<やさしいきもち>









ハッピーエンドなんて信じてない。



幸せを否定しているわけじゃないが、幸不幸の割合はきっと等分なのだと思う。
いい事があれば悪い事もある。ようは悪い事が訪れた時に自分がそれをどう感じるかの問題なんだと思う。

だからハッピーエンドなんて信じていない。









 

あぁ、としわがれた声を出してふと息をつくと時計は既に日付を変えていた。
没頭している間は時間の感覚が希薄になる。
地下のスタジオには日がささないから余計に今が朝なのか夜のなのかどれだけ時間が流れたのか判断がつかない。

パソコンの端に出ている時間を確認してもうそんなに時間が経ったのかと両手で疲れた目を軽く指圧した。
ザラリと当たるヒゲの感触に再び、あぁ、と低いため息のような声を発した。




誕生日だねぇ。
嬉しい歳と言う訳でもないけれど、十の位が繰り上がるのは何となく重い。


この歳になってもこうして好きな事をしていられる。それだけで十分のような気がする。
水物の世界でこれだけ長くやってこられるとは正直思わなかった。
いや、何かしら携わっていると思っていたけれど、こうしてアーティストとしてまだ自分が前線に出て戦っていられるとは思っていなかった。
プロデュース業が増えた時、あぁこのままこういう方面へ流れていくのかも知れないなと思ったものだ。
それが今、こうして一番大切な、かけがえのない人のために曲を作っていられるというのは幸せな事だと思う。
たとえそれがデッドエンドに迫られてカツカツの状態だとしても、嬉しい悲鳴というものだろう。



もう何日まともに寝ていないんだろう。あの男はちゃんと寝ただろうか。
声に支障が出るからと睡眠時間を確保させてはいるが、このスケジュールにいつもの規則正しい生活は難しくなっている。
確か昨日も3時くらいまでやり取りをしていなかったか?
いや、その前の日だったか。もう記憶が曖昧だ。



いくつかのスタジオを抑えて同時進行で作業が進んでいる今は毎日声を聴いているが顔を合わせない事の方が多い。
たまにフラリとこの家の中で出くわす事もあるがあの男もかなり余裕がなさそうに見える。
まぁ追い込まれてから力を発揮するタイプではあるから心配はしていないが。


あの男に歌わせてみたいメロディは頭の中に鳴っているのに、それを形にする時間が圧倒的に足りない。
もともと決まっていたスケジュールの他に急遽決まった仕事がいくつか重なって、久々にヒリヒリするような時間のなさだ。
でもそれを楽しいと思える自分はきっともう何処か神経がいかれてるのだと思う。



まぁ、これも誕生日プレゼントと思うか。
好きな音楽に埋もれて過ごす贅沢な時間。そう考えれば悪くない。




一息つこうとタバコに火をつけてマグカップを覗くといつの間にか空になっていた。こんな事すら記憶の彼方だ。
ちょっと甘めのカフェオレでも飲むかとスタジオを後にしてキッチンへ向かう。
しんと静まり返った家の中にはもうスタッフの姿もなく、テーブルの上に書置きがひとつ。ざっと目を通して今日の作業の進捗を確認する。
歌詞はまだあがらないか。まぁ昨日渡したばかりだ。そんなに早くあげられたらこっちの作業が追い付かない。
想定内の作業の進み具合にメモを戻し、『軽食は冷蔵庫』の走り書きを見た途端急に訴えて来る空腹に軽く手を合わせて冷蔵庫を開けた。


何から何までありがたいねぇ。そう思いながらラップにくるまれた皿を取り出すとその後ろに見慣れた文字。



『大ちゃんの!!』



そう側面に書かれた白い箱を取り出すと、天面に可愛らしい手書きのロゴ。



HAPPY BIRTHDAY Dear 大ちゃん(^-^)/



箱を開けると可愛らしいイチゴのショートケーキと何種類ものベリーの乗ったタルト。もちろんいちごも乗っている。



「あはは。なんだよ、もう。」



油性マジックで書かれた見慣れた文字の向こうにいつものあの弾けるような笑顔が見える気がする。
アベちゃんとのやり取りが容易に想像出来て笑える。
忙しいレコーディングの最中にこれの為だけにここに寄ってくれたんだろう。自分だって時間が惜しいはずなのに。



「明後日には会うじゃん。」



チラリと時計を確認し、まだ起きてる事を願ってスマホを取り出すと気付かないうちにLINEにメッセージ。時刻は12時調度だ。
約1時間遅れで返信を返す。



『ありがとうヒロ。とうとう2人合わせて99歳だね。』



寝ているならそれでいい。
ショートケーキの上のイチゴを摘まんで口に放り込んでいるとスマホが返信を告げる。



『まだ98だよ!!』



「アハハハハ。何だよ、この返信の速さ!」







 

ハッピーエンドなんて信じていない。幸不幸の割合はきっと等分。
その考えは変わらない。
これから先もきっと。



だけど僕はこの男の傍らで、今、確実に幸せだ。





 

END 20171112