<Second Virgin>












唐突な質問に両マネージャーはしばし言葉を失った。


「ねぇ、最近どうやってキスした?」


貴水は言う。


「なんかさ、ずっと自粛だったじゃない?どのタイミングから行っていいのかなって。もう、解禁?まだ?」


そんなこと私に聞くなとマネージャー林は思った。
確かにスキャンダルなどの対応のために一応は把握しておかなければならないことではあるものの、人様の詳細な恋愛事情までマネジメントするいわれはない。
ましてや50も過ぎたおっさんのキス事情なんて聞きたくもない。相手を知っていればなおのこと、次にどんな顔で浅倉に会えばいいというのだ。
本当にこの男はネジが1本外れている。
一方浅倉の言葉は安部に軽く笑い飛ばされた。


「何?欲求不満なの?したかったらすればいいじゃない。」


「違うよ。たださ、タイミングが、さ。安部ちゃんはどうなの?夫婦だから自粛とか、特にないの?」


「なんで私があんたにそんなこと教えなきゃなんないのよ。」


「いいじゃん、教えてよ。ケチ。」


「ケチで結構。」


長年連れ添ったマネージャーはあしらい方を心得ていた。
結局誰からも答えを見いだせないまま2人は悶々と悩んでいた。
やはりきっかけはライブだったのだと思う。
コロナが始まってからいろいろな方法でソーシャルディスタンスを取ったライブは近づくことも顔を見合わせて話すことも全てに規制がかかっていて、有無を言わさず距離を取ることを強要された。
もちろん感染対策のことなど細心の注意を払うことは当然のこと。そのことをどうこう言うつもりはない。
ただそうした規制の中で気付けば2人の距離は遠くなっていて、それが当たり前の距離感になってしまっていたのだ。慣れてしまったと言えばいいのだろうか。
もちろんステージ以外ではいわゆる政府の提示したルールの範疇で一緒にいることも多々あったが、間にはアクリル板があり、直接触れ合うことはなくなっていた。
こういう商売だから人の目があるところではそれはそれは厳重に、会食などは以ての外、外出なども必要最低限ともなれば同じ空間にいる時間は極端に減った。
そんな生活が2年だ。仕方がないとはいえ長い。
やっと少しずつ緩和してきて、今年のライブではまだまだ規制はあるものの少しずつ通常を取り戻しつつある。触れることも出来る。
そうなると今までの反動なのか無性にスキンシップを取りたくなる。取りたくなるのだがこの2年の弊害か、距離の詰め方が解らない。
慣れとは恐ろしい、心の中にアクリル板が存在するのだ。ある一定の距離より近づこうとすると、ふとストップがかかる。
そうなってしまうともうそれ以上は進めない。せっかく作ったタイミングはズレはじめ、なんだかぎくしゃくしたまま苦笑いして終わる。全く不甲斐ない。
まだまだ気を緩める時じゃないと言われてしまえばそれまでなのだが、もうそろそろいいのではないかとも思う。
一番怖いのはこの距離感が当たり前になってしまうことだ。
嫌いになるとかそういうことではなく、おそらくこれから先も共にいることは変わらないが、プラトニックを貫き通したいとは思っていない。
出来れば触れ合って共に至福の時間を過ごしたいと思っている。それなのにだ。
それなのにキスするタイミングさえ上手く作れずにいる今の状況に悶々としているのだ。


「ねぇ林はどうしてんの?彼氏と。」


2人きりの車内だからと全く遠慮のない物言いに林は若干イラついた。
貴水にしてみれば純粋な悩み事相談なのだろうということは理解出来たが、ハイそうですかとプライベートを披露出来るかと言われたら別問題だ。
林は聞いていなかった振りで黙って運転を続けた。


「ねぇ聞いてる?」


案の定せっかちな貴水は運転席の林を覗き込むように助手席との間に顔を出した。


「え?何がですか?」


「だから、林は最近彼氏とキスした?って聞いてんの。」


質問がすり替わっていると林は思ったが素知らぬ顔で、知りませんよ、と答えた。


「なんだよ、参考にならないじゃん。」


ブツブツ言いながら後部座席に引っ込んだ貴水に、林は頭痛の種がひとつ増えたことにため息を漏らした。
ケチと食い下がっていた浅倉は安部が取り合ってくれないことが解るとソファにボスっと腰かけた。


「ヒロってああ見えて、結構真面目なんだよね。僕はいつだってウェルカムなのに。」


「じゃあ自分からすればいいじゃない。」


安部が呆れてそう言うと浅倉はムッと口を尖らせた。


「だってがっついてるって思われたくないし、ヒロにその気がなかったら引かれるでしょ。」


ブツブツと言い募る浅倉に大きなため息をつく。


「あんた、ホントそういうとこ、女々しいわよね。」


「うるさいなぁ。」


「どうせあの男はあんたのすることに嫌も応もないのよ。『大ちゃん可愛い』なんだから。」


「そんなことないもん。」


ぎゅっとクッションを抱きしめて俯く浅倉に安部は冷ややかな視線を向けた。
自覚がないというのは困ったものだ。どう見たって貴水だってタイミングを計っているのに、そのことに当の本人が全く気付いていない。
春ツアーが始まってからの貴水の様子を見ていれば解りそうなものだ。林のため息の原因もまさにそこにあるというのに。
先日のゲネの最中に神妙な顔をしてステージを見ていた林は、項垂れたように盛大なため息をついた。その様子が気になって思わず声を掛けたのだが、困ったように苦笑いするだけで口を開こうとはしなかった。
長年のカンだ。林を連れてホールを抜け出すとゲネ中で空になった控室に向かった。するとようやく林は重い口を開いたのだ。


「そんなくだらないこと言ったの、あの男。」


「まぁ知ってますけど、そういうこと、聞きますかね?もう浅倉さんに会わせる顔がなくて。」


「それで今日、なんかおかしかったのね。」


「すいません。」


この日合流した林の視線は近くにいる時はそれとなく浅倉を避けていて、それでいて遠くからはその分を取り戻すかのように見つめていた。安部が声を掛けようと思ったのはそのせいもあったからだ。


「それにしても解禁って、海や山じゃないんだから。」


「ホントですよ。知ってても想像したくないっていうか、想像させないでほしいっていうか。」


難儀な男達のマネージャーは無言で頷きあった。


「もうずいぶん前だけど、人前でいちゃつくなって注意したのよ、私。リハとかゲネとか、本人たち無自覚なのよね。知らない外部スタッフたくさんいるのに。
だからボディタッチを超える場合はふたりっきりになりなさいって言ったの。だからたまに籠ってたでしょ。」


「やっぱりそういうことだったんですね。うすうす感じてましたけど・・・。」


「一応アーティストのメンツって、あるじゃない。」


「そうですよね。」


半ば諦めているのか物分かりの良い林は安部の言葉に深く頷いた。


「どっかに2人で閉じ込めたらいいのかしら。」


「解決しますかねぇ・・・。」


「子供じゃないんだから、そんなもの好きにすればいいじゃない。感染さえしなけりゃ何も言わないわよ。」


「ホントですよ。」


林のため息は安部にも感染し、難儀な男達のマネージャーはくだらない50過ぎのおっさんの恋愛事情に頭を悩ませることになったのだ。
目の前の浅倉は相変わらずうじうじしている。貴水に引き続き浅倉のくだらない戯言まで聞かされた安部は、座った目でスマホを取り出すと件の男を呼び出した。


「あ、もしもし、ヒロ?今すぐ来なさい。大介が欲求不満だから。」


「ちょっと!安部ちゃん!!」


慌てて止めに入った浅倉を無視して用件を告げる。


「あんたもうだうだ悩んでんでしょ。さっさと話してちゃんと解決しなさい。」


「ちょっと違うから!ヒロ、違うからね!!安部ちゃんの言うこと、聞かないで!」


安部は一方的に電話を切り、浅倉に向き直った。


「来るって。」


「うそでしょ・・・。」


「じゃあ私帰るから。あとはもう好きにしなさい。明日オフだしね。ごゆっくり。」


そう言ってニッコリ笑うと安部は颯爽と部屋を出て行った。
















 
 
「なんか、改まると、あれだね。」


ものの30分足らずで貴水はやってきた。安部のせいで来た時からお互いに座りが悪い。
どこから説明したものかと浅倉が逡巡している間に貴水が口を開いた。


「大ちゃん、欲求不満、なの?」


「違うの!それは安部ちゃんが勝手に!!だから、その、なんて言うか・・・。」


しどろもどろになる浅倉をクスリと笑う。


「なんで笑うんだよ!」


「いや、大ちゃん可愛いなと思って。」


さっきの安部の言葉がよみがえる。何でも可愛いわけじゃない。強く頭の中の安部に否定して見せるが、安部はニヤニヤ笑いを止めなかった。
浅倉が頭の中の安部と戦っていると、再び貴水が口を開く。


「安部ちゃんに言われたからって訳でもないんだけどさ、あのぉ・・・ソーシャルディスタンスって、どうなのかな。どのくらい、良いのかな?大ちゃんは、どう思う?」


貴水専用のコーヒーカップを両手でもてあそびながら聞く。底の方にまだ残っているコーヒーがたぷたぷと揺れる。


「どう、って・・・。」


「こうしてさ、一緒にいる時間もちょっとずつ長くなって、こうやって2人でいる時は、だんだんマスクもしてない、じゃない?でも大丈夫だし、気の緩みって言われたらそうなんだけど、もちろん気をつけなきゃいけないんだけど、もうちょっと、大ちゃんと、仲良くしたい・・・な、って。」


上目遣いに浅倉を伺う貴水は黙って答えを待った。その視線にたまらなくなった浅倉はあちこちに視線を泳がせながら、必死に動揺した気持ちを落ち着かせた。


「僕は・・・。」


それ以上言葉に出来なくて浅倉もコーヒーカップに目を落として俯く。
貴水の言葉は純粋に嬉しかった。二つ返事で頷きたいほどに。けれど素直に『うん』と頷けるほど浅倉は素直ではなかった。自分でもこのややこしさは理解している。
だって恥ずかしい。貴水の言葉に『うん』と素直に頷くことは自分もそれを期待していたと認めてしまうことで、言い換えれば『早くキスして』と言っているようなものだ。そんなこと、恥ずかしくて言えるわけがない。
事実期待して待っているんだけれど、そこは察してほしい。
ステージパフォーマンスで匂わせるようなことをやっているじゃないかと言われてしまうかもしれないが、プライベートにそのスイッチは持ち合わせていない。
貴水との関係はそういうフィルターを掛けたくない、出来るだけ素で居たい。けれど素直になるのは恥ずかしい。我ながら面倒くさい。
自分の性格に若干イラつき始めた浅倉は残っていたコーヒーを一気に飲み干すと、カップを持って立ち上がった。こんな空気に耐えられそうもない。キッチンへ逃げ込むとやっと小さくため息をついた。
 
立ち去っていく浅倉の耳が真っ赤になっていることは気付いていた。浅倉がめちゃめちゃ意識していることも。
おそらく浅倉の中にも同じような気持ちがあって、それを口に出来ないもどかしさがあるのだろう。安部の言った『欲求不満』とはおそらくそういうことなんだと思う。
意識していなければきっと何も考えずに『うん』と返事が出来たはずだ。けれど意識していたがために浅倉は深読みしすぎて返事が出来なかった。
浅倉は直接的に自分からそういうワードを口にすることが恥ずかしいらしい。何でも言わなければ伝わらないと思っている貴水には解らない感覚だが、そういう貴水の明け透けな物言いが浅倉には恥ずかしく感じるらしい。そんなものかと思ったりはするが、恥ずかしがる浅倉もそれはそれで可愛いのであえて指摘はしない。
さて、どうするか。おそらく2人ともがスキンシップを欲していることは解った。
せっかく安部ちゃんがお膳立てしてくれたのだし、おそらく大ちゃんからは動かない。となると自分がどうにかするしかないわけだ。
貴水は残ったコーヒーを飲み干すと浅倉の後を追った。
 




 




「大ちゃん。オレもコーヒーちょうだい。」


後ろからやんわり抱きしめると、呆けていたのか浅倉はビクリと反応した。


「あ、うん。」


ここまでは出来るのだ。それなりに心の中のディスタンスの壁はあるものの、同一方向を向いているし、ライブでもここまでは出来る。問題はこの後、なのだ。
浅倉の体温を感じながらコーヒーが出来上がるのをゆっくりと待つ。心なしか浅倉の鼓動を速く感じるのは自分も同じリズムを刻んでいるからなのだろうか。


「ねぇ大ちゃん。」


浅倉の肩に顎を乗せ貴水は心の中のアクリル板を蹴倒した。


「ひゃあっ!」


驚いた浅倉が悲鳴をあげる。


「頬っぺたじゃん。ダメ?」


前を向いた浅倉を後ろからハグした状態では頬にキスするのが精いっぱいだ。
無防備な頬に触れるだけのキスだが、この2年ずっと出来なかったことだから貴水にとってもそれなりに勇気が必要だった。頬であろうと一度キスしてしまったら多分自分を止めることは難しいだろうから。
案の定、あんなに触れるのを怖がっていたのが噓のようにもう一度浅倉の感触を確かめるようにキスを落とした。


「ちょっと、ヒロ!ダメだって!」


顔を背けて逃れようとする浅倉はそれでも貴水の腕の中に納まったままだ。耳からうなじまで赤くして、可愛らしいと思う。
一層強く浅倉を抱きしめると、浅倉はコーヒーメーカーにかけていた手を放して貴水の手を軽く叩いた。


「放して。」


「大ちゃん逃げない?」


「・・・コーヒー、入れに来ただけじゃん。」


「うん。そうだね。」


クスクスと耳元で笑う貴水の頭を浅倉がはたく。


「笑ってんなよ。」


「だって大ちゃん可愛いから。」


「バッカじゃないの。」


貴水の腕の中から逃れようとジタバタする浅倉をもう一度強く抱きしめて、貴水は安堵のため息をついた。


「そうそう、この感じ。好きだなぁ。」


「何がだよ。」


「久し振りじゃない?こういうの。」


そう言って浅倉の首筋に懐く貴水の感触。こんなに近くで体温を感じたのはいつ振りなんだろうと浅倉も考えた。
落ち着く居場所。貴水の自分より少し高い体温。


「ねぇ大ちゃん、好きだよ。」


落とされる優しい言葉。


「な、なんだよ、急に。」


「なんかさ、ずいぶんご無沙汰だったから、もう一回告白からって思って。」


そう言って貴水は柔らかく笑った。こんな近くで笑う気配を感じたのも久し振りだと浅倉は思う。表情を見たくて貴水の方を伺うと唇が触れた。


「!!」


驚いて手で唇を覆うと、今度はその手を包まれ指先に優しいキスを何度も繰り返す。


「ねぇ、ヒロ・・・。」


「嫌だった?」


真っ直ぐに見つめられ胸の奥が苦しくなる。掴まれた手に引っ張られるように気付けば貴水が正面にいる。


「ねぇ大ちゃん。教えて?」


喋るたびに指先に貴水の熱い息がかかり、それだけで卒倒しそうになる。この2年の月日は罪深い。
ふと貴水の笑う声がする。


「大ちゃん、緊張してるでしょ。」


「し、してないよっ!」


思わずムキになって浅倉は抗議した。


「ホントに?オレは、緊張してるよ。ほら。」


そう言って貴水は掴んでいた浅倉の手を自分の心臓の上に重ねた。貴水の鼓動が浅倉の手に伝わる。


「だってすごい久し振りだもん。緊張するよ。」


「ヒロでも?」


「そりゃあ大好きな大ちゃんだもの。」


くしゃりと照れたように笑う貴水を浅倉は驚いた表情で見上げた。浅倉の中の貴水は恋愛事には絶対の自信を持っているように見えていたから。
ヒロでも緊張するのか、そう思ったら浅倉は少しだけ気持ちが楽になった。


「ヒロっていつでも自信満々なんだと思ってた。」


「そんなことないよ。」


「僕にはそう見えてたの。だって、こういうこと、平気でするし・・・。僕にはムリだもん。」


浅倉がポツリと漏らす。
男として悔しいという気持ちが浅倉の中にないわけではない。ただ小さい頃から恋愛を謳歌してきただろう貴水と張り合う気にもなれないだけだ。
浅倉はほんの少しの悔しさを貴水の胸を小突くことで消化した。


「大ちゃんのそういうとこ、可愛くて好き。」


貴水は本当に愛おしそうな表情で浅倉を見つめた。その視線に浅倉の体温が上がる。
コツンと貴水が額を合わせてくる。


「ち、近いよ、ヒロ。」


鼻先さえも触れてしまいそうな距離。浅倉はのけ反るように身体を引いたが、背中にコーヒーメーカーの熱を感じてそれ以上は下がれなくなった。


「ねぇ、さっきの答え、聞いていい?まだ、ソーシャルディスタンス?」


貴水が喋るたびに吐息が触れる。


「そんなこと、僕に聞かれても・・・。」


「だって大ちゃんの嫌なことはしたくないよ。さっきちょっとしちゃったけど。」


貴水の言葉に浅倉の唇に先程の感触がよみがえる。


「あ、大ちゃん、体温上がった。」


額をくりくりと押し付けて貴水が笑う。


「言うなぁ・・・。」


恥ずかしくてくすぐったくて、それでも不思議と落ち着く。鼓動は相変わらず騒いでいたけれど浅倉は抗う力を少しだけ抜いた。察したのか貴水が鼻先で触れてくる。


「しちゃうよ?」


掠れた貴水の声。答える代わりに目をぎゅっと瞑った。プリッと弾力のある貴水の唇がゆっくりと窺うように触れる。じんわりと体温が伝わってくる。
触れるだけの唇は熱が馴染む前に静かに離れた。小さな吐息。浅倉は自分が息を詰めていたことに恥ずかしくなった。


「やっぱりダメ?」


視界がぼやける程近くで貴水が訊ねる。引き結んだままの唇に貴水の親指が触れる。感触を確かめるように撫でていく。


「もう一回、いい?」


貴水の指が唇から顎に添えられ、しばし浅倉の反応を待つ。浅倉はやはり答えられないまま貴水の視線から逃れるように目を瞑った。


    っん。」


さっきより強い唇の感触。熱がすぐに馴染む。閉じたままの浅倉の唇を解すようにやわやわと食んでいく。
貴水は引き結んだままの唇を抉じ開けようとはせず、唇の端まで丁寧に感触を伝えてくる。
忘れていた感触は懐かしんでいた記憶そのままで、浅倉の思考を蕩けさせる。この熱も、この触れ方も浅倉の好きな貴水のものだった。
羞恥心より愛しさが勝った浅倉の唇から力が抜ける。貴水の唇は絆された浅倉の下唇を幾度か食むとゆっくりと離れた。再び懐くように鼻先で触れてくる。


「しちゃった。」


笑んだ声で貴水が言う。数センチの距離で見つめてくる貴水はそのまま浅倉を柔らかく抱きしめた。


「ありがとね、大ちゃん。仲良くしてくれて。」


一度キュッと強く抱きしめると貴水は身体を離す。輪郭がきちんと見える距離まで離れると、しばらく浅倉を見つめた後、くしゃりと困ったように笑った。


「帰るね。」


何かを振り切るようにそう告げると、自分を納得させるためか何度か頷き背を向けた。


「ヒロっ!」


咄嗟に浅倉は叫び、その声に貴水が立ち止まる。ゆっくりと振り返った貴水の視線。窺うように浅倉を見つめている。


「あの・・・、あの、コーヒー、飲むでしょ?」


縋るような視線でたどたどしく訊ねる。そんな浅倉のうなじも耳も赤い。


「引き留めていいの?オレ、止まれないよ。」


優しい貴水のトーン。振り返った姿勢のまま浅倉に訊ねる。


「だって、ヒロのために、コーヒー淹れたし・・・、捨てちゃうの、もったいないし・・・。ヒロ、帰る?」


顔を真っ赤にしながら上目遣いで聞いてくる浅倉に、貴水は笑いながらため息をついた。


「ホント、大ちゃんズルいなぁ。引き留めたのは大ちゃんだからね。」


「もったいないからコーヒー飲むだ、・・・っ!!」


最後まで喋りきらぬうちに浅倉の唇は貴水に奪われた。完全に無防備だったその口内にするりと滑り込むと、驚いた浅倉の舌を巧みに絡めとる。


    んんっ!!」


丹念に浅倉の中を確かめるようになぞり、舌の裏まで余すところなく触れていく。
先程の窺うようなキスとはまるで違う濁流のような激しさ。けれどやはりこれもよく知る貴水のものだった。
くちゅくちゅと水音が溢れる。次第にどちらからともなく甘いと息が漏れていく。
浅倉の中を一通り堪能すると静かに唇を離した。浅倉の目元が蕩けて赤く染まっている。


「・・・ばか。」


塗れた唇で浅倉が抗議の声をあげる。


「オレ、ちゃんと断ったでしょ?」


「ちがうもん。僕はコーヒー飲もうって言っただけだもん。」


上目遣いで口を尖らせる浅倉の腰をクイッと引き寄せ貴水が笑う。


「コーヒーは明日の朝、飲めば良くない?」


貴水の言葉に腕の中の浅倉の体温が上がる。
浅倉は精いっぱいの勇気を振り絞ってポツリと言った。


「・・・ヒロが淹れてくれるならね。」


貴水はその言葉に破顔すると再び優しいキスを落とした。
 
 




END 20220611