1992

 

 

 

 

ウォークマンから流れてくる音を指先でリズムを取りながら、険しい顔して聞いている。

一言も発しない。

かなりの大音響で聞いているのか、シーンとした廊下にはシャカシャカと漏れた音が小さく響いている。

 

殺風景な所だ。病院のように壁に寄せて長椅子が幾つか置いてある。

かと言って病院のように白くそら明るいイメージはない。何と無く暗く、倉庫のような感じもする。

どうやらここはスタジオらしい。その廊下に一人で浅倉大介は居た。

 

目を閉じて、音に集中する。

音を良く聞きたい時の彼の癖である。だからそのおかげで目の前に人が立った事さえも気が付かない。完全に音に入り込んでいる。

 

 

「大ちゃん。」

 

 

名前を呼ばれても気付かない。指先は狂いなくリズムを刻んでいる。

 

 

「大ちゃん。」

 

 

さっきよりも大きな声で呼んでみるが、それでも気付かない。

声の主は呆れて片方のイヤホンを耳から外した。

 

 

「何をそんなに真剣に聞いているんだい?」

 

 

「小室さん!?」

 

 

片方の音が遠ざかって初めて現実に気付く。目の前に立っていたのは尊敬すべく師匠、小室哲哉だった。

 

 

「何度も呼んだのに気付かないなんて、余程良いものを聞いてたな。」

 

 

軽くからかわれて大介は苦笑いを返す。

 

 

「違いますよ。これ、今度僕のアルバムに参加してくれる人の曲なんですけどね。なんか、こう・・・。」

 

 

言葉に詰まって小室に取られたイヤホンを差し出す。

小室の表情が変わる。

 

 

「なんか、こう・・・違いますよね。普通じゃないって言っちゃって良いのかどうか解らないけど、すごく心地良い感じ・・・。」

 

 

「ほれちゃった?大ちゃん。」

 

 

「えー、違いますよー。」

 

 

笑って答える大介の頭の中では流れてくる声の主を思い描いていた。

名前と一枚のアルバムしかその人物を知るものが無い。それなのにもう大介の中には自分の作ったメロディを歌う彼の声が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうちょっとスローにしてみてくれる?          ・・・そう。そのテンポで続けて。」

 

 

シンセのリズムテンポをおとして大介は言った。

 

 

恐ろしい程早い展開でユニットは結成された。

名前と一枚のアルバムだけしか知らなかった彼は、今、こうして隣で歌っている。

高音域に伸びのある声はこの数多くの打ち込みの音の中にスパッと一本芯が通ったように響いている。D−Trickの時にも感じていたけれど、これほどまでにテクノサウンドにナチュラルに溶け込んでしまう声なんてそうそう居る訳ではない。かと言って機械的ではなく、むしろ痛いくらいに人間味に溢れている。これは彼にとってすごい武器になる。

 

 

             !?

 

 

突然博之の声が止まった。まだ歌の途中だと言うのに。

 

 

「どうしたのヒロ。何かあった?」

 

 

シンセのリズムを止めると博之に問うた。博之は一点を見詰めたまま硬直している。

 

 

「だ・・・大ちゃん・・・そこに・・・。」

 

 

博之は恐る恐る指差した。

大介がその指につられてそちらを見ると、そこには小室が立っていた。

 

 

「小室さん。」

 

 

ブースの中からぺこっとお辞儀をすると小室は小さく笑んだ。

 

歌入れを一時中断してブースから出ると本物の小室がそこに座っていた。普通に話をしている。目の前で笑っている。

博之はただただ緊張して、気持ちは昂揚しまくって、まるで一般人のように小室を見詰めた。大介は勿論、スタッフにしてみればいくらすごい人だとは言っても、今までだって何度も一緒に仕事をしたり飲みに行ったりしているのだから普通の人なのだ。勿論、その音楽に関する才能には一目置いているが、いわば仲間のようなものである。普通に話もするし、笑いあったりもする。でも博之にとっては全く雲の上の存在で、小室と話をしている大介さえも信じられない思いで見詰めている。頭の中では大介は小室の愛弟子なのだから当たり前だとは解っていても、こうして目の前に現実を突きつけられるとやっぱり信じられないのだった。

 

呆然としている博之に気付いて大介が小室に紹介をした。

 

 

「うちのボーカルです。やっと見つけた、僕のボーカルなんです。ヒロ。」

 

 

手招きしている大介に気付いてギクシャクした動きで小室の前に出る。

 

 

「た・・・貴水博之です。よろしくお願いします。」

 

 

ぺコリと頭を下げたまま上目遣いで小室を見ると笑んでいる彼と目が合った。博之はかーっと熱くなってもう一度深く頭を下げた。

 

 

「よろしく。貴水くん。」

 

 

小室はそんな博之の様子にくすくす笑いながら言葉を掛けた。

 

 

「そんなに緊張しなくていいんだよ、ヒロ。小室センセイだってただの『おじさん』なんだから。」

 

 

博之の背中をぽんと軽く叩きながら大介が言った。

 

 

「大ちゃん―。いつからそんな事、言えるようになっちゃたのかなー。」

 

 

ほっぺたをぷにぷにと両方からつまみながら小室が笑う。そんな信じられないような光景を目の当たりにして博之はふと吹き出した。あまりにも普通の人すぎて、親近感までわいてしまう。

大介と小室のそんなやり取りを見ていると不意に声が掛かった。

 

 

「ヒロー。そろそろ始めようか。」

 

 

「あ・・・はーい。」

 

 

小室にぺこりと頭を下げると、ブースの中へと戻って行く。そんな博之の後ろ姿に大介はぽつりと言った。

 

 

「すごいでしょ。」

 

 

言葉を発した大介も、それを受け取った小室も、もうミュージシャンの顔をしている。

 

 

「聞かせてもらったよ。彼の歌。」

 

 

「小室さんならどうします?」

 

 

目線は博之を追ったまま問い掛ける。

 

 

「彼は高音がきれいに出てるからね。それに、それが彼の持ち味でもあるし。それを使わない手はないよね。ノリのいい曲で明るく持っていってもいいし、ハードロックみたいにしても面白いかな。シャウトとか入れて。

大ちゃんは?」

 

 

小室が逆に問い返した。

 

 

「面白い事、言いますね。でも僕の考えてるのはもっと面白いですよ。」

 

 

「どんな?」

 

 

「それは小室さんにも秘密です。

だけど、絶対に驚かせて見せますよ。」

 

 

大介は不敵に笑った。

 

 

「随分と自信ありげだね。」

 

 

「やっと見つけましたからね。」

 

 

大介は振り返ると小室に言った。

 

 

「見てて下さいね。僕達の創るシンクビートを。」

 

 

小室の表情が一瞬険しくなる。しかし大介の言葉に確かな手ごたえを感じて、再びいつもの表情に戻る。大きく育った愛弟子を頼もしく感じた。

 

ブースの中から博之が手招きしている。大介は自分の希望に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

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