<罪作りな彼氏>





 ステージから降りて熱気の消えた暗闇の中で博之は軽いため息とともに頭を掻いた。

 アレはマズイ。アレは完全に臍を曲げている。こうなると早急に機嫌を直しておかないといつまでもチクチクとやられるのは目に見えている。
とは言え・・・。

 そう思って博之は再びため息をつく。

 何となく予感はあったのだ。夜中に送られてきた新曲のトーン、昨日羽田で顔を合わせた時のテンション、そして決定的なのは昨日のホテルでの事。
短時間で新曲を完成させたところにおあつらえ向きな地方でのライブ。箍が外れるのも仕方がない。
けれどそれは無理な話だ。せめてもう1日、待って欲しいと思ってしまうオレが悪いのだろうか。

 あの人の確信犯は本当に質が悪い。ライブのパフォーマンスの振りで、その場でどうする事も出来ない事が解っていて仕掛けてくるのだ。
またこれがTwitterで拡散されるのは目に見えている。

 何度目かのため息をつきながら博之は確信犯の待つ楽屋へと入って行く。
 さすがにこれは一言いわせていただきたい。

 
 さっさと戻って来ていた彼は先程の仕打ちなんてどこ吹く風と鉄壁の防御を決め込んでいる。
慌ただしく行き来するスタッフの波が切れたところで彼の傍らに立ち控えめな声で言った。


「ちょっと大ちゃん。」


「おつかれヒロ。飛行機の時間あるから早く支度してって。」


「あ、そうだったね。って、そうじゃなくてさ、ライブ中にアレはなしでしょ。」


「ん?何のこと?僕、なんか気に障るような事しましたぁ?」


 怖いぐらいの満面の笑み。そのくせ目だけは1ミリたりとも笑っていない。これはかなり・・・。


 事の発端は新曲が完成した事。
今回のツアーは改元をまたぐという事でミーティングの初めの方からこのタイミングで新曲とか出来たらいいねなんて話は上がっていた。
ただその時期については確定ではなく、出来上がったところからの披露にしようという事で何となくうやむやのままだった。
 それがやっぱりこのタイミングがいいと言い出したのは彼本人で、しかもそれを決めたのもほんの10日程前の事だった。
元号が変わったら一番最初にプレゼントするね、なんて冗談めかして言っていた事がまさか本当にその言葉通りになるとは、夜中の2時に送られてきたデータを見て驚いた。
 まぁやると言ったらやる人なのは解っていたけれど、このタイミングで送られてきたという事は、彼も相当根を詰めて作成した事は容易にうかがえる。
 こういう時は大抵研ぎ澄まされ過ぎた神経がグラグラと本能に火をつけるらしく、ちょっと激しめなおねだりが来る事もままある。
今回もその気配をチラリと感じてはいたが、早くみんなに聞かせてあげたいなんてセリフが来たという事は明日のライブで披露する予定でいるという事だ。
こちら側の作詞スケジュールもなにもあったもんじゃない。仮でいいよなんて申し訳程度にメッセージが添えられていたけど、そこはそれ、出来るだけの事はしたい。

 そんな事もあって新曲を貰って以降初めて顔を合わせたのがスタッフもファンもいる空港だったのだ。
 彼は相変わらずのポーカーフェイスで上手く隠してみせていたが、気が緩んだ時に見せる熱っぽい視線は彼の中に燻る何かがある事を雄弁に伝えていた。



 ライブの熱気に煽られたのか、お泊りと言う時間的制約のなさが後押ししたのか、深夜ふらりとオレの部屋に訪れた彼がいろんな手でオレを籠絡しようとしてきたのを必死でお断りし続けたのが昨日の話だ。
 そしてその仕返しが今日のライブ。わざと卑猥な単語を使って来たり、タオルで人の局部を狙って来たり、それらが故意であった事が今の会話で証明されたわけだ。本当にこの人の扱いは手がかかる。
 まぁはっきり口に出せない彼のひねくれた愛情表現だと思えばそれもまた可愛いのだけれど。


「あのさ、昨日は悪かったよ。でも無理でしょ?スタッフいるし、今日ライブだし。」


 周りに誰もいない事が解っていてもひそひそ声じゃなきゃ出来ないような話。
本当はこんなとことでしたくはないけれど、このまま黙って帰したらそれこそもっと面倒な事になる事は目に見えている。


「別に何も言ってないじゃん。早く支度しなよ。本当に時間なくなるよ。」


 ピシャリと突き放されて付け入る隙すら与えてくれそうもない。こうなると一筋縄ではいかないことは長年の経験で解っている。


 あぁもう、ステージ上でキスのひとつでもして見せればよかったのかよ。
言葉には出せない悪態がチラリと頭をよぎったが今からではどうする事も出来ない。



 昨夜オレの部屋を訪れた彼はいつになく甘えモードで、お泊りってテンション上がるね、なんて言いながら身体を預けてきた。
その時点で誘われている雰囲気は感じていたが、スタッフも同行中で翌日にもライブを控えたこの状況でさすがに彼の望みを叶えるわけにはいかず、気付かない振りをしていた。
 そんなオレに焦れた彼は次第に大胆な仕草で上目遣いにオレを見つめてくる。
 触れるだけのキスを幾度が繰り返しそこから先に進もうとしないオレにさらに唇を重ねようとしてくる彼をやんわりと押し留めた。


「ここまで。これ以上は無理だよ。」


「なんで。」


 とろりと潤んだ瞳が抗議の色を見せる。


「なんでって、みんないるじゃん。」


「今、いないもん。」


「そう言う事じゃなくて。ねぇ、解って。」


「やだ。ねぇヒロ。」


 そう言いながら必死に抑えつけている下腹部に手を伸ばしてくる。
その手を躱しながら距離を取ろうとするとゆったりめのパンツの中で既に兆している彼の姿が目に入った。


「辛いの?」


 パンツの上から形をなぞるように軽く触れると、薄く開かれた唇から期待のこもった吐息が漏れてくる。


「大ちゃんだけシテあげようか?」


 下から握り込むように強めに撫で上げながら表情を伺うと泣きそうな顔で睨まれた。


「ヒロのバカ!!」


 ドンッと両肩を突き飛ばしてきた彼はその勢いのまま部屋から出て行った。ドアの締まる音が遠くで聞こえる。

 あぁ・・・とため息ともつかないだらしない声をあげながら天井を見上げてオレは頭を抱えた。

 完全に怒らせた。
 そりゃそうだ。彼が求めてたのはそう言う事じゃなくて、もっと別のものだって言うのは解っていたけれど、だからと言って出来る事と出来ない事があるだろう。

 普段はオレなんかより状況に気を配れる彼があんな行動に出るくらいだから彼の中に燻っているものがある事は十分に解っていたし、彼が肌が触れ合うスキンシップを求めているであろう事は端から解っていたけれど、あれ以上していたらこっちのスイッチが完全に入ってしまいそうだった。
 こっちの気持ちも解って欲しい。
明日ゆっくり休ませてあげられるような状況じゃないのに、あのままじゃ彼の考えるスキンシップの範疇を超えてしまいそうだったからブレーキをかけたというのに。
欲しがりスイッチの入った彼がどれだけ刺激が強いか、自覚がないから困りものだ。


 まぁいまさら昨日の事を愚痴っても仕方がない。今どうするかだ。
 完全に営業用の和やかさですべてを煙に巻こうとしているこの人を、このまま帰すわけにはいかない。
今だってかなり際どい状況だけれども楽屋を出たら2人きりになれるチャンスなんてどこにもない。


「ねぇ大ちゃん。あんまりオレの事、いじめないでよ。オレだって我慢してるよ。」


 チュッと頭頂部にキスを落としてメイクを落としていた彼を鏡越しに見つめる。


「ウソばっかり。」


「ウソじゃないよ。ホントはすごい嬉しかったんだから。でもライブで大ちゃんに最高のパフォーマンスして欲しかったからさ。」


「だから何もしなかったって言いたいの。」


 鏡越しに冷ややかな視線を送ってくる彼の耳元にそっと呟く。


「ライブでもヒリヒリした気持ちよさを味あわさせて欲しかったの。」


 視線を外さずにじっと見つめると、彼はため息とともに視線を外した。


「・・・ズルい。そう言えば何でも許されるって思ってるだろ。」


 口を尖らせたままクルリと振り向いた彼は昨夜と同じ上目遣いでオレを見る。


「僕、怒ってんだからね。」


「うん。」


「先に酷い事言ったのヒロなんだからね。」


「ごめん。」


「ホントに悪いなんて思ってないだろ。口ばっかりなんだからヒロは。」


「解ってる。ちゃんと大ちゃんの望み、叶えるから。」


 人差し指で尖らせた唇をキスの代わりに軽く攫う。


「今日、行っていい?」


「ホント?」


「大ちゃんが嫌じゃなければ。」


「・・・やじゃない。」


「ん。じゃあ、決まり。
支度して早く帰ろ。」


 促すようにポンと肩を叩いて離れようとするオレのTシャツの裾を彼の手が掴む。


「約束。ヒロ、嘘つきだもん。」


 そう言って唇を尖らせたまま目を閉じる。


「え!?今?」


「今!」


 ギュッとTシャツの裾は握ったままキス待ち顔をして見せる。
 誰かに見られたらどうするつもりなんだよ。
 ここでまた機嫌を損ねる訳にはいかなくてオレは辺りを確認してから素早く触れるだけのキスをする。


「もっと。」


「もっとって・・・。」


「早くしないと誰か来ちゃうよ。」


 掴んだままのTシャツを引っ張りながらおねだりをする。こういう時の彼はムカつくくらい可愛らしい。
 尖らせた唇に噛みつくように、ヒヤヒヤしながら彼の求めるキスを少し乱暴にしたあと唇を離した。唇を濡らしたまま少し呆けた彼が見つめてくる。


「ンフフ。約束、楽しみにしてるね。」


 満面の笑みでそれだけ言うとさっさと帰り支度を始める彼の後ろでバレないように小さくため息をつく。

 日頃あんまりわがままを言わない人だけに、こうしてわがままを言われる事が嬉しかったりもするけれど、さすがにこの状況にはヒヤリとした。
 機嫌が直った彼から営業用のわざとらしさが消えている事にホッと胸を撫で下ろす。
この仮は今晩きっちり払ってもらわないと、心の中でそう呟いて自分も帰り支度を始めた。


 昨日の分もまとめて可愛がってあげるから覚悟しててよね、大ちゃん。
 



 
 
END 20190505