<夢のつづき>
芝居の後はなかなか自分に戻れない。
入り込めば入り込むほど、自分と役の境界線があやふやになって、オレは呆然とその後の数日を過ごす。
まるでその瞬間だけ、仮面を被るように役と自分を行ったり来たりする役者さんもいるみたいだけど、オレにはそんな器用な真似は到底出来そうにない。
オレはどっぷりとそこに浸りきって、自分の方が偽者のような気がする。
だから芝居の後は、本当の自分に戻るまでは貴水博之と言う人格はオレの周りをフワフワと浮いている。
「ちょっと飲んでるの?」
1ヶ月ちょっとオレのお嬢様だった純名さんがビール瓶を片手に近付いてくる。
勧められるままにビールを注がれ、互いを静かに労う。琥珀色の液体をぼんやりと眺め、まだしっくり来ない自分自身を確かめる。
「おい!お前!!」
ダンとグラスをテーブルに置いてオレを睨む。
「お前だよ、お前!!」
劇中のセリフを投げ付けられてオレは訳も解らず純名さんを見返す。するとクスクスと笑ってその強気なお嬢様を解いてみせた。
「まだ召使の顔してる。自分の中から役が抜けない?」
ビールを煽りながらそう聞く。
「はぁ・・・。オレ、いつもこんな感じなんですよ。馬鹿だから入り込まないと役になれなくて。」
そう言って苦笑してみせる。
「ステキな召使だったわ。弱くて強くて官能的で。私、何度もクラクラしちゃったもの。貴水さんの酷い男っぷりには本気で傷付いたわ。」
「アハハ。」
「一緒の舞台に立てて良かった。でも、こんな彼氏はゴメンだわ。私が引っ掻き回されそうだもの。」
首を竦めてみせる。
「早く自分に戻ってあげないと、彼女、いじめちゃうんじゃない?」
「え?」
「今回の舞台でいじめるのに味しめちゃってたりして。」
覗き込まれる視線に舞台の上での熱い高揚感を思い出す。
「そんなことないですよ〜。」
「あ〜、今、答えるまで間があった!あやしいなぁ〜。もっと飲め〜〜。本音を吐かせちゃる。」
面白く笑い転げる純名さんに便乗してスタッフまで酒を注いでくる。高揚した気持ちのまま次々とグラスを重ね、オレはしたたか酔っ払ってしまった。
深夜、いや、もう明け方にタクシーで辿り着いたそこ。自分の家じゃないけど、オレが落ち着ける場所。
いつもの合鍵で入り込んで、酒臭いままベッドまで辿り着けず、リビングのソファに沈む。
落ち着くいつもの香り。
あぁ、オレに帰って来たんだなんて思いながらうとうとと自分に帰るための眠りに落ちる。
早くオレに戻って、大好きな人を抱きしめたい、思う存分、自分のこの手で抱きしめたい・・・。
まどろみの中で聞こえる声。ぼそぼそと何を言っているのか、聞き取れない。
「・・・って言ったわね。だったら上だって泥だらけ・・・人生の何もかもが泥だらけ・・・ゴミよ・・・ゴミ・・・。」
記憶の中に回るセリフ。
「どうもして欲しくなんかない。お前はただ燃えてりゃいいのよ。私はその暖炉に手をかざして、温まる・・・。」
ポツリポツリと聞こえる知ったセリフ、良く知る人の声。
コレは夢の中なのか・・・?
眠い目を擦りながら身体を起こす。舞台ではない場所。ひんやりとした現実の世界。
「・・・だい、ちゃん・・・?」
背を向けている背中に声を掛ける。夢ならきっと壊れてしまうはずの人。
「あ・・・起こしちゃった?」
現実のその人は何日も見ていなかった微笑を向ける。コレが夢なら、何て良く出来た夢なんだ。
「コレ、今日で終ったんだよね。お疲れ。」
そう言って持ち上げてみせたボロボロの台本。無造作に投げ置いた鞄の中から飛び出していたらしい。
「どんなお芝居なのか、気になって・・・。2人芝居って、本当に2人しか出てこないんだね、当たり前だけど。」
照れ隠しに笑ってみせるその笑顔に、
「そんな火遊びに付き合ってなんかいられない。間違って燃え上がったら、取り返しがつかない。」
「ヒロ・・・?」
「さっきの続き・・・。オレの中に、まだ召使がいるんだよ。」
そう言ってもう一度ソファに身体を沈める。
残る余韻に静かに目を閉じる。
稽古が始まってからもう一人のオレだった。馴染みすぎたセリフ。剥き出しにした感情。男の狡さも弱さもしたたかさも、総て余すところなく曝け出した。そうしなければ向き合えない役だった。
だから今の自分は感情の抜け殻。どこに自分をもって行っていいか掴めずにいる。
「見に・・・行けばよかったかな・・・。」
ポツリと聞こえた声に閉じていた目を開ける。
「ヒロの舞台・・・。」
「大ちゃん・・・?」
「酷い男だったんでしょ?そんなヒロ見たことないもん。ちょっと、見たかったかも。」
企むような微笑みでオレを見つめるその人は、もう一人のオレのつまった台本をパラパラとめくる。
「ねぇ、愛してるって言って。女はこんな時、優しく抱きしめて欲しいの・・・か。
こんな事、毎日言われちゃってたんだ。まるでヒロの私生活みたいだね〜。モテるもんね、ヒロは。」
燻るような熱が蘇る。
そう言えばこの役のきっかけは『彼』にあったと思い出す。高慢な令嬢の言動、台本を読んだ時に真っ先にイメージしたのは彼だった。
別に彼が高慢だと言ってるわけじゃない。けれど、何故だか、彼を思う気持ちと、この召使が感じる抗えない令嬢への思いがダブって見えた。本格的な稽古が始まって、そのセリフの総てが純名さんの口から流れ出すと、そのイメージはすぐに彼女のものになったけれど。
「見に来たら、きっとオレの事、嫌いになってたかもよ。」
出来れば彼に見せたくない酷い男の自分を思い出す。
「何それ。」
鼻で笑って台本をめくる彼にほんの少し、悪魔的な思考がよぎる。
オレの中に眠る狡猾な部分。日常生活では出さないようにと気を使っているそこは、もしかしたら本当は一番自分の本質を突いているのかも知れない。
自分の中にそんな部分がなければそんな風には思わない。すぐに消えてしまうようなものなら気を使う必要はない。常に自分のどこか奥の方にあって、何かの拍子に現れてしまいそうだからそれを出さないように気を回す。
自分でも解ってるんだ、それが人間関係を一瞬にして崩してしまうような危うい感情だって言う事に。
剥き出しのエゴ。他人を傷つけることを厭わない。だから余計にゾクゾクする。純名さんに言われた通り、はまってるのかも知れない、その快感に。
この人は・・・そんなオレをどう思うんだろうか。
「試して、みる?」
「何を?」
「酷いオレ。」
「お芝居してくれるの?」
「芝居じゃなくて・・・本気で。」
台本をめくっていた彼の手が止まる。ゆっくりとオレを見つめてくる。かち合う視線。
笑ったのは彼だった。
「ヒロにそんな事出来るわけないじゃん。僕の方が酷い男だもん。」
再び台本に視線を戻してにこやかに笑う。
「知らないだけだよ。大ちゃんは。」
ギシリとソファから身体を起こす。向いのソファに座ってオレを見ている彼にゆっくりと近付く。
そのままじっと見下ろす。
空気が、止まる。
「ヒロ・・・?」
呟かれた言葉を飲み込むように組み伏せ、強引に接吻ける。
「・・・っや!!ちょ・・・と・・・ヒロ・・・!?」
抗う彼を押さえつけ、有無を言わさない力で膝を割り、身体を滑り込ませる。
「ヒ、ロ・・・っ!!ちょ!!やめ、ろ・・・!!やめろってば!!」
ドンと身体を突き飛ばされ、挙句、腹に蹴りまで入れられてオレは仕方なく身体を離す。
「ったく、どう言うつもりだよ!!酒臭いし。人の事、お前が今まで付き合ってきた女と一緒にすんな!!」
雄々しいタンカに、あぁこの人はやっぱり令嬢のイメージだったんだと可笑しくなる。オレの直感は間違ってなかった。
蹴られた腹を抱えながら笑い出したオレを彼がいぶかしんで見る。
それでも、やっぱりこの人は男で、オレも男で、こんな事茶番にもならない。
男女なら派手な痴話喧嘩で終わる事も、オレ達では間抜けなだけだ。そんな事に必死になってる自分。
この人を女の変わりだなんて思った事は一度もない。男だからと思った事もない。
ただ、オレにとってこの人は浅倉大介という燦然と輝く存在でしかなくて、その輝かしいものを組み伏せる快感に、オレは酔いたかったのかも知れなかった。
笑ったままのオレに彼が溜息をつくのが聞こえる。
どうせ茶番だ。
オレとこの人の関係は、所詮何も生み出さない、寄る辺のない夢のようなものだ。
傲慢な貴方は何も言わないことでオレを縛り付け、オレは強引な腕力ですべてを手に入れようともがく。
逆もまたしかり・・・。
夢を貪って生きているのは何も幸福な男女だけじゃない。むしろオレ達の方が、夢を見ないと生きて行けない。
所詮茶番なら・・・。
夢を見よう、
夢を見よう。
そう、作り物の芝居のように、夢の話を・・・。
「ねぇ、夢の話をしない?」
「・・・だい、ちゃ・・・!?」
オレの心の中を覗かれたようなタイミングで言われたセリフに心臓が跳ねる。
「まだ役から抜け出さないで、酷いヒロを僕にも見せてみなよ。」
台本をちらつかせながら挑戦的な笑みを見せる。パラリとページをめくる。
「夢の話をしない?」
「・・・夢の・・・はなし?」
条件反射のように紡ぐセリフ。
「そう、夢の話。」
「どん、な・・・?」
目の前の光景があの舞台とダブる。今、オレの前にいるのは・・・。
見つめる瞳に惑わされる。夢の続きを望んでもいいのか・・・?
「お前は勝手に燃えてりゃいい。私はそれに手を翳して温まる。」
頬に触れてくる骨張った指。御伽噺の国の扉をそっと押し開く。
「・・・男は、女をものにするためなら・・・どんな嘘でもつくのさ。」
クスリと笑う。
「それから?」
「それから・・・?」
「そう、それから。ヒロがどうなるのか見たい。ヒロのつく嘘はどんな感じなのか、僕には知る権利があるでしょう?」
「だいちゃ・・・。」
ゴクリと喉が鳴る。自分のものなのか、彼のものなのか、もう解らない距離にいる。
「もっと、もっと、口汚く罵ってよ。ヒロの好きなように僕をすればいい。」
じっと見つめられた瞳とどこかで聞いた事のあるセリフ。
わざとなのか、それとも・・・。
オレの中で何かが変わる。いつもは感じる事のない、残虐な支配欲。
見つめる彼の顎をきつく捕らえ、貪るように口内を蹂躙する。
見つめ合ったままの残虐なキス。何かの合図のように・・・。
たくし上げたシャツの奥に息づく滑らかな白い肌。そっと脇をなぞり、漏れるため息にほくそ笑む。
身体を捩り、唇を噛み締め大きく息をする。
なぞり上げる指先。
短い声を漏らし仰け反った喉元に齧り付く。嚥下するたびに動く喉仏に舌を這わせ、鎖骨までのラインを味わう。
逃れようとする腰を強く引き寄せ、自分のものにする。
「貴方が望んだから、こうなったんだ・・・。」
「・・・っ。」
「夢が叶って、気分は如何ですか?」
暗い笑みを浮かべる。
「もっと堕ちればいいんですよ、もっともっと、こっちまで堕ちて来ればいいんだ。そうしたらあなたを抱きとめてあげる。」
優しく抱きしめて、そっと胸元にキスを落とす。
「見下して・・・。」
「見下してなんかいません。あなたは素晴らしい人だ。私なんかにはもったいない・・・。」
触れる唇。
「あなたは・・・
オレにとっては高嶺の花だった。いつだって燦然と輝く、眩しい人だ。オレなんかとは住む世界が違う、そう思って・・・。」
「ヒロ・・・?」
「貴方を組み伏せたら、総てを手に入れられるんじゃないかって・・・オレは・・・オレは・・・。」
抱きしめる腕に力を込める。
懺悔のように吐き出す言葉。ずっとどこかで燻っていた思い。
くすりと、小さく笑う声がする。
「僕は罠をかけた。それにヒロは引っかかった。」
「だい・・・ちゃ・・・?」
「ヒロの愛は勘違い、でも僕の愛は本物だ。
ヒロが僕に望んだのは僕の肉体で、僕がヒロに望んだはヒロの心だった。でも今は反対。ヒロが僕に望むのは僕の心で、僕がヒロに望むのは、ヒロの肉体だ。」
「オレは貴方を愛してる。」
「本当に?」
「あぁ、勿論。大ちゃんは・・・?」
恐る恐る見上げた先には彼の極上の笑顔。
「愛しているよ。これ以上ないくらいにね。」
芝居の後はなかなか自分に戻れない。
聞き覚えのあるセリフがオレを惑わせる。
コレは現実なんだろうか、それとも。
夢の境界線はあやふやにぼやけて、何が本当なのか解らなくなる。
手にしているものが何だか解らない。目の前のこの人は本当に・・・。
早く現実に戻らなくては。
早くオレに戻って、大好きな人を抱きしめたい、思う存分、自分のこの手で抱きしめたい・・・。
夢の話をしない?
夢の話?
そう、夢の話
どんな?
昔昔、わがままで・・・。
END