そこにいたのは、冷たい瞳をした彼だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

疲れきった身体をシーツの海に深く沈めて、互いの鼓動をその指先から聞いている。

安らかな時間。

総てが眠りについたような時の中で、白い素肌がひめやかな微笑を漏らす。

泳いで泳いで泳ぎ疲れて、荒らしたままの白い海。

青い闇の中で小さなランプだけが、暖かい光を放っている。

優しい光に浮かぶ姿。

気だるげに掻き揚げる髪をそっと掴んだ。

 

 

「きれいだよね。」

 

 

ささやくように小さな声で大介は言った。

 

 

「ん、何が?」

 

 

ぼそぼそと言葉を返して、自分にかぶさるように半身を起こしている彼を見た。

 

 

するとふいに視線がかち合った。

大介の柔らかな、それでいて強い眼差しが自分をじっと見つめていた。

 

 

吸い込まれてしまいそうな視線。見つめられると気が遠くなる。

 

 

「大・・・ちゃん・・・。」

 

 

間近に掛かる息を熱く感じて瞳を閉じる。

触れるだけの優しいキス。

先程までの狂おしく熱いものとは打って変わって、優しくとろけるようなフレンチ。

言葉を交わすようにゆっくりと、そしてまたどちらからともなく繰り返される。

こんなほんの一時までもが愛しくて、こぼれ落ちて行く時間は二人が産んだ時の愛し子。

 

 

先程の余韻を引きずったまま、しばらく戯れる。

微笑みあって戻る視線。

必ずそこに居てくれるその視線は、ひどく自分を安心させてくれる。

いつ気付いたのか、その視線の持ち主は自分の居て欲しいと思う所に居てくれる。

まるで大気のように溶け込んで、当たり前のように微笑みかけていてくれる。

言葉よりも確かな瞳。そこにはいつも真実があった。

 

 

「きれい。」

 

 

彼の声が耳に届く。吐息が触れ合う程そばで見つめている。

 

 

「ヒロの瞳ってすっごくきれい。いつもはカラーコンタクト入れてるから、こうしてヒロの本当の瞳見るのって初めてかも。」

 

 

素肌に互いの体温を感じて、その心地良さにまるで夢のようだと思う。

目の前の彼は、さしずめ天使。

 

 

「ずっと、このまま、ヒロの事見ていたい。

ヒロの事、独り占めしてたい。

ずっと。

もう誰にもヒロを見せたくない。」

 

 

軽く唇を塞がれて、目を閉じた。

流れ込んで来る大介の感情が熱い。

 

 

名残惜しそうに離れて行く唇の先に、言葉をつなげた。

 

 

「独り占めしてるよ。もうずっと。

オレは大ちゃんにだけしか本当のオレ、見せてない。

貴水博之は大ちゃんの居るここにしか、いないよ。」

 

 

「ヒロ。」

 

 

「たとえ長い間離れてたとしても、本当のオレはここにしか・・・。大ちゃんのそばにしか居ない。

これでも満足できない?

大ちゃんはこんなにもオレを縛り付けて離さないのに。自分の存在の大きさ、ちっとも解ってない。」

 

 

すねたようにつぶやいて、上目使いに大介を見る。

 

 

心細いのだ。

ずっと、そばに居る事だけしか考えていなかった。それが当たり前、自然なのだと思っていた。

だけどやっぱり二人は二人で、同一の人物になれるはずなど無いのだから、いつかはこうなっていたかもしれない。

もしくはもっとひどい形で。

互いに互いを潰しあって、お互いに憎みあわなくてはならなかったかも知れない。

それを考えたら今回の事はお互いの同意の上での事なのだから、最善の方法と言えなくもない。

 

 

けれど決して終わりではない。むしろ始まりと言ったほうが正しいかも知れない。

お互いに距離を置く事で、お互いしか居ない世界から出る事によって、もっとお互いを認めあえる。

もっと違う何かを感じて、お互いにふさわしい自分になる。

その為の期間。

だからあえて沈黙と言う風に言ったのだ。

 

 

自分達は必ずここへ帰ってくる。

だって自分達の帰れる場所はここだけ、だから。

 

 

 

 

何度目かのキスは随分と濃厚で頭がくらくらした。

それでも離れたくないと思うのはこの独占欲の性なんだろうか。

 

 

キスは好きだ。

何となく優しくて、言葉よりも熱い何かをこの身に感じさせてくれるから。

言葉よりも嘘をつけない唇。

好きだからこそ出来る行為。

こんなキスひとつで、自分の中の何かが変わって行く。

 

 

 

「ごまかさないでよ、ヒロ。僕の前で嘘はやめて。本当のヒロを見せて。」

 

 

彼の言葉はこの困惑した心を見透かすように透き通っていた。

 

 

ガラスのように脆いオレの半身。

繊細で感受性が鋭いこの人に、オレは何度自分でも知る事のなかった自分を暴かれただろう。

そしてガラスのような彼がとても強い事も知った。

それは多分、自分に正直だと言う事。

そしてその揺ぎ無い、確かな自信。

 

 

 

「怖いんだ。本当は。

大ちゃんが居ないって事、初めて怖いと思った。

こんなにも隣に誰も居ないって事がどうしたらいいのか解らないなんて・・・。

          もてあましちゃうんだ。この空間を。

変だよね。オレはずっと一人でやってきたのに。大ちゃんに逢う前は、ずっと一人だったのに・・・。」

 

 

「ヒロ・・・。」

 

 

「こうして隣に居る時でさえ、こうやって大ちゃんに触れていても、この大ちゃんは幻なんじゃないかって・・・。

だって、大ちゃんはオレにはすぎた人だから        ・・。」

 

 

「ヒロ!!」

 

 

突然に唇をふさがれて、戸惑いを覚える。

 

 

痛いほど、哀しいキス。

 

 

「そんな事言わせない。僕にとってヒロがどれほど大切なのかも知らないくせに。勝手にそんな事、言わせないんだから。」

 

 

「大・・・ちゃ・・・ん・・・。」

 

 

二つの瞳から零れ落ちる雫が頬に落ちて冷たさを伝える。

 

 

「怖いのは僕も一緒だよ。

ヒロの事になるとすごくエゴイストになる。

本当は誰にもヒロを見せたくないんだから。」

 

 

目の前の彼は照れたように笑う。

涙の跡が赤くにじんでいる。

 

 

「オレのがエゴイストだよ。

大ちゃんの作った曲を他の奴が歌うのを考えただけで、そいつを殺してやりたくなる。

大ちゃんを誰にも見せたくない。

大ちゃんが他の奴を見るのもたまらない。

大ちゃんが他の奴を見るって言うんなら、オレは大ちゃんの目を潰すよ。もう、オレ以外の奴を見ないように。」

 

 

彼は笑った。

 

 

「怖いなぁ、ヒロは。」

 

 

「それだけ本気で好きなんだから。

だからもう、オレ以外に本当の大ちゃんを見せないで。」

 

 

オレはじっと彼を見つめた。

いっそひとつになってしまえたら、こんな思いもしなくてもすむのに          

 

 

「解ったよ、ヒロ。僕は、ヒロのモノだからね。」

 

 

彼はふと微笑んで、そしてゆっくり瞳を閉じた。

 

 

 

 

オレ達はキスをする。二つに別れてしまったこの身体を少しでも一つにしていたくて。

 

真実の気持ちを伝えたくて。

 

お互いの心をもっと知りたくて          ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数日後、書店で彼を見かけた。

雑誌の表紙を飾っているのは、いつもこの腕の中にいたその人。エゴイストだよと笑って見せた彼。ただ

                       

 

          瞳の色が違う。

 

 

そこにいたのは、冷たい瞳をした彼だった。

本当の気持ちを隠すように。

真実の瞳で他の誰も見ないように。

 

青いコンタクトの彼は自分との約束を守って笑んでいた。

真実の瞳を、オレだけの為に隠して。

                      

 

 

 

 

 

 

                                                    END 19950611