<扉をたたくもの>









ため息と共に小さな液晶の画面を閉じる。
午前2時を示す時計の針が今日の終わりをとうに告げている。返す当てのない言葉を再び飲み込んで博之は静かに携帯を置いた。




薄情なのかも知れない。この頃思うようになった。
昔から付き合いがいい方とは言えない自分だが、何故か周りには人付き合いがいい人だと思われている。そんな小さな齟齬が、時折自分を苦しめる。




置いたはずの携帯を再び灯らせて、スクロールさせた指を途中で止め、遠くなってしまった時間の速度に再びため息をついた。
世の中の流れは自分からは遠すぎる。その事に改めて気付かされたのはいつの頃か。
気付けば友人達は家庭を持ち、守るものを得て、逞しく輝いているように見えた。
変わらず接してくれるその優しさや懐かしさも、段々と時間の速度がずれ始める。
自分が生きている時間は非常識な時間で、彼らの生きる時間とは別のターム。優先順位の付け方も必然、違うもの。


自分はもうこの世界でしか生きられない。その事は充分に解っている。いわゆる世間一般の『まとも』と言われるものからはかけ離れているのだろう。
遊びの誘いも断る回数が増えた。
深酒をしたいと思わなくなったし、身体には気を遣う。
パフォーマンスを維持するためにやらなくてはならない事もやってはいけない事もある。
何かを表現するには自分の中にインプットする時間も必要だし、アウトプットするまでの精製の時間も必要だ。
何を見て、何を感じ、どう表現するか。そう言う事は常に考えている。
必要だと思う事はどんな事でもするし、そのための時間をなんとしても捻出する。
良いパフォーマンスの為には睡眠時間を削るわけにはいかないし、身体のメンテナンスも必要になる。
やりたい事は多すぎて、1日が24時間でも足りないくらいだ。
そして気が付けば1日が終わっている。
やっと自分の時間に戻ってみると友人からの食事の誘い。今日も答えられずにこんな時間だ。
そしてまた液晶を閉じる。






自分は、どこへ向かっているのだろう。
忙しない毎日の中で時折見失いそうになる。
大切なものやあたたかいもの、この手に掴んでいたはずのものは遠いガラスの向こう。同じ方へ歩いていても決して交わらない。


この道を選んだのは自分だ。後悔はしていない。
失うものもあった代わりに得られたたくさんのもの。決して見る事の叶わない景色、たくさんの想い。
突き動かされる衝動のままに駆け続けてきた。正しいのか間違いなのかも解らないまま、ただ駆け続けてきた。その時の自分を信じて。


自分は何かを伝えられただろうか、何かを揺さぶる事が出来ただろうか。
ちっぽけな自分の手を見つめながら考える。
何かを無くした代償に・・・。








眠れずに幾度となくうつ寝返りは渦のような思考を切り替える。
彼の顔がふと浮かんだ。



彼は不思議な人だ。今までこんなに長く付き合いが続いた人はいない。
仕事の関係だからという事はあるのかも知れないが、それでも人生の半分以上を共に過ごしている。
特に仲がいいかと聞かれたらそんな事はないと思う。
仕事以外で会う事はほとんどないし、彼の交友関係にも全く興味がない。
その時々で興味を持っている事が変わって行ってもそんな事をいちいち報告する様な間柄でもない。
相手の事を根掘り葉掘り聞きたいとも思わない代わりに自分の事もさして話してはいない。
けれど恐らくどんな友人よりも自分の事に一番詳しいのは彼だし、どんな友人よりも気を遣わずにいられる。
無言の時間が気にならないのも彼だけだ。
彼を嫌いだと思う事はないし、どんな辛辣な事を言われても彼の言葉には嫌味がない。
事実を事実としてのみ伝える。そんな関係が心地良い。
短くはない時間の中で離れた事も、あえて避けていた事もあった。それでも今もこうしていられるというのは、やはり彼だからなんだろう。




今頃彼は何をしているだろう。この時間だと散歩の時間だろうか。

暗闇の中に浮かぶ時刻は彼にとっては調度夕暮れ時。
何もかもが正反対。



思えば出会った時から自分達はあつらえたかのように正反対だった。普通に生活していたらきっと口をきく事もないほどに。
夜型の彼は今が生活時間。こうして自分が夜更かしをしていなければ交わる事のない時間。
考える事を放棄して飽和状態へ近付いて行く自分の脳とは反対に、彼は今、ものすごいスピードでオレが未だに理解する事の出来ない数字や波形を追い続けているのだろう。




新曲はどこまで出来たのだろうか。
ただ待つだけの時間。
制作の過程をほとんど見せない彼だから曲が手元に届くまでどんなものかは解らない。
初めて渡されたあの時から彼の音は圧倒的で、昔はその洪水に飲み込まれていたけれど、今はそんな事もなくなった。



彼が秘めた思いを汲み取る作業。オレが詩を書く作業はそういうものだと思っている。
彼の音が叫びたがっている言葉を見つけられた瞬間、その言葉はオレの中にもしっくりとはまっていく、そう言う事なんじゃないかと最近では思う。
音の持つ響き、強さ、速度。
そういうものに拘った人だから彼を納得させることは難しい。ありきたりな予定調和では納得しない。
剥き出しの思いを曝け出し、精製してやっと彼の音にはまる。納得出来る言葉になる。
時にそれは魂を削るような作業になる事もあるが、突如言葉が溢れ出して止まらなくなる事も少なくない。
彼の音にはそれだけの力がある。
溢れ出した言葉達を選定して行くのも大変な作業ではあるのだけれど。






こうしてまた彼の事を考えている。
新曲が待ち遠しいからなのかも知れない。普段は特に気に掛けない事がこんな日は気にかかる。




眠れない時間は解決出来ない事ばかり頭に浮かんでくる。
取り止めもなく。
思考の闇はじわりじわりと自分を蝕んで行く。



闇を持たない人間などいない。能天気と言われている自分にさえ闇はある。
ただそれを普段は忘れているだけだ。見ないようにしているだけだ。
だから時々その反動がやってくる。こんな眠れない夜は特に。
そこには悪辣な自分がいて、惨めな自分がいて、卑屈な自分がいる。
妬む気持ちも嫉む気持ちも充分に知っている。闇の深さは蓋を開けたここからでは見えないほどに。
取り止めもなく浮かぶマイナスな思いに耳を塞ぎ、その触手に絡めとられないように身を固くする。


この闇は、いつまで経っても終わる気配を見せない。





Pon





控えめな音で響く着信。差出人を見なくても解る。
閉じていた眼を開けて着信を開くと見慣れた添付ファイル。
彼に教えられた通りの手順でファイルを開くと、眠れはしないベッドの中から抜け出てステレオに繋いだ。


期待を込めて心を無にする一瞬の静寂。新たな世界をスタートさせる。




回り出す世界。
速まる鼓動。
明けて行く夜に祈りたいような気持だ。
溢れ出る言葉の数々。
このメロディを聞いている彼と繋がる感覚。
自分はきっとこの瞬間のために生きている。







 

あぁ・・・世界は美しい。









 

この思いは無駄じゃない。



         Knock
 Beautiful Smile





 


  END
 20170430