<桜色>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

桜の季節は何故か淋しい。

幼い頃の記憶だろうか、出会いよりも別れの記憶の方が鮮明に浮かぶ。

散り行く花びらのせいだろうか、気持ちの欠片が一枚、また一枚と失われて行くような・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒロ。」

 

 

柔らかい声で名を呼ばれ、見上げていた桜の木から視線を移す。

川沿い、鮮やかに咲き誇る花びらのアーチ、視界を桜色に染める。

柔らかな日差しの中、既に随分と先に進んでいた彼がオレの不在に気付いたのだろう、振り返りオレを呼んだ。

 

 

「見蕩れちゃうよね。」

 

 

嬉しそうに小さく駆け寄って来ながらそう感嘆のため息を漏らす。

彼は、至極当然のようにオレの隣に並び、再び歩き始める。

 

手を、繋ぐ事はない。

見上げるように後ろに組まれたその手は所在無いその手の行き場所を無理矢理に落ち着けているように見えて。

 

手を絡め合う事も厭わない関係だ。

抱き合う事もくちづける事も、本来なら厭わない関係なのだ、自分達は。

それがこの桜色の光の中、まるで恥らうように所在を無くして、ほんの僅かな距離を推し量っている。

 

 

「今日はお花見日和だね。」

 

 

散り始めた花びらを目で追いながら水面に映る鮮やかなその花を指差してみせる。

 

 

「ねぇ見て、ヒロ。」

 

 

子供のように乗り出した彼の後ろから彼の指差す水面を覗く。

 

 

「桜が映ってる。」

 

 

微笑む彼のその表情に思わずつられて微笑み返す。

さらさらと流れて行く花びら、それは水面に映った桜から散り行く花びらのよう。

 

 

言葉も交わさず見つめる、

水音、

風音、

混じり合ってさらさらと。

 

小さな声はポツリと言った。

 

 

「きれい・・・。」

 

 

彼は、淋しくはないのだろうか。

このきれいな花はどこかせつない。

きれい過ぎてせつない・・・。

柔らかなその色合いは記憶の輪郭をあやふやにし、ひとつ、またひとつと鮮やかなはずの色彩を遠く時の彼方へと散り逝かせる。

噎せ返るような桜の花は今いる自分をも曖昧にし、貴方さえも曖昧にし・・・。

 

 

「ヒロー。」

 

 

いつの間に離れていたんだろう、桜色の彼方で彼が呼ぶ。

 

オレは駆けて駆けて・・・。

 

 

「大ちゃん・・・っ。」

 

 

曖昧になる境界線を掻き抱いた。

 

やがてじんわりと伝わってくる温度。

小さく脈打つ緩やかな鼓動。

重ねて、抱いて・・・。

 

 

「どうしたの?」

 

 

水音、風音、小さく尋ねられた声。

ふんわりと香るシャンプーの香り。良く知る馴染みの・・・。

 

 

「ヒロ?」

 

 

身じろぎもせず、声だけが返る。

優しく柔らかな貴方の声。

どこかに消えてしまいそうで怖くて、怖くて。

 

 

「苦しいよ。」

 

 

苦笑を漏らし軽く腕を叩かれて、それでも貴方を離す事は出来なくて。

 

 

淋しくはないのだろうか、怖くはないのだろうか。

輪郭を奪って行くこの花に、そんなに心を傾けて、魅せられて魅入られて貴方は遠くに消えてしまいはしないのだろうか。

桜色の光は総てを飲み込むように・・・ただ、まばゆくて。

 

 

水音、風音、腕の中から空を見上げる彼。

別れの記憶はまだ鮮明に、この胸に息づいて。

 

 

「きれいだね。ほら。」

 

 

手のひらを開いて舞い散る欠片を受け止めて柔らかく笑う。

オレは身じろぎも出来ないまま、淋しくて、苦しくて、曖昧に消えて行きそうになる境界線を掻き抱いて・・・。

 

何処へも行かないでとただその一言が言えないまま、愛しさを飲み込んでじっとせつなさが零れて行くのを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

END20100405