥村先生とも頻繁に連絡を取っていてくれたようだった。

 

 

「貴水さんの前の事務所での事、解ったんです。」

 

 

林さんの言葉に僕はもちろん、関知しないと言っていたアベちゃんまでもが顔を上げた。

 

 

「どうも音楽の方向性で行き違いがあったみたいなんです。」

 

 

林さんは悔しそうに唇を噛み締めて言った。

 

 

「事務所側の求める貴水さんと、貴水さん本人が思うところは別にあったようで・・・。結局、貴水さんは受け入れられないまま・・・。」

 

 

「受け入れられない?」

 

 

「はい・・・。」

 

 

林さんは腰を据えると、ゆっくりと話し出した。

 

 

「貴水さんがソロになってから3枚のアルバムと1枚のミニアルバムを出した事はご存知ですか?」

 

 

僕は小さく頷いた。

 

 

「その総て、プロデューサーが違うんです。」

 

 

プロデューサーが違う事事態は特に珍しい事ではない。その事に、どんな意味があるんだろう。

僕はその先を促した。

 

 

「ソロ活動を始めて、貴水さんは今までのイメージを求められる事が多かったそうです。けれどそれは違うと、本人は自分の音楽と言うものにこだわり続けた。

ミニアルバムも含め3枚は出会った方も貴水さんの考えに賛同し、いえ、むしろその方達のお陰で貴水さんは自分の音楽と言うものに強いこだわりを持つようになったと思います。それが4枚目のアルバムの時に・・・。」

 

 

林さんは言い難そうに言葉を切った。

 

 

「完成間近の楽曲を、総て白紙に戻されたそうです。」

 

 

      え!?」

 

 

僕は自分の耳を疑った。

 

 

「それは・・・どう言う事ですか・・・?」

 

 

「上から・・・貴水さんの音楽性を認められないと・・・言われたそうです。」

 

 

「・・・そんな・・・!!」

 

 

僕はショックで目の前が見えなくなりそうだった。

 

 

ヒロの歌が・・・。

ヒロの思いが・・・。

 

 

恐ろしさに身体が震えた。

 

 

どうしてそんな事が・・・。

 

 

本来事務所の存在はアーティストを守るためにあると言っても過言ではない。もちろんその方向性を修正する役目も担っているけれど、そんな風に否定されるなんて・・・まるで解雇通告だ。

 

僕は発する言葉も失い、ただその恐ろしさに身体を抱きしめた。

上手く息が出来ない。頭の中をグルグルとヒロの歌が回る。

やっと自分の中から音が溢れたと、嬉しそうに話してくれたヒロ。僕に一番にアルバムを聞かせてくれて、僕はそこに詰まったヒロの思いに涙した。これがヒロの音、これがヒロの想いなんだって、あの時本当に実感した。

自分の歌を歌うと力強い目で僕に言ったあの時のヒロが、そんな事になっていたなんて・・・。

 

 

 

 

名前も何もないまま送られてきたあのアルバムの意味は、こういう事だったの?

 

 

 

 

知らなかった。

知ろうともしなかった。

僕はただヒロの歌をこれがヒロの新しい世界なんだって思っただけで、その奥にあるものを何も見ようともしなかった。感情がストレートに出てしまう人だって言うことを解っていながら、あの詩の意味を知ろうともしなかった。

僕は・・・バカだ。

なんてマヌケなんだろう。

 

 

「理由は・・・。」

 

 

打ちひしがれている僕の耳にアベちゃんの声が聞こえた。振り返ると彼女も青ざめた顔で苦しそうに聞いた。

 

 

「理由は・・・accessですね・・・。」

 

 

じっと林さんを見つめる。林さんは目を伏せる事でその問いに答えた。

 

 

「ハイトーンボイスを活かす楽曲を・・・と、言われたそうです。」

 

 

「・・・どうして・・・!!」

 

 

そう呟いてみたものの、答えは充分過ぎるほど解っていた。

あの声は、ヒロにとって最大の武器。accessはあのヒロの声無くしては考えられない。それは周知の事実で、その声を使う事がヒロの存在意義になってしまっていたとしても無理はない。

でも・・・それだけじゃない。

ヒロの歌声はそれだけじゃないんだ。

僕がたまたまその部分だけが目立つような楽曲を作っただけで、本当のヒロは・・・。

 

 

僕は息を飲んだ。

 

 

・・・僕のせい・・・?

 

 

僕がそういうイメージを植え付けてしまったせい・・・?

 

 

僕のせいでヒロは長い間苦しまなくてはいけなくなったの?

たった一人、本当の自分を叫び続け、それでも認められずに、歌う事が出来なくなってしまったの?

そんな事って・・・。

 

 

僕は黒田君だけじゃなく、ヒロからも、歌う場所を奪っていたと言うの?

自分のエゴで彼を失いたくないばっかりに、彼から自由を奪っていたの?

 

 

自分のした事の恐ろしさに愕然とした。

解っているつもりで何も解っていなかった自分を恥じた。

 

本当に罰せられなければならないのは、僕の方だ・・・。

 

 

「ウチに移ってきた時、CMのタイアップの話が、実は他のアーティストで入ってたんです。ただ話を進めて行くうちにどうもイメージが合わなくて弱っていた所にふと貴水さんの事を思い出したんです。その時資料用にいただいたアルバムを聞かせていただいていて、私は貴水さんのバラードに心惹かれたものですから。

始めて目の前で歌っているのを見た時、私の直感は間違いじゃなかったと思いました。でも・・・それ以降は。」

 

 

林さんはそのまま口をつぐんだ。

 

彼は求められるままに、歌を歌って来たって言うこと。

そして今はそれすらも・・・。

 

彼の気持ちは、今どこにあるんだろう。もしかして僕の事を恨んでいるのかも知れない。

もしそうなら、僕が今、ヒロのそばにいる事は彼にとって拷問以外のなにものでもない。僕と言う存在が、彼にとっては災いの元だったんだから・・・。

 

 

出会わなければ良かったの?

彼の歌声を求めなければ良かったの?

 

 

もう解らない。

ただ解っているのは、こんなになっても、僕はヒロを好きだと言うこと。

彼を苦しめているのかも知れないのに、この気持ちを捨てられない。

 

彼をもう一度、歌わせてあげたい。

彼の本当に望む形で。彼の中から溢れる音を、今度こそ彼の望むままに・・・。

 

 

「私、貴水さんの部屋に行ってみようと思ってるんです。」

 

 

林さんが強い瞳で言った。

 

 

「浅倉さんの言葉に甘えるようにそのままここにいさせていただいてますけど、いつまでもこのままと言うわけにも行きませんし・・・。」

 

 

「それは・・・。」

 

 

「それに、もしかしたら何か解るかも。プライベートスペースだからと今まで遠慮してきましたが、もしかしたらそこに何かあるかも知れないですし。」

 

 

決意を固めた林さんは僕とアベちゃんに頷いて見せた。

 

ヒロの暮らしている部屋。

過去に何度か行った事がある。

頻繁に引越しをする彼の家の総てを見たわけではないけれど、あの頃のヒロを僕は知ってる。もし何か掴める手掛かりがあれば・・・。

 

 

「僕も・・・行かせて下さい。」

 

 

僕の口から、自然とその言葉はついて出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後、僕と林さんはヒロの家に来ていた。しばらく人の気配のなかったヒロの家。

今日もヒロはここにはいない。ラジオのゲストの為にラジオ局にいるという。事情を聞いた事務所側が林さんの他にも何人かスタッフをつけたと言う事だった。

 

 

「私達は貴水さんを見捨てたりはしません。」

 

 

そうはっきりと、林さんは言ってくれた。その言葉を裏付けるようにヒロの周りには程好い距離を保ちながら常に誰かがついていた。

 

 

林さんがヒロの家の鍵を開ける。

開かれたドアの先は薄暗く、僕は不安に捕らわれる。

靴を脱いですぐ右手側の扉はバスとトイレのようだった。その先を進む。

 

 

     えっ・・・!?」

 

 

僕も林さんも言葉を失った。

何もない。

人が生活するのに必要だと思われるものが、そこにはほとんど無かった。

慌てて隣のベッドルームを覗く。

 

 

「・・・ヒロ。」

 

 

そこには半分開いたままのクローゼット、大きなベッド、そしてそこに脱ぎ散らかされたいくつかの洋服、缶ビールの空缶が転がっているだけ。以前僕が見たヒロの家の様子とは違う。

確かにあの時も物の少なさにビックリはしたけど、こんなに何も無いと言うことはなかった。

リビングに戻ってくると林さんも茫然と周りを見回していた。

リビングには床にじか置きされたコンポ、パソコンの置かれた机と椅子、飲みかけのペットボトルがあるだけだった。

 

 

「貴水さんの部屋は・・・いつもこんな感じなんでしょうか・・・。」

 

 

まるで生活感のないこの部屋に林さんはそんな言葉を漏らした。

殺風景な部屋の中、何かを探すまでもなく総てが見えてしまうこの場所で、ヒロは何を考え、何を見ていたのだろう。家具と呼ばれるようなものは何も無く、コンセントから繋がる電源コードがいやに目に付く。こんな何も無いところでたった一人、僕だったら気が狂う。

引き寄せられるまま僕にとっては一番馴染みのあるパソコンへと近付く。

机の下に破り捨てられた数枚の紙切れ。

ふと手に取る。

そこに見える見覚えのある文字。

慌てて目を走らせる。

 

 

       これは・・・。

 

 

破り捨てられている他の紙片も拾い集め、食い入るように見つめた。

 

 

        ヒロ・・・!!

 

 

そこには未完の詩が書かれていた。

何度も目にした彼の文字。間違えるはずなんてなかった。

破り捨てられたそこからは総てを知る事が出来ない。僕はそこに続くであろう部分を探した。

 

 

「浅倉さん・・・?」

 

 

僕の突然の行動を不思議に思った林さんが尋ねる。説明する暇も惜しくて、僕は無言のままその先を探し続けた。

それらしき紙片はどこにも見当たらず、落胆する僕の目にパソコンのディスプレイが映った。

もしかしたら        

 

僕は慌てて電源を入れ、キーボードを引き寄せた。

 

 

           え・・・!?

 

 

引き寄せたキーボードの下に隠されていた1冊のノート。僕はそのノートを慌ててめくった。

 

 

 

あぁ        ・・・。

 

 

 

そこにはヒロの想いが鮮明に溢れていた。

書き殴られ、線が引かれ、その気持ちを塗り潰そうとした数々の跡。赤裸々に語られるそれらの言葉は、歌う事を奪われた彼のものとは思えないくらいに歌っていた。

叫んで、

うめいて、

嘆いて・・・、

生身の彼がそこにはあった。

 

僕はそのノートを握り締めたまま床にうずくまった。涙が止まらない。

 

 

「浅倉さん?」

 

 

僕の様子に林さんが近付いてくる。僕はぐちゃぐちゃの顔のままノートを差し出して笑った。

受け取ったノートをめくった林さんの顔が見る見る歪む。

 

 

「・・・これ、は・・・。」

 

 

僕を見つめた林さんの目から涙が溢れる。僕は何度も頷いた。

 

 

ヒロは・・・変わっていなかった。

そこから溢れる想いは僕の良く知るそのままの彼で、紡がれる言葉のひとつひとつに彼の体温を感じた。

感情なく笑う彼も、荒々しく喚き散らす彼も、小さな事に怯え、震える彼も、総てがここへ繋がっている。

 

僕は彼を見つけた。本当の彼を。

『貴水博之』という虚像ではなく、ただ歌が好きなだけの一人の男。

僕の心を震わせた、たった一人の人・・・。

 

 

彼は今も歌いたがっている。

彼の中の魂は、歌う事を止めてはいない。

 

 

ヒロ・・・。

あぁ・・・ヒロ・・・。

 

 

僕の中に音が溢れてくる。彼の言葉に僕の中の音が騒ぎ出している。

やっぱり君は歌っていたんだね。自分を否定されるような事があっても、歌う事を止めたりはしなかったんだね。

 

解るよ。僕には解る。これは君の総て。どんな言葉も、どんな想いも、総てが君で溢れてる。

僕は、何度も君の想いを見てきたよ。

始めて君が僕にこの文字で見せてくれたあの詩を、今でも忘れてなんかいない。不器用で、でも真っ直ぐで、あの時も君の温もりを感じたんだよ。

君は今でも同じ温かさで、うんん、もしかしたら今はそれよりももっと熱い気持ちで、想いをぶつけてくれていたんだね。

 

 

君の想いを僕はちゃんと受け止めたい。

 

 

苦しいよ、

ねぇ、苦しいんだよ、ヒロ。

僕は君が歌えないことがこんなにも苦しい。

 

どんな想いでもいいから吐き出してよ。僕に全部見せて。

このノートに書き殴った本当の言葉を、僕にも聞かせて。

 

僕を罵ったっていいよ、

僕を否定してもいいよ。

それが君の本当の言葉なら、僕は甘んじて受ける。

僕が嫌いなら嫌いだと、目障りなら目障りだって、言ってもいいんだよ。

僕に、お前なんか消えろって言ってよ。そうしたら僕は君の前から消えるから・・・。

もう、二度と、君を苦しめないから・・・。

 

 

あぁ、神様、

もし僕がいなくなる事で彼が自由になれるなら、

その歌声を取り戻す事が出来るなら、僕なんか消えてしまってもいい。

彼に歌を、本当の心を取り戻させてあげてください。

彼は、歌わなくちゃ、歌っていなくてはいけない人なんです。

それが彼の生きている総て、それが彼にとって生きると言うことだから・・・。

 

 

 

床に広げられた1冊のノート。

僕達は涙に濡れた目で、何度も何度もその文字を辿った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         To be continued      20090526