僕はきっと家族が欲しかったのだ。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<Family>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大ちゃん。」

 

 

声を投げて寄越していつもの合鍵で入ってきた彼は今日もラフな緩めのデニムにTシャツ。汗を滲ませたというより滴らせ、それを手の甲で拭いながら顔を上げた。

 

 

「また走ってきたの?」

 

 

最近は日課のようになってしまって驚く事も少なくなったけれど、今日はさすがに呆れて聞いた。彼は「うん。」と弾ませた息のまま答え、なおも汗を拭う。

 

 

「朝から元気だねぇヒロは。」

 

 

呆れた声音で返してみても彼はニコニコと笑うだけで自分の行動に疑問は持たないらしい。

 

 

「もう昼だよ大ちゃん。」

 

 

起き抜けの自分にとっては時間が何時であろうと朝という認識なのだが、恐らく規則正しい生活をしてるのだろう彼は僕の言葉にケラケラと笑った。

 

日頃から運動を欠かさない彼は回復するのも速い。さっきまで弾ませていた息は既にいつもと変わらないものに戻っていた。

シャツをつまみパタパタと風を送りながら彼愛飲のミネラルウォーターをごくごくと喉に流し込む。

 

彼はなんだってこんなふうに何もかもが絵になるのだろう。

ベッドから出て間もない自分と彼とはあまりにも違いすぎる。

流れる汗ですら清々しく感じるのは自分がこの男に相当イカレてるという証なのだろうか。

中学生じゃあるまいし。

憧れの運動部員にキャアキャア言っていた女子と同列になったようでうんざりする。

煌く汗がカッコイイなんて所詮少女マンガの世界に過ぎない。いくら好きな男のものだってそのまま抱きつかれたら不快でしかない。そして恐らくこの男はそういう事をしでかすはずで。

 

 

「シャワー浴びて来れば?」

 

 

水を飲み下していた彼に声を掛けると驚いた顔でこっちを見た。

 

 

「いいの?」

 

 

その目が何を言いたいのか、聞かなくても解る。

 

 

「そういう意味じゃない。」

 

 

じろっと睨んでやってそれからため息をついた。

 

彼がこんな時間にここでシャワーを浴びるのは大抵そういう事があった後で、シャワーを浴びない事には真っ当な世の中など歩けるような状態でいないせいだ。

なんとも不埒な事をしていると思う。その事に最初はほんの少し罪悪感のようなものを感じていたはずなのだが今となってはそんな意識も薄れた。

きっと彼もそうなのだろう。彼の言う昼間からそんな事を口にすると言う事はきっとそうなのだと思う。

 

彼の思惑をキッパリと否定しておいて改めてシャワーを進める。

とりあえずサッパリして来いと思う。目の前でこうもダラダラと汗を流されたら鬱陶しい。ただそれだけだ。

 

 

「大ちゃんも浴びる?」

 

 

性懲りもなく誘ってくる奴の尻を蹴りだしてバスルームへと追いやると自分も眠気を払うために顔を洗った。

 

安息の時間はこうして破られる。

生活時間のズレた自分達は日が高く上がってから一日が始まる。とりわけ昼夜逆転している自分にはそれでも早く感じる。

この男と暮らすのは自分の捩れた時間軸を直す事から始めなくてはならない。もしくはこの男を自分の時間軸に引きずり込むか。

その労力を払うのが面倒だとお互いに思っているのだろう、ズレた時間を直す事もなく、いやむしろそのズレは次第に大きくなりながら今に至る。

出逢った頃は否応なしに同じ時間を進んでいたのに不思議だと思う。

最もあの頃はいつが朝でいつが夜なのか解らない生活だった。根本からズレていたのだからそれ以上ズレようもないというものか。

 

 

眠気を払った名残が髪を伝う。

ぺたりと張り付いた前髪を指先でほぐしてパサパサになった自分の髪を恨めしげに鏡越しに見つめる。

 

 

また染めなくちゃ・・・根元に混ざる黒を見てとってぼんやりと思う。

 

 

染め過ぎだよと未だ健康な髪を持つ彼は言う。

自分だって結構染めているはずなのに染め過ぎは良くないよとか尤もらしく言ってきたりする。たまには茶色いのも見たいだとか、昔みたいなさらさらな髪も好きだなとか宥めすかすように言う。

その言い分に逆らうように脱色を重ね、今ではもう彼の望む茶色に戻してやろうと思っても髪の方がそれを拒絶する。

金というより白に近くなった髪はもう何色にも染まる気はないらしい。スカスカとまるで捩れた時間軸のように元に戻ることはない。

 

鏡の中の自分を見つめているともわっとした湿気と共に件の男が顔を覗かせた。

 

 

「あれ?いたんだ。入ってくれば良かったのに。」

 

 

髪から雫を滴らせ、置いてあったタオルに手を伸ばすと乱暴に髪を拭いた。

ボディソープの香りが彼から零れる。

自分のものと同じ香り。

その事にほんの少し下半身がざわめく。

洗いざらしの少しクセのある髪、ライブの為と鍛え始めた上体は拭いきれていない雫で濡れている。

湿気で少し曇った鏡越しに目が合った。

 

 

「大ちゃんの匂い、する。」

 

 

目を細めて笑う彼に今しがた考えていた事を見透かされたのかとドキリとしたが彼は特にそれ以上は何も言わず、残った雫を拭い始めた。

 

昼日中、シャワーを浴びろなんて言った事を後悔した。

これが夜ならば、何の違和感も感じずに済んだのかも知れないのに、昼間というだけでどこか背徳的な、非日常のような気がしてしまうのはどこかおかしいのだろうか。

それとも、そんなふうに感じてしまうほどそういう事をしたという事か。我知らずそんな考えに直結させてしまうほど・・・。

 

自分の思考に軽い目眩を感じてため息をついた。

 

 

「スッキリしたか?」

 

 

不埒な気持ちを隠すようにわざとぶっきらぼうに言う。

やっと雫を拭い終わった彼は常にそこに用意してある彼専用のざっくしとしたデニムに足を通し、そのままぺたぺたと裸足の足音を響かせた。

 

 

「だぁいちゃん。」

 

 

案の定と言おうか、彼は後ろから抱き着いて、湿気の残る髪が頬と首筋に触れた。

 

 

「おはよ。」

 

 

ちゅっと軽い音を立てながら彼はいつものようにくちづける。

 

挨拶は、いつの間にかこれが当たり前になっていた。

もちろん人目を気にする商売だ、どこでもと言う訳にはいかない。

だからなのだろうか、彼は2人っきりの時には決してそれをかかさない。時間がいつであろうと、理由がなかろうと、何かしら口実をつけて触れてくる。

 

 

この男は基本淋しがり屋なのだ。

甘える事を当然として育ったこの三男坊は本人が自覚するより遥かにタチが悪い甘えたがりだ。スキンシップをやたらに取りたがる。

 

そもそもこの男は距離が近い。普通取るであろう他人との距離がないと言っても過言ではない。

最初はその事に恐ろしく戸惑ったが、気にする素振りを見せない奴を見て、あぁこれが奴にとっては心地よい距離なんだと、自分の居心地の悪さに目を瞑ってそう思った。

 

とかく世間は逆を想像するらしい。彼よりも自分の方が他人との距離が近いと思っているらしい。

 

露出の問題か、会話の多少か。

 

確かに彼は初めての場所などではそれこそ借りてきた猫のようだ。

散漫な注意、キョロキョロと周りを見回したり、かと思うとどことも知れない一点を見つめてボーっとしている。自由気ままな猫そのものだ。

それで何となく上手く行ってるんだからビックリする。

見た目がいい奴はいるだけで様になる、その事を恨めしく思う事もある。

自分なんか、しゃべってナンボだ。相手の顔色を伺い、気分を害さないように熱心に相槌を打って、それでようやく自分という商品が成り立つ。

僕はこういうものですよと丁寧に説明してみせる。それは決して本来の自分じゃない。本当の自分はそれとは真逆で相手との距離を詰めようとも思っていない。

 

自分の中に入り込まれるのは好きじゃない。

だから予め別に用意しておいた部屋へ他人を通し、それが総てだと思わせる。こんなにも総てを曝け出しているよとちょっと恥ずかしいような顔をして。

そんなものは実はたいしたことなどない。

そんなもの見られたところでどうって事はない。

予めそのために用意した場所だ。1ミリたりとも自分の本質に触れる事などない。

 

いや、全部が全部偽物だと言うわけじゃない。それだって自分の一部であることには変わりないのだし、総てが嘘をついているわけではない。

ただ毎日身体を洗えば落ちる垢のような部分に過ぎないだけだ。

細心の注意をはらってその垢の部分を総てだと思わせているだけだ。

本当の自分は決して見せない。存在の気配さえ感じさせない。

それだけだ。

 

この男にも最初はそうだった。だからあまりにも近すぎるその距離に不快を感じた。

けれども段々バカらしくなってきた。諦めるのは早かったような気がする。

 

この男は何も考えてなどいないのだ。

最初こそほんの少し警戒するけれど、そのほんの少しの間に嗅ぎ分けるのだ。本能、と言ってもいいと思う。自分にとって相手がどのようなポジションなのか、バカ騒ぎ出来る相手か、甘えられる相手か、この先、自分との関わりは、それこそ瞬時にして見極めるのだ。

 

なんて狡猾な生き物なんだ、彼を深く知るたびにそう思う。無意識なのが余計に腹立たしい。

 

この男は自分と言う商品の価値を実は誰よりもよく知っている。それなのにまるで愚鈍な振りをして周りを煙に巻いているのだ。

恐ろしい男。

ただひとつ誇らしい事は、そんな狡猾な男がこの自分を必要としてくれている事だ。

他の誰でもなくこの自分を最上の位置に置いてくれている。

彼の人生にとって必要不可欠だと、神が与えてくれた最上のパートナーだと公言して憚らない。

これほど誇らしい事を他に知らない。

 

 

粗く乾かした髪をくしゃくしゃと撫でながらバスルームを出て行った彼は開け放された窓の傍でまたしても美味しそうにミネラルウォーターを飲んでいた。

部屋に入ってきたこちらの気配を察して振り返ると今度はスッキリした顔で笑った。

 

 

「お風呂入るとさ、何で喉渇くんだろうね。」

 

 

屈託ない顔でこちらの答えなどまるで期待してなどいない。

素肌を晒したままの上半身。逞しく鍛えられたそのシルエットに目を奪われる。

太りやすい体質なんだと弱ったような顔で言う彼は同じ男の自分から見ても綺麗なバランスを維持し続けている。

そういうところは妙にストイックな男なのだ。

日の光の中で見るこの男には清々しいくらいの快活さがあって、いつも自分を組み敷いている時のような淫猥さは微塵も感じられない。

滑らかな曲線はアポロンの石膏のようにみずみずしい。まるで同一人物とは思えない。

 

夜の彼は・・・ありありと肉の質感まで思い出せる自分の記憶力の確かさに下半身がじくりと熱を持ち途端に淫らな渇望を訴えそうになる思考を払い落とした。

つい先日満たされたばかりなのに、自分の浅ましさに辟易した。

もし仮に目の前の男がそれを知ったら恐らくやに下がった顔で2度目のシャワーを浴びる事になろう事は容易に想像出来た。その事も腹立たしかった。

 

 

「上、着ろよ。」

 

 

「えー暑いじゃん。」

 

 

「一応芸能人なんだからさ、人目を気にしろって言ってんだよ。」

 

 

腹立たしさも手伝ってつっけんどんに言い返す。

 

 

「人目って、大ちゃんしかいないじゃん。今。」

 

 

笑う男に余計に腹立たしさが募って睨み返したが、すでに男はそのままの格好でごろりとフローリングの床に寝転がった。

 

 

「んーきもちー。」

 

 

大の字に手足を伸ばし目を閉じる。

こっちの気も知らないで、襲ってやろうかと足元に転がる男をじっと見下ろしたが、そんな事をしてもこの男を喜ばすだけなのでやめにした。

とりあえず今はそこまでの気持ちでもない。

それにそうしてしまえば今日の予定が大幅に滞る。

久しぶりの二人揃っての休日なのだ。どうせこの男の事だ、今日は泊まって行くつもりだろう。それならばそういう事は然るべき時間になってからでも遅いと言う事もないだろう。

日の光がある時はそれらしく、休日の午後を満喫したい。

昼日中からの爛れた情事と言うものに魅力を感じないわけではないけれども。

 

そんな事を考えているとフローリングの床をカツカツと軽快な足音が近付いて来た。

器用に鼻の先でドアをの隙間を抉じ開けて踊り込んで来たのは我が家の愛犬。

 

 

「ジョン。」

 

 

視線を合わせて改めておはようの挨拶をする。その様子を寝転がりながら見ていた彼の頭をジョンの尻尾がパタパタと叩く。

 

 

「オイ、ジョン〜。」

 

 

笑いながら頭を避けた彼の声にジョンは嬉しそうに振り返り彼の顔をベロベロと舐めまくった。

 

 

「ジョン、ちょ・・・!」

 

 

今ではすっかり仲良くなった彼はジョンにとっても最高の遊び相手と言う認識らしく彼が来ると嬉しそうにじゃれる。

大型犬にトラウマのあった彼にとっても産まれたばかりの頃からその成長過程を共に過ごして来たジョンは特別な存在らしかった。

大型犬と言う認識に結びつく前に段々と大きくなってしまった。気付いたら大きくなっていたと彼はジョンを撫でながらそう言った。

 

ベロベロと親愛のキスを受けていた彼にジョンは撫でろと手の下に頭を潜り込ませ、それでも飽き足らずゴロリと彼の素肌の上半身に擦り寄せるように腹を見せて、半ば枕にでもするかのように寝転がった。必然、ジョンの長く黒い毛は彼の身体に密着した。

 

 

「うわぁジョン。毛、暑いよ〜。」

 

 

ほんの数分前にシャワーを浴びてスッキリしたはずの肌に容赦ない仕打ちを受けて、けれどこれが犬にとっての愛情表現なのだと解っている彼はジョンを無下に追いやる事も出来ず、せっかく寝転んだ冷たいフローリングの床を諦めて上体を起こしたがジョンもすばやく起き上がり素肌の彼の肌に両手をついて遊んでくれるのかと喜んだ。

 

 

「痛いよージョン。」

 

 

せめて素の肌から手を外させようとしたが、ジョンはそれを遊んでくれているのだと勘違いして、彼はついに弱りきった顔をしてこちらを見上げて情けない声をあげた。

 

 

「大ちゃ〜ん。」

 

 

その情けない顔に思わず吹き出す。

弱りきった彼のその顔はもう一匹のでかいワンコのようで、先程まで感じていた苛立ちも欲求もあっと言う間に吹き飛ばす。

 

 

「だから服着ろっつっただろ。」

 

 

じゃれつくジョンを呼び寄せて彼に上着を放る。

バツの悪そうな顔でもぞもぞと上を羽織るのを見届けながら入り口で待っていたもう一匹を呼び込む。

同じように挨拶を済ませるとふいに興味を無くしたのか離れて行く彼女はあぐらをかいたままこっちを見ていた彼の元へと歩み寄った。

 

 

「おーアニー、元気だったか?」

 

 

目尻を下げて語らう彼の姿に思わず笑みがこぼれた。

 

 

正直、こんなに慣れてくれるとは思っても見なかった。

確かに彼がここへ来る以上避けては通れない事ではあったが、同じ空間にいるのがせいぜいだと思っていた。

それほどまでに彼のトラウマは酷かったのだし、いつだったか撮影で大型犬が来た時も決して目を合わせようとしなかった。神経をビンビンに張り巡らせて充分な距離を維持し続けた。

あれほど引き攣った彼の顔を見た事がない。それこそ1番最初にステージに立った時よりも酷い顔だった。

そんな彼が、こうして我が愛犬達と戯れる日がこようとは、それこそ彼とこの子達を引き合わせた時には夢にも思わなかった。

 

挨拶を済ませたアニーが自分の落ち着ける場所に寝そべるとそれを待っていたかのように再びジョンがじゃれつきに行った。

さすがにもう子犬ではなくなった彼は、その容貌とは裏腹に行動だけは子犬のままだ。

手加減のない体当たりのスキンシップによろけながらも笑う彼はすっかり愛犬家の顔だ。

 

 

「ねぇ、ジョン、体力有り余ってない?」

 

 

苦笑しながら聞いてくる彼にそういえばとここ最近の雨と立て込んだスケジュールを思い出す。

 

 

「お散歩、行きそびれてたからね〜。」

 

 

「あぁ雨降ってたしね。」

 

 

そればかりのせいではないけれどそのまま黙って頷くと彼はジョンの背中を撫でながら「お前も退屈してたのか」なんて話しかける。

すると意味を理解しているのかジョンがウォンと鳴いた。

 

 

「散歩、行くか?」

 

 

ジョンの顔を覗き込んで言われたその言葉に思わず耳を疑った。

 

 

「本気!?」

 

 

「だって体力余ってるみたいだし、久しぶりに天気もいいしね。」

 

 

ケロッと答える彼に思わず言葉を失う。

確かに今まで何度か散歩について来た事はある。が、ついて来たと言うだけだ。彼本人が散歩をさせたわけじゃない。

たまにリードを預けた事もあったがそれだけの事だ。

散歩をしたと言うにはおこがましい程度のものだ。

 

いつかの目標のように犬の仲間になりはしたものの、まさか彼の口からそんな事を聞く事になろうとは、驚きのあまり二の句が継げなくても仕方のない事だと思う。

けれど彼はそんな不自然な間に不安を感じたのかじっとこちらを見て言った。

 

 

「だめ、かな・・・?大ちゃん。」

 

 

「いや・・・ダメって言う事はないんだけど・・・ヒロが散歩なんて言うから・・・。」

 

 

ようやく吐き出した言葉は彼のものよりたどたどしく、誰に答えを求めていいのか解らず結局足元のジョンを見つめた。

ジョンは彼の言葉が解ったのか嬉しそうに舌をだして笑っている。

 

 

「散歩、行きたいの?」

 

 

ジョンと彼を交互に見ながらそう尋ねると、二人ともが同じように期待に満ちた顔でこちらを見ていた。

 

 

「うん。」

 

 

「大丈夫?ヒロ。」

 

 

「なにが?」

 

 

「暑さで脳ミソいかれちゃったとかじゃない?」

 

 

あまりの唐突な出来事に思わずそう尋ねてしまう。

 

 

「酷いな〜も〜大ちゃん。オレがそういう事言うのおかしい?」

 

 

「いや、そうじゃないけど・・・。」

 

 

「だって、散歩、気持ちイイよ。大ちゃんだって少しは気分転換しなきゃ。息抜きも必要だって。また根詰めてたでしょ?」

 

 

そう言いながら覗き込んでくるその視線を避けるようにため息をついた。

 

この男の思考には脈絡がない。今までだって何度この手の発言に度肝を抜かれてきたか解らない。

この男のそんな性癖を解っていたはずなのに、こうしてまた驚かされている自分を不甲斐なく思った。

 

 

「ね、大ちゃん。行こうよ。」

 

 

二匹の犬がこっちを向いて散歩をせがむ。

ニコニコと笑う彼はもう既にその気でリードを取りに立ち上がる。

 

 

「ねぇ、大ちゃん、ご飯まだでしょ?あのワンコも入れるとこ行こうよ。軽く食べるものあったよね。」

 

 

かけてあったリードを手に戻ってきた彼はジョンを座らせながらそう言った。

有無を言わさず出かける様子の1人と2匹に、仕方なく着替えを取りに立ち上がる。

 

 

「オイ、ジョン、まだだよ。まだ大ちゃん着替えてないんだから。」

 

 

浮き足立つジョンを抑えながらおすわりを繰り返す彼。その攻防に慌てて着替えを済ます。

ざっと髪を手櫛で整えてそのまま帽子を被ると待ちきれない彼らの元へ戻った。

 

 

「お待たせ。」

 

 

そう言ってリードを受け取るべく手を出すと、彼はアニーのリードだけを渡して笑った。

 

 

「あれ?」

 

 

「ジョンはオレが連れてくよ。な〜ジョン。」

 

 

ガシガシと頭を撫で玄関へ向かう。

すると彼が肩越しに振り返りくすぐったそうに笑って言った。

 

 

「ね、なんかさ、家族みたいだね。」

 

 

「え?」

 

 

「子供達の手をひいて・・・って。

今年の正月、実家に帰ったらさ、調度いとこの子がこんな感じでさ。男の子と女の子をお父さんとお母さんが手繋いでさ。なんかいいな〜って。」

 

 

靴を履くのを待ちきれないジョンに飛び掛られながらそんな事を言う。

 

 

「家族、欲しい・・・?」

 

 

じっと彼の目を見て問う。彼はクスリと小さく笑って、

 

 

「憧れない・・・わけじゃないよ。この歳だしね。この先を考えると、さ。」

 

 

「・・・そう。」

 

 

「でも、大ちゃんより愛せる自信、ないもん。それじゃあ意味ないだろ?」

 

 

そう、静かな答えをくれた。

 

 

「それにさ、家族ならいるじゃん。このやんちゃ坊主達が。大ちゃん、ジョン達のパパでしょ?」

 

 

靴を履き終えた彼はジョンを撫でながらこちらを見上げて言った。

明るい、いつもの優しい笑顔。

 

 

「・・・じゃあ、その場合はヒロがママって事?」

 

 

鼻の奥がツンと痛むような感触を堪えてそう笑ってみせる。

 

 

「え〜〜!?オレ、ママじゃないでしょ〜〜。オレがパパでしょ、どう考えてもさ〜。」

 

 

笑う彼に同意しているのかジョンがワンワンと吠える。

 

 

「だよな〜ジョン。休日に遊ぶ係りだもんな〜。」

 

 

ガシガシとジョンを撫でる彼の様子に何故か胸が苦しくなる。

こっちを見上げた彼の視線が急に驚いたかのように見開かれる。

 

 

「あれ、大ちゃん?・・・泣いてるの?」

 

 

彼の言葉に初めて自分が涙を流していた事に気付く。

慌ててそれを拭って見せたが、彼はアニーのリードを持ったままだった手を掴み、その腕の中へ引き寄せた。

座ったままの彼の腕の中に包まれると、何故だか堪えておく事が出来なくなった。

 

 

「大ちゃん。」

 

 

そっと背中を撫でる手。理由も聞かずにただ黙って背をさすり、頭を撫でてくれる。

 

 

僕はきっと家族が欲しかったのだ。

だから大きな犬を飼い、子供のように育て、その子供達を愛する事で埋められない何かを埋めようとし、自分を騙し周りを騙し、切ないけれど幸福な擬似家族を作ることで心の平安を保とうとしたのだ。

この子供達は決して僕の手を離れない。

僕の元を離れることはない。

だから安心して家族ごっこが出来る。失われる事のない永遠の家族         

 

 

彼は、その事に気付いていたんだろうか。

自分自身ですら気付かなかったその真実に、彼はいつから気付いていたんだろうか。

 

大型犬にトラウマのあった彼。そんな彼がこうまでしてくれる。

総ては、僕の為に・・・。

それを思うと涙が止まらなかった。

 

 

「ヒロ・・・ごめん・・・。」

 

 

顔を上げる事も出来ず、ただ謝るだけの僕を、君は何て思うだろう。

背中に回された手からはただ温もりだけしか伝えない。

そんな彼の優しさに、僕は今までどれだけ甘えてきたのだろう。

 

 

家族は       君だったんだ。

君がいるからこんなにも温かな家族を作る事が出来た。

他の誰でもない、君がいたから。

 

 

僕はずっと家族が欲しかった。特別な事じゃない。ただ平凡な家族。

自分がいて愛する人がいて、愛する子供達がいて・・・どこにでもあるような、取り立てて特別な事などないひとつの家族。

 

でもそんな日は永遠に来ない。

彼を愛している限り、そんな平凡な幸せなど望むべくもないと思っていた。

 

けれど、彼はそれを与えてくれた。

誰の目にもそれとは知れないやり方で、僕の家族を作ってくれた。

一歩外に出てしまったらそれは夢となって消えてしまうのかも知れない。

けれど、それは今、確かにこの場所にある。

 

 

「大ちゃん、子供達が心配してるよ。」

 

 

そっと囁かれた言葉に少しだけ視線を動かすと、こちらを見上げるように覗きこむ子供達の視線とかち合った。

 

 

「ごめんね。お散歩、行くんだったよね。」

 

 

鼻をすすり彼の腕の中から抜け出すと子供達に笑ってみせる。

急いで靴を履き立ち上がってアニーを呼ぶと、彼の呼ぶ声がした。

 

 

「大ちゃん。はい。」

 

 

来る時にかけてきたのだろう、シューズボックスの上においてあったサングラスを僕にかけさせた。

 

 

「行こっか。」

 

 

彼の笑顔が僕を促す。

 

 

「うん。」

 

 

僕は彼のリードを持ってない方の手を握り、ドアを開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    END 20100703