<Autum glow>





秋の香りがする、そう言ったのは誰だったか。
秋の訪れは突然で、気付けば通り過ぎている。いつまでも汗ばむ気温を行き来していたらと思ったら感じる風はやはり夏の蒸したそれではなく、どこか肌をヒヤリとすり抜ける。
今年はゆっくりとした時間の中でゆるゆると移り変わっていく季節を味わいながら、変わらぬ自粛生活の中、日暮れが早くなったなと暮れかけて行く景色を眺めた。

夕暮れの景色はこの時期にしか見られない鮮やかなグラデーションを見せる。この季節の空を見るのが博之は好きだった。高層階に住んでいる理由の何割かはコレのせいだと言ってもいい。視界を遮るものがないこの場所からこの空を眺めると、地平の先のどこかへ行けるようなそんな気すらする。

何となく弦を爪弾きながら頭を空っぽにする。目的のないその音色は夕暮れに吸い込まれるように消えていく。

彼との予定がない。ここ最近では珍しい。いろいろな事を考えて決めた結果だけれど、実際その時を迎えてみるとなんとも落ち着かない。ソロの打ち合わせなどもあるにはあるのだが、リズムのようなものがここ数年でこんなにも出来上がっていたのかと今更ながらに思う。
彼は結構な頻度で別荘へ行っているらしく、ふらりと立ち寄って顔を見ることも出来ない。

居るべき人が居ないのは何処かに何かを置き忘れてきたような収まりの悪さ。彼の音が聞こえないのは秋のもの悲しさと相まって余計に心に空洞を空ける。

彼は今、何をしてる?何を見てる?この暮れて行く空を見上げているだろうか。

彼に逢いたいと、夕暮れはそう思わせる。鮮やかなオレンジ、ピンク、混じるような藍。グレーの雲がその境目を曖昧にして、目を刺すような長い光を遮っている。

爪弾いていたギターを置いて立ち上がると軽く伸びをした。空っぽにしたはずの頭が彼でいっぱいになっていた事に苦笑する。
普段は思い出す事なんてない。彼が生活の中心にいるわけではない。そう思っている。ただこうしてみると無意識のうちに彼の存在は基準のひとつになっているのだと気付かされる。

もう、自分の一部になってしまった。何の根拠もないのだけれど、自分のする事に彼が意を唱えることはないと解っている。だから選択する時に彼の事を考えることはない。多分それは彼もそうで、でなければいきなり別荘を持つなんてこともしなかっただろうと思う。もちろん彼の問題だし、自分に相談して欲しかったわけではない。けれど自分がその事を知ったのは既に出来上がって彼がそちらでの生活を開始してからだった。言ってなかったっけ?と彼は笑った。

そのくらい自分の中の事が彼とは曖昧になっていて、言葉に出して確認しあった事はないけれど、お互い好きにやろうよと、多分そう言うことなんだと思っている。

傍にいなくても彼の存在はここにある。繋がっている事を感じている。だからと言って会わなくても平気だという訳でもない。たまには彼の元気な顔を見て安心したいのだ。

そう、安心なのだと思う。今日も彼が彼らしく好きな事をしているのか、その事を確認したいのだ。例えそれが自分の介入する事がない世界でも、彼が没頭できる何かであればそれでいい。放っておくと寝食を忘れてしまう人だから、どちらかと言えば自分の存在がストッパーになればいいとは思っている。最近その役目は彼の愛犬たちが担っているけれど。
そして自分にも充電させてほしいのだ。彼と言うエネルギーの源を。

お互いがお互いの仕事に口を出す事はないけれど、感性の違う彼から新たな視点を得ることは少なくない。自分にとっては思いもよらなかった事が、彼にとっては些細なことであることも多い。だから面白いのだ。

あぁ、彼に会いたくなってしまった。とても会いたくなってしまった。

身体の奥からじんわりと滲むような想いが自分を侵蝕していく。

彼に会いたい。会いたいよ、大ちゃん。

言葉にならない思いが気道を抜けて音になる。シャウトするようなその音が虚しく部屋に響く。

どうしたって彼には届かない。もちろんこんな自分を見せるつもりはないけれど、時々知らしめてやりたい気持ちにもなる。

こんなにも好きなんだ。

夕暮れは見る間に割合を変えて、深く包むような色合いを見せる。
輝き始める一番星。星好きな彼もきっと見ているに違いない。

ふと、車を走らせてみる気になった。何となく予兆のようなものを感じた。こんな時の自分の直感は当たる。
驚いた彼の表情を思い描いて頬が緩む。抱きしめて目尻の皺にキスをしよう、そう思った。
 
 
END 20211015