<夢見る頃を過ぎても>






齢50を過ぎてようやく気持ちを確かめ合った遅すぎた春に、この気持ちを大切に大切に育てて行こうと思ったその数秒後、生来のせっかちが顔を表したのは貴水の方だった。
貴水の判断基準はYESかNOのどちらかしか存在せず、しきりに「イヤ」と繰り返す浅倉にどこまで踏み込んでいいのか疑問を感じた。
「イヤ」なのではないことは充分に解っている。本当にダメな事にはNOを言える人だという事はこの長い付き合いの中で解っていたし、自分のする事に対する拒否の仕方でそのくらいのことは解る。


「キス、していい?」


そんな貴水の呟きに


「そんなの、ライブでいつも勝手にするくせに。」


そう言って最初浅倉は笑った。


「そういうのじゃなくて、恋人の。」


「・・・ばか。」


視線を逸らしながらそう答えた浅倉に啄むようなキスをひとつ。唇の柔らかさに止められなくなってふたつ、みっつと重ねていくうちにその先をねだる気持ちが貴水の行動に表れてくると、浅倉は軽く貴水を押しやるように


「イヤ。」


そう言った。


「ホントにイヤ?」


そう言って浅倉の視線を覗き込むと目尻を赤くしたまま視線を外し、詰められた距離からは離れようとしない。
恥ずかしがり屋のこの人の事だから急な展開にほんのちょっと不安になったに違いないと、逸る気持ちを抑えゆっくりと再びキスをして、抱きしめて、その先へと思うと


「イヤ。」


再びそう告げられた。
聞こえないふりをして強引に滑らかな素肌に手を這わせていると繰り返される「イヤ」というセリフ。さすがにそれ以上は進めなくて手を止めて浅倉を覗き込むとイヤと言っていたとは思えないくらい妖艶な彼がいた。
イヤじゃないでしょ?という言葉が喉元まで出かかったが、本当のところは解らない。
別に無理強いしたいわけでもない。
やっとの事でお互い好きだという事が解ったこの関係を壊したくはないし、出来ることなら相手にとって必要とされる自分でありたい。それは精神的にも肉体的にも。
これから先の事を思えば相手の気持ちを確認するくらいの時間、訳もない。こう言う事は早めにはっきりさせておいた方が、そう貴水は思った。


「大ちゃん、キスは平気?」


ゆっくりとだがコクリと頷く。


「エッチなキスも?」


視線を合わせないまま小さく頷く。


「ギュッてされるのは?」


「・・・へいき。」


「じゃあこれは?」


するりとシャツの中へ手を差し入れ素肌の背中から脇、胸へと手を滑らせる。


「・・・ウゥ…っ。」


下唇を噛み締めて小さく声を漏らす。貴水が手を下ろしそのままズボンの中に差し入れようとしたところで、


「イヤっ!」


トンッと両手で軽く押しやられた。


「こっちはダメなんだ。大ちゃん、エッチは嫌い?」


真っ直ぐ聞いてくる貴水の声。


「オレは大ちゃんとエッチしたいし、大ちゃんの事、もっといろいろ知りたいし、気持ちよくしてあげたいし、エッチが全てじゃないと思うけど、でもやっぱり大ちゃんとしたいよ。
でも大ちゃんがホントにイヤって言うんだったら無理強いはしたくないし、出来ないし、そのくらい大切に思ってるけど、大ちゃん、どう?エッチは嫌いなの?それともオレとはしたくないの?どっち?」


浅倉は覗き込まれている気配を感じてますます返答に窮したが、次第に増してくる貴水からの視線の圧にとうとう耐え切れなくなった。


「そんなのヒロみたいに良いとか悪いとか言えるわけないだろ、バカっ!!どっち、なんて・・・僕に聞くなっ!!」


そう怒鳴られたのが数週間前の話。あの日以来、貴水は浅倉の言葉を反芻し、お互いがハッピーになれる解決策を探し続けていた。
そしてその名解決策がこの日、やっと手に入った。貴水は嬉々として浅倉のところへ向かった。
 









 




「え?何コレ・・・。」


「知らない?YES・NO枕。これなら大ちゃんも思ったこと口に出さなくても大丈夫だよ。」


ニコニコと笑う貴水を目の前にして浅倉は眩暈を感じて倒れそうになった。
何がどうなってこうなったのか、長年付き合ってきたけれど、この男の思考は未だに計り知れない。


「この前大ちゃんに言われたこと、考えたんだよね。大ちゃん、オレの事は好きって言ってくれたし、イヤっていう割にはイヤそうじゃないし、じゃあ何がイヤなのかなって。そしたら大ちゃん、言ったじゃない?良いとか悪いとか言えるわけないって。それはきっと大ちゃんが恥ずかしがり屋だから口に出すのが恥ずかしいんだなって。じゃあ、口に出さなくても済むようにすればいいんだって。だからこれならいいでしょ?」


さも名案のような口ぶりでその後も使い方を説明し始めた貴水に浅倉はストップをかけた。


「あのね、そもそもそう言う事じゃないの。口に出す出さないとかじゃなくて、そういうのって、その、なんていうか・・・だから、解るでしょ!
それにこんなもの僕ん家に置いとけないよ。スタッフだっていっぱい来るし、こんなものあったら何て言われるか。だいたいね、この枕使うのと口に出すのと、何も変わらないでしょ!」


全く、なんて迷惑でデリカシーのない男なんだ、浅倉はそう思った。
確かにずっとずっと思い続けて、きっともうこの男以上に心を揺さぶられる人はいないと思っていたその男から好きだと告げられて、未だにどこかで夢なんじゃないかと疑う事もある。けれど真っ直ぐに向けられるその思いがイヤなはずなど一ミリもない。ただ、物事には限度があると浅倉は思うのだ。
気になる事は何でも突き詰めて見当違いな事でもいろいろ試してみる癖がある事は解っていたけれど、こんな事にもとは思わなかった。このルックスでこの性格で、昔からモテる事を自負してきた男だし、ライブなどで時折見せるそういう顔は、おおよそこんなとんでもない事を言い出すような素振りは微塵も感じなかった。当然スマートに、恋愛ドラマのようなキザな事が平気で出来るタイプの男なんだと勝手に思っていた。実際そんな事をされたらそれはそれで違和感しかないのだけれど。
この気の抜けた炭酸のような決まらなさがこの男らしいのかも、と思うと、突拍子もない事を言い出した目の前の男が急にしっくりきて可笑しさが込み上げてきた。
浅倉は貴水の手から枕を奪うとバレーのアタックをするようにわざと貴水の顔の横すれすれを目がけて玄関の方へ飛ばした。


「持って帰れよ!」


「ちょっと、使ってくれないの!?」


「自分が使えばいいじゃん。」


「オレはいつだってYESだよ。」


胸を張ってそう言い切る貴水は前を行く浅倉を後ろからギュっと抱きしめた。突然の行動に驚いた浅倉が短く講義の声をあげると、


「ギュッてするのは平気なんでしょ?」


優しく甘い声が耳元でそう告げた。
ズルい男だ。こういうところの駆け引きだけは絶妙に上手い。気の抜けた炭酸のくせに、そう思いながら抱き付く男の腕の中からひじ打ちで逃れた。


「ちょっと大ちゃん、本気で入れるのやめてよね。」


「本気じゃないよ。」


大袈裟に痛がってみせる貴水に笑いながらさっさとリビングへ向かうと再び貴水が後ろからタックルするように抱き付いてきた。


恋人になりました、そう言われても、ハイそうですか、といきなり恋人モードには切り替えられるはずがない。それ程2人で過ごした時間は長かったし、長かったが故に気恥ずかしさもあった。ちょっとした視線の動きや言葉のニュアンスで隠したい本音も解られてしまう。
現に貴水は浅倉の「イヤ」という言葉に騙されてはくれなかった。手は止めてくれたけれど本気でイヤだとは思っていなかった。だからあんなものまで持ってきたのだ。
貴水がストレートでオープンな事はいい。けれど自分には無理だ。自分の口から「したい」だの「して欲しい」だの、口が裂けても言えるはずがない。例え心の中でどれほどそう願っていたとしても、消えない不安というものはあるのだ。
あの男をガッカリさせたくない。そしてあの男を知ってしまって、その後になって求められなくなるのはきっと、辛い。
 
 


















「・・・ちゃん、大ちゃん。寝るならベッド行きなよ。」


いつの間にかうとうとしていたらしい浅倉は貴水に揺さぶられ目を開けた。
他愛のない話をしながらワインを開け、自分の家という気安さと貴水がいるという安心感で気が緩んだらしい。


「うん・・・、もう寝る。」


目をこすりながらイスから立ち上がるとグラリと平衡感覚が崩れた。


「ほら、危ない!」


咄嗟に支えてくれる貴水の手に甘えるように再び重い瞼が閉じて行く。


「もう、ちゃんと歩いて。しょうがないなぁ。」


そう言いながらもなんだかんだで優しくしてくれる貴水に引き摺られるようにベッドルームへ辿り着いた。
ドアを開けベッドを目にした途端、貴水の足が止まった。数歩の距離を浅倉はフラフラと覚束ない足で歩いてそのままベッドへダイブする。


「ヒロも良かったらどうぞ。シャワーも使いたかったら適当に使って。」


いつもの気安さでそう声をかけて再び眠りの世界へ没入しようとしたが、急に貴水に引き戻された。


「んん・・・っ!!」


強引なキスと性急な手が浅倉の素肌を滑る。


「ちょっ・・・ヒロ!?」


「YESでいいんだよね。」


事態が飲み込めなくて困惑する浅倉に貴水は嬉しそうな顔で「それ」と指さして見せた。そこには玄関へアタックしたはずの枕が「YES」と置いてある。


「何で!?僕、知らな・・・、
ベルカ!!ベルカだ!!」


思い至った犯人の名前を告げつつ貴水の腕から逃れようとするが既に抑え込まれてままならない。執拗に繰り返されるキスの合間にも貴水の手がどんどんと浅倉の衣服をくつろげて行く。


「イヤ、やめて、ヒロっ!」


「だってYESだよ。」


「僕じゃないもん。ベルカが持ってきたの。」


「ベルカは大ちゃんのワンちゃんでしょ?大ちゃんの気持ちを良く解ってるんじゃない?」


「違うもん!僕はYESじゃない。」


「じゃあNOなの?」


息がかかるほどの間近で問われてたまらずに浅倉は顔を背けた。すると浅倉の首筋から鎖骨を辿るように貴水の唇が降りてくる。


「あ、ぁ・・・っ、イヤ・・・。」


「エッチなキスも大丈夫って言ったよね?」


「イヤ・・・ぁ・・・。」


堪らない羞恥心が浅倉の体温をあげる。貴水の触れているところから痺れが広がって行くようだ。
上半身をくまなく唇と指で辿って行く間も浅倉は逃れるように身体を捩り、譫言のように「イヤ」と繰り返す。再び唇に啄むようなキスを落として貴水は幸せそうに微笑んだ。


「好きだよ、大ちゃん。YESにしてくれてありがとう。」


「だからこれはベルカが。」


「うん。でも大ちゃん、NOにしなかったでしょ?だからYESでいいんだよね?」


「・・・え?」


貴水の手が今まで触れてこなかった下半身へと降りる。


「イヤ・・・!」


慌てた浅倉が貴水の手を払おうとしたが貴水の方が一瞬速かった。


「んアァ・・・ッ!!」


ビクリと身体を震わせて息を詰めた。


「こっちもYESだって。」


反応に気を良くした貴水は浅倉の鼻先にキスを降らせる。やんわりと手を動かしながら優しい声で言った。


「最初はいいけど、早く枕使わなくてもいいようになってね。大ちゃんの口から、YESって聞かせて。」


そう言って微笑む貴水に、そんなの絶対ムリ、と滑らかな手の動きに侵食される意識の中で浅倉は思った。



 
 


END 20190721