<sick>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大ちゃん!」

 

 

どこで聞きつけてきたのか、真っ青な顔で駆けつけてきた恋人がふらつく視界に現れた。

 

 

「ひ・・・ろぉ?」

 

 

朦朧とした意識の中で名前を呼ぶとその姿が大きくなる。

 

あぁ、ホントにヒロだ。泣きたくなるようなほんわりとした嬉しさに包まれて、ここ何日かでは感じた事のない安堵感を噛み締める。

 

ヒロ・・・そんな顔しないでよ、男前が台無しだよ・・・なんて思って不意に自分の置かれている立場を思い出す。

 

 

「大丈夫?辛くない?」

 

 

駆け寄ってきたヒロは僕のおでこに手を当てたりして。でも僕はそんなヒロを遠ざけようと重い首を振る。

 

 

「やぁ・・・っ・・・。」

 

 

「大ちゃん!」

 

 

「バカヒロ・・・。うつるからあっちいけ。」

 

 

やっとの事で発した言葉にヒロはうんとも言わず、僕に布団なんか掛けたりしている。

 

 

「バカ、も、あっちいけって。」

 

 

イヤイヤと首を振りたくてもこんな状態じゃそれもままならない。

第一、風呂にも入っていなければヒゲだって剃ってない。こんな顔で会いたくなんかない。恥かしい。

 

 

「だって大ちゃん、インフルエンザって。」

 

 

泣きそうな顔で僕を見つめてくる男前に手を伸ばして頭を撫でてやりたかったけど、そんな気力すらない。

とにかくだるくて仕方がない。

久し振りに病気で寝込んだりして、身体よりも精神的ダメージの方がデカイ。気力が萎えると途端に身体の力が奪われて行く気がするのは不思議だ。

 

 

「ね、ちゃんとご飯食べれてる?欲しいものある?」

 

 

矢継ぎ早に投げ掛けられる質問をぼんやりと聞き流して、クラリと回る視界を閉じると途端に心配そうに慌てた声がする。

 

 

「大ちゃん、ダメ?具合悪いの?辛い?」

 

 

「ちょっと黙れって。」

 

 

ちょっと強めに、それでも具合の悪さにさほどの覇気はない声で言った。

 

 

「薬飲んだし、熱は下がってきてるから大丈夫。寝てれば治るし。だから帰れって。」

 

 

半ば思考回路の働かない頭でそれだけ言う。

 

本当は嬉しかった。誰かにそばにいて欲しかったから。

病気と言うのは何でこんなに人を脆くするんだろう。

でも、うつす訳にはいかなくて、本番を控えて今から稽古を詰めていこうと言う時に倒れさせる訳にはいかない。だから帰れって言ってるのに・・・。

 

 

「オレ、居ると迷惑?」

 

 

なんて哀しそうな顔で言うから、心細さも手伝って100%の拒絶が出来ない。

 

 

「ヒロだって舞台・・・。今、インフルエンザなんかにかかってる場合じゃないだろ?だから、僕のとこにいちゃダメ。帰って、うつすのヤダ。」

 

 

「でも、大ちゃん1人でしょ?ほっとけないよ。」

 

 

「いいから、そんなの。帰れよ。」

 

 

「やだよ。こういう時くらい甘えてよ。」

 

 

「だから舞台。ヒロ1人の問題じゃないだろ。帰れって。」

 

 

段々話してるのすら億劫になってきて、僕は身体を起こしてベッドの脇にいるヒロを遠ざけようと肩を押した。

 

 

「ダメだって。寝てなきゃ!ほら、寝ててよ。」

 

 

今の僕の力じゃびくともしないヒロは逆に僕をベッドに寝かせる事に必死だ。

ゴホゴホと咳き込んだだけなのに、慌てて水を取りに行こうとして自分の買ってきたコンビニの袋に躓いた。ポカリのが良いよねなんて思い出したように袋からペットボトルを取り出す。

 

 

「ほら、やっぱり1人じゃ心配だよ。」

 

 

上体を抱き起こしてくれてペットボトルの水分を含ませて貰うと少しだけ楽になる。

 

 

「ありがと。」

 

 

お礼を言うとヒロは嬉しそうに頷く。そんなヒロを遠ざけようと身体を離すと、ヒロはそんな僕をギュッと引き寄せた。

 

 

「バッ・・・、うつるから。」

 

 

「大丈夫。ちゃんとマスクするから。」

 

 

そう言って取り出したマスクを僕を抱きしめたままする。

 

 

「それにさ、バカは風邪ひかないんだって。オレ、バカなんでしょう?」

 

 

クスリと耳元で笑って、そのまま首元に顔を埋める。

 

 

「ヤダ、汗かいてるし、汚いし、風呂・・・入ってない。」

 

 

身体を捩って少しでも離れようとする僕をヒロは抱え込むように抱きしめて笑った。

 

 

「そんなの、気にする事ないのに。オレはだぁ〜れも知らない大ちゃん、知ってるんだよ?汗くらい、ね。」

 

 

「・・・そう言う事、言うな。」

 

 

睨みつけてやるけどそんなことにはちっとも動じない。

 

 

「ね、甘えて?オレ何でもするからさ。」

 

 

なんだか、何を言っても無駄なような気がして、それにこんな事で無駄な体力を使うのもバカらしく思えてきて、観念したように溜息をつくとそのまま身体を預けた。

優しく笑いかけてくれるヒロの存在が嬉しい。抱かかえられた腕の力強さに身体を預けてしまうと途端に気持ちまで楽になる。

 

 

「大ちゃん熱いね。やっぱりまだ熱あるでしょ?」

 

 

おでこに手を当てて首を捻ったヒロは僕の顔を覗き込むように聞いてくる。

 

 

「朝計った時は37.8だった。だから平気。」

 

 

「ちょっとあるよ。だから辛いんだよね。体力落ちちゃってるからね。」

 

 

頭を撫でられて、その優しさにこんな風に頭を撫でられたのなんていつ振りだろうと思う。何だか気持ちが良い。

 

 

「何でも言って。何でもしてあげるから。」

 

 

マスクをしてくぐもった声が僕に言う。目だけしか見えないヒロはとっても優しく僕を見つめている。

 

 

「少し寝たほうがいいね。」

 

 

そう言いながら僕をそっとベッドに横たえてくれる。

まるで生まれたての赤ちゃんみたいに、優しく優しく扱ってくれる。

 

 

「寝るの・・・飽きちゃった。」

 

 

ポツリと漏らしてヒロを見ると困ったように笑う。

 

 

「ダァ〜メ!ちゃんと寝ないと治らないでしょ?」

 

 

「でも・・・もう3日も寝たまんまなんだよ?寝すぎで腰が痛いよ。」

 

 

「解るけど、ちゃんと元気になるまでは寝てなきゃダメ。それにいつも全然寝てないんだからさ、ちゃんと睡眠とらないとダメだって事がこれで解ったでしょ?も〜大ちゃん、もっとちゃんと寝てよね。」

 

 

「も〜充分寝たよ〜。」

 

 

「たった3日でしょ!?いつもどれだけ寝てないと思ってるの?ダメ!!ちゃんと寝てなきゃダメ!!」

 

 

「だって〜、ヒロの顔見たら元気出たしぃ・・・。」

 

 

「う・・・嬉しい事言ってくれてもダメ!!ハイ!!大ちゃんはちゃんと寝るの!!」

 

 

「ケチ。」

 

 

「ケチじゃないでしょ!?オレは大ちゃんが心配なの!」

 

 

「も〜〜うるさい事言うなら帰れよ。」

 

 

プイっとそっぽを向いてそう言うと、ヒロは盛大な溜息をついた。

 

 

「も〜〜〜大きな赤ちゃんがいるよ。」

 

 

「赤ちゃんって!」

 

 

「よちよち、いい子でちゅね〜〜。ちゃんとおねんねしてください〜。」

 

 

僕を寝かしつけようとトントンと叩くヒロはすっかり得意顔。

 

 

「オレね、甘えた大ちゃん、スッゲ〜好き!」

 

 

ニンマリとだらしない顔で笑う。

 

 

「もぉ・・・。」

 

 

余計に頭痛が酷くなりそうなセリフに、僕は完全に負けた。

 

 

「うつっても知らないからね。」

 

 

「うん。大丈夫。」

 

 

マスクを指差してニッコリと笑う。そんなマスク1枚で本当に予防になるかなんて怪しいものだけど・・・。

 

 

「ね、大ちゃん、お腹すかない?オレね、いろいろ買ってきたの。」

 

 

「いいよ、そんなに食欲ないし。」

 

 

「そうでしょ!おかゆ!作ってあげるね!!あとね、大ちゃんの好きなイチゴだよ〜〜。これなら食べれる?」

 

 

「イチゴぉ・・・食べたい。」

 

 

「うん!洗ってくる。」

 

 

ヒロはイチゴを持って立ち上がるとキッチンに行ってすぐに戻ってきた。

 

 

「はい。」

 

 

僕を軽く起き上がらせてからイチゴを一粒差し出す。僕はヒロの手からイチゴに齧り付いた。

 

 

「おいしい?」

 

 

「うん。おいしぃ〜。」

 

 

やっとまともな食べ物にありつけたような気がする。

イチゴっておいしい。初日にアベちゃんが大量のレトルト食材を持って来てくれた後、僕はレンジで温めるものしか口にしてなかったから、久し振りの新鮮な食べ物。あぁ、ヒロってホントイイ男!涙が出ちゃいそう。

 

 

「良かった、食べられそうだね。」

 

 

僕の様子に安心したのかヒロはイチゴのパックを僕に手渡した。

 

 

「おかゆ、作ってくるからあったかくしてるんだよ。」

 

 

そしてそのまま・・・チュッて!!

 

 

「ヒロっ!?」

 

 

マスク越しとは言えキスするなんて、ホントにうつってもも知らないからね!

 

笑いながらキッチンに向かったヒロに、こっちの方が熱が上がりそうなんて思いながら僕は受け取ったイチゴを食べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もしかしてヒロってかなり生活力あるのかも・・・なんて思い始めた一日の終わり。あの後ヒロの作ってくれたおかゆを完食してヒロとポツポツ話をしてる間に僕はまた眠ってしまったらしい。起きるとヒロが部屋の隅で台本を読んだ格好のまま寝ていた。

 

 

忙しいのに、来てくれたんだ・・・。

 

 

誰にも会えないこの3日間、熱のせいか心細くって、でも誰かにうつしちゃいけないのは解ってたから来てとは言えなくて、でもずっと呼んでた、ヒロの事。

ホントはもっと早くに来たかったんだよってさっき言ってたヒロ。一応舞台の事も考えて、感染率の低くなるのを待ってたんだって。通し稽古が本格的に始まる前なら時間があるからって。

優しいよね、ヒロって。

僕はこんなヒロに出会えて良かったってほんとに思う。ヒロが僕を好きでいてくれて、良かった・・・って。

 

年明け早々からこんなことになって、今年はついてないなんて思ってたけど、こんな気持ちを改めて感じる事が出来た事は、いいことなのかもしれないなんて思う。

インフルエンザにも負けない僕のコイビト。

もしかしたら本当に何も考えてない単なるバカなのかもしれないけど、僕への愛のが勝ったって考えてもいいよ、ね?

大丈夫、もしヒロがインフルエンザにかかったら、今度は僕が看病してあげる。1回かかってるから、もう大丈夫だもんね。

 

僕は寝ているヒロに毛布を掛けてあげようとそっとベッドを抜け出した。

体が軽い。楽になってる。クスリのお陰か、ヒロのお陰か解らないけど、さっきより随分楽になってる。

 

 

「ヒロ、ありがと。」

 

 

落ちかけの台本をそっと抜き取って毛布を掛けてあげる。

 

 

「ん・・・?」

 

 

ピクリと身体を揺らしてヒロが薄く目を開ける。

 

 

「だい、ちゃん・・・。」

 

 

「風邪ひくよ。」

 

 

毛布でそっとヒロを包んであげながらそう言うと、突然ヒロがガバッと身体を起こした。

 

 

「大ちゃん!寝てなきゃ!!フラフラ歩いちゃダメだよ!」

 

 

「うわぁっ!ちょ・・・ヒロ!」

 

 

僕を寝かせようとするヒロにストップをかけて、さっきより随分楽になってることを必死に説明する。

 

 

「でも過信しちゃダメだよ!」

 

 

過保護な言い分に僕のが根負けして、すごすごとベッドに戻る。

もうこれじゃあ迂闊に風邪なんかひけないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局次の日、僕の家から稽古場に直行したヒロは最後まで僕を甘やかして、バカの証明をして見せた。

 

 

「大ちゃん、おかゆとおうどん作っておいたから温めて食べるんだよ。やけどしないようにね。」

 

 

「うん、ありがと。」

 

 

「あと、冷蔵庫に果物とポカリ、たくさん入れといたから。あ!それとも1本こっちに持ってきとく?」

 

 

「あ・・・大丈夫、取りに行けるよ。」

 

 

「ちゃんと薬飲んで、寝とくんだよ。ちょっと良くなったからって起きてちゃダメだからね。」

 

 

「うん、解ってる。」

 

 

「帰りに寄るけど、何かあったらすぐ連絡して。大ちゃん1人おいてくの、なんか心配なんだよ〜。」

 

 

「大丈夫だって。」

 

 

「ほんと、無理しないでね。・・・行って来ます。」

 

 

「ん、行ってらっしゃい。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ!!オレ、休憩の時電話するけど、寝てたら起きなくていいからね。」

 

 

「もぉ、大丈夫だから。稽古遅れちゃうよ。」

 

「・・・ん・・・。じゃ、行ってくる、ね。」

 

 

「うん。行ってらっしゃい。気をつけてね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それと!冷えピタ買ってあるから使って!!」

 

 

「大丈夫だからっっ!ホントに!!」

 

 

「・・・行って、きます・・・。」

 

 

「行ってらっしゃい!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「後ね!!」

 

 

「も〜〜!!早く稽古行けってっっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、やっぱりバカだったらしいヒロはピンピンしてて稽古に奮闘中。

薄情にも初日にレトルトを大量に持ち込んで、うつされたくないから帰るわって帰っていったアベちゃん。僕の家に来なかったのに、どこからかウィルス貰って来ちゃったんだって、新ちゃんが!!夫婦揃って唸ってるらしい。

 

『しばらく自宅謹慎』

 

メールの文字に僕が大爆笑したのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      END 20100119