<autumn wind>

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、あそこに住んでる人ってどんな気持ちなんだろうね。」

 

 

高い高いマンションのてっぺんを見上げながらポツリとヒロが言った。

夕暮れ、僕にとっては作業中の小休止。一仕事終えて来た早起きな彼と、犬の散歩にかこつけて黄昏デート。

缶コーヒーを飲みながら並んで座った花壇のブロック。ぽっかりと開いた丸い空の先にいくつか明かりの点いたマンションを見上げてため息のように吐き出される言葉。

 

 

「何言ってんの?自分だって似たようなとこ住んでるくせに。」

 

 

「オレんとこはあんなに高くないじゃない。」

 

 

「ウチに比べれば全然高いですけど?」

 

 

「そりゃあ、大ちゃん家に比べたらね。」

 

 

笑いながら共に見上げるその先。背の高いマンションの最上階の明かり。

 

 

「空に近いよね。」

 

 

「そう、だね。」

 

 

「飛行機とか当たったりしそうだよね。」

 

 

「それはないでしょ。そんな事になったら大変だよ。」

 

 

「そっか。そうだよね。」

 

 

乾いた笑い声。

間の抜けた静寂。

家路を急ぐざわめき。

濃紺のグラデーション。視界の端の方に僅かに残る煌きの名残。

 

所在もなくポケットからタバコを取り出し立ち上がり、彼から幾分離れたところで火を点けた。

深々と吸い込む。

やっと人心地ついたような気がして、何気なくさっき彼の言っていたマンションを見上げた。

 

空の中に浮かぶ人工の光。地上から遥か遠く、大地を忘れて浮かぶような。

 

チリチリと短くなるタバコに視線を戻したところで彼が聞いた。

 

 

「いつ、行くの?」

 

 

ブロックに腰掛けたまま投げ掛けられた声に咥えタバコのまま答える。

 

 

「来週?金曜。」

 

 

煙と一緒に吐き出して、もう一度吸い付ける。

 

 

「そっ、か・・・。」

 

 

再び訪れた沈黙。背中に感じる彼の気配。

 

 

「気をつけてね。」

 

 

「ん。」

 

 

「向こうは寒いかも知れないから。」

 

 

「ん。」

 

 

「時差もあるし、無理しないでね。」

 

 

「ん。」

 

 

「日本と違って危ないからさ、・・・その、気をつけて、ね。」

 

 

「ん。」

 

 

「お土産とか、気にしなくて、いいからさ。」

 

 

「ヒロ。」

 

 

名前を呼んでそこから先の言葉を封じる。

 

 

「解ってる、解ってるから。」

 

 

彼の方へ向き直り小さく頷いてみせる。

 

 

「大ちゃん・・・。」

 

 

短くなったタバコを揉み消して、さっきと同じ彼の隣へと腰掛ける。心細げに見つめる彼の肩に寄り掛かるように頭を預けて小さく言った。

 

 

「ごめんね。」

 

 

彼は小さく頭を振って、僕の頭に寄り添うように首を傾けて、

 

 

「一ヶ月、か・・・。」

 

 

ポツリと本音を漏らす。

 

 

「すぐ、だよ。」

 

 

「そうだね。」

 

 

「別に音信不通になるわけじゃないんだから。」

 

 

「そうだね。」

 

 

「僕、いっぱいツイッターで呟くよ。」

 

 

「そうだね。」

 

 

「電話もする。」

 

 

「そうだね。」

 

 

「ホントに、あっと言う間だよ。」

 

 

「・・・そう、だね。」

 

 

互いの温もりを感じながら見上げる空。地上から遠く離れた人工の明かり。

 

 

「あそこに行ったら大ちゃん見えるかなぁ・・・。飛行機乗ってても、ご飯食べてても、笑ってても、泣いてても・・・。」

 

 

「ヒロ・・・。」

 

 

不可能な現実を口にする彼。

僕はそっとヒロの手を握り、出来るだけ明るい声で言った。

 

 

「地球の反対側だよ。」

 

 

するとヒロも大げさにため息をついて重い空気を押し上げるように言った。

 

 

「遠いなぁ・・・。」

 

 

地球の反対側。朝と夜が逆の街。

僕達はそのまま手を握り合い、現実には見えるはずのない高いマンションのてっぺんを見つめる。

 

 

「オレ、大ちゃん家で暮らしてようかな〜。」

 

 

「はぁ?何言ってんの?人が留守の間にそこにいるっておかしくない?」

 

 

「だって、大ちゃんいっぱい感じられるじゃん。」

 

 

子供みたいな言い分に思わず笑う。

 

 

「完全ストーカーだね。」

 

 

「あ!ヒドイな、大ちゃん。このオレのほとばしる愛情を感じてよ。」

 

 

寄り掛かっていた僕に向き直り、口を尖らせて彼が言う。握った手はそのままに。

 

 

「ヒロの愛情は暑苦しいんだよねぇ〜。」

 

 

笑って言い返して、僕も彼を見つめる。

やっといつもの笑顔を取り戻したその顔。口に出せない本音も充分に解る。けれどそれは僕だって同じ。

 

 

「ジョン達、たまに遊んでやってくれる?」

 

 

「うん。」

 

 

「アベちゃん達に頼んでいくけど、ヒロが遊んでくれたらきっとジョン達も嬉しいと思うから。」

 

 

「OK。任せといてよ。」

 

 

ぎゅっと手を握り返して力強い答えをくれる。

 

 

「気をつけてね。」

 

 

「うん。」

 

 

「何かあったらすぐ連絡ちょうだい。」

 

 

「ヒロも。」

 

 

始まった夜の入口で僕らは静かに見つめ合う。互いの不在を埋めるように、その手をぎゅっと繋いだままで。

 

 

「帰ろっか。」

 

 

頷いて僕の愛犬を呼び寄せる彼はすっかり飼い主のそれで。

 

飲み干した空き缶を、コントロールの良い彼は僕の分まで投げ入れてきれいなアーチを描く。その様子に自慢気にこちらを振り返り、また僕の隣に並ぶ。

 

冷たさを増し始めた秋風の中、僕達は繋いだ手を離さずに家路を急ぐ人の中に紛れた。

 

 

 

 

 

 

 

    END20101008