<アナログな天使>
「ふ〜んななな〜ららら〜あ〜イェッヘ〜イんたっんたっ。」
コーヒーを入れながら軽快な鼻歌が響く。彼が鼻歌を歌うのはいつもの事で、こうして2人でいる時にその音が2人の日常を彩る。
自分一人では決して流れない音。常に様々な音に囲まれているせいか、オフの時はそれら総てをシャットアウトしたくなる。無音、と言っても電気機具の様々が低くモーター音を唸らせる中では、全くの無音にはならないのだけれど。
この音が、2人でいる事を鮮明にさせる。それはやさしい音色。
普段なら特に気にかける事はないのだけれど、今日はその彼がせわしなく操作しているもの、それに意識を向かわざるを得ない。
彼は決して機械音痴と言うわけではないのだけれど、往々にして使える機能の10分の1も使っていないんじゃないかと、端から見ていると機械が可愛そうになる。
基本、説明書は読まない。どうしても解らない時だけ読む。しかも必要な部分だけ。解らないポイントを越えてしまえば、また野生の感と言うのか、何となくいじくりまわしてどうにかしてしまう。
だから2度目はまた解らない。確か前にもこんな事をしたと言いう遠い記憶を手繰り寄せ、また同じようにいじくり倒し、それを何度か繰り返して操作方法を身に付ける。だから思いつかないような機能に関しては全くと言って良いほどおよびではないのだ。そのくせ人から言われる最新型だの多機能だのと言う言葉に恐ろしく弱い。欲しいとなったら直ぐ手元に欲しい性分の彼は自分の許容量だの使用頻度だのを熟考する事などない。全く持って宝の持ち腐れだ。
その彼が、なにやらせわしなく機械を操作しているのだ。気にならないはずがない。
コーヒーを注いで戻って来た彼の右手に握られた機械を指して尋ねた。
「何?それ。」
「え?あぁ。」
指し示したものに合点がいったのか、テーブルの上にそれを置いて言った。
「MD。歌をさ、録ろうと思って。」
「はぁ?」
意味不明な彼の言葉に声をあげると、“そんなに驚かなくてもいいじゃん”と笑って言う。
「アルバムのね、作曲をするんだけどさ、オレ、楽譜とか書けないし、楽器とか直ぐに弾けないじゃん?いいフレーズ出て来てもすぐ忘れちゃうんだよ。だからさ、これに入れとくの。これなら忘れないじゃん?」
得意気に、さも良い事を思いついたかのように言う。へらへらと笑うその顔に頭痛がする。
「あのさぁ、立派な機械、たくさん持ってなかったっけ?それはどうしたのさ。」
「え・・・あ、あ〜・・・MacbookPro?」
「そう。買わなかったっけ?」
「あれは絵を描く用だよ〜。」
「その絵もとんと見た覚えがないんだけど?」
はは・・・と苦笑いをして、でもそれすら彼にとっては気にかけるような事ではないらしい。すぐにまたへらへらと笑い出す。
「それだけじゃないよね。何だっけ?リズムマシーン?そんなものもお持ちではいらっしゃいませんでしたっけ?」
「あぁ〜懐かしいね。」
コーヒーをすすりながら陽気に笑うところを見ると、恐らくあの時彼が言っていたまま、立派なオブジェである事に変わりはないらしい。
きっと彼の家を探索すれば、素人スタジオを作れるだけの機材が揃っているに違いない。それなのに・・・彼が最終的に手にしたのは何ともアナログなMD。
「大ちゃん?」
「・・・全く。」
あまりと言えばあまりな彼らしさに笑うしかない。
「しょうがない奴だな。」
クククと笑うと“笑わないでよ〜”と脳天気に笑う。
「教えてくれたら、ちゃんと使えるんだって。」
「そんな事言って、覚える気なんてないくせに。」
「あるよ。ある!」
勢い込んで言う彼に、
「そう言って、ヒロの歴代パソコン、何度初期設定したっけ?」
冷ややかに視線を投げると、あ、うぅぅぅ・・・と唸る。
「ヒロの言う教えては、ずっとそばにいて、1から10まで教えなきゃ。」
「・・・解ってるんだったら、大ちゃん居てよ。」
「はぁ?それでヒロの作曲手伝えって?やだよ。僕がやった方が速いんだよ?絶対イライラする。」
「じゃあ大ちゃんが打ち込んでよ!」
「それでアレンジもしちゃって?」
「そうそう。」
「それじゃ、まんま今じゃん。」
「あ、そっか。」
2人して笑い出す。
脳天気な彼の口から漏れるメロディが何度2人の歌になったか知れない。彼にそれだと告げた以外にも、実は結構たくさんあることを、彼は知らない。
彼は伸びやかにその歌を歌う。そして、“いいよ大ちゃん。この歌、いいよ”と、屈託のない笑顔を見せる。その瞬間が満たされる、至福の時間だという事を、いつ、彼に告げようか。
彼は鼻歌を歌いながらまたせわしなく操作を繰り返す。伸びやかな彼のメロディはMDなんかを使わなくても忘れる事なんてない。
総てはこの中に・・・。
「何、笑ってんの?」
操作の手を止めて口を尖らせる。
「いやいや、ヒロらしいなと思って。」
「どうせオレはアナログだよ。」
「だね〜。歌詞だって、ちょっと前まで手書きだったしね。」
クククと笑うとますます口を尖らせて拗ねてみせる。こんな拗ね方すらアナログだ。ほほえましい、と思うのは惚れた欲目なんだろうか。
「ヒロらしいよ。手書きの何が悪いのさ。体温、感じる。言葉だけじゃない何かが伝わるけど?」
ちらりと視線を送ると尖らせた唇が行き場を失っている。
「ヒロまで機械オタクになったら、スタッフ誰もついて来れなくなって困るだろ?調度いいんだよ、これで。誰かが、一般ユーザーの目を持ってないとさ。」
「・・・なんか、うまく丸め込まれたような気がする。」
「そんな事ないよ。」
「いつか最新機種を華麗に使いこなしてやる。」
尖らせた口先でブツブツと言う彼。このセリフも何度目か。
「MDだって馬鹿に出来ないですよ〜。お手伝い致しましょうか?貴水さん。」
「も〜大ちゃん!!」
机の上のMDを取り合いながらケラケラと笑い合う。
彼の歌声の詰まったこのMD。彼の中から生まれたばかりのメロディ。その事に軽い嫉妬を覚えている。彼の歌声を独り占めしたい、そんな思いに苦笑する。
いいのかも知れない。
彼の非凡な才能をそのMDは思い知らせてくれるかも知れない。
彼の上辺しか見ようとしない奴らは思い知ればいい。彼こそが真にミューズの神に愛された者。
「また笑ってる。」
「ほほえんでんの。」
「またぁ。」
申し子は今日も屈託なく笑う。その神に愛された伸びやかな声を響かせて。
END 20090706