<INNOCENCE>









女性の視線でなんて軽々しく言われた歌詞ははたして本当にそれだけの意味だったのか、そんな事をぼんやりと考えながら女性的に歌うヒロを見つめて考えた。
いつからこの想いは禁忌になって行ったのか。
別に禁忌と言うほどでもないかと、鼻で笑ってみせるけど、それをもう口にしなくなって十年以上は過ぎたに違いない。
いや、冗談では前よりも頻繁に口にする。けれどそれは多分冗談。そうじゃなきゃ困る。
まともに考え始めたらきっともう僕はその事だけで他には何も考えられなくなってしまうだろうから。


そう言うところがこの男は呆れるほど上手いと思う。すべてを冗談にしてしまえる上手さ。
もしかしたら彼にとってそれは決して冗談ではないのかも知れないけれど、いや、冗談と思っていた方がきっと都合がいいのだろう、自分にとって。
だからこれはきっと冗談で特に何の意味もなくて、それこそそんな事に夜も眠れなくなるほどのたうち回るなんてことはナンセンスだ。
そんな事は解ってる。
だから冗談なんだ。そう、冗談なんだ。


軽々しく愛してると口にする男はその意味の本当の重さを解ってはいなくて、それでいてズルいくらいに知りすぎている。
決して言えない本心のようにこうして歌詞の中に上手く紛れ込ませて、それでこっちの反応を楽しんでるなんて、なんて悪趣味なんだ。
そう野次って、それでもそこには気付かない振りで、良い詩だねなんて笑ってみせる。
そんな茶番に多分お互い気付いている。気付いているけど気付かない振りをしている、少なくとも僕は。
だって気付いてしまったらきっともう何処にも行けないような気がしてるから。


この男の本心を知るのは、もう随分と前に止めた。
それでも少しは期待していた、数年前までは。
けれどそんな期待すらもあっさりと打ちのめされた時、あぁ、もう無駄な事は止めようと、いいじゃないか、こいつは俺の音だけでしか歌えない、それでいい、そう思う事にした。
それがこの男にとって唯一の絶対で、唯一の拠り所であるらしかったから。
項垂れてこの男にしてみたら珍しく神妙な顔で謝る姿に、こんなものが見たかったんじゃないと、誰を選ぼうと唯一なのは自分だけだと言って欲しかったのだと、胸糞悪くなるこのバカげた恋心を突きつけられた。
だからもうそれからはそんな思いは止めにした。そんな事を思っている限り、自分はこの男の傍にいるのが辛くなるのは目に見えていたから。


何もかもを欲しがってはならないのだ。
音楽の事に関しては野心家だと自分を思うけれど、この男に関してだけはそうなれないのも自分なのだ。
野心はこの男の前では通用しない。
この男は野心とは別の次元で生きているから。
ただ綺麗で、ただ純粋に、この世のしがらみなんかからは解き放たれている、良く言えばそうだけれど、ありていに言えばただの音楽バカだ。
自分が歌って行ける場所、自分を叫べる場所があればそれで幸せなのだ、この男は。
何て潔いんだろうか。あまりの潔さに笑えてくるくらいだ。
歌えない時のこの男のろくでもなさときたら、本当に目も当てられない。
いつもキラキラとまき散らしているあのオーラはあっという間に剥がれ、ただのクズ、いやクズ以下だ。
だから自分がこうしてこの男の唯一であり続けられる事が何よりも誇らしい。ちっぽけな恋心を投げ打っても余りあるほどに。


この男は自分がいなけりゃ歌も歌えない。
それが絶対にして唯一の自分に残された、答えなど求めるべくもない至高の幸福だったのだ。




















 

彼から七夕の話をされた時、また随分とロマンチックな事を言い出したものだと小さく笑った。
星好きの彼がそんな事を言い出すのはここ最近では珍しい事ではなくて、インスピレーションのきっかけになったりもするから渡された音と共にその思いもありがたく受け取る事にしている。
それでも、こうまで露骨に夢見るラブロマンスを望んでいるような事を言い出した彼にそれ以上の言葉を言えなかった。


微妙な二人の関係はもう何十年と続いている。
これだけ長い間一緒にいれば彼が言わずに飲み込んだ言葉も解ってしまう。彼は言葉以外は雄弁だ。


彼が何を望んでいるのか、正直解らないわけではない。
そして彼が何に怯えているのかも、何を諦めたのかも。すべてはオレのせいなのかも知れないけれど。


もっと前にきちんと答えを出しておけばよかったのかも知れない、そんな風に思ったりもする。
けれどそこで答えを出していたら、果たしてオレ達はこうまで互いを刺激し合って、戦ってこれただろうか。
彼の底知れない独占欲も知っている。そして自分のどうしようもないいい加減な性分も。
縛られるのは好きではない。きっとそれは彼も同じだろう。だからこそ上手くやってこれたし、新しい事に挑戦し続けて来れたのだとは思う。
けれど、彼の視線が語るその言葉を解っていて無視しづけているそんな心地良さに、いつしか自分がはまっていたのも事実だ。


彼はオレを独占している。それは事実。
けれどそんな彼をオレが独占している事に彼は気付いているのだろうか。
言葉にすらしないけれど、もう随分と前からこの関係はずぶずぶに依存しまくっている。
互いに相手がいないと成立しない。だからどんな事があっても、例え目を背けたくなる事があっても離れる事が出来ない。


歌詞の中に混ぜた彼の気付かれたくない思いを彼が目にする時、彼は少しだけ痛いような切ないような顔をする。ほんの一瞬。
多分本人は必至で隠しているのだろうし、ばれていないと思っているのだろうけど、これだけ長く一緒にいたのだ、気付かないはずがない。
そんな彼を見るとオレは酷く安堵する。
彼は苦しみながらもオレをまだ好きでいるのだと。
愛情を持って身体の関係を持つ事は簡単だっただろう。けれどオレ達はそれを選ばなかった。
性欲処理のように、ただのマスターベーションのように身体を繋げた事はあったけれど、そこに気持ちが伴うようになると途端に触れるのを止めた。
臆病だったのだと思う。互いをこれ以上愛してしまう事に。


そう、愛していた。
だからこそ素知らぬふりを決め込んで、彼を傷付けて平気でいられたのだと思う。
彼が傷付く姿に自分への愛情を感じていたから。酷い話だ。
けれどそれが2人の真実だった。
彼は健気なほど耐え、そしてオレは執拗に追いかけた。
本当はオレの方が弱かったんだろう。だから自分が傷つくことが出来なかった。
それが出来る強い彼にだけそれを求めて、自分にその矛先が向く事を異様なほど恐れていた。


もっと早くにこの事に気付いていたら、きっともっと彼に優しく出来たに違いない。
自分の愚かさを認める事が出来ていたなら、あるいは2人の関係はもっと穏やかに過ぎていたのかも知れない。
知らないという事はひとつの罪だ。





















 

二人の関係が変わってきたと気付いたのはいつからだっただろう。
つい昨日のような気もするし、随分と前からのような気もする。


彼の向けてくる言葉があたたかく、自分を包む腕や視線が優しさに満ちていると思えるようになった。
それはただの錯覚かも知れなくて、確かなところは正直なところ自分の主観でしかないのだけれど、どこか安堵できる優しさを秘めていた。
切なさや苦しさが消えてなくなったわけではないし、彼に何かを求める事を許されたわけではないのだけれど、彼の紡ぐ歌声が優しいのだ。
音楽的な事には絶対の自信を持っている。だからこれはきっと間違いではないはずだ。
上がってきた歌詞は決して楽観的に大っぴらに愛を語るものではないけれど、その歌を歌う彼の声からは切ないほどの愛が溢れていた。
切ないのだ。
そう確かに切ないのだけれど、それは優しくて、相変わらず僕を試すような言葉を繋げているのだけれど、何故か苦しく追い込まれた気持ちにならないのが不思議だった。



ブースの外で黙って俯いたままの彼の顔を上げさせたかった。
今彼がどんな表情をしているのか気になった。
決して嗜虐的な気持からではなく純粋に。


彼の真意が知りたいと願ったのはいつ振りだろうか。
今までだって彼が妥協で曲を作ってきた事など一度としてない事は解っているし、自分も彼に妥協を許すような歌い方はして来なかったと思っている。
けれど今日は、何故か彼の真意が知りたいと思った。
曲の良し悪しではなく、もっと本質的な。


彼を傷付けたいとはもう思えなかった。
いや、傷つけたっていいのだと思う。それが彼の為であるのなら。
でも今まで自分のやってきた事は自分の保身のためだ。そう言う傷は、もう付けずにいたかった。そう思って歌った。



自分の中の何が変わったのかは解らない。けれど確実に何かが変わっていた。
それはこの曲の持つ力なのか、それとも。



OKを出すためにゆっくり顔を上げた彼の目に溜まっていた光るもの。



あぁ、そうか。これで良かったのか。



二人の関係が変わってきたと気付いたのはいつからだっただろう。
きっとそれは必然で、変わらずにはもう進めないところまで来ていたのかも知れない。



少しは何かを求めてもいいのだろうか?



欲しいものはいつだってたったひとつ。

秘した音の中にだけ溢れさせた真実。



痛いほど切なくて、苦しくて、手放したと納得させていながら何ひとつ失えなかったもの。

最後に残るのはこの気持ちだけ。



掛け違えた時間の迷路を抜ける。


何処かに2人のための真実があるのなら、



強張った手を差し出して、今    





 

END 20140629