<この夜に翼を>








会いたい。
ふと見上げた月を見つめてそう思った。
さっき聴いたあの曲のせいかもしれない。
何でもないように、感情の赴くままに奏でるそのメロディに胸の奥がギュッと掴まれるようで、言葉よりも雄弁に語るその旋律にたまらなくなる。
歌いたい。
彼の音で、彼の隣で。
心を震えさせるような、魂を叫ばせるような、腹の底から突き上げてくる衝動に任せて。
輝く月は黙ってこちらを見下ろして、冷たい光を静寂の中に落とす。
彼も同じように、この月を見上げているのだろうか。
さっき聴いた彼の音はオレの中に炎を宿したまま、この矛先をどこへ向けていいのか解らない。
叫び出したい衝動に耐える。ギターを爪弾いてみても何かが違う。
ただ歌えればいいんじゃない。
彼の音で、歌いたいんだ。






ソロアルバムの制作に入り、歌う事自体が減ったわけではない。
むしろいつも以上にコンディションには気を使い、全力で歌っている。
けれど、彼の音を聴いてしまったらダメだ。自分の中に埋められない場所がある事に気付いてしまう。

ソロと彼の音とでは全くの別物でそのどちらが欠けても成立しないのだけれど、本来燃え尽きるはずだったそのタイミングに準備だけして本番を迎えられていないフラストレーションは、事情が事情であっても消す事は出来ない。まるで遠足当日に中止を告げられたみたいだ。
戦うはずだった彼の音は未だオレの中に燻っていて、その音がその先どんなふうに変化していくのか期待に胸を膨らませていただけに突然取り上げられたこの焦燥がカラカラと空回りしている。

そんなところにあのメロディだ。
彼の気持ちを雄弁に語る旋律は自分だけではなく彼もまた、同じ焦燥の中にいる事を感じた。それはまるでオレに戦いを挑むような旋律だったから。
気付いたらブレスを入れていた。脳内ではその旋律で歌っている。
幾度かのブレスはやがて音になり声になり、久し振りに彼を近くに感じた。

会いたい。
彼の不在を感じてしまったら余計にその空間が切なく広がる。
そんなオレに追い打ちをかけるように窓の外には丸い月の光。彼に繋がるものばかりだ。

会いたい。
会って、彼を近くに感じたい。
彼の音で迸るように歌いたい。
彼の情熱的な音に、身を委ねたい。


会いたいよ、大ちゃん   
 















 
 
久し振りに彼の歌声を耳にした。
伸びやかな美しいその声。
僕らの曲ではなくソロの曲であったことはほんの少し気になったけど、彼が四苦八苦しながらあげただろう動画を何度も繰り返し再生してしまう。

変わらぬ彼の姿。
元気そうだ。

彼の歌声を随分と聞いていない。彼の声だって数えるほどだ。
業務連絡はマネージャーを通して行われる事がほとんどだし、直接僕らがやり取りをする必要はない。
楽曲の事なら直接やり取りもするが、今は特段そんなやり取りがあるわけでもない。

最後に声を聞いたのはいつだろう。何だかすごく遠い気がする。

声が聞きたい。
その明るい声で屈託なく笑う彼の熱い歌声が聴きたい。
彼が歌う場所を作る事、それが僕の望み。
随分前も同じように歌う場所を失った事もあったけれど、あの時とは状況が違う。
あの時は自分の力で叶えられる事もあったが、今は自分の力の及ばない状況。
黙って待つしかないこんな状況が歯がゆい。彼を歌わせてあげられない事が苦しい。
頭の中にはこんなにも鮮やかに彼の歌声が響いているのに、実際にその声を聴けない。きっと彼も歌いたいはずなのに。

会いたい。
会って、心置きなくその歌声を響かせてほしい。
うるさいなんて言わないから、彼が飽きるまで好きなだけ歌って欲しい。僕をその歌声で満たしてほしい。



夜に行うインスタライブではなるべく2人の曲は弾かないようにしている。弾くと、そこに彼の声がない事が切ないから。
どれもこれも思い入れのある曲だけど、思い入れが深い分、切なさは倍増する。
ここで彼がこの曲を歌ってくれたら、そんなふうに思ってしまったらもうダメだ。
幾通りもの彼の声が僕の中から溢れてしまいそうになる。
歌い出しのブレスから吐息のようなビブラート。耳元で歌われているような気さえする。

彼がソロのアルバム制作に入って忙しくしている事は知っている。だから彼の時間の邪魔をすることは憚られた。
フラワームーンの月の輝きはいつかのPVのようで、だから僕はその曲を弾いた。大切な大切な僕達の曲。

もし彼が聞いているなら届いてほしい。
僕の耳にはいつだって君の声が聴こえているんだって事を。
僕はいつだって君に歌って欲しいんだって事を。


届いて、ヒロ   
 














 








 
軽やかな着信音に画面をタップすると彼から月の写真。


″今日はフラワームーンだよ″


望遠鏡を出して撮ったのだろうか、相変わらずくっきりと教科書にでも載っていそうなものだった。
白く冴え冴えと輝くそれは、自分の肉眼で見たものとは印象が違う。けれどやはり同じように空を見上げていたのだと、乙女チックな運命のようなものを感じてしまう。

繋がっている。
先程より幾分か高い位置に登った月を見上げる。
月の光はどこか彼に似ている。繊細な光は夜空を柔らかく照らして、こんな時思いの外明るい事に気付かされる。

会いたい。
この柔らかな光のような彼に会いたい。黙って包み込んでくれるような彼のぬくもりに触れたい。
先程彼の旋律に心を揺さぶられたそんな状態の自分には、たった1枚の写真が彼の呼ぶ声に聞こえて・・・。


手にしたスマホは気付けば彼を呼んでいる。
数回のコールの後、やわらかい声が耳元に届く。久し振りのその声は身体の隅々までじんわりとあたためてくれる。


「月、オレも見てるよ。」


「きれいだよね。」


「うん。」


離れた場所で同じ月を見つめている。耳元には彼のぬくもり。


「聴いたよ、今日。・・・歌いたくなった。」


「そっか。」


   会いたい。」


「ん・・・。」


「会いたいよ、大ちゃん。」


「僕も。会いたいよ、ヒロ。」


お互いにそれ以上何も言えないまま。耳元のぬくもりに息をひそめる。


「早く終息するといいね。」


「そうだね。」


「一日でも早く・・・。」


そう呟いた彼の声。どうする事も出来ない状況に祈るような吐息が混じる。


どうか、どうか・・・。
心の中で強く願う。


見上げた月は2人の思いを静かに受け止めて静かに輝いている。
 
 







END 20200507