<会いたくて>







「ん・・・。」



ぼんやりと覚醒した意識の中、手探りでいるべきはずの人を探したが、そこにあるべきはずのぬくもりを感じられずに、博之はまどろみから出たくなくて閉じていた眼を片方だけ薄く開けた。
視界に映ったのはポンポンと空を切る自分の手。触れたいぬくもりはやはりそこにはなかった。

目頭を軽く押さえ寝返りを打つと、サイドテーブルに置いていたiPhoneで時刻を確認する。

7時58分。
彼にとっては活動圏内。こんな朝早くから地下に籠ってるのか。
随分前に起きたのだろう、隣にはぬくもりの欠片もない。一緒に眠ったのは確か数時間前だったのに。

まどろみの余韻を振り払うように両手で瞼を軽く押さえ、緩く暖められた寝室を後にする。



キッチンを覗いたがそこにも姿はなく、やはり地下のスタジオかと考えたところで彼の愛犬の姿もない事に気が付いた。
もしかしてと以前教えてもらったリードの掛けてある場所を確認すると思った通りリードは掛っていない。
散歩に出たのか。そうと解れば不安な気持ちは苦笑と共に消えて行った。









毎日のように顔を合わせていた25周年のイベントが苗場で全て終わり、帰って来てからは年末の挨拶やら何やらでバタバタしている間に気付けば新年を迎えていた。
実家に顔を出して一息ついたところでふと当たり前のように顔を合わせていた人の不在を感じた。

忙しさに気が紛れていた時には気にならなかった事が気になり始めたらどうにもならなくなった。
顔を合わせていたと言っても仕事上のやり取りで2人だけの時間を持てた事などごく僅かだったのに、それでも久し振りにこれだけ長い間連絡を取り合わなかったのはこの1年、特にアルバム制作に本格的に突入した秋口以降久し振りだった。

たかが1週間か10日くらいの事。2人のスケジュールがない時などもっと長いスパンで連絡を取り合わない事だってあったというのに、物理的に時間も頻度も濃密だったここしばらくに感覚が慣れてしまっていた。
慣れと言うのは恐ろしい。考え始めれば余計に不在を感じ、不在を感じれば感じるほど彼の温度や感触がまざまざと自分の中によみがえってくる。

会いたい。そう思った。

もしかしたら年明け早々から忙しくしているかも知れない彼に一言だけLINEを送った。


『いる?』


制作に没頭しているならそれでいい。


『いるよ』


5分と経たずに戻って来た返信。それだけで十分だった。車のキーを掴むと家を飛び出した。











暖房の効いた部屋の中にも朝のシンとした空気はどことなく感じられる。
きっと今日も寒い朝なのだろう。
コーヒーをセットし、軽い朝食でも用意出来ないかと食材などほとんど保冷した事がないだろう冷蔵庫を開いて案の定な結果に苦笑いする。
昨日何か買ってきておけばよかった。そんな事を思っていると玄関のドアが閉まる音がした。「待て。」と愛犬を窘める声とカツカツとじゃれているのだろうベルカの足音がする。リビングを抜けて玄関を覗くと散歩帰りの愛犬の足を丁寧に拭いている彼の姿。なんとも優しい顔をしている。


「おかえり。」


そう声をかけて後ろから抱きしめると冷気を孕んだ彼の金髪が懐くように触れてきた。


「起きてたんだ。」


「居ないんだもん。ビックリするじゃない。」


「気持ちよく寝てたくせに。」


そう言いながら愛犬の足を拭き終わった彼はリードを外し、よしよしと愛犬の頭を撫でると愛おしそうに博之をくっつけたまま額を合わせて愛犬に抱き付いた。
一通りの儀式なのか、そこまで終わって愛犬を離すと身体をひねり後ろから自分を抱きしめていた博之を見上げた。


「寝ぐせ。」


そう言って小さく笑うと博之の髪を撫でた。その手も冷気を含んでいる。


「寒かったでしょ?あったかいコーヒー、あるよ。」


「さすが。」


そう言ってくしゃりと目尻を緩ませて笑う。一番好きな表情。


「ホントは何か軽めの朝食でもって思ったんだけど、相変わらず何もなかったよ、冷蔵庫。」


チクリと彼の食生活を揶揄すると、ミネラルウォーターと少しのフルーツを指して平然と何も入っていないわけじゃないと言い返された。


「そうだ。今日はおかゆの日なんだって。」


落としたてのコーヒーを受け取りながら彼がそう切り出す。何のことを言ってるのかと思ったらどうやら七草粥の事を言っているらしい。お米すらないこの家で無理難題をと思っていると、


「どっかにサトウのご飯、あったよ。お茶づけみたいにお湯掛けて煮ればいいんでしょ?」


「・・・随分豪快だね、大ちゃん。」


アレ?違うの?なんて言いながら水を飲み終えて再び足元に戻って来た愛犬を撫で始めた。


満たされた不在。ただそこにいるという空気のような安心感。


「大ちゃん。」


振り向きざまの目尻にチュッとキスを落とし、好きだよ、と告げれば、口を尖らせて照れ隠しの仏頂面を作った彼に、バーカ、と詰られる。
その目元と耳たぶが赤くなっていくのを嬉しそうに見つめながら博之は微笑んだ。





 
 
END 20180108