僕はさっきからずっと居心地が悪かった。何だか妙にそわそわして落ち着かない。
それというのもこのヒロのせいだ。さっきから人の方をじっと見たまま黙っている。ライブビデオを見てからいきなりヒロはこんな感じなんだ。一体、なんなんだよ。
僕はもう何十回目かの溜め息をついた。
人に見られる商売なんだから、本当ならこのくらい平気でなきゃいけないのかも知れないけど、あいにく僕はヒロみたいに鉄の心臓って訳にはいかないんだよね。ましてや見られている相手がヒロだから、尚更。
僕はまた知らず知らずのうちに溜め息をつく。
一体、何だっていうんだよ。
僕が黙ってキーボードに向かっていると、やっとヒロが僕を呼んだ。
「ねぇ、大ちゃん。」
内心、ホッとして僕は今まで見られなかったヒロを見た。
「大ちゃんってさ、一人でやってる時って、どんな感じ?」
真剣な顔のヒロに僕は何の事だか解らなくって聞き返した。
「何が?」
「だからさ、一人で、さ・・・。うん・・・。やるって言うかさ・・・。するって言うか・・・。」
ヒロの言葉は的を得ない。いつもは何でもスパッと切り出すヒロなのに、何で今日に限ってはっきり言ってくれないんだろう。
「つまりさ・・・。自慰・・・ってやつ・・・。」
「 ヒロぉ っ・・・!?」
僕は何がどうなったのか、もう頭の中がパニクッちゃって、ただ慌てた。
今、ヒロ、何て言った・・・!?
「ちょ・・・だってさ・・・。さっき、ビデオで大ちゃんがソロやってる所、初めて見たんだよ。そしたら何か、すごいイッちゃってるみたいな顔してたからさ、大ちゃんてイク時ってこんなかな、なんて思っちゃって・・・。
ゴメン。別にどうって事じゃないけど気になりだしたら止まらなくって・・・。」
凄い勢いでヒロは言うと、耳まで真っ赤にしてうつむいた。僕はただ、開いた口が塞がらなくって、ヒロの真っ赤なのが乗り移ってきたみたいに一気に体温が上がった。
イク時の顔って・・・。僕、一体、どんな顔してた・・・!?
何となく気まずくて、何も言えなくて、でもそれがもっと気まずくさせて・・・。
どうしたらいいんだよ。もう。ヒロのバカ。そんな恥ずかしい事、思っても言うなよ。うんん、思うなよ。ライブビデオは真面目に見ろ。
「お・・・怒った・・・?大ちゃん・・・。」
上目遣いに聞いてくるヒロ。なんだか子犬みたいでかわいい。
ったく、しょうがないなぁ。いっつもこれにごまかされちゃうんだよね。
僕はもう数え切れないほどついた溜め息をまたついた。
「そんなに、やばい顔、してた・・・?」
僕は恐る恐る聞いた。
自分の顔なんて、解んないよ。そりゃあ、確かにソロで弾いてる時ってすっごい気持ち良いし、自分の世界に入っちゃてるからあんまり周りの事気にならないって言うのはあるんだけど、でも、そんなにイッちゃってるなんて言われるような顔してたかな。ヒロじゃないけど、気なりだしたら止まらないよ。
なんか凄く自分の顔が気になってしょうがない。ヒロの言うイッちゃってる顔って、一体どんな顔なんだよ 。
僕は立ち上がった。
「大ちゃん・・・!?」
このままじゃ胃に穴があきそう。そのイッちゃってる顔って言うのをこの目で見て、確めないと、気になりすぎて夜も眠れなくなりそうだ。
「ヒロ。」
僕はビデオをセットすると、ヒロを呼んだ。
「一体、どれがイッちゃってる顔なのか言って。僕がこの目で確める。」
「大ちゃん!?」
ヒロはなんだかすとんきょうな声を出して、僕を見つめた。ヒロが呆然としている間にもビデオは始まって、凄い歓声と共に曲が流れ出した。僕はリモコンをヒロに差し出すと、画面に見入った。呆然としていたヒロはしょうがないと思ったのか、それともこの僕の勢いに圧倒されてか、リモコンを手に取り早送りをして僕のソロの部分に合わせた。
お互い声も無く画面に見入る。しばらくするとヒロが僕の隣まで乗り出して来て真剣な声で言った。
「この辺からだよ、大ちゃん。イッちゃうの。」
曲も中盤に差し掛かって、確かに僕もだんだん気分良くなって来ているあたりだった。
そう思いながら黙って見ていると、急にヒロが叫んだ。
「ココ!!ここだよ、大ちゃん!!」
ヒロは一時停止を押すと、力説した。
「ね。言った通り、イッちゃってる顔してるジャン。なんかめちゃくちゃ気持ち良さそうな感じでさ。これはどう見てもたまんないって顔だよ。」
ヒロは頷きながら、断言した。
「確かにソロやってる時は気持ち良いけど、これはイッちゃってる顔じゃないってば。これはただ自分の世界に入ってるだけ。」
「違う。絶対、イッちゃってるもんね。」
ヒロは画面の僕を指差しながら言った。
「違うったら違う。だったらヒロの方がずっとイッちゃってるじゃない。」
「え っ・・・!?」
僕は日頃思っていた事を思わず口に出してしまった。
「だってそうじゃない。ヒロってばいつもイッちゃってるよ。顔だけじゃないんだから。」
「え っ!?」
「だってヒロってダンスしてる時、すっごいやらしー感じ。必ず足でリズム取る時、腰動いてるし。」
僕はヒロからリモコンを取ると、今度はヒロの所へと画面を合わせた。
「ほら。」
ビートのきいたダンスミュージックに合わせてヒロが歌いながら大ちゃんいわく『やらしー踊り』をしている。
「これは・・・。リズム聴くと自然に動いちゃうだけだよ。別に腰振って踊ってる訳じゃないからね。」
画面のヒロと隣のヒロを見比べながら、僕は疑いの眼差しで両方のヒロを見た。その時画面のヒロがめちゃくちゃイッちゃってる顔をして見せた。
「あ っ!!ヒロ、いっちゃってる 。人の事、言えな い。」
僕は少し巻き戻して、そのイッちゃってる顔をヒロに見せた。
「なんだよ。じゃあ大ちゃん、オレがイッてる時の顔、見た事あるの。」
ヒロが顔を真っ赤にして切り返してきた。
いきなり何言ってんだよヒロ。そんなのあるわけ 。
「オレはあるもんね 。大ちゃんがイッちゃってる時の顔、知ってるもん。」
「うそぉ !?」
僕は思いっきり焦ってヒロを見た。するとヒロはにやりと笑って。
「うそ、だよ ん。」
「ヒロ!!」
内心、ものすごく焦っていた僕は真っ赤な顔をして叫んだ。
「ヒロのばか。へんたい!!」
それから数日、僕とヒロの間では、名前の前に何らかの修飾語がついた。
「おはよう。イッちゃってる大ちゃん。」
「今日もまた遅刻だね。スーパーハイパーイッちゃってるヒロ。」
END 19950528