<熱中症アラート>


彼は真剣になると口が半開きになる。おそらく無意識に。
もともと花粉症だとかの鼻炎もちで、年に数ヶ月はどうしても口呼吸にならざるを得ないこともあり何となく癖のようなものなのかもしれない。
デビューしたての頃はそれを指摘され、口を閉じようとするとかえって引き縛ったようになり、もっと普通に口を閉じられないのかとよく言われていた。

音作りに没頭している時はそれが顕著に表れる。
もともと一人作業で他の目を気にすることなどない空間だし、本人も自覚していないのだろう。ライブ中でもその姿は度々目にする。

目にするとしたら大抵は打ち合わせの時だ。何かを言いかけてそのまま試案に突入する時の彼の口は大抵開いている。
無意識なのだから仕方がない。仕方がないとは思うのだがマスク生活でしばらくその姿を目にしていなかったものだからそうだったことを忘れていたのだ。不意打ちはズルい。

規制が緩やかになりマスクの着用が必須ではなくなったのだから別にマスクをしていなくても咎められることはないのだが、久し振りにそんな彼の姿を目にしてしまって一人どぎまぎしている。
そうだった、忘れていた。



半開きの彼の口は不埒な場面を思い起こさせる。
彼が何かをねだる時、彼の口は物欲しそうにいつも開いている。
そしてそのままその口からは艶っぽい音色が零れ出る。
その唇を食めばくすぐる様な吐息が答えの代わりに自分の唇をなぞり、『もっと』と言葉の代わりに急かすのだ。
そういう時の彼は本当にズルいくらい可愛らしくて、その不埒な唇を塞がずにはいられなくなる。本当に無自覚なのか?と疑いたくなるほどに。

そんな唇をこの打ち合わせの場で不意に目にしてしまって、一人落ち着かない心地でいるのだ。
最近のうだるような暑さはマスクの息苦しさを倍増させ、いつものメンバーだからという心安さもあり飲み物を飲むのにずらしたままにさせた。
顎の下にずらしたマスクは彼の物欲しげに開かれた口元を隠してはくれなくて、これもまた無意識だったのだろう、思案のために上向きに仰け反らせた喉元に喉仏がくっきりとまるで何かを嚥下するように動いた。


体温が、急に上がった気がする。
クラクラと眩暈がしそう。
それは反則だよ、大ちゃん。


彼の口元から目が離せなくなっているとその視線に気付いたのか彼がそのまま振り返った。


「どうしたの?ヒロ。」


そう言う彼の口はやはり微妙に開いている。


「あ・・・うん、ね?」


「何よ。」


怪訝そうな彼の口はやはりまだ開いていて。
自分の表情を隠すようにマスクを再度確認し、「マスク」と彼の顎に下げられていたマスクを指さした。


「一応ね、今日は人も多いし、うん、一応、やっぱり、ね。世の中的にね。」


腑に落ちないような表情をしながらもマスクをきちんと着けなおす彼にマスクの下でホッとする。
マスク生活で緩んでしまった自制心を取り戻すまでもう少しマスクには活躍してもらわないと、と心の中で苦笑しながら、思い起こしてしまった不埒な場面を険しい表情で追いやった。


艶めかしい口元は特別な時間だけに・・・。


 
 
END 20230808