<Blue Sky Blue>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                          あぁ、空が高い。

 

 

雲ひとつない空。

青く青く、一点の曇りもなくどこまでも続く青。風の音が時折聞こえるという事は今日も風が強いに違いない。それでも青い空はそんな事を感じさせないくらい青く青く澄んでいる。

ソファにもたれて逆から見上げるように覗き見る空は、こんな時間には起きていない自分には似つかわしくない清廉さで、目に痛い。

 

全く、何だってこんな時間に起こされなきゃいけないんだ。

 

口の端に悪態を乗せてみても、それを相手にぶつけるほどのエネルギーはなく、ただソファにふんぞり返って空を見上げる。

 

 

           あぁ、空が高い。

 

 

世の中ではコレをお正月らしいとでも言うのだろう。まるでこの1年が清々しいものになるかのように、たかが空にさえも希望を見出そうとする。

そんな事、関係ないのに・・・。正直そう思う。

だったら、この唸る風の音は何だ。コレは激動を表してるんじゃないのかと、いらぬ揚げ足をとりたくもなる。

 

間延びした、正月も3日を過ぎた頃、未だ酒が抜け切らないのか、それとも元々そういうタチなのか、何食わぬ顔で当然のようにやってくる男。

この男のスケジュールは何年たっても変わらない。

いつから続いているのか、正月は実家に帰り、その足でここへ戻ってくる。

まぁ、こっちも年越しは実家に帰っているから、その間に来られたところで知りようもないが、気付けばそんな奴のスケジュールに合わせるようにここに戻ってきている自分に苛立ちを感じる。

 

仕事の為         そう言い訳をして、もっと顔を出しなさいと言う、見るたびに一回り小さくなったように感じる両親を残し、帰ってくる。愛犬を引き連れて。

きっとあの家は急にさびしく感じられるんだろう、母親はいつまでも手を握って頷く。

それをやんわりとほどいて、近いんだから、またすぐ来るよと言い残し、帰ってくる。仕事を始めてしまえばそれどころじゃなく、自分の言った言葉すら忘れて、気付けばまた1年が過ぎている。それを知っているから母親も手を離したがらないんだろう。この罪悪感。もう何年も感じている。

それなのに、こうしてまた約束すらしていない、来るか来ないか解らない奴の為に部屋を暖めている。自分で自分がいやになる。

 

約束をしておけばいいのかとも思う。けれどそんな甘い睦言のような事はこの男としても意味のない事をもうこの長い年月の中で知っている。

この男はいつも突然なんだ。かと思うと決められたように同じ行動を取る。その境目がいまだに良く解らない。いや、知ろうともしないし、むしろそれで良いと思っている。この男を解ろうなんて言う方が無駄な事なんだから。

 

行動の読めない男はやっぱり行動の読めないまま、来て早々から勝手にシャワーを浴びている。何処かの女と寝てきたのか?いや、正月早々から実家に居てそんな事はないだろうと、バカげた事を考えている事に嫌気がさし、ふんぞり返って空を見上げる。

 

 

            あぁ、空が高い。

 

 

ドタドタと慌しい音がしたかと思うと、ムワッとする湿気が流れてくる。ぺたぺたとその音は近付いてきて一度目の前を通過し、冷蔵庫を開けミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと、またぺたぺたと戻ってきた。暑苦しい、不快な湿気と共に。

タバコに火を付け、目だけで奴の一連の動きを追っていた。そして暑苦しさを撒き散らしている男は何食わぬ顔でごきゅごきゅと勢い良く喉に流し込む。その厚かましい行動に苛立ちを覚え、わざと聞こえるように舌打ちをした。飲み下す音が途絶えると、ふ〜〜と息を吐き出した。

 

 

「何、見てるの?」

 

 

「空。」

 

 

仰け反ったままそっけなく返すと

 

 

「ふ〜〜ん。」

 

と言って、モワっとした湿気と共に隣に移動してくる。

暑苦しい。

存在が暑苦しいってどういうことなんだと思いながら苦笑する。

所詮この男は何をしてたって暑苦しい奴なのだ。自分とは全く違う人種。だから、コイツの事は良く解らない。人の家に来ていきなり風呂に入る奴の神経なんて、知れたもんじゃない。理解する気にもならない。どうでもいい。都合よくそこにいて、都合よくいなくなればいい。それだけの事。今はただ、その暑苦しさが気に障るだけだ。この湿気をどうにかして欲しい、それだけだ。

 

 

「大ちゃん。」

 

 

「あ〜・・・?」

 

 

気のない返事を返す。

 

 

            あぁ、空が高い。

 

 

「灰・・・落ちるよ。」

 

 

「え?」

 

 

驚いて動いた瞬間に灰が耳を掠めて落ちた。くわえタバコをしていた事をすっかりと忘れていた。

 

 

「うわっ!!」

 

 

慌てて払ってソファの後ろに落ちた灰を見る。ものの見事にバラバラだ。あぁ、最悪。面倒な事を増やしてしまった。

 

 

「あぁ〜〜〜あ。やっちゃったね〜。」

 

 

呑気な声で言う奴を睨む。と、滴る水滴。

 

 

「オイ!!髪ぐらいきちっと拭いて来い!!」

 

 

肩に掛けていたタオルを引っ掴んで、容赦なく頭をガシガシと拭く。暑苦しいのも当然なくらい、湯だった奴の髪の毛はびしょびしょで、そこから不快な湿気が流れてくる。

痛いと何度も抗議の声を上げるだらしない男の声を無視して、愛犬にするよりも乱暴に水気を拭き取っていく。あらかた拭きあげたところで、「後は自分でやれ。」とタオルを投げつけると、渋々ぐちゃぐちゃになった髪を手櫛で整え始めた。スタイリングをしていなければわりと真っ直ぐな髪は、伸びかけのせいか耳の下辺りの毛がくるっと肩に触れてはねる。それを一生懸命伸ばしながらちっとも反省をしてない顔で言った。

 

 

「ねぇ、初詣に行こうよ。」

 

 

「はぁ?」

 

 

思わず見返した。

 

 

「初詣。」

 

 

正月も3日を過ぎて、何を言い出すかと思えばこんなしょうもない事。実家に帰ってたんならすでに行ってるはずだろうに。

奴の家はこう見えてもお坊ちゃんなんだ。まぁ、突拍子もない言動を見れば、コイツがいかに甘やかされて育てられて来たかが解る。愛情を注がれて大切に育てられたやんちゃな三男坊。わがままをわがままと思っていない節がどこかにある。今も全くそんな事は思ってもいないだろう、ニコニコとまるで餌を貰う前の犬みたいな顔してやがる。

 

 

「あのな・・・俺の実家、どこだか解る?浅草だよ、浅草。家からひょいっと出れば初詣だっつーの。」

 

 

「オレも行ったよ、埼玉で。」

 

 

「じゃあ、もう初詣じゃないだろ。」

 

 

「違うよ。大ちゃんと!!初詣したいんだよ。」

 

 

あーー面倒くさい。

 

 

全くこの男の言う事には何の脈絡もない。そもそも『思考する』って事を知っているのか疑いたくなる。感情の赴くまま。これじゃあサルと一緒だ。それなのにサル、サル、言われる事に腹を立てるなんて、不条理だ。何も間違った事は言ってない。

呆れるのと、半ば面倒臭さも手伝って奴の顎を挑発するように持ち上げる。好きにすればいい。

 

 

「じゃあ態度で示してみろよ。」

 

 

温かい掌が頬を包み半乾きの髪が顔にかかる。

 

 

     んっ・・・。」

 

 

ねっとりした舌が口内を掻き回す。

この厭らしく動く舌で何人の女が堕ちていったのか考えたくもなかったが、その女と同類になってしまっている自分に腹立たしさを覚え負けじと舌を絡ませる。

 

 

「さっさと服着ろよ。行くぞ。」

 

 

鬱陶しい身体を引き剥がし立ち上がる。理性を完全に無視した下半身をどうしたらいいものかあたふたしている男をよそに支度を始めた。

 

 

「ちょ、待ってよ、大ちゃん。」

 

 

「何言ってんだよ。お前が言い出したんだろ?」

 

 

窓際で日向ぼっこをしているアニーがまたかという表情でこちらをちらりと伺い再びまどろみ始める。

 

 

「ね。大ちゃん。」

 

 

「何?」

 

 

「腕組んで歩いていい?」

 

 

「ばっかじゃないの?んなことできるか。」

 

 

「いーじゃんいーじゃん。人いっぱいいるからわかんないよ。」

 

 

「そーゆー問題じゃない。」

 

 

「ちぇっ。大ちゃんのいぢわる。ケチんぼー。」

 

 

「そこまで言うか?」

 

 

「言うよ。だってホントのことだもん。」

 

 

「てめぇーーー!!」

 

 

握りこぶしを振り上げた腕は意とも容易く捕まり反動で水泳で鍛えた厚い胸板にすっぽりと埋まってしまった。

 

 

「お正月くらい、オレに甘えてくれても、いいじゃん。」

 

 

抱きしめられた耳元で男の色気を纏った低音ボイスが誘惑する。

 

 

         鬱陶しい。

 

 

先程シャワーを浴びたばかりの筈なのにもう何年も味わってきた男の体臭が鼻先を霞める。

 

いつからだろう・・・この匂いに安堵感を感じるようになったのは。

俺ばかりではない。きっとこの男も俺の体臭に気付いている筈だ。

お互いもういい歳。世間一般でいう加齢臭だってある。認めざるを得ない正真正銘の事実。外見をいくら取り繕っても中身は歳相応にガタが出始めている。

それでも奴は「大ちゃん・・・愛してる。」といい「俺も・・・。」と躯を重ねている。

若い時の様にインターバルを置かずに何度もというのはさすがに体力的に厳しくなりつつある。

ただ抱き合って眠るだけでどんな高級な牛肉を食べるより幸せを感じ、このまま時が止まってしまえばいいとさえ思うようになってきた。

 

危うく奴のペースに飲み込まれそうになり「ちゅ」と触れるだけのキスで誤魔化した。

やや不満げな表情を浮かべている男に「おみくじ引こう。」と誘う。

 

 

「大ちゃんのそーゆーとこかわいい。」

 

 

「“かわいい”言うなっつってんだよ。ぼけ。」

 

 

と蹴りをお見舞いしてやった。

 

そそくさと慌てて服を着ながらも奴からは陽気な鼻歌が漏れる。

きれいな音だ。

最初に射抜かれたのはこの音。初めて聞く、不思議な音だった。

数値に変換出来るんじゃないかと思うような金属質な音に、数値では現せられない不思議な情感を持たせて響くこの音に、脳の奥が真空になるような気さえした。この音のせいで、今もこうして隣にいる。

 

この音さえなかったら・・・。今でもたまにそう思う。

この音の持ち主が奴でなければ、あるいはこうしていたのは全く別の誰かだったのかもしれない。こういう関係に陥っていたかどうかは別として、そうなっていた方が幸せだったのかもしれないと、たまにふとそう思う。

こいつの隣にいるのは、時々とても面倒に思える。

自分の事を何一つ考えようとしない、自分の価値を知ろうともしない、いい加減な奴だ。

掴もうと思えば掴めるものを掴もうとしない奴だ。

無欲なんじゃない、興味が無いだけだ、そういうものに。

 

時々それが面倒になる、いやに聖人ぶってるような気がして。俗物な自分は利益だとか、損得だとか、そんなものにまみれているから。だから時々、無性に汚してやりたくなる。お前のいる世界は、誰かの損得で動いているんだ、利益が絡んで初めてやりたいことが出来るんだと。

結局、奴には何も通じない。どんなにせわしく仕事を振ってみたって、どんなにクライアントの話をしてみたって、「難しいことは良く解んないけど、大変なんだね。」の一言で、やんわり周りをそのペースに巻き込む。二言目には「ハイ、頑張ります。」だ。毎回同じことを聞かせされて、毎回同じようにため息をつき、もう疲れた。

だから考えるのはやめにした。こいつについて考えてもろくな事がない。結局自分が消耗するだけで、コイツには全く意味がないんだと気付いてから、もう、考えるのは止めた。それがお互いにとって一番良い。

ようは住み分けなんだ。奴の出来ない事を俺がやる。俺の出来ない事を奴がやる。それで良い。

俺には「良く解りません。」の一言は決して言えないし、奴のようににへらと笑って済ませる事なんて、到底出来る芸当じゃない。周りももうそれを認めないし、第一、自分自身が気持ちが悪い。

この歳にもなって、アホのようにへら〜っと笑って世の中渡っていくなんて、それはそれでひとつの芸だ。でも、俺向きじゃない。だから、奴がやる、それで良い。

 

本当は俺なんかより頭がいいのかも知れない。そうすることが得策だと思ってやっているんなら、奴もなかなかに切れ者だと思う。

けれど、その裏側は見せようとしないし、俺も見ようとも思わない。互いの事には干渉しない、これが長年付き合ってきた俺達の距離感。これが心地良い。きっと。

 

奴はきっと見抜くだろう。俺の底の浅い思考を。

もし奴が本当に切れ者なのだとしたら、多分俺の言動は奴にとって笑いの種にしかならないことなのかも知れない。それでも、今はまだ、こうして、気付かない振りをする。それが当然のように。だから俺も鑑賞しない、理解しようとしない。奴の突拍子のない行動も、甘い戯言も、総て。

それがきっと、俺達の距離感。

 

鼻歌交じりで着替え終えた男は鏡の前で跳ねる髪の毛を帽子の中に隠す。支度が出来たと嬉しそうに俺を呼んで、早くと急かす。

 

 

「はぁ・・・めんどくせーな。」

 

 

ぼそりと呟くと、耳ざとく聞きつけ、

 

 

「罰当たり!!」

 

 

と責める。

 

 

「お子様は元気だな〜、全く。」

 

 

「二つしか違わないだろ!?」

 

 

最後の一服と思ってタバコに火をつけようとするところを咎められ、腕を取られる。

 

 

「一服くらいいいだろ?」

 

 

さんざん待たせたくせに。

自分勝手な男を無視して火をつけると、

 

 

「行くの!?行かないの!?」

 

 

偉そうなセリフを返される。

 

 

「ハイハイ、行きますよ。」

 

 

そう言って、咥えタバコのまま立ち上がった。愛犬の頭を「大人しく待っててね」と撫でてやると、眠そうな目を日なたの中でそっと閉じた。

 

 

「大ちゃん、早く!!」

 

 

玄関から呼ぶ声に苦笑しつつ、タバコを掴んでポケットに突っ込み玄関へと向かう。冷たい風が吹き込んでくる。

 

 

「さみ〜〜なぁ。」

 

 

思わず肩をすくめて空を見上げると、青い青い空。

 

 

             あぁ、空が高い。

 

 

「ん。」

 

 

嬉しそうに差し出す手。

 

 

「つなご。」

 

 

能天気に言い放つ。

 

 

「繋がね〜よ、バカ。」

 

 

そう言って、両手をポケットへと突っ込む。その手を、ポケットの中のその手を、能天気な男は自らの手をポケットに突っ込んできて繋いだ。

にへら〜と笑う。

 

 

「チッ。」

 

 

軽く舌打ちしても男の顔は嬉しそうに歪められたまま、一向にその手を離そうとはしない。

 

 

「行こう。大ちゃん。」

 

 

「・・・しょ〜がねぇなぁ。」

 

 

渋々、空いた片方の手でタバコを揉み消して、吸殻入れへと捨てる。

 

 

雲ひとつない空。青く青く、一点の曇りもなくどこまでも続く青。

嬉しそうな男に引きづられるようにして歩く。

 

 

              あぁ、空が高い。

 

 

互いのことなんか知らなくてもいい。理解しようなんてあつかましい。ただ、ここにあるぬくもりが真実なら、それで。

 

俺はポケットの中の手をぎゅっと握り返した。

嬉しそうに奴が笑う。

 

 

これが、俺達の距離。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

               END  20090105

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                                 →オマケ