<あおい波>

 

 

 

 

 

 

 

RRR・・・

 

 

深夜突然、博之の携帯電話が鳴り出す。

30分前くらいに布団に入り込み、ようやく眠気が訪れた博之の意識がイラつきながらも携帯電話へと向かう。

 

 

誰だろう、こんな時間に・・・。

 

 

心の中で首を傾げてみるが、こんな時間にかけてくるような相手を博之は一人しか知らない。携帯のディスプレイにはこの時間が決して遅いとは思わない、その人の名前。博之の口元が心なしか緩む。

 

 

「もしもし?どうしたの?」

 

 

明日もリハーサルで会うはずの人だ。こんな時間にわざわざ電話をかけてくるなんて余程の用なんだろうと、博之は話の先を促した。

 

 

『ゴメン、寝てたよね。』

 

 

「ん?ちょっとね、うとうとしてた。で?」

 

 

水を向けると、その人は少し言いよどんでからそれでも静かにはっきりと言った。

 

 

『新曲、出来た。』

 

 

それ以上、何も言おうとしない。

 

 

「うん。解った。スタジオ?」

 

 

『うん。』

 

 

「すぐ行く。ちょっと待ってて。」

 

 

『うん。待ってる。』

 

 

それだけ聞くと電話を切った。

こういう事はごく稀にある。普段は打合せの時に出来上がった音源を「はい、これ。」と渡されるのが常で、そんな時は大介も明るくその曲についてのイメージを軽く話したりもする。

 

こういう時は何かがある時だと、博之は長い付き合いで知っている。

彼がその楽曲に詰めた想いが深いという事。

何かを決意した時に生まれた曲であるという事。

そしてそれを、歌詞を書く自分にジャッジして欲しいと言う事。この曲を、本当に公表していいのかと。

 

そんな時、決まって大介は深夜のスタジオに博之だけを呼び出した。その曲の存在を誰にも話さないまま。

結果、その曲は自分達にとってターニングポイントとなる。

中には音源として発表しない事を決めた曲もあった。思い入れが強すぎて、その曲の持つものが、レコーディングを通すと消えてしまいそうで、ライブでしかやらない曲もある。クリアな音よりも純度の高い気持ちを優先した結果だ。

出来れば多くの人に聞いてもらいたいと言う思いはあった。けれど昔はその両方を両立する事が難しかった。

 

 

深夜のスタジオに向かう車の中で、博之は同じようにして生まれた幾つかの曲に思いを巡らす。

ターニングポイントは、いつも静かにやってくる。

今回はどんな形で、自分達を変えて行くんだろう、そんな期待と不安が博之の足を速めた。

スタジオで一人待つ、大介を思って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大ちゃん。」

 

 

ヘッドフォンをして目を閉じたまま曲を聴いている大介の肩を軽く叩いて、到着した事を告げる。

いつもは誰も出入をする事を許さないスタジオのドア。そこは博之のためだけに開けてある。

 

この部屋に断わりもなく入れる人物は数少ない。博之はその一人。

けれど博之は誰かがいる時にこの部屋に無断で入ろうとはしない。大介と一緒か、大介の了承を得てからしかこの場所には踏み込まない。それはここが大介にとって神聖な場所であると、他の者に告げるかのように。

だが今は違う。

慣れた足取りで大介の傍に行き自分の到着を告げると、大介はヘッドフォンを外して博之に微笑んだ。

 

 

「ゴメンね。」

 

 

「うんん。それより聞かせてくれるんでしょ?」

 

 

そう言って大介の座るイスの肘掛に軽く腰掛け、その背を大介の右肩に軽く預けた。

何度かクリックを繰り返し、ヘッドフォンを外すと穏やかなピアノの旋律が流れ出した。

マウスから手を離した大介が博之の背中にそっと頭を預ける。言葉もなく、ただその音に身を任す。

 

繰り返し打ち寄せる音の波。

零れ落ちる音の欠片。

静かに、ただ静かに想いは溢れて、胸を締め付ける。

触れ合うぬくもり。

その場所からこのメロディのように想いが伝わってくる。

繰り返し繰り返し、何度も問い続けたあの時の想い。

忘れるはずだった残された傷痕。

堅く口を閉ざし、見ない振りをした。互いに、傷付けあったここまでの道程。

打ち寄せる音が、それらを総て・・・。

 

 

静かに流れるメロディ。

触れ合ったぬくもり。

零れ落ちる想いの欠片は痛みを伴って煌めいて・・・。

 

 

ピアノの旋律が、始まった時と同じように穏やかに終わる。預けていたぬくもりを大介はそっと離した。背を向けたままの博之にそっと視線を向ける。

 

 

「ヒロ。」

 

 

囁くように呼びかけると博之はゆっくりと振り向いて、大介を見つめた。

その瞳からこぼれるもの。

大介はそっと博之の手を包んだ。

 

 

「大ちゃん・・・。」

 

 

博之はグッと目を閉じて大介の少し低いところにある頭に自らの頭を乗せた。その頭を大介は優しく撫でる。

 

 

「ヒロ。」

 

 

「いいの?・・・ねぇ、大ちゃん。ホントにいいの・・・?」

 

 

零れ落ちた涙が大介の頬を伝う。

 

 

「この歌・・・オレが書いて、いいの・・・?」

 

 

「うん。」

 

 

博之の涙声に大介が答える。

 

 

「ほんとに・・・?」

 

 

「うん。ヒロに、書いて欲しいんだ。」

 

 

「でも・・・。」

 

 

博之が言いよどむ。

そんな博之の頭を撫でながら、大介が優しく言った。

 

 

「僕の気持ち、伝わった?」

 

 

コクリと頷く。

 

 

「もう、いいよね。今なら、この気持ちを歌ってもいいよね?」

 

 

大介の言葉にも涙が混ざる。

 

 

「本当の事を、ちゃんと音にしておきたいんだ。僕達にとっての真実を・・・。」

 

 

「大ちゃん・・・。」

 

 

「僕は、ヒロも同じ気持ちでいてくれていると思っているから・・・。」

 

 

見つめる大介の瞳に博之が映る。

何度も消えかけたその姿。もう戻ることはないと絶望と共に見つめた姿。何よりも求め、何よりも遠ざけた。苦い想い、辛い記憶。

 

波のように打ち寄せ、潮のように退いて行くいくつもの想い。

繰り返し繰り返し、形を変えて、けれど決して終る事はなく。

口を開く事を許されず、真実をその笑顔の下に隠し続けて、二人は・・・。

 

 

「歌ってくれる?ヒロ。ヒロの言葉で、ヒロのその声で。」

 

 

やむことのない、頬を伝う温かなきらめきを見上げる。額を合わせ、もう一度強く博之の両手を握る。

崩れるように床に座り込む博之の、今度は低くなった額に再び自らの額を押し当て、そっと名を呼ぶ。

 

 

「ヒロ。」

 

 

閉じ続けていた涙に濡れた瞳をゆっくりと開き、声の主を見上げる。間近に見える自分を映す潤んだ瞳。微笑んで、上手く微笑む事が出来ず、その像が不意にぼやける。

 

 

「ヒロ。」

 

 

無理に笑おうとするその瞳からこぼれ落ちた雫が、今度は博之の頬を濡らす。

 

 

「ヒロ。」

 

 

「・・・大ちゃん。」

 

 

額と両手を触れ合わせ、互いに名を呼ぶ。

 

言葉にはならない。ただ、同じ思いを感じていることをそっと告げあう。

長い道程の中で、自分達は多くのものを失い、多くものに別れを告げ、今、ここにいる。

たったひとつ、失えないものの為に。

この音と、この歌は、もう決して離れたりはしない。

 

 

「いいの?本当に、いいの?大ちゃん。」

 

 

「うん。いい。」

 

 

「この場所を、失うかもしれないよ?」

 

 

「それでも。」

 

 

介が博之の手を強く握る。総ての想いを込めて。

ぽつりと、互いの間に落ちる涙。

 

 

「ん、解った。」

 

 

博之が小さく笑う。

 

 

「歌うよ、大ちゃん。オレは歌う。」

 

 

決意を固めた博之の声。

 

 

「大ちゃんの音が鳴っている限り、オレは歌い続けるよ。」

 

 

穏やかに告げられる決意。握られた手を握り返す強い力。

大介の目が嬉しそうに、眩しそうに細められる。

 

 

「ヒロの声が聞こえる限り、僕の中の音は止むことなんてない。」

 

 

繰り返される固い決意。見つめ合ったまま頷きあう。

 

 

「音に嘘はつけない。」

 

 

「そうだね。」

 

 

二人はまた誓い合う。何度となく越えてきた想いを。また再びこうして手を取って。

 

真実を紡ぐように旋律は流れ出す。

ターニングポイントは、静かに訪れる。

この先に何があるのかは、今もまだ解らない。

 

けれど二人なら、決して終わりはしない。

 

繰り返す、愛しさは波のように・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    END 20090727