気持ちの奥底に沈む本当の声を押さえ付けて、いつも声にしていたのは偽りの真実。

 

気付いてはいけない。

気付いてはいけない。

この気持ちが本当なら気付いてはいけない。

 

ぐらぐらと揺れる眩暈にも似た甘い誘惑は押さえ付けて、いつか爆発しそうなこの欲求だけが胸の奥にくすぶり続けて、堪え切れない精神がこめかみをキリキリと刺激する。

 

 

これはデンジャーシグナル。

 

 

踏み込んでは駄目だ。

踏み込んでは駄目だ。

熱く痛い思いに目を閉じろ。

気付かせようとする者を恨め。

自分の中からその者の存在を消してしまえ          ・・・!!

 

 

自分を守る為に。

自分が傷付かない為に。

今ならまだ、戻れるはず          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

溜め息を付く。どうもこの頃溜め息の回数が増えている。

 

 

「どうしたのヒロ。行き詰まっちゃった?」

 

 

手元にある真っ白な紙を見て大介が言った。殆ど泊り込み状態で詩を書いていると、行き詰まる事も多い。そんな自分を知っているから、彼はいつも何も言わずにただそばに居てくれる。そしてあんまりにも行き詰まっているのが解るとこうして声をかけてくれる。明るく、オレの関心を他のものに向けさせて、緊張の糸をほどこうとしてくれる。

 

いつの頃からか、こんな関係が当たり前のようになっていた。彼が曲を作る時はまるで行き詰まるなんて事のないようにスタジオにこもりっきりで、トイレと食事にしか出て来ない。へたすると食事も忘れて没頭している。

最初の頃はそんな彼が心配で食事の差し入れもしていたけれど、結局、殆ど手付かずのまま曲作りをしている事を知ってからは差し入れもしなくなった。彼の張り詰めた空気を切らさないようにそっとしておいてあげるのが一番だと思った。心配だけど、彼に満足のいく曲を作って欲しかったから       

 

 

オレはいつからか、こんな理由を見つけて逃げる事ばかり上手くなっていた。

本当は怖くて仕方なかったのに。

 

 

距離を置くことでしか彼と対等でいられない事に気付いてしまった。よそよそしいと思われないように、細心の注意を払いながら距離を置く。

近付きすぎると狂いそうになる。何故、今まであんなに平気にしていられたんだろう。今じゃ、もう恐ろし過ぎて、あの頃のようには振舞えない。

 

叫びたくなる。有無を言わせず彼を壊してやりたくなる。

こんなの間違ってるって解ってる。

そんな事したって何の解決にもならない。

彼を傷付けたくないと思っているのは他でもない、この自分なのに。

 

 

それでもコントロールが効かなくなる。この気持ちに気付いてしまったから。

 

 

 

 

 

 

              彼が好きだ。彼を愛している。自分だけのものにしてしまいたい。総ての事から奪いたい。

 

 

 

 

 

 

こんな思い、狂ってる。こんなの押し付けの感情でしかない。

彼の自由を奪ってしまう。彼の自由を奪いたくないのに。

 

殺そう。こんな狂気じみた感情は、殺してしまおう。彼を傷付ける前に。この胸の中で。

このまま口に出さなければそのうち総てを忘れられる。いつかきっと友達になれる。オレが、この思いを悟られなければ           

 

 

「ヒロ。大丈夫?頭ン中ぐるぐるしちゃってるでしょ。そーゆー時はさ、全部忘れてリラックスした方がいいよ。そーだ、ゲームでもやる?」

 

 

大介は明るい笑顔で尋ねた。しかしそれは博之の心に影を落とすだけで、何の解決にもなりそうもなかった。

 

 

「いいよ。オレ、ちょっと散歩してくる。」

 

 

そう言って、半ば強引にその場を去る。一分一秒でも長くいたら、気が狂いそうだった。

 

階段を上がって外へ出ると暑い太陽が時間を告げる。今は昼間だと言う事に気付く。

スタジオにこもりっきりになると、とかく時間の観念が無くなりやすい。外の世界とはあまりにも隔絶されすぎて、世の中の時間の流れに追い付けなくなる。

 

何十時間も空を仰いだ事のなかった博之は、呆然と空を仰ぎ見た。

照り付ける太陽がちりちりと熱い。

太陽の光はあまりにも強すぎて、まるで影の存在を許さないような痛みがある。自分の中に染み付いた薄暗い部分を突き刺すようだ。

 

 

あぁ、いっそこのまま総てを焼きつくしてしまえたら          

 

 

もう何度願った事か解らない。

叶わぬ言葉はまるで呪文のように、唱える事のみに意味を持ち始める。

 

 

もう、うんざりだ。何もかもが

こんな底の知れないどす黒い感情を彼が知ったら、何と言うだろう。

全部吐き出してしまえれば楽になれるよなんて、第三者の言えるセリフ。当人同士の間ではそれはタブー。ちょっとでも言ってしまえば、もうそれは、もとには戻れない呪いの言葉。

見ていても見えないフリ。聞こえていても聞こえないフリ。そうやって生きて行くのだ。誰もが。

そうしなければ窒息してしまう。そんな事律儀にやっていたら、こっちの方がどうにかなってしまう。

だから知っているけど目を閉じる。触れられるけど触れずにおく。聞こえてる叫びを聞かずにおく。

そうしてなんとか平静を装っている。危ういバランスを保っている。自分は           

 

 

歩き出した足を止めてふと見やると、そこに彼がいた。

 

 

「大ちゃん・・・。」

 

 

思わず顔がひきつる。何故、こんなにも彼は間がいいんだろう。

 

 

「どうしたの。」

 

 

やっとの思いで口を開く。一瞬の気まずさを彼に気取られなかっただろうか。

 

 

「どうしたのって・・・。それはこっちのセリフ。

何か変だよ、ヒロ。そんなに行き詰まっちゃった?いつものヒロらしくないよ。」

 

 

そう言って、まるで当然のようにいつものポジションに来る。

いつの間にオレ達の距離はこんなに近くなっていたのだろう。この心とはうらはらに。

 

息が出来ないほど近くに彼を感じて、軽い眩暈を覚える。

 

 

 

頼むからそんな目でオレを見ないで            

 

 

 

自分の横で他愛のないおしゃべりをする彼に頷きながらも、オレの心はどこか遠い所で彷徨っている。心から笑えない自分がいる。完全に心を開いてしまうのが怖い。こんなオレの汚い部分も全部見透かされてしまいそうで。大ちゃんに対するこの気持ちも             

 

 

         そうでしょ?」

 

 

「え・・・?」

 

 

急に話を振られて反応に窮する。

 

 

「また聞いてなかったのヒロ。これで何度目?もー、口聞いてやんないよ。」

 

 

ちょっと怒ったような顔をして見せてついと横を向く。そんな彼の仕草にオレはホッと息をつく。彼の視線から逃れられた安堵感がオレを包む。

 

 

もうこのまま1人にしておいて。

 

 

「ヒロなんかだいっきらい。」

 

 

そう言い捨ててスタスタと来た道を戻り始める彼の後ろ姿に、オレは何故か慌てて手を掴んでいた。

 

 

「あ・・・         。」

 

 

振り向いた彼の視線とかち合ってオレは慌てて手を引っ込めた。

 

 

「ご・・・ごめん。」

 

 

「嘘だよー。ヒロったらおかし―。そんなマジにならなくったって。それとも僕の事、好きなわけ?」

 

 

 

 

                   !!

 

 

 

 

心臓が跳ね上がる。無造作に胸の中に手を突っ込まれて鷲掴みにされたよう。

掴まれた指の間で脈打つ鼓動の圧力をいやに生々しく感じる。喉の奥で言葉がかさついて音にならない。

 

この不自然な空白の時間に彼は総てを悟ってしまうだろう。そして軽蔑のまなざしで、汚いものを、いかがわしいものを見るような視線を残してオレの側から去って行く。そして、もう二度と           

 

恐れていた事態に身動きも出来ないまま、目をつむった。

 

 

「答えに困るほど愛しちゃってるわけ?もーしょーがないなぁ、ヒロは。2人だけの秘密って言ったのに。」  

 

 

         だい・・・ちゃ・・・ん・・・?」

 

 

思ってもみない答えにカサカサの喉が音を発する。

 

 

「やだなー。なんて顔してんのヒロ。こーゆーのが本当に鳩が豆鉄砲くらったよーな顔って言うんだなー、きっと。後でアベちゃんにも言ってやろー。」

 

 

「大ちゃん。」

 

 

張り付いていた顔の筋肉が緩みだす。目の前で笑う彼の声に止まっていた空気が動き出す。

 

 

「どう?少しはリラックスした?」

 

 

そう言って、顔を覗き込んでくる彼にやっと自分が自然に笑っている事に気付く。

 

自然な呼吸。

自然な距離。

自然な会話。

 

 

何だか随分忘れていたような気がする。あまりにも久し振り過ぎて、どこか懐かしいような感じさえする。

 

あたたかいこの空気。オレが息をつける唯一の場所。飾らない自分を必要としてくれた彼。それら総てをいとおしく思える。

 

 

「ねぇヒロ。」

 

 

不意に神妙な声で呼ばれて、あたたかい時間が止まる。

 

 

「何をそんなに迷ってるのか知らないけど、思ったままを書いてごらんよ。何も飾る事なんてないし、今ヒロが思ってる事や感じてる事、素直にぶつけてごらんよ。きっとみんな受け止めてくれると思うよ。ね。」

 

 

何も知らない、疑う事すら知らない微笑みで彼は笑う。

 

 

本当に!?

本当に思っているままを伝えたら、受け止めてくれるの?

たとえそれがどんな事でも。大ちゃんはそれを必ず受け止めてくれる?

逃げないで、今、自分が口にしたように、この体の奥底に眠るどす黒い欲望を嫌がらずに、逃げ出さずに        

 

 

そんな事、出来もしないのにそんなセリフを吐かないで。中途半端に愛情をほださないで。

 

出来もしない約束ならしない方がいい。

許せもしない感情なら端からその存在を認めないで。

 

 

自分の前で何も知らずに微笑む彼。彼のその存在がこの胸の奥に住み着いたものをキリキリと捩じ上げる。その度にオレは苦しくて、窒息しそうになる。それなのに、

彼にはそれが解らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗いブースの中で1人マイクに向かう。何度目かのリテイク。頭の中を音が回る。

歌詞はもう全部頭の中に入っているからとブース内の照明を落として貰ったけど、いまいち気分が乗り切らない。

マイクの向こう側、ガラス窓を挟んで彼が見える。その度に何故か気持ちにストッパーがかかる。それはそのまま喉にも影響を及ぼして、いつのも半分も声が出ない。

 

どこか遠くに曲を感じる。そらぞらしい音ばかりが流れていく。心とは離れた所で歌われる曲。何の意味も持たないメロディ。

 

 

「ヒロ。」

 

 

ヘッドフォンから聞こえてくる声に、俯いていた顔を上げた。

 

 

「きれいに歌おうとするな。もっと気持ち良く歌え。言葉もっと大切に。」

 

 

ミキサー卓の前に座っている井上さんが顎の下に手をあててこっちを見ていた。

 

 

「すいません・・・。」

 

険しい顔の井上さんに謝ると、数回ジャンプした。頭を振って、雑念を払う。リラックスして          

 

 

流れるイントロ。切ないくらいきれいな・・・痛いくらい。

 

彼の作る曲は言葉よりも雄弁に語る。

感情の波が押し寄せて、飲み込まれそうになる。

自分の周りを透明な壁が擦り抜けて行く。それは彼の思念にも似た切ない衝撃(パルス)彼のこんな一途な思いを聞いてしまったら苦しくて、これは曲の中のドラマだと解っていながらそれでも多くを望んでしまう浅ましい自分。これは決して自分の問に対する答えなどじゃないと解っているから余計に辛い。

 

流れるバラードに心を弄ばれて、歌声はいつしか叫びになる。本当の場所じゃぶつけられない言葉も、こうして叫んでしまえる。総てはこのメロディの中で繰り広げられる短編(ロマ)小説(ンス)

だから今だけは想いを引き留めているその手を離して。

 

シンクロしていく、心の奥にある想いと。

 

叫びは歌声に変わる。

 

音が近付いてくる。

 

想いが溢れて、現実と虚像の境界線があやふやにぼやけて、オレはひとつの言葉しか繰り返せなくなって行く。

 

 

 

あいしてる、

あいしてる、

あいしてる。

だから、あいして          

 

 

 

零れ落ちた冷たさに虚像の境界線を越える。

 

 

「あ・・・。」

 

 

頬に近付けた指先に水滴が触れる。

 

 

「ヒロ。どうした。」

 

 

ヘッドフォン越しに外の世界の声がオレを呼ぶ。呼ばれているのはオレの筈なのに、その声すらもどこか遠くに吸い込まれて行く。繰り返されていく言葉だけがオレの胸を強く叩いて、それ以外のもの、何もかもが違う世界の出来事のようで、オレはしばらく指先の小さな雫を見つめていることしか出来なくて           

 

 

 

「ヒロ、聞こえてる?もう今日は終わりにしよう。」

 

 

現実との接点のように聞こえてきた彼の声にゆっくりと顔を上げた。正面のガラス窓の向こう側で微笑んでいる。

 

 

「大丈夫。まだ時間はあるんだから、あせっちゃダメだよ。」

 

 

オレは情けない顔をしていたに違いない。

 

 

「すいません・・・オレ・・・。」

 

 

そんな優しい顔を見せないで、つけあがってしまうよ。

止められなくなるよ。

さっきのバラードとシンクロして、このつけあがった気持ちを止める術を無くしてしまう。

 

 

 

あいしてる、

あいしてる、

あいしてる。

あぁ            

 

 

 

 

 

愛しさはなんて淋しさに似ているんだろう。

 

 

 

 

 

体中の力が支えを失って、崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。

 

頭の中に回るメロディ。

殺してしまいたくても殺せないこの想い。

辛くて、痛くて、苦しくて、張り裂けそうなほど。

何をしていても彼が気になる。彼の反応が気になる。びくびくしている。気付いて欲しいオレと、悟られたくないオレの狭間で。

 

 

伝える術を知らない。

隠し通す術を知らない。

どうか、誰か、ここからオレを救って。

その為ならオレは何をしたって構わない。

こんなやりきれない想いにピリオドを打ちたい。

こんな気持ちを抱えたままじゃ、いつかきっと彼を傷付ける。

自分のエゴの為に彼を苦しめる。

だからどうかこの気持ちを殺す術を、

誰か、教えて        

 

 

 

 

 

 

次へ→