<マネージャーの懊悩>





「ねぇねぇ、古民家ってなんかワクワクするよね。」



遠くにそんなワクワクするような声が聞こえてくる。一体何て返すんだろうと聞くともなしに聞いていると、またしても見当はずれな答えが聞こえてくる。


「なんか、蚊が多そうだよね。」


それが相手の気持ちをどれだけ消沈させるか本当に解っていない。まぁ今に始まった事ではないのだけれど。
チラリと視線を投げると冗談で返しているものの浅倉は明らかにシュンとしている。何でこんな2人が上手くやって行けるのか、未だに解らない。

帰り支度が一段落し、忘れ物がないか改めてチェックしていると浅倉の指輪が化粧台のところに置き忘れている事に気付く。貴水の楽屋なのに。
これに疑問を持ってしまったらマネージャーは務まらない。件の指輪を手にすると浅倉に声をかけた。


「浅倉さん、これ、忘れてましたよ。」


「え?あぁ、ありがとう。」


受け取ってスルリとたくさんの指輪の中のひとつにしてしまうと、浅倉は何を思い出したのかクスリと笑った。


「ヒロってさ、時々全然見当違いなこと言い出すよね。」


さっきの話かと軽く頷くと、消沈していたはずの浅倉は同志を見つけたと思ったのかひそひそ声で言った。


「蚊なんてさ、虫よけスプレー持って行けば済む話じゃんね。そういうところ、未だに感覚がアナログなんだよね。」


あなたも相当見当違いですとは口が裂けても言えずあいまいに頷くと、浅倉は機嫌を良くしたのかクルリと背中を向けて行ってしまった。
この噛み合わなさが長く続ける秘訣なのかも知れない、そう思った。
 












 
林にとって貴水はマネージャーとして初めて関わるタレントだった。マネジメントデスクなどで数人を担当した事はあったが、現場マネージャーとして付いてみろと言われたのは初めてだった。そういう意味でも貴水は林にとって特別だと言っていい。
とは言え事務所自体が大きい訳でもなくアットホームを信条としている事もあって、今までの仕事に現場への同行が増えた、管轄範囲が広くなったという捉え方でしかなかった。それでも現場マネージャーとして認めてもらえたことは嬉しかった。
貴水が移籍してくることになった時、もちろん存在は知っていた。その昔、音楽番組で目にしていたし、友人の中にはファンもいた。あの子は今頃何をしてるんだろう、自分が貴水のマネージャーに付くと知ったら驚くだろうかなどとぼんやり考えた。

貴水との付き合いはもう20年を超えた。その間、紆余曲折はあったものの、今では初めてついたタレントが貴水で良かったと思っている。まぁ問題はいろいろあるのだが。
荷物を持って貴水を促すと、せっかちな彼はあっという間にスタッフの間をすり抜けて出口へ向かう。その途中でもちろん浅倉の楽屋に顔を出す事も忘れない。


「じゃあね、大ちゃん、お先。」


ドアに半身を挟んだような状態で貴水の声が聞こえる。ゆっくり二呼吸ほど、貴水に追いつくのを待つ。


「またね。」


静寂の後、浅倉の声が聞こえたところで歩き出した。


「お疲れ様です。お先に失礼します。」


貴水の後ろから声だけ投げかけると、浅倉が楽屋のドアを開いた。


「林さんもおつかれ。」


丁寧に微笑む浅倉はさすがのポーカーフェイスで、毎度のことながらこの人の徹底ぶりには頭を下げるほかない。二人は素早く視線でいくつか会話をすると何事もなかったかのように別れた。陽気な貴水の声だけが響く。このテンションの高さも実はカモフラージュだという事に長い間気付かなかった。


世の中的には理智的な浅倉と感覚派の貴水の印象が強いが、実はそうでもない。貴水は実にうまいこと甘えたがりの三男坊を演じ続けてきた。もちろん本人のもともとの気質もあったからだとは言え、この2人のバランスは実は貴水によるところが大きい。
浅倉の性癖については2人が活動を再開する事になった時、やんわりと耳にした。極秘事項ではあるもののこの業界少なくない話だ。その辺の事は心得ていた。
確かに2人の距離感は世間一般の男友達と言うには近すぎたけれど、2人の間にそういう関係があるようには見えなかったし、何より貴水には彼女がいた。どれもこれも長続きはしてないようだったが、迎え先を変更する連絡があった事も少なくない。自分の立場としてはそう言ったものの方にこそ気を配るべきだった。何度か釘を刺した事もある。
もちろん浅倉との関係を怪しんだこともある。それほどに2人の距離は近かった。けれどそれすら貴水のもともとのパーソナルスペースの近さだとか、浅倉の面倒見の良さだとか、何より自分より前から続いている2人の関係性、先方マネージャー安部の態度などを見て、どうやらこれがこの2人の通常なんだと思っていたのだ。そのくらいこの2人を取り巻く古くからの環境が当たり前に親密な2人を扱っていた。
仲が良いことは悪い事じゃない。仕事としてはきっちりお互いの事務所間で合意が取れていたし、2人の活動を辞めるべく理由も見つからない。
恐らく浅倉は貴水の事が好きなんだろうとは思っていた。それは本人自身が自分の音にはまるのは貴水の声だけだと明言していたせいもある。アーティストとしてその才能に惚れる、そう言ったことは珍しくない。
もちろん貴水も浅倉の作る音に惚れこんでいる事は知っていた。だからきっとそう言ったことも含めての親密性なのだと思ったのだ。そこに浅倉の性癖が少しだけ影響している。そして過去にそう言ったことを売りにした事も。
ライブで見せるその手のパフォーマンスはそのあたりのイメージ戦略を上手く利用した悪ふざけのようなもので、本人達も裏ではあっけらかんとして笑っている。その姿を見ていたからまんまと騙されたのだ。




その現場に遭遇したのはもう10年以上前だ。貴水が女性関係でごたついていた時、2人の間の空気が明らかに変わった。最初は不祥事の件で距離を取ろうとしているのかと思った。ユニットとは言え事務所が違うのだし、これは貴水の問題だ。浅倉には関係がない。だから一切に口を噤んでいるのだと思っていた。マネージャーとして考えれば正しい選択だし、もし仮にこれが逆の立場だったとしたら恐らく自分も同じように貴水には静観するように言っていたに違いない。
それがどうやらそれだけではないと思い始めた時、偶然耳にしてしまったのだ。


「弁解なんか聞きたくない。」


初めて聞く冷たい浅倉の声だった。


「ヒロに女がいることなんて知ってたよ。でも、隠し通すのが礼儀ってもんじゃないの。」


ピシャリと言い捨てられて、この件に関してこれほどまでに浅倉が怒っていた事を知った。
確かに久し振りのアルバム発売とツアーを控えたこのタイミングで言われても仕方のないことだった。現にファンの中ではアルバムの不買運動だのチケットの譲渡が後を絶たない。今まで貴水が女性に向けてある種のセクシャルなパフォーマンスをしてきた事もあってダメージは少なくない。


「ごめん。ホントにごめん。」


「別に。結婚したければすれば。僕じゃしてあげられないしね。」


申し訳なさでいっぱいだった浅倉の言葉に違和感を覚えた。
僕じゃしてあげられない?
何を?


「そんなつもりはないよ。結婚なんて考えてもいない。」


「それでも女と付き合ってたんだろ!
いいよもう。僕がそれをとやかく言える立場じゃないことは解ってるよ。ヒロはノンケだからね。ご両親の期待とかもあるだろ。さっさと孫の顔でも見せてやったら。」


「大ちゃん。」


「触んな!」


頭の中が真っ白だった。記憶の整理が追い付かない。グラグラと眩暈がしそうな思考の中で必死に自分を立て直そうとする。
そんな自分の肩をポンと叩いた人がいる。ビックリして振り返ると呆れた顔をした安部だった。


「ちょっとアンタ達、いくらみんな帰ったからってそういう話は余所でやりなさいよね。廊下まで聞こえてるわよ。」


乱暴に扉を開けて入って行った安部の後ろから恐る恐る顔を覗かせると貴水より先に浅倉と目が合った。浅倉はすべての事態をその一瞬で把握したのだろう、全てに終止符を打つように大きくため息をつくと自分の荷物を持ってその部屋から出て行った。浅倉を追って安部が出て行くと部屋には貴水と2人だけが残された。こんな重大な事を隠しておいて、今も逃げるように視線を合わせようとしない貴水に腹立ちを覚えた。つかつかと歩み寄るとそのまま右腕を振り上げ、貴水の頬を叩いた。いきなり与えられた思いもよらぬ衝撃に貴水の視線がやっと自分を見る。


「帰りますよ。貴水くん。」


怒りが溢れそうになるのを必死に堪えて告げた一言は、自分でもびっくりするほどドスのきいた声だった。




思えばあの時から貴水との関わり方は変わった。
あの後、誰にも聞かれる心配がない車の中ですべてを白状させると、貴水と言う男が実はこちらが思っているほど能天気ではない事も、それなりの狡猾さを持っている事も解った。
女性の敵とは良く言ったものだ。恐らくこの男にとって浅倉以外は永遠にそう言った対象になる事はないのだろう。それなのに浅倉を守るためならきっと平気で好きでもない女にも愛を誓える、それがカモフラージュだとは微塵も感じさせないまま。
何だか今までタレントだからと気を使ってきた事が途端にバカバカしく感じて、それ以降、変な気を遣うのはやめにした。もしかしたらそれが貴水にも伝わってしまったのか、それともバレてしまったからという開き直りからなのか、ごくごく身内の前では浅倉との関係を隠さなくなった。
恐らく今までは自分もその他大勢の一人だったのだろう。安部や、古くから2人に関わってきた数人は既にこの関係を知っていて、その人達の前では彼らもリラックスしていたのだろう。
いくら見られる事が商売とは言え気を張りつめていなければいけない状況はしんどい。ホッと一息つける場所になれたのだと思う嬉しさはあるものの、最近の2人の行動は目に余るものもある。まぁそんな事を言い始めたらマネージャーは務まらない。見ない振り、知らない振りで周りを煙に巻く役を担わなくてはならない。
恐らく自分が貴水の担当になった時に感じた当たり前感は、こうした事情を知っている人達によっていつの間にか出来上がっていったのだと今では解る。自分もそれほど長くこの男の秘密に加担しているのかと思うと難儀な商売だなと思う。
車に乗ると貴水はスマホの画面を開いて何やら必死に文字を打ち始めた。未だに貴水の文字打ちは遅い。


「貴水くん。」


「ん?」


「ああいうのは控えてくださいね。」


バックミラー越しに何が?と問うてきた貴水をジロリと睨み返す。


「思いっきり不審ですよ、楽屋のドア。」


「あ、バレてた?」


「バレてますよ。角度によっては見えますからね。濃厚なお別れがしたいのは解りますけど、劇場スタッフもいるんですから。」


そう言いながらエンジンをかける。言っても無駄な事は解っているが、コレもマネージャーの仕事の内。効き目がないであろう言葉を繰り返す。


「理解があるマネージャーで良かったなぁ。」                              


「そう思うなら少しは気を付けてくださいよ。」


「はーい。」


人の話を聞いているのかいないのか、LINEの着信音が何度か行き来すると貴水の表情が嬉しそうに崩れた。


「行先変更ですか?明日のスケジュールはオフですけど明後日は13時から打ち合わせですからね。」


「さすが気が利く!」


右車線へ変更のウィンカーを出すと貴水は安心したようにゆっくり目を閉じた。その様子を苦笑するしかない今の自分の状態が、林は嫌いではない事にほんの少し笑った。
 



 
END 20210809

















































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