<MONOPOLISM>




そんな事のために彼を好きになったわけじゃなかった。
独占欲?いや、そうじゃない。そんなものは端から存在しなかった。独占なんて出来るはずがない相手にその欲を持つことは不毛だ。ただ自分が苦しくなるだけで、どこにも出口なんてありはしない。
そうと解っていても考えるほど容易くその欲を手放せるはずはなくて、本来、人を好きになるなんて行為は多かれ少なかれ独占欲でしかない。そんなことはもう充分に解っている。それでも、そんな事のために彼を好きになったわけじゃなかった。


浅倉はタバコの代わりに習慣化したガムを包み紙に吐き出すと、立って歩くのが億劫な距離のゴミ箱へ放り投げた。決してコントロールがいいとは言い難いその放物線は、案の定ゴミ箱をかすりもしないで落下する。
何か興味あるものが落ちてきたと上体を起こしたOHANAの動きに、慌てて立ち上がってゴミ箱へ入れた。
あぁ、結局こうなるのだ。不毛だ。

最近の暑さは都内に籠るしかないほどで、本当は山に籠って世俗から切り離されてのんびりしようと思っていたのだが、クーラーのない山の生活は浅倉の肌に不快な汗を滲ませるだけで、到底避暑なんて気分ではなかった。電気エネルギーにまみれた都会の方がよっぽど快適に過ごせることが解ってからは山への足も遠のいていた。
今年の夏の計画が台無しだ。湖でゆっくり水遊びでもしようと思っていたのに。
こちらに居ればいたで、容赦ない仕事の連絡はひっきりなしで、自宅兼スタジオに人が来ることも少なくない。そうなれば必然的に仕事モードになる。
あぁやっぱり不毛だ。自分には休みもないのか、コンチクショー。

仕事が嫌いなわけではない。半ば趣味の延長のような仕事だけれど、それでも時にはやりたくない時だってあるものだ。
創作の仕事はインプットとアウトプットのバランスが崩れると途端に手につかなくなる。やる気がなくなる。この歳になって休むことが必要だと痛感している。
経験は、多い方がいい。そういうものが人生を豊かにし、創作にも反映される。
創作は自分の中の細胞を切り売りするようなものだと浅倉は思っている。大量に生産できる細胞ならまだしも、中にはこれを切り売りしてしまったら自分の中にはもう残らないんじゃないかと思うものもある。それでもきっとそういうものをこそ求められているのだと、今までの経験で知っている。だから自分の中に残らなくても切り売りしていく。
それを繰り返して行けば最終的には自分の中には何も残らない。だからインプットが必要で、何をインプットするかでその先の細胞が決まる。
何をインプットするか・・・、それが今の浅倉には解らない。
やらなければいけないこと、やった方がいいだろうなと思うことは山ほどあるのだが、どれもこれもやりたいと思えない。仕事なんだから、と自分を奮い立たせてみるが、そのエネルギーは空回りして終わる。頭の中が勝手に思考を止める。
それでも求められる仕事の数々に何とか止まった脳みそを回転させてみるが、しばらく後に冷静になるとなんでこんなもの作ったんだとしか思えなくなる。
単純なことを見落としている。
何のために?
誰のために?
自己嫌悪でしかない。

もう潮時か、そんな言葉がこの頃脳裏をかすめる。
いいじゃないか、もう充分働いた。これから先、何年生きるかは知らないが、余生としてのんびり過ごしてもいいじゃないか。何もしない日々。それでいいじゃないか。現にもういつかのようなスピードでは曲が作れなくなっている。若かったなぁ、自分も。


浅倉は長年の習慣でいつもの場所に手を伸ばす。
そうだった、止めたんだった。
代わりにまたガムの包みを開く。
止めて数年経つが思考が深いところへ落ちると無意識に手が伸びる。
そもそも何で吸い始めたのか、もう思い出せないし、何のために吸っていたのかそれすらも解らない。嗜好品、だからね。意味なんてないのかもしれない。

点けっぱなしだったモニターの右下に一瞬メールの通知が届く。また仕事の依頼か、そう思ってクリックすると自分達のツアーに関するものだった。サッと目を通してため息をついた。
もうこれ以上、決められない。何でも自分が決めなくてはいけないのだろうか。
いや、解ってる。解ってるけれど今は何も考えたくない。

背もたれに身体を預けて天井を見上げた。もう一人の責任者の出方を見てみようかと思ったが、そう言えばあの男は今、ツアー中だった。全く、生き生きとしやがって。
昔からそうだ。あの男は感覚で生きている。だからダイレクトに目の前で反応が見られるライブを何よりも大切にしている。ファンとの間にめんどくさいこともあるだろうに、それでもにこにこと笑っている。正直、細かい裏方の作業は向いていない。
自分のソロ活動で少しずつそう言ったことにも慣れ、最近では二人の活動の中でも多少は役に立つようになってきたが、それでもいつもどこか遠慮している。
いや、おそらく自分を立ててくれているのだろう、縦社会、体育会系な男だから。
ホントはもっとちゃんと出来るはずなのに、末っ子の特性を存分に活かし甘えられるところは存分に甘えようとして来る。おそらく無意識なんだろうなとは思うけれど。
あの男はいつだって天真爛漫で、無邪気にただ楽しめる事だけを求めて生きている。そのためにする努力は努力とも思っていない。それがすごいところではあるのだけれど。

敵わないなぁ、全く敵わない。逆立ちしても敵わない。そもそも逆立ちなんてする気もないけど。
自分には出来ない。生き方が違う。だからこそ誇らしいのだし、羨ましいのだし、憎らしい。

ふと視線をずらすと能天気な男の小さな姿が目に入る。そう言えばこの前、勝手に置いて行ったのだっけ。
淋しくないようにね、とか、いつだって近くで応援してるからね、とか、なんかそれらしいことを言いながら組み立てていった4種類の小さな男の姿は、いつにも増して能天気な表情。
自分大好きなあの男は、こういうものに自分がなることに全く頓着しない。自分はいまだに抵抗感しかないのに。仕事だし、あの男とセットになっているから自分には目を瞑って写真を撮ったりはするけれど、多くの人がこれを持っていろんなところで写真を撮っているなんてゾッとする。

勝手に置いて行かれたアクスタを見ながら考える。あとどれだけこの男と一緒にいられるのか。
あの男が新曲を欲しがっていることは知っている。知っているが、作ることが出来ない。それは自分にとって至高のものでなくてはならないから。あの男に歌わせる曲に不純物なんて混ぜたくないから。
適当なものならいつだって作れるだろう。けれどそれじゃあダメなんだ。
しびれを切らしたあの男は今では自分で作ることを覚え、伸びやかに自らの世界を謳う。そう仕向けたのは自分だ。だからその事については何も言うことがない。
それでいい。むしろ違う人と組んで、なんて事になるより余程いい。あの男の伸びやかな笑顔を曇らせないでいられるならそれでいい。
納得している。納得しているはずなのに。

これが独占欲じゃなくて一体何なのだろう。

醜い。自分は醜い。
そんなつもりはないと言いながら、涼しい顔をしているその裏側でドロドロと蠢く汚い感情。今にも溢れ出しそうだ。マグマのように。
この歳になって?こんなに長い間やってきたのに、今更?
あの男が全てを受け入れてやっと穏やかになったというのに今更蒸し返してどうなる。囲い込んでおけないものを囲い込もうとしてどうする。
不毛だ。あぁ本当に不毛だ。

目頭をググっと押さえて膿んだ目を閉じる。
こうしてすべてを遮断してしまえば、この欲も消えてくれはしないだろうか。馬鹿げた考えに自嘲する。そんなことが出来るならもうずっと前から目を閉じている。
様々なものが濁流となって、結局はあの男の元へと流れて行く。止めることは出来ない。抗っても堰き止めても、ただ道筋がいくらか変わるだけで結局は同じところへ行きつくのだ。そんな事のために彼を好きになったわけじゃなかった。

能天気な男の姿を視界から消したくて4体とも頭を弾いて倒してやった。ひっくり返った台座の裏の白い部分が若干気にはなったが、何もないものとして脳内から消した。あとはもう気にしない。
銀紙を掴み、味気のなくなったガムを吐き捨てると再び放物線を描く。
ゴミ箱へ吸い込まれていくその軌道。浅倉は小さな勝利に笑むと、再びモニターに目を戻した。


END 20240916