<Thin Moon>






「ねぇ、オレ、本気だよ。」


疑いようのない声。こんな瞬間が訪れるなんて考えたこともなかった。
 









 
この男はいつだって気安く愛情表現を口にする。
最初は面食らったがこの男にとってそれが通常なのだということが解ってからは気にも留めなくなった。
言われるたびに心の奥がきゅっと掴まれるような狂おしさに苦しんだ事もあったけれど、どうせ犬猫に言うのと大差ないのだからと納得してからは、むしろそれをいい事にこちらも平然と「大好き。」などと冗談めかして告げていた。

偽りだと解っていても拒絶されることのない疑似恋愛は心地良く、自分を騙してさえいればいつだって夢心地でいられた。
自分を騙すことなんてさして難しくはない。この男はパーソナルスペースなんて存在しないかの如く他人との距離が恐ろしく近いし、ライブ中には女性にするのと同じように抱きしめてきたり、あまつさえ不意打ちのキスまでもくれたりする。
勘違いするなと言われるかもしれないが、勘違いさせるような行動をしているのはあの男だ。
それならばありがたく恩恵に預かろうというくらいの図太さはこの何十年かあの男を思い続けてきて得た処世術だ。
我ながら狡いなとは思うけれど今はこの微妙なバランスが調度いい。




やっと終わった月一の収録に一息つくと、途端に感じ始めるニコチン切れにスタッフの動向をさりげなく確認し喫煙室へ逃げ込もうとタバコを掴んだところで声がかかった。


「あとはそれだけなんだけどなぁ。」


完全に不意打ちを食らって振り返るとニヤニヤした表情で貴水が立っていた。


「大ちゃんがタバコを止めるのはいつなのかなぁ。」


「うっさいよ。」


先程の収録でもチクリとそんなことを言ってきたこの男はタバコを持った手をツンツンと突きながら人の表情を覗き込んでくる。
こういう時の距離は絶妙に近い。何十年とやられているはずなのに悔しいことに未だにドキリとする。


「ほら、そうやってすぐ怒る。」


人をドキリとさせておいて一瞬後にはふいとその距離を変える。
この間合いも絶妙。あまりにも近しくならないように、人懐っこさでごまかせる程よいタイミングでこちらの心拍数だけを攫っていく。


「怒ってないじゃん。」


「ハイハイ。大ちゃんはニコチン切れでご機嫌斜めなだけですよねー。」


冗談めかして言ってくるそいつをギロリと睨みつけて左足に重心を乗せ蹴るそぶりを見せると、大げさに逃げる振りを見せながらもその場で笑っている。

もうずいぶん前に愛煙家に別れを告げたこの男はみるみるうちに健康志向へと生まれ変わり一時は病的とも思われるくらいのストイックさで自分自身のデトックスを終えた。
“大ちゃんといつまでもやっていきたいじゃん”なんて言われたら自分の生活も鑑みないわけにはいかない。
熱心に健康情報を教えてくれることに半ば絆されてここ1年で自分の生活も大きく変わった。

好きな相手に影響を受けることは少なからずあるけれど、褒め上手なこの男に乗せられて今では商品表示まで気にかけるようになっている。
しかしタバコだけは依然として止められずにいた。

笑っている男を無視して喫煙所へ向かうと何故か後ろをついてくる。
喉を気にかけなくていいのか、タバコを持っている人間が向かう先が解らないわけではないだろうに。


「喫煙所だよ?」


「うん。じっと見られてたら吸いづらいんじゃないかと思って。」


「はぁ?」


「さりげなく圧、かけてんの。」


しれっと笑顔で言う男に、“バッカじゃないの”と吐き捨てる。


「新しい年にもなったし、平成も終わるんだから、大ちゃんも何か区切りをつければいいのに。」


「で、禁煙?」


「そう。」


「アホらしい。」


そんな理由付けで止められるものならとうの昔に止めている。


「そういうこと言わないの。」


メッと言う咎める、それでも優しい瞳が見つめてくる。この男は決して強要したりはしない。


「まぁ、おいおいね。止めたらいい事いっぱいあるよ。」


「例えば?」


何の気なしに聞き返した。


「健康になるとか、ご飯が美味しく感じられるとかさ。」


「それ、みんな言うやつじゃん。」


「お肌の調子もよくなるよ。」


「さすが美容オタク。で、それだけ?」


いわば相槌のようなもの。別にきちんとした答えを期待していたわけじゃない。


「キスがタバコ臭くなくなるよ。」


さらりと言われた言葉を受け流すように相槌を打とうとして、口を開きかけたところでやっと言われたことを理解した。
隣にいる男にバレないように小さく息を整え常の軽口に変える。


「チューするのなんて毎朝ベルカだけだもん。ベルカはそんなの気にしないからいいの。」


いくら冗談だとは言ってもこれはさすがに質が悪い。
人の気も知らないで、そう悪態をつきながら喫煙室の扉に手をかけた。


「じゃあ毎朝オレとしたら気にしてくれる?」


カッと頭に血が上った。
バカにしてる、そう思った。

確かに自分の思いを告げたことはなかったし、決定的にバレるような行動をしたつもりもない。けれど全くバレていないと思えるほど能天気でもなかった。
冗談として口にしてきた事の何割かは本気だということをおそらくこの男だって気づいていないはずはないはずなのに。

時々こういう事はある。
この男にとっては冗談で済むことも、自分の琴線に触れてしまうことは。
そのことにいちいち腹を立てても始まらない。この男を好きでいるということはそういう事なのだから。

平常心の上にさらに無表情の仮面を被りこういう時の常套句を口にする。


「バッカじゃないの。」


さすがに貴水の方を見るだけの精神力はなく、喫煙室に逃げ込もうと急く背中に、


「ねぇ、オレ、本気だよ?」


茶化すでもなく落ち着いた、それでいて受け流せないような声音で告げてくる。

本当に嫌になる。何十年とこの男の声を熱心に聞き続けたおかげで、今の言葉が冗談などではないことが解ってしまう。
だからと言って諸手を挙げて喜べるほど事態はお気楽なものではない。
何をしてこの男は本気だなんて言い出したのか。諦めていたはずの恋心が鎌首をもたげる前に希望の芽など摘んでしまうに限る。


「そうやって何人口説いてきたのさ。言う相手を間違えてるんじゃない。」


この冗談は行き過ぎだと暗に匂わせるように告げて話題を打ち切ろうとしたが、それを許さない声がさらに告げる。


「間違えてないよ。」


潜めてはいるがしっかりと響く声。


「ちゃんと解って言ってるつもりだよ。オレは。」


途端にバカになったかのように自分の心音が大きく聞こえる。
その言葉の吸引力に抗えずに振り返ると、真っ直ぐに見つめてくる痛いほどの視線に身動きが取れなくなった。


「あ・・・。」


何を口にしようとしたのか思わず漏れた声が喉の奥に引っかかって上手く音にならない。
するりと伸ばされた指先が右の肩甲骨に触れた事に過剰なまでに反応してしまう自分に一気に体温が上がった。
羞恥心が現実へと引き戻す。
やんわりと引き寄せるように込められた手を振りほどいて喫煙室へと逃げ込んだ。途端に見知らぬスタッフと目が合ってさらに増す羞恥心に逃げ込んだはずの喫煙室を飛び出す。
閉め出された格好のまま立ちすくんでいた貴水と再び目が合って、たまらずその手を引っ掴んで駆け出した。
後ろから貴水が何か呼びかけてきたが一切を無視しているとそのうち何も言わなくなった。
こんなところで迂闊なことを口走らないだけの分別が残っていることに安堵して掴んでいた手を離す。

貴水はその後も黙ってついてきた。
気付けば吸い損ねたタバコが手の中でクタリと萎れていた。













 
 




気まずくてどうしようもない時間が続いている。
なんとなくいつものルーティンでベルカをあやし、Moogのつまみをいくつかいじってみたが集中出来るわけもなく、かといってくつろげるはずもなく仕方なしに何度も同じ手順を繰り返している。
ソファには貴水が座っている。

あの後見慣れたスタジオに戻ってから再び口を開こうとした貴水を遮ってさっさと帰り支度を始めたが、執拗について回る貴水の行動をスタッフが怪訝に思い始めた空気に耐えられず打ち合わせと称して連れて帰ってきた。
今にして思えばスタジオから一緒に出さえすればそれで済んだ話なのにきっと気が動転していたのだろう、律義に連れて帰ってきてしまった自分の生真面目さを恨んだ。
そしてこの状況だ。
自分が連れて来たのに座った途端に帰れと言うわけにもいかず、かと言って話そうとすればさっきの事に触れないわけにはいかず、あの男が手出しが出来ないMoogをいじる事しかする事がない。
背中にはあの男の視線が突き刺さっている。無邪気なベルカだけが遊び相手が来たとばかりにはしゃぎまわっていたが、それも今は落ち着いてしまった。

時間だけが黙々と過ぎていく。
息苦しさに音を上げそうになった瞬間を見計らうように静かに声が響いた。


「大ちゃん。」


仕方なく振り返ったその先に先程と同じように真っ直ぐにこっちを見つめている瞳とかち合った。きれいな男というのはこういう時の圧力が増すから狡い。


「さっき言ったこと、本気だよ。」


ド直球に話題を蒸し返してきた目の前の男は視線をずらそうともしない。
こんな時ばかり意思の強い瞳はどうやら逃がしてくれそうもない。

面倒くさい。そんな思いが頭をよぎる。
この男がどういうつもりでいきなりこんなことを言い出したのか解らないが自分はこれ以上もこれ以下も望んではいない。
この男といわゆる恋人同士というような関係が持てるなど思ってもいないし、つまらない事で揉めて気まずくなるのは避けたかった。
音楽のパートナー、長年やってきた気の置けない間柄、それでいい。
だから出来るだけこの男の機嫌を損ねずに穏便に済ませたかった。こんな瞳をしてくるこの男を納得させることが難しいことは嫌というほど解っていたけれども。


「あのさ、ヒロがこの手の冗談が嫌いじゃないのは知ってるけどさ、あの場で言う事じゃないでしょ?冗談だと取らない人だって世の中にはいっぱいいるわけだしさ。
今更言うわけじゃないけど、噂の力がどのくらい凄いものか知らないわけじゃないでしょう?もうちょっと発言には気を付けて欲しいわけ。」


「それはあの場じゃなければいいって事?」


すかさずやり返してくるその手口が汚い。


「あのさ、・・・それって屁理屈。」


思わずため息が混じる。
子供みたいな言い訳しやがって、と本気で腹が立つ。
この男のこういう一面に毎回イラっとさせられるのに嫌いになれないのは何故なのか、自分も相当のバカだと思わざるを得ない。


「オレはいつだって大ちゃんとは本気で向き合いたいと思ってるだけ。大ちゃんこそオレの話、まともに聞く気ないでしょ。」


なんでも真っ向勝負のこの男はこういうセリフを平気で口にする。
本気で向き合えるわけがない。本当に本気で向き合ったらどういう事になるのか、この男は何も解っていない。どうせ顔を歪めて逃げ出すくせに。向き合いたいと言ったその口で、冗談でしょ?と言うくせに。

やりきれない惨めな気持ちを押し潰して出来るだけ穏便な声音で聞き返す。


「いつだってちゃんと聞いてるじゃない。ヒロのバカな冗談にだって付き合ってるし、これ以上、何を真剣に聞けばいいの?」


「ほら、そうやってすぐごまかそうとする。」


ピシャリと言ってくる。


「大ちゃんはさ、どうしてオレの言うことは端から冗談だって決めつけるの?少しも取り合おうとしてくれないし。大ちゃんのプライベートには踏み込むなって事?」


ズケズケと質問を突き付けてくる男の目を見ることは出来なくて、再び背を向けてMoogのつまみを弄る。


「ヒロとそういう話はしたくない。」


必死の思いでそれだけを告げる。
ずるずると続きそうな押し問答が終わってくれることだけを祈り、シャットアウトするように目的の定まらない音を鳴らす。
背中越しの気配が小さくため息をついたのを感じる。
ため息をつきたいのはこっちの方だ。ままならない気持ちにぐっと唇を噛みしめて堪える。

こんな男、好きになんてなりたくなかった。
苛立ちをぶつけるようにつまみを弄る指先に力を込める。
こうして捻り潰してしまえたらどんなに楽になれるだろう。
この男以外でも良かったはずだ。何のしがらみもない、ただただ愛して愛されるだけの存在。互いを許しあえる、そんな相手が。この男でなければならない理由なんて何処にもない。

解ってる。解ってるけれど、不条理な思いはいつだって現実を打ちのめす。
理屈じゃない。

突然後ろから身体ごとつまみを弄る指先を包まれる。背中に感じる自分より少し高めの体温がじわりと逃げ場を奪う。
掴まれた手を邪険に払って作業を続けようとすると逃れたはずの手を再び包まれる。


「何なの!」


苛立ちが勝って思わず身を捩って振り向いたところをグッと抱きしめられた。いつもとは違う強い力。
必死に抗って身動ぎするがMoogとの距離を詰められてままならない。
ようやっと出来た僅かな隙間に腕を差し込み、抉じ開けるように思い切り突き飛ばした。


「・・・っ!!」


たたらを踏んで数歩先で踏み止まった男を睨みつける。


「ふざけるのもいい加減にしろよ!さっきから何なの!ヒロの行動、訳わかんないんだけど!」


「解ろうとしないからでしょ!!」


ビリビリと響く低音。


「そうやっていつまで逃げるつもり?それともそうやってオレを試すのが大ちゃんの趣味なの。随分と良い趣味だね。」


いつになく辛辣な言葉を吐く目の前の男に心臓が抉られるような思いがする。
この男の言っていることは正論だ。
良い趣味となじられようと自分には逃げることしか出来ない。
逃げなければ捕まってしまう。捕まってしまったらその先は・・・考えるだけで恐ろしい。この男を失ってはもう生きていけない。

唇を噛みしめて口を閉ざす。睨みつけたその先で男の唇が静かに動いた。


「オレは本気だよ。本気で大ちゃ、」


「嘘だ!!」


遮るように叫んだ言葉も男の静かな言葉に飲み込まれる。


「大ちゃんがす、」


「やめてっっ!!」


叫びは悲鳴のようだった。


「もういい!!もう何も聞きたくない。ヒロがそんなこと言うなんてありえない。もしかして僕に同情してるの?知ってて、可哀そうだから付き合ってやろうってこと!そっちの方がよっぽどいい趣味。バカにすんな!!」


感情のままに一息に吐き出す。
惨めだ。
頭の奥がキリキリと痛む。
こんな醜態を晒して、もう終わりだ。今まで通りでなんかいられるはずがない。それなのにこの男との仕事は続いて行くのだ。

こんな風になりたくなかったからこのままが良いと願ったのに、この男はお構いなしにすべてを白日の下に晒そうとする。
こんなに疎ましいのにこの男の傍を去れない、背を向けることが出来ない。

溢れ出そうな何かを食い止めるように睨む。スイっと細められた目が凶暴な色味を帯びる。


     っっ!!」


いきなり顎を掴まれ食いつくように口を塞がれる。事態が飲み込めず動顛する頭を抑えられ、生暖かいものが唇を抉じ開けにくる。


「んんっっ・・・!!」


抗議の声をあげようとしたその隙をついて絡めとるように押し入ってくる。

何で!?
どうして!?
何が、
これって・・・。

到底理解出来ない状況に必死に繰り返そうとする分析を内側から響く水音が掻き消していく。上顎を辿り、逃げ場を失って小さくなっていた舌を引き摺りだし執拗なまでに撫で上げる。深く、深く、角度を変えて繰り返されるそれに思考はバカになり抗う力は奪われて行く。

ヒロが僕にこんな事・・・嘘だ。こんな事あっていいはずがない。

心の中で何度打ち消してみても圧倒的なアツさと艶めかしい感触が否応なしに現実を叩きつけてくる。
だらしなく顎を閉じることすら忘れた下唇を柔らかく食んで嵐のようなアツさは静かに離れた。


「本気だってこと、解ってくれた。」


艶っぽい瞳で尋ねられ緩やかに思考が戻ってくる。


「好きだよ、大ちゃん。」


その言葉が届いた瞬間、真っ白になった。
一番聞きたいけれど一番聞いてはいけない言葉。否定し続けてきた言葉に全身がガクガクと震え出す。
恐ろしさに眩暈がする。脳みそが痺れるような感覚に平衡感覚を失いその場に崩れ落ちた。
さっきまで奪われていた唇がアツい。生々しく残る感触。この男の熱を知ってしまった。
唇を何度拭ってみても消えない。消したくても消えてくれない。


「そんなに擦ったらダメだよ。」


男の手がそっと僕の手を掴み、傅くようにその手に触れるだけのキスを落とす。その唇を視線は追ってしまう。


「・・・ぉやだ・・・。」


「?」


「こんなの、やだ・・・。」


頭の奥がツキンと痛み、留めておけなくなった涙が溢れる。感情がコントロール出来ない。


「どうしてこんな事するの?やだ、もぉやだ。」


「大ちゃん。」


男の手が宥めるように背中に回される。


「いきなり、大ちゃんの気持ちも聞かずにこんな事してゴメン。でも大ちゃんに知って欲しかった。オレだって大ちゃんのことが好きだって事。一方的な想いじゃないんだって事。」


「・・・ひろ?」


突然聞こえてきた思いもよらないセリフに思わず男を見上げた。


「大ちゃんがオレのこと好きなの、知ってたよ。必死で隠してるんだろうなってことも。」


後頭部をガツンと鈍器で殴られたような気がした。バレてないとは思ってなかったけれどこんなにはっきり言われるとは思っていなかった。


「・・・いつ、から・・・?」


「いつからかな。気付いたら大ちゃんのこと、好きになってた。好きな人のことは良く見てれば解るよね。
ちょっとした仕草だったり、視線だったり。大ちゃん、結構分かりやすいから。
必死で隠してる大ちゃん見て、そりゃそっかって思ったし、仕事の事や世間の事、性別の事を考えたら言えない気持ちも良く解る。だから最初はこのままで、ずっと一緒にいられればそれでいいのかって思ってた。だけど嘘ついてる気がしてさ。」


「うそ・・・?」


「自分にも大ちゃんにも。それに、大ちゃんのその想いにも。
知ってるのに見ないふりして、それなのに自分のこと好きでいて欲しいなんて、めちゃくちゃ傲慢だなって。それが嫌になったんだ。」


自嘲気味に笑う男はその美しい指で溢れ出た涙を拭ってくれる。


「泣くほど嫌だった?大ちゃんがオレのこと好きだっていうのはオレの勘違い?教えて?」


覗き込んでくる視線を見つめ返すことは出来なくて俯いてグッと目を閉じるとまた涙が溢れてくる。こぼれた涙は小さな水たまりをいくつも作る。


「ねぇ、大ちゃんがどう思ってるのか、聞かせて?」


大好きな柔らかい声。それがこんなにも切ない。
この言葉を本当に信じていいのだろうか。手が届かないと思っていたこの男がよりによってこんな自分を・・・そんなことが本当にあり得るのだろうか。
一時の気の迷いだったとあっさりいなくなるのなら夢など見せないでほしい。
信じることは怖すぎる。けれどさっきの熱が男の言葉をリアルに変えていく。信じたいと、渇望する自分がいる。

自分に注がれている視線をひしひしと感じる。答えを待っていることは解っていたが口を開くことが出来ない。
無言の時間に焦れたのか、穏やかな声が尋ねる。


「オレのこと、嫌い?」


そんなはずない。視線を合わせないまま首を振って答える。


「オレに触れられるのは、嫌?」


小さく首を振る。クスリと吐息が笑い、床についたままの手にそっと触れてくる。


「オレに抱きしめられるのは、嫌?」


途端に鼓動が跳ねる。さっきの生々しさを思い出し、必死に首を振る。


「よかった。」


その言葉と同時にアツくやわらかな腕の中に抱きしめられる。


「やっ・・・!!」


抗ってみせるが男の腕はあまりにも優しくてこんな自分をぐずぐずに甘やかそうとする。


「いやって、やだって言ってるのにどうして・・・っ!」


「嫌?って聞いたら嫌じゃないって首振ったでしょ?」


「ちがう・・・っ、こんなの、ダメだから!・・・離してっ!!」


「ダメじゃないから離さない。」


やわらかな声が力強く告げる。


「ダメって決めてるのは大ちゃんでしょ?オレはそうしたいって言ってるのに、何がダメなの?」


「だって・・・。」


「だって?」


オウム返しに尋ねられる。理由なんて・・・。


「もう泣かないでよ。大ちゃんのこといじめてるみたいじゃない。」


こぼれた涙を丁寧に拭うキス。
もうダメだ。この現実は鮮やかすぎて、自分を侵食していく。


「ダメなんだよ・・・こんなの、狡すぎる・・・。こんなの、あるはず、ない・・・。どうして、今のままでいてくれないの・・・?ヒロなんか・・・、きらい・・・、何にも、いらないのに・・・。」


ホロホロとこぼれていく言葉と涙を止めることが出来ない。
ぐちゃぐちゃのまま思いが溢れ出す。半ば八つ当たりに近い思いを目の前の男は黙って聞いている。


「どうせ、嘘なんでしょ?どうせ居なくなるんでしょ?
ヒロと気まずくなりたくない。音楽だけでいいの、それだけでいいのに・・・。こんな…。僕にどうしろっていうの?解んないよ・・・。ばか、ヒロのばか。」


壊れたようにボロボロと溢れる涙を止めることが出来なくて、甘やかそうとしてくる腕の中で幾許かの抵抗を試みる。それすらも男は笑って受け止める。


「それってつまり、オレのことめちゃめちゃ好きってこと?」


やわらかな声音に笑みが含まれる。当たり前のように抱きしめてくるその腕に抗うことが出来ない。


「嘘じゃないし、もういなくなったりしないよ。だから大ちゃんが不安に思うことなんて何もない。安心してオレのこと、好きでいてよ。」


耳元に響く心地の良い声が頑なな思考を解きほぐす。流されてしまいたい、そう思わせる。
甘い誘惑は侵食された体温と共に身体の隅々までを満たして行く。


「・・・ゆ、許され、ないよ。」


僅かに残った抵抗心がなけなしの抗いを見せる。


「こんなの、ぜったい・・・。」


「いいよ。オレが許してあげる。」


間近から見つめてくる視線と共に告げる。


「大ちゃんを許すよ。」


儀式のように、やわらかなキスが額に落ちる。
あぁ   ・・・。


「ねぇ、オレのこと、好き?」


穏やかに、けれど真っ直ぐに響く声。
もう抗うことは出来ない。
俯くように頷いて、上げられない視線の先の気配を探る。


「なんで黙っちゃうかなぁ。言ってよ。大ちゃんの言葉で。」


じっと見つめてくる視線を感じてますます顔をあげられなくなる。
言葉にしたら、きっと変わってしまう。今までの切ないけど安全な関係は永遠に失われてしまう。その怖さに言葉が出ない。


「ずるいなぁ。大ちゃんばっかりオレの『好き』聞いて。オレには聞かせてくれないの?」


笑いを含んだ声がからかうように落ちてくる。
距離感を操る男は相変わらず絶妙な距離。今までと変わらない、それでいて軽口を叩きながら自然につめられる距離に言葉が戻ってくる。


「しらないよ、ばか。」


「また『ばか』って言う。大ちゃん、すぐ『ばか』って言うんだから。」


額を合わせられておずおずと視線をあげると柔らかく笑んだ瞳に見つめられた。


「でも、大ちゃんの『ばか』は『好き』ってことでしょ?」


ちゅっとついばむようなキスを鼻先に落として狡い男は微笑む。触れられた鼻先からくすぐったいような熱が広がっていく。


「ばっかじゃないの。」


「うん。オレも好きだよ。」


満面の笑みで意味不明な答えを返す男に、呆けた隙をつかれて抱きしめられる。
言われたことの意味を理解する僅かな時間に男の声が重なるように告げる。


「ずっと好きだよ。」


疑いようのない声音。
初めて聞く真実の声。


「ヒロ。」


トンと軽く胸を叩くと男は抱きしめた腕の空間を少し緩めてくれる。
その胸に涙でぐしゃぐしゃになった顔をベルカのようにめちゃくちゃに押し付けて、そのどさくさに紛れるように呟く。


「・・・すき。」


ぎこちない告白を聞き逃さなかった男は、再び笑みのこぼれる声で「オレも!」とぎゅっと僕を抱きしめた。
 
 






END  20190304