<Moon Drop>
時折、自分でもどうしていいか解らない切なさや苛立ちに襲われる。
誰かを、無性に人恋しくなって、訳もなく叫びだしそうになる。
胸に膨れ上がる、飢餓感にも似たこの気持ちを持て余して、一人の時間をやり過ごす。
誰かそばにいて。
誰かオレに触れて。
誰かオレを、愛して・・・。
本当に欲しい温もりはたったひとつ。
本当に満たされる温もりは、ただひとつ。
静かな夜。
昼間の暑さを忘れさせてくれるような、夕暮れ。
穏やかな時間はすぐそばにあって、身を焦がすような熱さの後に、不意に訪れる。まるでこの夜のように・・・。
シャワーを浴びて出て来ると、薄暗い部屋の中からかすかに聞こえる哀しげな旋律。濡れた髪を拭きながらそっと近付く。
一足先にシャワーを浴びた彼が、バスローブにまだ濡れた髪のままでシンセを弾いている。
最近、この部屋に彼のものが増えてきた。シンセもそのひとつ。
彼のスタジオほどではないけれど、一応軽めの録音機材も揃っている。
旋律を思いついた彼がすぐにそれを形に出来るように。
何よりも、ここが彼にとって自由に安らげる場所であるように・・・。
開け放してあるベランダの窓に吊るされた風鈴が、彼の旋律の上で軽やかに踊る。
これも彼のもの。
スタジオに篭りきりになる彼は季節を大事にする。
スタジオに置いておいても意味がないからと、ここへ持ってきた。
風鈴としては小さ過ぎる音色。それでも耳のいい彼にはこのくらいの音が心地良いのだという。
「ヒロの家は風が気持ちいいから。」と小さく軽やかな音色の風鈴は、オレの家のベランダに納まっている。
開け放した窓から惜しげもなくその旋律を響かせる。
彼の奏でるピアノが好きだ。どこか切なくて、どこか哀しくて、ひっそりと身を委ねていたくなる。こんな夜のように・・・。
鍵盤から離れた指をその目で辿って、残りの距離をゆっくりと埋める。
「きれいな曲だね。何の曲?」
彼は小さく笑って、シンセの電源を落とした。
座ったままの彼の髪は調度オレの腕の中に収まるところ。その髪にそっと触れる。
「風邪、ひくよ。」
オレは自分のバスタオルで彼の濡れた髪を優しく撫でた。彼はおとなしく、されるがままになっている。
静かな部屋に風が通り抜けるたび、小さな音色を響かせる。乾いた髪を軽く整えているとポツリと彼が言った。
「月がね、とってもきれいだったの。」
そう呟いた彼の視線の先に浮かぶ月。開け放たれた窓から覗いている白い光。
「月って僕みたい。太陽の光がないと輝けない。冷たくて淋しい星。」
真っ直ぐに白い光を見つめて彼が言う。冷たい月の光に照らされたその横顔がなんだかとても淋しそうで。
消え入りそうに儚い彼の肩をそっと抱きしめ、見下ろした先の金色の髪を撫でる。
「本当に淋しいのは太陽の方だよ。」
月の光に囚われていたその視線をこちらに向けて、言葉の真意を探ろうとする。
「月には人が降りられたでしょ?一人じゃないよ。
だけど太陽は、誰も近付けない。どこまでいってもたった一人。孤独な星だよ。」
風に揺れるその髪を優しく撫で、笑ってみせる。
孤独な太陽。
その明るさに惑わされて、誰にも一人だという事に気付いてもらえない。
総ての中心にいて誰とも触れ合えない。多くの星を従えながら、多くの星と触れ合えない、孤独な星。
金色の髪を撫でるオレの手に、彼の白い手が重なる。そのままきゅっと握り締め、その身体をオレへと預けてくる。
「それじゃあ僕がいてあげる。」
静かな部屋に響く言葉。
「一人になんてさせないよ。」
小さな、小さな声で告げられる想い。
「だから僕の凍えた身体を温めて・・・。その熱い熱で僕に一人だと思わせないで。」
潤んだ瞳でオレを見上げる彼の白い肌。その頬を両手でそっと包む。
膝を折り、彼の視線を覗き込む。
節目がちに視線を逸らして、しかし、力強く言う。
「ずっと・・・ずっとね。」
頬に差す朱を愛おしく感じる。
小さく揺れる風鈴の中で、そっと彼の頬に熱を灯す。
伏せていた瞳を嬉しそうに細めて、見上げる彼の口元に新たな熱を灯す。
そっと、優しく、熱を灯す。
「ずっと・・・ずっとね。」
触れ合うまつげに唇を寄せて、灯った熱を分かち合う。
一人では凍えてしまうから
。
預けられた温もりの確かさに安堵する。
柔らかな金の髪をその手で梳いて、心に誓う。
永遠に。
軽やかな鈴の音は、灯した熱をそっと凪いでいく。
この静かな夜に
。
END