<その星を目印に>










「一緒に星見ない?」



そう誘ったのは浅倉だった。
今日、年末の打ち合わせで顔を合わせた時からどこと無くそわそわしていたのはこういうことだったのかと、貴水は多くはない荷物を片付けながら小さく笑う。



「あのね、アイソン彗星って言うのがさ、来てるの。尻尾がだいぶ見えるようになったのね。だから、この機会にヒロにもね。」



貴水の答えを聞くのが怖いのか、必死に誘った理由を並べてみせる浅倉に貴水はちょっと考えるような振りで答えた。



「オレさ、今週末本番なんだよね。風邪ひくわけにはいかないって言うか。」



「そう、だよね・・・。」



恐らく予期していたのだろうその答えに浅倉は小さく肩を落とした。その様子に貴水は小さく笑みを零す。
普段の浅倉ならこんなわがままは言い出したりはしない。
細かいスケジュールは別として、舞台などのスケジュールはあらかじめ仕事の上でも伝えてあるし、その予定を把握している浅倉がこのタイミングで貴水を誘うのは珍しいことだ。
本番前の数日がどれほどデリケートなものなのか熟知しているからこそ自分から誘ったりはしない。
無論、貴水の方から持ち掛けられれば浅倉に否はないのだが。

そんな舞台本番数日前に浅倉が誘った訳に貴水も気付いている。
この日だけは2人にとって特別なのだ。2人が始まったこの日だけは。

毎年約束をしているわけではないし、もちろん互いに仕事が入っている時だってある。だから必ずと言うほどのものでもない。
ただ出来るなら同じ時間を過ごしたいと思う気持ちは2人の中に等しくある。
そしてきっと今回は浅倉の方にその思いの分量が僅かばかり多かったのだろう。
それでもなかなか言い出せなかったのは貴水の舞台の事を知っていたからに違いない。
迷ううちにとうとう当日になってしまったのだろう。今日こそ言わねばと思う気持ちが浅倉をそわそわさせていたのだ。
そしてそんな浅倉に貴水も気付いていた。
だからほんのちょっとだけ意地悪をしてみたくなったのだ。浅倉を嬉しがらせる事が貴水は何よりも好きだったから。



「星、そんなにきれいなの?」



星の話を向けられて途端に浅倉の表情がパッと明るくなる。



「きれいだよ!ヒロにも見せてあげたいっていつも思うもん。特にこの季節は良く知ってる星座も見れるし、ホントに感動するよ。」



「でも、寒いんだよね。」



「うん・・・外だからね。」



「風邪、ひいちゃうよね?」



「あったかくしてたら、平気だよ・・・。」



だんだんと尻つぼみになるその口調に、貴水は今演じている役柄の持つ忍耐力で緩みそうになる表情をきゅっと引き締めた。



「大ちゃんはあっためてくれないの?」



「え?」



「大ちゃんがあっためてくれるなら、星見たいな。」



そう言って貴水がニヤリと笑うと、ようやっとその意味を理解した浅倉は見る間に顔を赤くした。



「・・・バカ。」



そう呟いた浅倉の声音が気恥ずかしさだけだと言う事を敏感に察知した貴水は、さりげなく浅倉の腰に手を回すと一瞬だけクイっと引き寄せた。



「あとでね。」



軽く触れるだけのキスを金色の髪に落とすと、その隙間から見える浅倉の蕩けそうな表情。
そしてそのすぐ後に立場を思い出すのか、たしなめるような顔を作ってみせる。
この一瞬の思わず溢れてしまう表情が貴水は好きだ。


打ち合わせの会議室を抜けるとマネージャーを探し、さりげなくこの後のお伺いを立てる。
訳知り顔のマネージャーは既に貴水の行動を予期していたかのようだった。



「本番前なんですからね。絶対遅刻しないでくださいね。」



そう一言念押しされたが、それ以上は何も追及しなかった。



















 

「大ちゃ〜ん。」



インターフォンに響く美声に浅倉の頬が思わず緩む。
一旦自宅に戻り明日の荷物を用意してから愛車を飛ばしてきただろう貴水に快くドアを開ける。



「お待たせ。」



思ったよりは小ぶりの荷物を手にした貴水の身体は、夜の空気に包まれてひんやりと冷たい。
抱きしめられて一瞬ひやりとした温度の奥はいつも通りの自分よりほんのちょっと高いそれで、浅倉はそのことに酷く安心する。
あぁ、ヒロだなと思う。
それはきっと貴水も同様で抱きしめた輪郭をなぞるようにその手触りを確認した。



「入って入って。」



浅倉が促すと待ってましたとばかりに浅倉の愛犬が貴水の袖を引く。
いつもの熱烈な歓迎を受けながら貴水は促されるままにリビングへ向かおうとすると、浅倉が階段から貴水を呼んだ。



「ヒロ、こっちこっち。」



いぶかしみながら後をついて行くと浅倉は何故かベッドルームへと滑り込む。
今日は積極的だななんてそんな事を考えながら貴水が部屋に入ると、そこには彼お気に入りの望遠鏡が組み立てられている。



「もういつでも見られるからね。」



満面の笑みで答える浅倉に貴水が脱力したのは言うまでもない。



「大ちゃん・・・。」



色っぽい展開を期待した自分に苦笑いしながらも目の前で望遠鏡を覗き込む浅倉に貴水の頬が緩む。



「ヒロが風邪ひいちゃうと困るから。家の中だとここが一番良く見えるんだよ。ね、ヒロ、ここ覗いてみて。」



そう言って場所を譲る浅倉に習って望遠鏡を覗き込む。そこには図鑑で見るような大きな月。



「うわぁ、すごいね大ちゃん。」



「でしょ?宇宙の神秘でしょ。」



嬉しそうに説明を始めた浅倉を遮って手を引いた。



「ねぇ大ちゃん、こんなところに呼んどいて、本当に星見るだけのつもり?」



楽しそうに貴水が笑うと浅倉は慌ててその手を引っ込めてワタワタと慌てふためく。



「そ、そんなつもりじゃないもん!ヒロにきれいな星、見せてあげようと、」



「そんなつもりって、どんなつもり?」



意味深に貴水が微笑めば「うぅ・・・。」と唸って恨めしげに貴水を見上げる。



「知らないっ!」



そう言って逃げるように望遠鏡を覗き込む浅倉を貴水は後ろからそっと抱きしめた。



「だぁいちゃん。」



「・・・なんだよ。」



必死な振りをして望遠鏡を覗き込む浅倉の頭の上にポンと細長い紙袋を乗せる。



「なに?」



望遠鏡から目を離した浅倉が頭上を見上げるとそこにはきれいなラメの入った紙袋と貴水の笑顔。



「お土産。」



そっと手渡された紙袋を開けるように促され、中を覗き見る。



「わぁ・・・。」



取り出してみるとまだ冷えたままのシャンパン。



「大ちゃん、好きなやつだよね?」



「うん。これ、好き!ありがとうヒロ。」



クラシカルなラベルは前に浅倉が好きだと言っていた銘柄で、そんな些細な事を覚えていてくれた事に浅倉は感激した。



「ねぇ、ヒロも飲んでくでしょ?」



「何?飲ませてくれないの?冷たいなぁ、大ちゃん。」



「違うよ、だって明日お稽古だし、車、でしょ・・・?」



「今日は泊まらずに帰れって事?帰っていいの?」



「・・・やだ。」



照れながらもそう答えた浅倉をきゅっと抱きしめて貴水が笑う。



OK。じゃあまずはコート脱がして。ご飯食べてないでしょう?オレ、軽くデリ買ってきたんだ。」



そう言いながら軽くウィンクする貴水に浅倉は満面の笑みで答えた。























 

空腹も満たされ、程よくアルコールも回った状態で互いのぬくもりを感じながらベッドに横になっている。
傍らには今日の口実を作った望遠鏡。薄く開けられたカーテンからはいくつかの光る星が瞬いている。
望遠鏡ではなく肉眼でその星々をぼんやりと眺めながら、言葉も無くただ互いのぬくもりを分け合っている。

おもむろに浅倉が立ち上がり望遠鏡を覗く。
ゆるく暖房をつけているとは言え、カーテンを開けてあるそこからしみ込む冷気は、先程まで暖かい体温に包まれていた浅倉を身震いさせる。
慣れた手つきでいくつかの調整をし、再び望遠鏡を覗く浅倉の顔は満足そうだ。



「まだ見えるよ、ヒロ。」



建物の影に隠れてしまう一瞬前の星。浅倉はそれを貴水に見せたかった。
屋上に上がればもう少し長い時間見る事は出来るが、舞台を控えた貴水にそれを強要することは出来ない。
星はこの後もしばらく見頃だが、恐らくそこまで貴水が起きていることは難しいだろうと浅倉は思っていた。

振り返った浅倉の目には半分夢の国に歩き出したような貴水の顔。
浅倉の呼びかけに柔和な笑顔を見せてはいるが、それは果たして本当に呼びかけに対してのものなのか夢の国の誘惑に対してのものなのか、既に判別がつかない。
答えのない貴水にそれ以上呼びかける事もせずに浅倉は1人望遠鏡を覗く。
星を見ると言うのは口実でしかなかったけれど、この望遠鏡から見える宇宙を貴水にも見せてあげたいと思ったのは本当の事。
望遠鏡を通して見る世界には新たな発見も、ため息の出るような神々しい感動もたくさんあるものだから。
けれどこの日も貴水はそれを充分に知る事はなく、ただ浅倉の見せる世界以上のものを自ら覗こうとはしなかった。
ただその自らの目で空の彼方を見つめ、その目で宇宙を見晴るかすだけで、もしかしたら貴水には充分なのかもしれなかった。
自分の五感が感じる以外のものは謎として取っておきたい、そんなふうに思うところも貴水らしいと言えば貴水らしいと浅倉は思っていた。

いくつかの星を渡り歩くように眺め、浅倉が望遠鏡に夢中になり始めた時、浅倉の耳に布団をポフポフと叩く音が聞こえた。



「大ちゃん・・・?」



振り返ると眠気まなこな貴水が先程まで浅倉がいた場所を手で探っている。
小さく伸びをして瞑っていた目を片方ずつ開いた貴水の視線が焦点を定められず彷徨う。
やはり眠っていたらしい。ベッドの上を探す手の覚束なさが愛しい。
浅倉はその手に触れるように再び貴水の隣に横になった。



「ヒロ。」



貴水のところへ潜り込むとようやっと焦点の定まってきた貴水の目が浅倉を見つけて微笑む。
きゅっとその腕に抱きしめると冷気をはらんだ浅倉に顔を歪めた。



「大ちゃん、冷たい。また星見てたの?」



「うん。」



「風邪ひくよ。」



「大丈夫だよ。」



笑ってそう答える浅倉を貴水がぎゅっと抱きしめる。



「星よりオレを見つけてよ。」



耳元で囁かれたその言葉。



「オレ、大ちゃんにとって一番ステキな星になるからさ。」



「ヒロ・・・。」



腕の中から貴水を見上げると額に優しいキスが降ってくる。



「あの時、大ちゃんがオレを見つけてくれたから、今のオレがあるんだよ。」



「僕の方こそ、」



浅倉の言葉を遮るように貴水が告げる。



「ありがとう。オレを選んでくれて。」



優しい貴水の微笑み。
今まで何度となく見てきたはずのその笑顔。
浅倉を見つめる貴水の視線はいつだってあたたかく、初めて会った時から変わらない。
別れを決めたあの時だって同じように優しかった。
あの時はその優しさが辛く思えたけれど、今はそんな貴水の優しさの理由を浅倉は何となく解ったような気がしている。

時間が2人の想いをゆっくりとあたためてきた。
それだけの年月を過ごしてきた。あの日から。



「違うよ。ヒロが僕の前にお星さまみたいに現れたんだよ。」



浅倉は貴水を抱きしめ返しながらそう答えた。



「突然現れて、僕の世界を全部変えちゃったんだから、あの日から。」



浅倉の目が遠いあの日を懐かしく見つめる。
未だ色褪せないあの日の記憶。握った手のぬくもりもこんなにはっきりと覚えている。



「彗星みたいにシュッて消えたりしないでね。」



あの日と変わらないぬくもりにそっと告げる。
腕の中の確かなぬくもりにくちづけながら貴水がいたずらっぽい目で笑う。



「彗星は同じところをずっと回ってるんじゃなかったっけ?」



天体マニアの浅倉は、あっ・・・と言う顔をして視線を逸らした。



「それは、どこにも行かないでって事?」



目を細めて笑う貴水の胸に懐くような仕草で浅倉はその表情を隠した。
貴水が小さく笑う。



「どこにも行かないよ。オレは大ちゃんの周りを回ってるんだから。」



表情を隠してしまった浅倉をぎゅっと抱きしめて、『だからちゃんと戻って来たでしょう?』と優しい声で告げた。




特別な日にまたひとつ特別な事が増えていく。

2人は星の輝く静かな夜の中で、どんな星より美しく輝く、ただひとつの特別な星をその手に抱きしめて優しく微笑んだ。





END
 20141126