<Midnight  Fish>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大ちゃんはオレの声を重ねるのが好きって、前にどこかで言ってた。

ヒロの声はどんなに重ねてもひずまないんだよねなんて、あの柔らかな笑顔で言われちゃったらオレだって悪い気はしないし、そういう事なら・・・なんて無駄にやる気だって出しちゃう訳で。

その辺を心得てるかれこれ人生の半分を一緒に過ごしてきたこの憎きコイビトは、その笑顔ひとつでどんな無理難題だって押し通す。

そしてオレはいつだってその実ヒィヒィ根をあげながら結局彼の思うまま。ヒロスゴォイ!だのカッチョイイ!だの言われてそれまでの苦難もなんのその、また同じように彼の罠にはまるんだ。

オレにだって一応プライドもあるし、意地だってあったりするもんだから余計にややこしい。

 

 

オレって学習しないな・・・って言うか、彼の方が一枚も二枚も上手なんだって事か?

 

 

結局オレはまた彼の無理難題にはまってこうしてスタジオの金魚鉢の中。

トークバック以外に外の世界と繋がる術をもたないこの部屋からは難しい顔をして首を傾げる彼の姿しか見えない。

パクパクと会話を交わす姿を金魚みたいだなんて、自分の方が金魚なんだろうに思ってみたりして。

 

読唇術でも習得したら外の世界とも、彼がこの瞬間何を話しているかも解るんだろうけど、結局のところその会話を解読出来たところで話の内容なんて数字の羅列で解りはしないんだろう。だから無駄な労力は使わないことに、もう随分昔、彼とこういう関係を始めた時に決めた。

 

最初は不安だった、何を言われてるのか。

だからホントに最初の頃はいちいちブースから出てその話し合いを聞いたりもしたけど、解らない数値の話の合間に出てくる自分の名前に余計に不安が増すだけだと言う結論に至った。

それ以来、オレは一人、金魚鉢の中の金魚を決め込む事に決めた。

今ではこの場所に一人でいる時間にも慣れて、逆に心地良いくらいだ。

 

ここにはオレのアイデンティティが詰まってる。

オレのいるべき場所。

とは言え、これは・・・。

オレはまたしても彼の罠にまんまとはまっている。

 

そんな笑顔で鬼みたいな事、平気で言うんだもんなぁ。参るよ。

コーラス?

え!?さらに3度も上げるの?超音波、モスキートーンだって!!

しかもどんだけ重ねるんだよ!!

6って・・・もちろん簡単なメロディじゃ、ないんですよね・・・。

 

 

「ヒロぉ歌える?」

 

 

インカムに急に聞こえた彼の声。この言い方はやな予感。

 

 

「あのね、Bメロちょっと変えたいんだけどぉ。」

 

 

やっぱり。

さすがにこれだけ長い付き合いになると彼が次に何を言うかくらいは予測がつく。

 

 

「流すね。」

 

 

・・・な、何ですかっコレ!!

 

 

彼の無茶はいろいろと聞いてきたけど、今だってもう既にかなりの無茶なんだけど、その上、コレですか。あなたって人は・・・。

 

ガラス越しにいる彼と目が合って、きっと彼もオレの気持ちなんてお見通しで。

 

 

「ヒロなら歌えるよね。」

 

 

先手を打つようにニッコリ笑って言う。

 

 

「さっきのより絶対こっちの方がカッチョイイよ。ヒロの声聞いてたらこっちのメロディが急に出て来ちゃってさ。」

 

 

そんな事言われても・・・。

 

 

「ヒロの声ってすっごいイマジネーションが湧く。カッチョイイんだもん。」

 

 

アーメン。

 

 

「・・・こっちの方がカッコイイよね。OK。流してよ、覚えるから。」

 

 

「うん。」

 

 

オレはやっぱり罠にはまっている。

 

 

確かに変えた後の方が格段に良いのは解るんだ。

他の人から見たらたいした事のない差なのかも知れないんだけど、彼はそういうところにまでこだわる人で、オレも彼のそういうところを尊敬するし、自慢もしたい。

 

音に対して絶対の信頼がある。彼の作るものに疑いも余分も挟む余地はない。

作り込まれた総ての音に意味がある。そんな中ではオレの声ですら音のひとつでしかない。

彼の望む音を出せなくてどうするって言う意地と、彼の望む以上の音色を見せ付けてやりたいと言うプライドと。

 

声は1音色だけじゃない。

このひとつだけでクリアな音もひずんだ音も強さも弱さも何もかもが表現出来る。

そして単に『鳴る』だけではないものも。

彼が音の中に込めた総ての音色をオレは表現出来ると、これだけは自負している。オレを選んでくれた彼への自負だ。

だから負けられないんだ。

彼のどんな無理難題にもオレにだから言う、彼なりのわがままだと知っているから。

 

 

所詮惚れたもんの負けなんだ。

彼の音に、彼に思想に魅せられたオレの負け。

 

 

だって仕方ない、1番気持ちいいんだ、1番解るんだ、音の持つ意味、重ねられた声の意味。

彼の音が1番しっくりくる、それでいて1番新しい。

刺激に溢れててオレを捕らえて離さなくて、そのくせ何処へでも行かせてくれる、何処へでもついて来てくれる。

 

だから、仕方ないさ、殺人的なメロディラインだって歌ってみせるよ。

彼が嬉しそうな顔でカッチョイイって、ヒロにしか歌えないよなんて言ってくれちゃうなら、見栄でも意地でもなんでも張ってやるよ。

 

 

「OK、歌えるよ。」

 

 

ガラスの向こう、頷いた彼に任せなさいとVサイン。

殺人的なメロディラインだって無理難題のわがままだってこのオレにかかれば。

 

 

惚れた弱み?

言ってろよ。

オレ以外に誰が聞ける?

彼の難解な思考を満足させられる奴が他にいる?

コレはオレだけの特権。

 

しょうがない、惚れられた者の宿命。

彼の期待に応えるのがオレの役目。

彼の期待を裏切るのがオレのプライド。

 

嬉しいじゃない?それだけオレの事信頼してくれてるって事だろ?

それを無視しちゃ男が廃るってもんだよ。そうだろ?

 

 

ガラスの向こうからグーサインを出してる彼の笑顔。

ホラね、こんな顔されちゃあ、仕方ないよね。

オレは金魚のように口をパクパク。

 

 

“もう一回、歌う?”

 

 

人差し指を立てて聞いた。

 

まだまだこれから活動時間の彼の目はらんらん。またオレに罠を仕掛けようとワクワクしてる。

付き合いますよ、えぇえぇ、何処までも。

 

 

あなたを満足させられるのはオレだけだって証明してみせる。オレの闘争本能に火をつけるのはいつだってあなたのこの音だから。

 

 

「もう1テイクちょうだい。」

 

 

彼の声がインカムに響く。

オレは軽く咳払いをして喉の調子を確かめた。

 

それは25時7分の出来事。

 

 

 

 

 

 

 

 

     END 20100518