<この世の果て>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暗い車内にポツリとオレンジの灯りが点る。

プットタバコを吸いつける音がして博之は目が覚めた。

 

 

「ゴメン、寝てた。」

 

 

かすかなまどろみの中から声を出すと、オレンジの灯りは一度膨れ、その後小さくなる。

 

 

「別にいい。疲れてるんだろ?稽古。」

 

 

「・・・まぁ、ね。」

 

 

欠伸を噛み殺し、目を擦りながら答える。

 

正直、博之の時間じゃない。年明けのその瞬間を一緒にはいられない彼がその代わりにと言い出した事。      初日の出が見たい。

一年の慶は元旦にあり、そんな言葉を持ち出され、車を走らせた。とは言え、人の目を気にしたのか、それともただ単に自分の予定を優先した結果なのか、元日をゆうに過ぎ、もう初日の出ではとうになくなってしまっているのだけれど。

 

実際、彼は結構古臭いのだ。生まれ育った土地のせいもあるかも知れないが、人造とは言え金髪碧眼なのに古式ゆかしき行事を欠かさない。正月に行けば、餅を食えと言われるし、粥、お汁粉と、それは続く。例えそれがお湯を注ぐだけのものであろうと、だ。

 

彼の家にいるのは祖父母の家を思い出させる。こんな事を言うと本人にはふざけるなと殴られそうだが。

 

海の見える高台に車を止め、ヒーターのモーター音が微かに唸る闇夜。夜明けにはまだ間がある。この時間が活動時間の彼は黙って明けない空を見ている。

博之が喫煙を止めてからめっきり禁煙車になった車内に気を使ったのか、煙を逃がすために薄く開けた窓から流れ込んでくる冷気にブルッと身を震わせる。

 

 

「寒い?」

 

 

気付いた彼が博之に問う。

 

 

「ん、大丈夫。」

 

 

寝起きの身体には少々冷たすぎたが、眠気を追いやるには調度良いかと、閉めようとしていた大介に笑って見せた。

 

オレンジの灯りが深呼吸をするように動く。この暗闇の中で唯一の明かり。その明かりを黙って見つめる。

ぼんやりと照らされた大介の顔に博之は見惚れていた。

 

 

「何?」

 

 

その視線に気付いた大介が問う。

 

 

「さっきから。」

 

 

訝しんだ表情で博之を見た大介は、もはや彼専用のようになっている吸殻入れにタバコを揉み消した。

そこに彼以外のタバコが入る事はない。もしかしたそういったことがあるのかも知れないが、大介はそれを見たことがない。

いつもキレイに、誰にも使われていないかのようにそこは空いている。

もし、他にも使うものがいるのだとしたら、それはかなり抜かりのない行動だと大介は思う。

自分以外の吸殻があった時、自分がどんな感情を抱くのか、大介には想像が出来ない。

 

きっとそんな事は永遠にないと思うから。

 

フェミニストな彼がそんなヘマを犯すとは到底考えられない。

浮気なら、双方に上手くやるだろう。本気なら・・・自分はもうこの車には乗っていないだろう。だから吸殻の行方なんかには興味がない。

 

大介の揉み消したタバコを名残惜しそうに見ていた博之が小さく漏らした。

 

 

「タバコの火、好き。」

 

 

「なに?また吸いたくなった?」

 

 

ニヤリと笑って言う彼に違うよとやんわり言って博之は笑った。

 

 

「こんな真っ暗な中にいると、なんかたったひとつの灯りみたいな気がする。」

 

 

明かりの消えた、薄く月明かりの入る車内で博之は呟く。

 

 

「寄る辺ない僕達は永遠に夜の底・・・なんだっけ?」

 

 

「なにそれ?」

 

 

「なんかで読んだ気がしたんだけど・・・忘れた。」

 

 

思い出そうとする博之の傍らで大介は新しいタバコに火をつける。

 

 

「その灯り・・・大ちゃんみたいだ。」

 

 

思いがけない博之の言葉に大介が目をむく。博之は大介のつけたタバコの灯りを嬉しそうに見ている。

 

 

「時々・・・不安になるんだ。真っ暗な闇の中にいると、もしかしたらこの世に自分1人なんじゃないかって。」

 

 

タバコの灯りを見つめたまま博之はポツリと漏らす。

 

 

「いろいろあったからさ・・・トラウマかな。」

 

 

そう言って笑う博之の顔にはいつの間にかシワが深く刻まれている。

 

思えば長い年月を越えてしまった。こんなに長い付き合いになるとは、正直思っていなかったような気がする。

いや、どこか予感めいたものはあったのかもしれない。恐らく一番最初にこの瞳に出逢った時に。

ただ、こんなにも深い時間を越える事になろうとは、考えてもみなかった。こんなふうな時間を共有することさえも。

 

長い時間は互いにトラウマを生み、永遠という存在を手放しで喜べるような純粋さを失わせはしたものの、それでもここにある体温がゆるぎないものだと信じるくらいには、まだ夢も希望も失わせずにいてくれた。

 

寄る辺ない・・・そう博之は言った。

確かにその冷たさを自分達は覚えている。決して埋めることの出来ないパズルのピースのように、それはまだここにある。

 

 

「世界の終わりって・・・こんな感じなのかな。」

 

 

チリチリと燃えるタバコのフィルターが短くなる。

 

 

「爆発が起こったり、隕石が降ってきたり、ものすごい特別な事が起こるって言われてるけど、ホントはこんなふうに気付いたら真っ暗で誰もいなくて、一人、取り残されていくのかな・・・。」

 

 

「アガサ・クリスティ?」

 

 

「え?」

 

 

「そして誰もいなくなった。」

 

 

「アレは、殺されてくじゃん。」

 

 

「殺されて行くんじゃないの?神の見えざる手で。」

 

 

そう言って大介はタバコをジュッと揉み消した。

薄く開けていた窓を閉めると途端に音がなくなり、余計に2人を孤立させた。

 

 

「・・・静かだね。」

 

 

車内に響く博之の声。闇に飲まれるように消えて行く。

小さく大介はため息をつく。

 

 

「殺されたいの?」

 

 

闇の中で動く気配。

 

 

「最後の1人になる前に、殺されたい?」

 

 

シンと静まり返る車内。ヒーターのモーター音が絶え間なく続く。

 

 

「死に行く恐怖と取り残される恐怖。どっちが幸せなんだろうね。」

 

 

「どっちが・・・?」

 

 

薄く差し込む月明かり。答えの出せない問いを投げる大介の頬を冷たく照らす。

 

 

「どっちも、1人だよ。」

 

 

ひっそりと、吐息のように吐き出される言葉。

 

 

「人はね、1人なんだよ。どこまで行っても・・・。」

 

 

「大ちゃん・・・。」

 

 

薄い月明かりの下では、きちんと彼の表情を読むことが出来ない。

彼は泣いているんだろうか、それとも、怒っているんだろうか。

 

孤独の時間を味わった自分達は、1人というものをイヤというほど知っている。そして2人でいる事の嬉しさも、淋しさも・・・。

人は1人ではいられない。けれどひとつにはなれない。

埋められないパズルのピースは、いつでもその事を思い知らせる。

 

 

「ねぇ、ヒロはどっちがいい?」

 

 

「オレは・・・。」

 

 

博之には答えられない。

死んでいくのも取り残されるのも、どちらも博之には選べない。どちらがより幸福なのかも。

ただ解っているのは、そこに大介がいなくなるということ。

だからどちらも選べない。

生に執着したいとも思わない。死を急ぎたいとも思わない。

ただどんな形であれ、結果は同じなのだ。共にいられない・・・。

それ以上でもそれ以下でもないのだ。

世界は・・・、ただそれだけの事。

 

 

「大ちゃんが選んでよ。」

 

 

博之は選択権を放棄する。大介は疲れたように薄く笑った。

 

 

「ズルイね、ヒロは。」

 

 

静まり返った車内に大介の呟きが落ちる。

 

 

「うん。ズルくて・・・いいよ。」

 

 

暗闇の中、どちらからともなくそっと重ねる手。じんわりと温かい。

ヒーターのモーター音。

切り離された世界。

平行線。

孤独な2人。

 

 

「まだ、明けないね。」

 

 

「そうだね。」

 

 

いつ果てるとも解らない世界。暗闇は途切れることを知らない。

絡めた指先の温度だけを頼りに、2人は黙って明けない空を見ている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     END20100103