<溢れんばかりの愛を・・・>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大ちゃん!!」

 

 

部屋に入るなり泣き腫らした彼を何も言わずに抱きしめた。

彼の目の前には冷たくなってもう動く事のない彼の愛したものの姿。じっとその身体を撫で続けていただろう彼を引き剥がすように抱きしめた。

 

部屋はいつになく冷え冷えとしていた。いつもの彼の家の雰囲気とは違う、冷たく寒々しいもの。

普段は決して床に座り込んだままなんて事はない彼が、多分、もう何時間もそうしていたに違いない。スリッパさえも履いていない足先は冷えていた。

 

彼を抱きしめる腕に力を込める。この冷え切った現実から奪い出すように。

腕の中の彼が嗚咽を漏らす。

その声は次第に大きくなり、そしてその手が何かに縋るようにオレにしがみついてくる。

その手よりも強く、抱きしめた。

 

 

“アルが亡くなりました。”

 

 

それだけの短いメール。

一斉送信で送られてきたその言葉に一瞬息が止まり、そしてそのすぐ後に彼の事がたまらなく心配になった。

 

“もう歳だからね。”とその背を撫でていたのは確か一昨日の事。

出会った頃よりも動きが緩慢になっていたのはオレも気付いていた。

 

 

 

 

床に横たえられた愛犬の姿をオレはこの時初めて見た。

 

信じられない。

眠っているような安らかな顔。

けれど、やはりもうそこに生命はないのだと解る。生命の覇気のようなものがそこには、無い。

 

 

アレックス・・・。

ずっと大ちゃんを支えてきてくれた。

オレのいなかった間、大ちゃんに温もりを与えてくれた。

 

初めて会った時の事を今、こんなにも思い出す。

オレの事を量るような視線でなかなか傍に寄せ付けてくれなかった。

一定の距離を保ち眠っているような振りをしてオレをじっと見ていた。

彼は、ガードの固い守役のようだった。

 

彼に会うのは緊張した。

頑固オヤジのようだったアル。マイペースだったアル。それが解ってからは頼もしい相棒だった。

 

仕事が忙しくなる時は決まって“大ちゃんの事、頼むな。”と帰り際に頭を撫でた。

彼は“言われなくても。”と言う風にその手を払いのけて再び手の間に顔を落とし瞼を閉じる。そんな毎日だった。

 

 

アル・・・。

 

アレックス・・・。

 

 

 

オレは腕の中の人を強く抱きしめた。

彼の魂が何処かへ行ってしまわないように。

 

家族のように過ごして来た。その事を知ってる。少なからずオレにとってもそうだった。

だから、何も言う事が出来ない。ただこうして抱きしめるしか・・・。

 

彼の嗚咽に悲痛な鳴き声が混じる。

アニー・・・ジョン・・・。

彼らもこのいつもとは違った空気に何かを察しているのかも知れない。

いつもははしゃぎまわるジョンですら今日は部屋の片隅で鳴くばかりだ。

 

オレの背後に温かい気配が触れる。

 

 

「アニー・・・。」

 

 

その鼻先は彼の手を促して自分の頭を撫でろとせがむ。

 

 

「大ちゃん・・・。」

 

 

抱きしめていた手を少し緩め、彼を伺う。彼は目も鼻も真っ赤にしてしゃくりあげる。その頬にそっと触れる。

するとその間にアニーが鼻先を突っ込み彼の顔を舐めた。

 

 

「・・・あにぃ・・・?」

 

 

今やっとその存在に気付いたかのように視線を動かして彼女を見る大ちゃんの目にまた涙が溢れる。

そっとその手を伸ばしてアニーに触れる。頭を撫で、そしてたまらず彼女を抱きしめる彼。

オレはもう一人の鳴き続ける声を呼んだ。

 

 

「ジョン。」

 

 

部屋の隅で鳴いていた彼を呼ぶ。

 

 

「ジョン。おいで。」

 

 

手を伸ばしてやると彼も弾かれたようにここへ来た。鳴き続けるその頭を撫でてやる。

 

 

「大ちゃん、ジョンも・・・心配してるよ。」

 

 

「・・・じょん・・・。」

 

 

彼は両手で愛犬達を抱きしめ、再び声をあげて泣いた。その彼の頭を静かに抱きとめる。

 

 

「・・・だ。やだ・・・。いなくなっちゃ、やだ・・・っ!!」

 

 

「大ちゃん。」

 

 

「アニーも・・・ジョンも・・・        アルも・・・っ!!」

 

 

「大ちゃん!!」

 

 

オレは彼を再び強く抱きしめた。

 

 

「大ちゃんがそんな事言ってると・・・アルが困るよ。」

 

 

彼の気持ちは痛いくらいに良く解った。

でも、もう元には戻せない。

鼻の奥がツンと痛い。

締め付けられるような喉の奥、オレは堪えるように言った。

 

 

「ちゃんと・・・お別れ、しなきゃ。アニーとジョンにも、ちゃんとお別れさせてあげて・・・。」

 

 

彼は首を振る。

 

 

「大ちゃん。解るよね?」

 

 

彼の目を覗き込み、そう告げる。視線はすぐに揺らいで零れ落ちた涙が答えを告げる。

 

 

「大ちゃん。」

 

 

彼は小さく頷くと視線を一度アルに移し、両側にいる残された家族へと向けた。

 

 

「アニー・・・ジョン・・・。アルはね・・・死んじゃったんだよ。天国に行っちゃったの。だから、ちゃんとバイバイ・・・しようね。」

 

 

彼の涙声が告げる。

 

 

「もう会えないの・・・。もうアルに、会えないの。一緒にもう・・・遊べないんだよ・・・。」

 

 

彼をじっと見つめるジョンに彼は泣きながら告げる。

 

 

「バイバイして・・・。アルお兄ちゃん、バイバイ・・・って。」

 

 

言いながら彼の声はどんどん涙に飲み込まれて行く。

 

 

「・・・大ちゃん。」

 

 

「今までありがとぉ・・・って。」

 

 

「大ちゃんっ・・・!!」

 

 

オレは泣きながら必死で告げる彼を抱きしめた。

 

 

「見てるよ。アルはきっと大ちゃんの事、見てるよ。天国から・・・きっと見てる。」

 

 

「ひろぉ・・・っ。」

 

 

大ちゃんの涙がオレの腕に落ちる。オレも、もう涙を堪えておく事が出来なかった。

 

 

死は、誰にでも平等に訪れる。

当たり前の事だと、いつもは解っている。

けれどこうして目の当たりにした時、その不平等さを悔やんでやまない。

 

きっと彼はまた泣くだろう。彼よりも寿命の短いもの達の為に。

きっと彼はまた泣くだろう。自分のおさめた写真を見て。そこに写る在りし日の愛しきもの達の姿に。

 

それは仕方のない事だと思う。

彼はそれほどまでに愛情を注ぎ、そしてオレも・・・彼と同じように涙するんだと思う。

 

 

 

冷たくなったアルの身体をそっと撫でる。

 

 

“大ちゃんの事、頼むな。”

 

 

もう、そんなセリフは言えなくなってしまった。

永遠に。

 

彼のオレを量る目が忘れられない。

 

 

大丈夫。これからはオレが守るよ、ずっと。

 

約束する。君に・・・。

 

 

「ありがとう・・・アル。」

 

 

オレは冷たくなったその頭をいつものように撫でた。

 

 

 

 

 

        〜アレックスの冥福を心からお祈りします〜

 

 

 

 

 

 

 

 

    END 20100417