<あまい1日>






「あなた、ほんとに一体どうしちゃったの?」


半ば呆れ顔の浅倉は開口一番そう言って貴水を見上げた。
折しも世の中はバレンタインと言うやつで、仕事での頂き物は毎年数えきれないほど頂くが、プライベートと言えば生まれてからこのかた数えるくらいしか頂いたことのない浅倉は、居る意味のない東京から脱出すべく荷物をまとめているところに貴水からの慌ただしい電話で引き留められた。
長年の付き合いだ、まめなこの男だからきっとチョコをもって現れるのだろうと予想はしていたものの、まさかこんなものとは想像していなかった。嬉々として紙袋から取り出したものを見て思わずお礼よりも先に口から出てしまった。


「どう?すごくない?」


明らかに褒めてもらいたそうなその表情を見たまま浅倉はしばらく二の句が継げなかった。
そこにはチョコレートパウダーのかかったハート形のケーキ。なんのデコレーションもないところが高級店のシンプルだけどお高いケーキだと言われれば納得してしまいそうな代物だ。それが乗っていたのがあからさまに自宅のお皿でなければの話だが。

最近の貴水は浅倉からしてみたらお店でも出せるんじゃないかというような腕前の料理で、本人曰く何でも生クリームとオリーブオイルでそれらしくなるとは言うものの、料理にまで目分量のきかない浅倉にしてみたらまるで異次元の領域だった。
それがとうとうスイーツにまで手を出したところを見ると、いよいよビストロ貴水も本格化してきたということなのだろうか。
もともと何でも起用にこなす貴水は大失敗というようなものを見たことがない。無茶をやらかして軌道修正できないような状態に陥ることもあるが、そういうものでさえ出来上がってみたらそれなりなのだ。
いろいろ調べていちから手順を構築しても上手く出来ない自分とは大違いだ。
そういうところは本当にずるいと思う。きっと天性の何某かがあるのだろう。不公平な話だ。

勝手知ったる貴水は、コーヒー淹れるね、といそいそとキッチンへ消えて行き、その後ろをカツカツとベルカの足音が続いて行った。
ケーキと取り残された浅倉はようやくまじまじとそのケーキを観察した。
よく見ればそれなりに不揃いなところはあるにせよ、やはり浅倉の料理の範疇からは大きく外れている。
こんなものが素人でも簡単に出来るものなんだろうか。確か妹が小学生の時クッキーとかそれこそバレンタインのチョコレートを手作りしていた記憶はあるけれど、こんなに立派なものじゃなかった気がする。家でこんなものを作ってしまえる気分というのは一体どういうものなんだろうか。

じっとケーキを見ていた浅倉の鼻腔にコーヒーのあのほろ苦い香りが漂ってくる。
二人分のコーヒーを持って戻ってきた貴水は浅倉にフォークを手渡すとケーキの乗った皿を浅倉の前に差し出した。


「happy Valentine.どうぞ召し上がれ。」


「これ全部、僕が食べていいの?」


「もちろん!大ちゃんのために作ったんだから。」


そう言いながら自分はコーヒーに口をつける。コーヒーを一口飲むと思い出したかのように貴水が決まり悪げに口を開いた。


「もちろん大ちゃんのためなんだけどさ、ファニコンにさ、みんなのためって載せていいよね?」


「え?だって締め切り・・・。」


「うん。送っちゃった。」


アハハと笑う貴水は悪びれたふうもなく、一応ね、なんて誤魔化しを入れた。


「ていうか、これ、本当にヒロが作ったの?ヤバくない?」


「え、でも結構簡単だよ。大ちゃんも作れるよ。」


「ホントに?ヒロの基準で考えないでよ?」


「ホント、ホント。生クリーム入れて冷蔵庫で固めただけだから。」


「マジでぇ!?そう言われるとありがたみがないんだけど。」


「いや、そこは愛情でさ。心を込めて作ったんだから。」


苦笑いする貴水に、解ってるよ、と答えて浅倉は再びケーキに目を落とした。


「まさかヒロからケーキを貰う日が来るとはねぇ・・・。」


「嬉しい?」


「美味しかったらね。」


「いや、絶対美味しいから。オレ、もう食べたから。」


「え!?どういうこと?」


「これね、ハートに切ったの。最初ね、出来たとき、丸だったのよ。それをこう、切ってね、その切った部分はね、もうオレ、食べちゃったんだよね。アハハ。」


「ちょっと、何それ〜。そういうとこだよね、ヒロって。」


浅倉は膨れて抗議をしてみせたが、笑いながら謝る貴水を見ているうちにどうでも良くなってしまった。

こういう男なのだ貴水という男は。浅倉よりフェミニストでロマンチストなくせに、どこかデリカシーのないリアリストでもあるのだ。
無邪気と言えば聞こえは良いが、このアンバランスなところも実は嫌いではない。夢ばっかりを食って生きていけるわけじゃないのだし、このくらいの抜けがあった方が人間らしいというものだ。

浅倉は一口コーヒーに口をつけるとフォークを持ち直した。


「じゃあ僕一人で食べるからね。」


「いいんだよ。大ちゃんのなんだから。」


「大人食いするからね。」


「うん、いいよ。」


頬杖をついて見守る貴水の視線はいつにも増して優しく、目の前のケーキより甘く感じられた。意識すると途端に頬が赤くなる。こんなにも愛されている自分は幸せなのだと思う。


「ありがとね、ヒロ。」


早口にボソッと呟くと貴水のクスリと笑う声がする。


「大ちゃんのそういうとこ、好きだよ。」


すべてをお見通しな男は余裕のしたり顔。


「馬鹿にすんなぁ。」


「してないじゃん。すぐそういうこと言うんだから。」


そう言って優しく笑う男を浅倉はものすごく好きだと心の中でそっと思った。
 
 


END 20220220