<雨上がりの花>










「見て見て、ヒロ。やっと撮れたよ。」



休憩の間も忙しなく打ち合わせを繰り返すスタッフの中で、自分と同じように解放された彼がiPadを片手にいそいそとイスを引き出して目の前に座った。
そしてお目当てのものを見つけるとオレにその写真を自慢気に突き出した。



「ね!やっと撮れたんだよ。この前。」



見るとiPadの中には先日彼が撮ったのだろう数枚の写真が順番に映し出されていた。



「ジョンの散歩に行った時にね、いつも通るアジサイのところがあるんだけど、そこにいたんだよ、かたつむり。」



嬉しそうに語る彼からiPadを受け取り1枚づつじっくりと見て行く。

彼がカメラを始めてから何年か越しの夢だったらしいアジサイとかたつむり。それをやっとこうしておさめられた事が嬉しくてたまらないのだ。
アジサイと言えばかたつむり、かたつむりと言えばアジサイでしょうと豪語していた彼はこの時期になるとこの絵になる組み合わせを探す事に余念がない。
ただ忙しい彼はそれこそ散歩の時間くらいしかそれを探すチャンスを与えられておらず、何年か越しの現実となったのだ。

嬉しそうな彼を見ていると何故か自分まで嬉しくなる。
彼の笑顔と言うのは何処か不思議な力を持っている。
その笑顔の源の写真を見ながら、その中の1枚にチリリとどこか遠い懐かしさを感じた。
















 

「かたつむり。」



濡れた紫の花の中にぽつりと立った男の子は言った。どこから入ってきたのか不思議に思う前に博之はその男の子に目を奪われていた。
見知らぬ顔だ。
近所の遊び仲間の中には見た事ない男の子だった。引っ越してでも来たんだろうか。
この辺りに住んでいる奴で自分が知らないやつなんているはずがない。だって博之はこの辺りでは有名だったから。それに毎日の登校班で見た事のない奴なんて遊び仲間の中にはいなかったから。



「かたつむり。」



正体不明のその子はぽつりと博之にそう答えて、再び視線をその大きな紫の花のついてたアジサイの上に戻した。

今日は朝から雨だった。しとしとと降る雨は梅雨特有のもので、ずっと家の中に閉じ込められていた博之はようやっと上がった雨に、チャンスとばかりに鯉のエサを手に庭へ出たのだ。
池の鯉にバラバラと餌を撒いていると、小さな滝の裏の方からガサガサと音がした。
また猫が鯉を襲いに来たのかと追い払う気満々でアジサイの葉をどけたところでこの見知らぬ男の子と遭遇したのだ。

視線を戻した男の子につられるように博之も葉の上に視線を投げると、アジサイのくっきりとした緑の上にゆっくりと進むかたつむりがいた。結構大きい。



「うわぁ!ホントだ!!」



博之がかたつむりの殻を摘まもうとすると男の子の手が博之の手を止めた。



「死んじゃうよ。」



「死なないよ。捕まえよう。」



すると男の子はふるふると首を振って守るようにかたつむりを手のひらの下に隠した。



「かたつむりはアジサイが大好きなんだよ。だからいいの。見てるだけでいいの。」



そう言って再び手をどけた葉の下でかたつむりはその2本の触角をにょきにょきとうろつかせながら相変わらずゆっくり歩いていた。
じっと見つめる2人の視線の先でかたつむりが葉から茎の方へ歩いて行く。
細い茎の上を起用に歩いて行く姿にしばらく目を奪われていたが短気な博之の興味はすぐに違うものへと移ってしまう。男の子の手を取るとくいっと引っ張った。



「ねぇ、鯉、見せてあげる!」



滝の裏に茂るアジサイの中から男の子を連れだすと人工の川に架けてある石橋を渡り、鯉が一番近くで見られる池の縁へと歩いて行く。
手にしていた餌を一掴み池の中へ放り込むと途端にどこからか鯉が集まってくる。



「見て!あそこの赤いのが『ひめ』だよ。いつも澄ましてる。なかなか呼んでも来ないんだ。
あ!あそこの白いの、赤と黒の点々があるやついるでしょ?あれはね『いちご』って言うんだ。赤いところがイチゴみたいだから。
あとね、黒いのがいるんだ。すごいおっきいの。『ボス』って呼んでるんだけど。あれ?来ないなぁ。」



そう言って博之はもう一度餌をばらまいて目を凝らした。しかし『ボス』と呼ばれるその鯉は姿を現さない。



「ねぇ、餌撒いてみて。」



博之は男の子にも餌を差し出すと撒くようにと促した。男の子も博之に習う様に餌を撒くと池の中を注意深く見つめた。



「あ!!」



「あ!!」



撒いた餌を急上昇して来てパクリと口の中へ放り込んだ大きくて黒いものの姿。



「見た!?今の!今のがボスだよ。」



「うん。見えた!」



「もう一回来ないかな?」



そう言って博之が餌に手を伸ばした途端、



「あ!あそこだ!!」



男の子が指さした先に悠々と泳ぐ大きな姿を見つけた。石橋の近くを泳ぐ姿に2人は慌てて石橋へと走る。
調度石橋の陰になる暗い部分でボスは旋回を繰り返している。2人は石橋の上にしゃがみ込んでその姿を見つめた。



「大きいね。すごい。」



「ボスはね、ずっと昔からいるんだ。一番長生きなんだって。」



「そうなんだ。すごいね。」



ボスの周りに段々といろんな鯉が集まってくる。どうやらそこは鯉にとって居心地のいい場所らしい。
けれどボスの近くに寄ろうとするものはいなかった。何となく遠巻きにその近くにいるだけで、並んで泳ぐというような事はなかった。



「ボス、いつも一人なんだよね。」



「どうして?」



「やっぱり、ボスだからかな。ボスは一人じゃないとダメなのかな。一人は淋しいのにね。」



「そうかな。」



「そうだよ。一人ぼっちじゃ、みんなと遊べないじゃん。」



博之は石橋の上から一粒、ボスに向かって餌を投げ入れた。けれどボスがそれを食べる事はなく、余所からやってきた違う鯉がパクリと飲み込んだ。



「淋しくは、ないんじゃないかな。こうしてみんな一緒にいるんだし。」



「でも一緒に遊んでないじゃん。オレ、お願いしようかな。ボスがみんなと仲良く遊べますようにって。」



「誰に?」



「うん・・・神様?短冊書いたらお願い事聞いてくれるんでしょ?」



「あぁ、七夕ね。」



「あ!でも、雨降ったらダメなんだっけ?じゃあまずテルテル坊主を作んなきゃ。でもどうして雨が降ったらいけないの?」



「2人が会えないからじゃない?」



「2人って?」



「織姫と彦星。」



「あ、それ、聞いた事ある。1年に1回しか会えないんだよね?どうして?会えばいいじゃん、いっぱい。」



男の子は小さく笑うと、あのね、と切り出した。



「2人の間には大きな天の川って言う川があって、渡れないんだよ。」



「天の川って、空にあるあれ?」



「そう。とっても大きな川だから普段は渡れないんだ。だけど1年に1回だけは神様が橋を架けてくれるの。だけど雨が降ると川の水が溢れちゃうから橋が架けられないんだって。」



「えぇ?オレ、全然行けるよ。だってオレ、泳ぐの得意だもん。毎日ね、アップで1キロ泳いでるから。橋なんかなくたって大丈夫。」



「ホント?」



「うん。オレ、毎日会いに行くよ。泳いで。だって一人じゃ淋しいでしょ?」



「ホントに?」



「だって1年も会えないんだよ?無理じゃん。その間、どうするの?他に友達いるの?」



男の子は首を振った。



「友達なんかいないよ。だからずっと見てる。川の向こう側の大好きな人を。」



「え?でも見えないでしょ?大きな川があったら。」



「ううん。見えるよ。だってその人だけ目印になるようにキラキラ輝いてるから。どんなに遠くにいたって絶対に見える。」



「それじゃあ切ないね。あそこにいるのが解ってて会えないなんて。」



「ううん、キラキラしてるその人を見て、どんどん大好きになるんだよ。」




















 

「ヒロ?」



目の前から覗き込まれるようにして掛けられた声にハッとして見返すと、そこには訝しんだ表情の彼がいた。



「何?急にボーっとして。」



手に持っていた彼のiPadを取り上げられ、目の前で画面をスライドさせる彼の表情は生き生きしている。



「次はさぁやっぱり七夕も近い事だし、天の川を撮りたいんだよね。」



そう言いながら今度は新しく撮ったという天体の写真を見せてくれる。



「まだあんまり上手く撮れなくてさ。撮りたい映像はあるんだけど、なかなかね。」



見せてくれた写真は素人の自分などには理科の教科書に載ってたような綺麗さで、これのどこに不満があるのかすら解らない。けれど凝り性な彼の事だ、きっともっと思い描くものは別にあるのだろう。



「七夕、雨降らないといいね。」



今度はそのままネットに接続し週間天気予報などを見ている彼の口から、あ、晴れるかななんて言葉が漏れている。



「そうだ。今年は書いたの?マンションの中にあるんでしょ?笹。」



「あぁ、ね。あるよ。今度大ちゃんも書きに来る?」



「え、いいの?行こうかな。」



「マジで?いいよ、いいよ。」



毎年繰り返されるこの会話はいまだに一度も叶った事がない。
七夕のこの時期、調度自分達はツアーリハーサルで忙しく、気付くとマンションの笹はいつの間にか消えている。そうなって初めて、あぁ、今年もまた叶わなかったと思うのだ。



「それにしてもさ、ナンセンスだよね。」



「何が?」



「だって、1年に1回しか会えないんでしょ?その2人にさ、あれを叶えてくださいとか、これを叶えてくださいとかさ。それどころじゃないつーの。1年に1回しか会えなかったら、そりゃあ濃厚なねぇ?人のお願い聞いてる場合じゃないでしょ。」



「大ちゃん。」



オヤジ臭い笑いをして見せる彼を窘める。
最近の彼は自分よりも露骨にオヤジ臭い。窘めるのはいつの間にか自分の役割になっている。



「でも1年も会えなかったら心変わりしないのかね。それともそんなにいい男なのかね?貴水博之さんみたいにぃ。」



茶化した感じで彼が言う。



「だから目印になるようにキラキラ輝いてるんじゃないの?明るい星なんでしょ?」



「うん。まぁね。夏の大三角だから。」



「大三角かなんかは知らないけど、そうやってキラキラしてるのを見て、あぁ、アレが自分の好きな人なんだわ〜とか思って、思いを募らせてるって話じゃないの?」



「え?何それ。」



「アレ?大ちゃんが言ってたんじゃなかったっけ?」



「言ってないよ、そんな事。」



「アレ?大ちゃんから聞いた気がしたんだけど。おかしいなぁ。」



首を傾げる横で彼が小さく笑ったような気がしたが、スタッフの呼びに来る声に短い休憩は終わりを告げた。
取り残されたテーブルの上で彼のiPadがしばらく輝ける星々を映し出していたが、その輝きもしばらく後にふと輝きを止めた。


目印の星は今日も静かに瞬いている。



END 20140705