「あ・・・。」
思わず声が出てしまった。今度は僕が固まる。
3度目。彼がそこにいた。
今日はいつもと時間が違うし、っていうか、そんなに頻繁に見かけること事態が普通じゃない。
何かの用事があって規則的にそこにいるのなら話は別だけど、今まで見た感じ、特にそんなところはない。今日だって。
一体、何をしてる人なんだろう。
普通じゃないってことは何となく解る。
そりゃあ、こんな時間だし、この歳のいい男が、こんな時間に特に何をするわけでもなく公園の一角にぽつんといる。それだけで普通の生活時間じゃないことくらいは解る。
・・・もしかして、リストラ!?
何かのニュースで見たことがある。朝普通に家を出て、会社にいるだろう時間をどこかで潰して帰る。
そんな風にして家族に言えない人が結構いるんだとか。
でも、そんなのお給料貰ったらすぐ解っちゃうのに・・・って思った。
それでもその僅かな時間でも言わずに過ごしたいって言う気持ちは何となく解る。
あの人も・・・そうなのかな・・・。
あんまりじろじろ見るのも失礼かも知れない。こういう時はそっとしておいた方が良いんだろうし・・・。
でも・・・どうもそんな感じには見えない。第一格好だって会社に行くような格好じゃないし・・・。
それこそ、その格好の方が不自然と言えば不自然なのかも・・・。じゃあ・・・ホスト!?
いや、それはない。だってもしそうだとしたらこの時間じゃ逆に寝てるだろう。
どんな事をしてる人なのか、何でこんなところで偶然とは言えこんなに出会ってしまうのか。
もしかしたら目の前の家の人だったりして。自分の庭感覚でちょっとくつろいでるのかも。
・・・こんな寒空の下で?
よく解らないけど、柵のところにいる彼はやっぱりちょっと目立ってた。
好奇心の虫がムズムズと動き出す。あの人の正体を知りたい。どんな仕事なのか、何でこんなところにいるのか。すんなり聞けたらきっと楽なんだろうけど、そんな不躾な事さすがに出来ない。
僕はどこかにその答えに繋がるようなものがないかとじっとその人を観察した。
「あ・・・。」
目が・・・合ってしまった。
気まずい・・・。
彼も僕の事をいぶかしんで見ている。そしてその目が僕の足元でまたしても止まる。そしていつものように固まる彼。
「ゥワン!!」
自分に意識が向けられた事を喜んだジョンが彼に向かって吠えた。彼はビクッと、まるでマンガの中の出来事みたいに飛び上がった。
「ジョ、ジョン!!」
慌てて押さえつけたけど、もう彼はカチコチに固まってしまっていて、その手はしっかりと柵を握り締めていた。
結局・・・僕の好奇心の方が勝ってしまった・・・。
「スミマセン。」
声を掛けて、ぺこりと謝る。自分の後ろにジョンを隠しながら、その人の方へちょっとだけ近付くと、柵を握る手がぎゅっと強くなった。
「あの・・・よく・・・お会いしますよね・・・?犬、苦手なんですか?」
ちょっと大きな声で言うと、彼はそのままぎこちない笑顔で、
「大きな犬は・・・ちょっと・・・吠えられたりすると・・・ね。」
と答えた。
「キライじゃ・・・ないんですよ。ただ・・・昔、友達が噛み付かれたのを見ちゃったんで・・・。ちょっと・・・ね。」
言い訳のように続けた。
なるほど。それなら何となく解る。いわゆるトラウマってやつだ。
「犬・・・たくさん飼ってますね。」
考え事をしていると彼が言った。
「大変・・・ですよね。大きいし・・・。」
その目はチラチラと3匹を見比べる。
「ん〜〜・・・そんなことないですよ。可愛いし、僕にとっては大切な家族なんで。」
「家族・・・ですか。」
「はい。」
戸惑った顔を見せながら視線はやはり3匹を見ている。
「・・・触って、みます?」
「えぇ!?」
「この子なら平気ですよ。大人しいし。女の子だから。」
そう言ってアニーに視線を送ると、すまして座っていたアニーはひょこっと立ち上がってススッと彼の足元に近付いた。そのまま大人しく座って彼を見上げる。
「か・・・噛み付いたりとか・・・しません?」
「大丈夫ですよ。その子、一番大人しいんで。」
じっとアニーに視線を注ぎ、それでも手を出せずに見つめたままでいると、アニーが彼の足元に頭を摺り寄せた。
「うわぁ!!」
ビックリした彼は声を上げたが、アニーにそれ以上何もされないと解るとじっとしていた。
「・・・か・・・可愛いかも・・・知れない・・・です。」
引きつりながら、それでもさっきよりかは幾分緊張をほぐした彼が言った。
その様子に・・・あぁ・・・やっぱり前にもこんな事が・・・。一体、いつだったんだろう・・・。
僕は彼のその様子がおかしくなって、アニーを軽く呼ぶと、アニーはスッと立ち上がって僕の元まで戻ってきた。
「怖がらせちゃってゴメンなさい。」
小さく謝ると、彼は首を振って、
「大丈夫です。思ったより、怖くなかった。大人しいですね、その犬。」
とやっとちょっとだけ笑顔を見せてくれた。
そんな彼に別れを告げて、家まで戻る間、僕は考えていた。
やっぱり前にも同じように・・・アレは、いつだったんだろう。そして・・・誰だったんだろう。
彼を見た時に何か・・・でも、思い出せない。アレは・・・。
家に帰りついて、いつものようにみんなの手入れをしてあげてる間も僕は考え続けてた。
何かが引っかかる。アレは・・・
思い出した!!
そうか、あの時の!!
時計を見るとそんなに時間は経っていない。もしかしたらまだあそこにいるかも知れない。
僕は慌てて家を飛び出した。
慌てて公園に戻った僕はさっきの場所に彼を探した。が、いない。
周りを見回してみるが、どこにもその姿はない。
遅かった。帰っちゃったんだ・・・きっと。
急いで走ってきた息を整えながら、久しぶりに走った脱力感にその場から動けずにいた。
「あれ?」
後ろから聞こえた声。振り返るとそこに彼がいた。
「いた!!」
僕のその声に彼はビックリして目を丸くした。
「あの、気付かなくってゴメンなさい!!」
いきなり頭を下げた僕に彼は不思議そうな顔で僕を見つめた。
「ハイ。これ。」
そう言って差し出された缶コーヒーを受け取って、二人で公園のベンチに座る。
初めて、こんなに間近で彼を見た。
何で気付かなかったんだろう。あの時とほとんど変わっていなかったのに。
「ホントにスミマセンでした。何ですぐに気がつかなかったんだろう。」
貰った缶コーヒーを握り締めたまま僕は俯いた。
アレは、確か2年前。調度この時期だったかも知れない。ツリーが出ていたような気がするから、きっとそう。
まだ小さかったジョンを連れて散歩に出かけた時の事だ。
あの頃はジョンの散歩がちゃんと出来るようにしようと思ってジョンだけ別に散歩に行っていた。
あの時も僕はここに飾られたツリーをウットリしながら見上げていた。
そしてジョンにツリーをちゃんと見せようと話しかけたら、ジョンは見ず知らずの人の靴を齧っていた。慌ててジョンをその人から引き剥がし、その人に謝るとようやくその人は僕を見て、自分の置かれていた状況に気付いたようだった。
平謝りする僕にその人は笑って、でも何かショックな事があったのか、その笑いはどこか哀しそうで、本当にこの状況を理解しているのか不明な感じすらした。
とりあえず靴を弁償しますと言って、その時持っていたお金を全部渡し、だけど散歩に出るだけだった僕の財布にはほとんど現金なんて入っていなくて、改めてお詫びに伺いますと言った僕に彼は気にしないで下さいとそのまま立ち去ろうとして、慌てた僕はとりあえず彼の携帯に僕の連絡先を入力して、必ず連絡を下さいと言ったけれどそれ以降、何の連絡もなかった。
覚えておかなきゃと、いつかまた会えた時にきちっとしなくてはと思っていたのに、僕はいつの間にかその事を忘れていた。
「ホントにあの時はスミマセンでした。連絡していただけたら・・・。」
「あ、あぁ・・・。」
「携帯に、僕の連絡先・・・。」
「いいんですよ、そんな事。それに、携帯・・・落としちゃって。」
彼は小さく笑って言った。でもその顔はどこか哀しそうだった。
「それにしても、あの時のワンちゃんだったんですね。全然大きくなってたから気がつかなかった。」
缶コーヒーを勢いよく飲んで、彼は笑って見せた。
「ここには、よく来るんですか?」
「ん・・・?まぁ・・・最近は、ね。」
「よく、お見かけするから・・・。」
すると彼は笑って、
「ずっと、来るのが辛かったんだ。やっと平気になったかな。この場所、結構好きだったんだけど、何となくね、足が遠のいちゃって・・・。」
俯いて小さく言った。
「実はさ・・・ふられちゃったんだ。彼女に。」
「・・・え?」
「もう時効だよ。だからあの時、靴を齧られてた事にも全然気付かなかったし・・・。靴なんて、正直どうでも良かったんだ。そんな事より・・・。だから気にしないでいいよ。」
彼の小さな告白は、あの時の彼を思い起こさせた。
どこか状況を理解してなさそうだったのはそのせいだったんだ。そんなショックな事があった時に・・・よりによって・・・。
急に何もしゃべれなくなってしまった僕に彼は笑って言った。
「気にしなくていいって、ホントに。今はもう全然大丈夫なんだし、アレがあったから今、オレ、頑張れてるんだしね。」
はははと笑って見せて彼は大きく伸びをした。
「やっぱさ、男は仕事だよ!仕事!!」
ガッツポーズを決めてみせる彼に、僕は思わず聞いてしまった。
「仕事!何してるんですか?」
「あ・・・。」
「だって・・・こんな時間にこんなところにいられる仕事って・・・。」
言ってしまってから、しまった!って思ったけど、もう遅かった。彼はちょっと困ったように、
「ん〜・・・まぁ・・・芸能関係・・・?」
「え!?芸能人なの!?」
「一応・・・ね。」
知らなかった・・・確かに普通じゃないとは思ったけど、まさか、同じ畑の人とは・・・。
「ちなみに・・・何をやってる人?僕、疎くて・・・ごめんなさい。」
「いやいや、そんなにメジャーじゃないし。そういうあなたは?」
「え?僕?」
「だって、こんな時間にこんなところにいられるなんて・・・貴方も普通じゃないでしょ?」
彼が面白そうに聞いて来る。
「先に・・・教えてよ。」
「え〜?内緒。あなたが教えてくれたら教えてあげるよ。」
「・・・う・・・。僕は・・・まぁ毎日パソコンとにらめっこしてるかな。自営業?そんな感じ。」
「へ〜〜〜何?なんか作ってる人?自宅で出来る仕事って・・・ウェブ関係?」
好奇心の眼差しで僕を見てくる彼に、僕は「それ以上は内緒。」と彼の真似をして答えた。
「どおりでいろんな時間にワンちゃんとお散歩してるんだ。」
「まぁね。息抜きにもなるしね。」
ほんの少し秘密を残したまま僕達は他愛のない話をした。
彼は犬がいなければ屈託なく笑う人で、意外と人懐っこいのかも知れなかった。
何となく・・・この人がワンちゃんみたい。人はよく犬タイプと猫タイプに分けられるなんて言うけど、この人は確実に犬タイプに違いない。
「あ、オレ、そろそろ行かなきゃ。」
時計を見て立ち上がった彼が僕に笑ってみせる。
「なんか、楽しかった。久しぶりにいろいろ話したかも。付き合わせちゃってゴメンね。」
「ん。大丈夫、息抜き、息抜き。」
僕はそう言って笑って見せた。この人と話してるのは僕にとっても楽しい時間だったし。
「じゃあね。」
軽くてを振って歩き出した彼が不意に振り返って僕に言った。
「良かったら、また息抜きしない?」
「え・・・?」
「気が向いたらまたここでさ。」
後ろ向きに歩いて行きながら彼がニコニコと言う。
「今度は、コーヒーちゃんと飲んでさ。」
僕の手元を指差して彼が笑った。僕は彼に貰ったコーヒーを握り締めたまま、まだ開けてもいなかった。僕の手の中で完全に冷えている。
「じゃあ、またね!!」
そう言って大きく手をあげた彼に僕は慌てて聞いた。
「名前!!名前何て言うの?」
座ってたベンチから立ち上がって叫ぶと彼はもう一度振り返って、
「たかみひろゆき!!」
その名前だけを残して公園から出て行った。