<Winter Ring Affair>












「好きなんだ、大ちゃん。」



思わずあの時と同じ言葉を口にしていた。
振り向いた彼の瞳はあの時と同じ、哀しさと苦しさを微笑みの中に隠していた。














 

目を覚ますと外は変わらず真っ白な雪景色だった。
昨日の雪は未だ世界を白く染め、見慣れた景色を別のものに変えていた。
暖かな部屋の中にいる博之はそんな景色に「さむっ」と身震いをすると、開け放したカーテンをほんの少し戻した。



いつもより早い時間。出掛けるまでには幾分か時間があるそんな間に、博之は昨日の事を思い出していた。

変わらない。
いや、見た目はあの頃とは別人のようだが、自分を見つめてきたその瞳だけは変わらなかった。
懐かしい、そして愛おしく苦しい瞳。決して自分を見つめ返してはくれない瞳。



博之はもう随分と前から変わらぬ思いを浅倉に抱いて来た。
思い悩んだ時期も長くあったし、自分の気持ちをやましいものだと疎んじた時もあった。
その反動でバカな事もたくさんしたし、浅倉を恨んだこともあった。
けれど最後にはどうする事も出来ないのだと認める以外に術がなかった。


浅倉が好きだった。
愛される事を当たり前のように望む博之が、初めて愛したいと思った人物だった。
けれど浅倉からの思いが返される事はないことも解っていた。自分が浅倉を好きになる前から浅倉の視線は別の人を追っていたから。
そしてその浅倉の思いが叶わない事も知っていた。
浅倉の思い人の傍らには彼の尊敬する人の姿が常に寄り添っていた。
博之がその事に気付いたのは浅倉を思い始めて半年くらい経った後だった。



叶わぬ思いを抱き続け、一方通行の恋心はいつしか博之をがんじがらめにしていた。
浅倉に自分を好きになって欲しい、そう思いながら浅倉の抱く自分と同じ恋心を見ないふりをする事は出来なかった。
そして何も言えなくなった。
望みがないからと言って好きな気持ちをなくす事は自分には出来ない。
自分が出来ない事を浅倉にだけ願う事は出来なかった。
そして博之は浅倉から離れた。最後に一度だけ思いを口にして。
玉砕覚悟、いや、いっそ一思いにとどめを刺してほしかった。
けれど浅倉は哀しいような苦しいような表情で、「ありがとう。ごめんね。」と優しく笑った。

























 

「それじゃあ乾杯。」



軽くグラスを合わせて笑ってみせる浅倉に博之も笑みを返す。


博之が芝居の千秋楽を終えてホッと一息ついたころ、浅倉から食事の誘いが入った。
先日何年か振りに会った浅倉にもう一度会うきっかけを探していた博之は、浅倉からの誘いに二つ返事で家を飛び出した。



「それにしてもヒロがお芝居やってるとはねぇ。」



感心した様子で運ばれてきた料理を受け取った浅倉は、嬉しそうな顔で真っ先に肉に手を伸ばした。その様子に思わず笑みがこぼれる。



「相変わらず肉好きなんだ。」



「あ、ごめん。僕ばっかり。」



取るよ、と言う浅倉に首を振って、今は野菜しか食べないから、と告げると浅倉は目を丸くして驚いた。



「え!?ヒロ、ベジタリアンなの!?ウソでしょ?お肉、こんなに美味しいのに?」



「だから大ちゃん、全部食べていいよ。」



「え〜可哀想。お肉、美味しいよ〜。ほら〜。」



見せびらかすように博之の目の前を素通りさせてから自分の口へ放り込む浅倉の満面の笑顔に思わず博之も吹き出す。



「変わんないね、大ちゃん。そういうとこ。」



「なんだよ。」



「いや、大ちゃんだな〜って思って。」



「そういうヒロはベジタリアンだしね。お肉食べないなんて信じらんない。」



相変わらずの浅倉の物言いに博之はホッと一息ついた。
そうして初めて自分が浅倉に会う事に緊張していた事に気付く。

もう会わなくなって6年だ。
仕事の関係もあって顔を合わせる事は少なからずあったけれど、こうして2人きりで仕事以外の場所で顔を合わせるのはあの時以来だ。きっと知らぬ間に肩に力が入っていたのだろう。
博之は小さく肩を回し、もう一度緊張を吐き出すように息をついた。



他愛ない会話にグラスを重ね、浅倉も随分と飲むようになったななどと小さな変化に気付く。
あの頃は打ち上げの席でも自分ばかりが飲んで、浅倉はソフトドリンクで済ませる事も多かった。
キツキツのスケジュールで打ち上げの後も作業が残っていたり、下手すると打ち上げを先に切り上げてスタジオに籠る事も多かった。終わりの方は特に。
そんな事もあってこう言うふうにのんびりと浅倉がお酒を飲んでいるのを見るのは珍しかった。
思わずしげしげと見つめていると、ふと光るものに気付いた。



「大ちゃん、ピアス。」



金色の髪の隙間に覗くダイヤのピアス。



「あぁ、コレ?」



「なんで!?ダメだったじゃん。だからオレ止めたのに。」



抗議の声を上げる博之に見せつけるように髪を掻き上げてみせる浅倉の指に、ふと博之の目が留まる。



「あ・・・それ。」



「え?」



自分の左手を浅倉の前にかざす。



「同じ。」



耳元から手を下ろして自分の指にはまった同じリングをしげしげと見つめる。
そして浅倉は神妙な顔で口を開いた。



「あのね、ヒロ。」



先程までとは違うトーンの浅倉を博之は黙って見つめた。



「もう一回、やらない?」



何が、と聞き返すより早く心臓がドクンと波打った。
ひたと見つめて来る視線が沈黙を理解して陰る。



「やっぱり、難しいか。」



逸らされた瞳は自分のものと同じリングを見つめている。
浅倉がポツリポツリと話し始める。



「久し振りにヒロの声を聴いて、やっぱりいいなって。僕はこの声が本当に好きだったんだなって、そう思った。
そしたら欲が出たかな。もう一度僕の曲を歌って欲しい、なんてさ。
ごめんね、忘れて。」



そう言って浅倉はしんみりしてしまった空気を払拭するように笑った。その笑顔が痛かった。



「あぁ、もうごめん。変な事言った。ごめんなさい。」



わざとおどけてみせる浅倉だが、博之は浅倉がこんな事を冗談で言うような人間でない事くらいは解っていた。だからこそその言葉は重かった。


浅倉の傍にいられたら、そう博之も思わなくもない。
一度はこの思いをなかった事にしようと、忘れた振りをして生きて来た。
浅倉の他に自分が愛したいと思える人を探そうとも思った。事実そう出来ると思って付き合った彼女もいた。
けれど浅倉に抱く思いと彼女達に抱く思いにはどこか隔たりがあった。
安易に身体の関係まで進める彼女達と、絶対不可侵な浅倉の存在とではまるで違った。
もちろん浅倉とそう言う関係になりたくないと言う訳ではない。
想像しないわけでもないし、浅倉が自分の腕の中にすっぽりと納まった時の安堵感も知っている。
あの唇にくちづけたら、もっと深く抱き合ったらと不埒な想像をする事だって少なくない。
けれどそれを強引にすることは出来なかった。彼の心に別の人物への思いがある以上。
同じ思いをしている博之はその虚しさを身をもって知っていた。

一緒に居られるようになる事は単純に嬉しい。自分の声だけでも必要とされている、そう思える事は幸せだった。
けれど、同じ時間を過ごすという事はその分自分を見つめてくれないその人を見つめ続けるという事。
その事にいずれ苦しくなる日が来ないとは言い切れない。あの時のように。



博之は複雑な思いで浅倉を見つめた。
黙ったままでいる博之に浅倉は誤魔化すようにワインを注ぎ、飲んで飲んで、と勧める。さして減ってもいなかったワインはなみなみと赤い液体を波立たせた。



「今でも好きなの?」



気付いたらそう尋ねていた。何となく思い人の名前を口にするのは憚られた。
博之の口から出た言葉に浅倉の動きが止まる。
それを見て博之は自分が口にしてしまった言葉を改めて認識した。



「あ、ごめん。」



気まずい空気に博之が何も言えずにいると、浅倉は手にしていたワイングラスをコトリと置いて小さく笑った。



「ヒロとは、そんな事もあったね。」



赤い液体を見つめたままポツリとこぼした浅倉は博之の問いには答えないまま、テーブルの上でワインを燻らせ、その芳香と共に一気に飲み干した。



「なんだか飲み過ぎちゃったみたい。久し振りにヒロに会って気が緩んだかな。帰るね。仕事もあるし。」



そう言って席を立った浅倉の手を博之はとっさに掴んだ。お揃いのリングがぶつかってカツッと小さな音を立てる。
引き留められた浅倉は自分のものと同じ博之のリングを何も言わずに見つめて立っていた。
金色の髪に半ば隠された浅倉の顔を見上げ、博之は思わずあの時と同じ言葉を口にしていた。



「好きなんだ、大ちゃん。」



浅倉は一瞬僅かに驚いたように瞳を開いたが、あの時と同じように哀しそうな苦しそうな表情で博之を静かに見つめていた。
























 

自己嫌悪。
まさしくそうとしか言いようがない。


一方的に自分の気持ちだけを告げてしまったあの日から博之は何度となくため息をついていた。
あんな事言うつもりじゃなかった。あの瞬間までそんな事は微塵も考えてなどいなかったのだ。
浅倉の事は好きだ。けれどその思いを本人に告げたところで彼を苦しめるだけだという事は目に見えていた。
あの日、博之の問いに浅倉がはっきりと答える事はなかったが、あの表情を見れば一目瞭然だ。浅倉は未だ一途に思い続けているのだろう。それは博之も同様だ。
自分の中でとっくに区切りをつけていたつもりだったのに。
言葉にしてしまえばもう留める事は出来なかった。
浅倉が好きだ。



「オレじゃダメなの?」



自分が聞かれたら到底答えられない質問を投げかけた。



「オレは大ちゃんがオレを好きになってくれるまでずっと待つよ。」



情けないことも言った。
けれど必死だった。
もう二度と交わる事はないと思っていた浅倉との関係が思いもよらぬところで再び交わったのだ。
その上彼は自分の歌声を必要としてくれている。例え歌声だけでも、彼にとって自分は唯一無二なのだとそう思った。

そう思ったら欲が出た。
彼の言葉ではないけれど、やっぱり彼が好きなのだと痛いほど自覚した。それにしても。



思い出してもうんざりする。
彼の弱いところにつけ込むように畳み込んだ言葉の数々を思うと自己嫌悪で消えてしまいたいくらいだ。
叶わぬ思いの辛さは自分が一番よく知っているはずなのに。

諦められるならもうとうの昔に諦めている。それが簡単に出来るくらいならこんなに苦しみはしない。自分も浅倉も。
好きだと言われて気持ちを変えられるくらいなら6年前のあの時だって自分達は共に歩く事だって出来ただろう。



博之は何度目かのため息をまたついた。
もう答えは出尽くしているのだ。この状況は誰かが何かを思いきらない限り動く事はない。
そして誰も思い切る事が出来ないのだ。
袋小路だ。
自分は浅倉を嫌いになる事は出来ないし、きっと浅倉も同じなんだろう。
そして宇都宮にしても応えるわけにはいかないのだし、小室にしても口を出す事は出来ないのだろう。
誰もが術を無くしている。つまり永遠に行き場はないという事だ。



「はぁ・・・。」



博之はまたため息をついた。
ため息をつくと幸せが逃げて行くと言われているらしいが、もしそうならば数えきれないくらいの幸せを博之は逃がしている。
そしてまたひとつ、幸せが逃げて行く。
6年前と変わらない。
またそうして自分は浅倉から離れて行くのだろうか。そう思った。

マグカップを持つ手がカツリと音を立てる。
音の正体はあの日浅倉の目の前にかざして見せたリング。彼の指にも同じように光っていたもの。
博之は自分の指輪にあの日の浅倉の手を重ねた。

もしこれが偶然じゃないのならば。
この指輪のように時間を、思いを重ねる事が出来るなら。






















 






 

「大ちゃん。」



猫背気味の丸い肩に博之は後ろから呼びかけた。
話があるんだ、と呼び出した浅倉は、すべてを解っているような穏やかな瞳で振り返った。
6年前の既視感。
博之は静かに浅倉の前に立った。
博之が6年分の想いを伝えようと口を開きかけるより早く浅倉が口を開く。



「ヒロを好きになれたら、良かったのにね。」



優しい声だった。



「ヒロの事はいい奴だって思ってるし、一緒に音楽をやれたらいいなって思ってる。
僕にとってヒロは、大事な人だし、多分これ以上はいないって思う。それは、あの時から時間が経てば経つほど、そう思ってる。

僕の曲を、ヒロが歌ってくれて、嬉しかった。ヒロがあの時、僕を選んでくれて、嬉しかった。

ヒロは優しいから、この前、僕があんな事言って、たくさんヒロを悩ませたんだと思う。
僕はいつもヒロに甘えてる。ヒロの優しさを利用してる。
だから、ごめんね。」



穏やかに話す浅倉はその優しさで博之を拒絶する。
見つめて来る眼差しはよく知る浅倉のそれなのに、酷く遠い気がした。
博之はたまらずその距離を縮めようと浅倉の腕に触れ、そのまま手繰るようにその手を握った。



「甘えてくれたっていいよ。オレだって大ちゃんに甘えてる。」



縋るように告げた言葉に浅倉は静かに首を振る。



「ダメだよ。そんなのフェアじゃない。」



「そんな事ない。」



「だって僕はヒロに応えられない。それが辛いことも、僕が一番よく知ってる。」



哀しそうに笑う浅倉は必死に握った博之の手をやんわりと解き、諭すように握り返した。
その指にあの日見たリングは見当たらなかった。



「僕はね、誰にも哀しい想いをして欲しくないんだ。」



博之は何も言葉に出来ずに唇を噛みしめた。
穏やかに話す浅倉の心中を思う。
1人、浅倉だけを哀しみの中に置き去りにするような心地がした。



「一緒いる方が、辛いよ?」



その身をもって知っている浅倉が告げる。



「一人くらい、大ちゃんを好きだって言う奴がそばにいたら、大ちゃんだって哀しくないでしょ?」



浅倉は穏やかに小さく笑った。



「ありがとう。その気持ちだけで充分だよ。でもヒロに哀しい想いをしてほしくないの。」



「哀しくなんかないよ。オレが勝手に大ちゃんを好きなんだから。」



「うん。ありがとう。こんな僕でごめんね。」


哀しいくらいにきれいな笑顔。



「なんで・・・っ。」



それ以上の言葉を奪う様に浅倉の手が博之の手をぎゅっと握った。
真っ直ぐ見つめて来る瞳。
すべてを受け入れて、断ち切って、行こうとするその穏やかな瞳にそれ以上言うべき言葉は奪われた。
浅倉の決心の固さを知る。諦める以外の選択肢は博之には与えられていなかった。



「ごめんね、ヒロ。」



浅倉は博之の手をそっと放した。それはもうこれ以上望みを持たせまいとする決別のそれだった。
浅倉が背を向けて歩き出す。
その背を見つめて博之は6年分の想いを込めて言った。



「バイバイ、大ちゃん。」



浅倉は歩いていく。
二人の距離は一歩、また一歩と離れていく。その小さくなる背中を博之は黙って見つめた。

不意に浅倉の足が止まる。
そして金色の髪が小さく揺れ窺うように博之を振り返った。



     !!」



次の瞬間、浅倉の身体は博之の腕の中にすっぽりと包まれていた。



「ひ、ろ・・・。」



「振り返っちゃだめだよ、大ちゃん。どうしてそんなに優しくて残酷なの?」



抱きしめられた浅倉は身をよじるように博之の表情をのぞこうとしたが、込められた博之の力強さに諦めて力を抜いた。



「そんなことされたら、オレ、大ちゃんのこと、諦められないよ。」



離すまいと回された腕は浅倉にとっても馴染みの体温。いつも傍らにあったそれだった。



「最後なんだって思ったら・・・、ヒロが、泣いてるんじゃないかと思って。」



「泣いてるのは大ちゃんでしょ?」



「え?」



そう言って博之は腕の力をほどくと浅倉の濡れた頬に触れる。



「・・・なんで?」



不思議そうな表情で浅倉は茫然と博之を見上げた。



「まだ、オレにも希望があるってこと?」



新たに睫毛を濡らしたしずくをもう一度その指で拭って博之が問う。



「解んないよ。ただ、終わりなんだって。こんなふうに終わっちゃうのやだって。そう思っただけだよ。僕にだって解んない。」



「いいよ。それでいい。解んなくっていいよ、大ちゃん。
オレ、やっぱり大ちゃんの事、好きだよ。」



ふんわりと浅倉を優しく抱きしめる。



「これからオレの事、好きになって。ずっとずっとオレが大ちゃんを好きって言い続けるから。哀しくさせないから。」



腕の中のぬくもりに祈るように誓う。
その間もポロポロと零れるしずくを博之は愛おし気に何度もその指で拭った。
ふとそれに気付いた浅倉が博之の手を軽く払う。



「やめて。こんな、みっともない。」



乱暴に涙を拭おうとする浅倉の手をやんわりと押し留める。



「やめない。だってこれは、オレのために大ちゃんが流してくれた涙だから。」



赤くなった目を覗き込むように浅倉を見つめる。
愛しさを込めて微笑む博之に耐え切れずに浅倉は目をぎゅっと瞑った。
その端からまたしずくが零れ落ちる。
そのひとつひとつを博之は大切そうに受け止めて、これから先幾度となく向けられるだろう、蕩けるような微笑みを浅倉に向けた。




それはまだ雪の残る、ある冬の日の出来事     








 

END 20151224