<KISS FOR XXX>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失う事は怖くない。ただ、忘れ去られてしまう事が怖いだけ。

その胸に刻みつけて、深々と刻み付けて。

もう二度と忘れないように、もう二度とここから去っていかないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「目、覚めた?」

 

 

薄暗い視界の端で気配が動く。顔を上げたはずだがあまりの暗さに果たして本当に自分が顔をあげたのか判別がつかない。

ただ暗い闇。何も目に映らない。

 

 

「・・・?」

 

 

声のする方へ視線を投げてみたがそこにその声の主がいるのかすら解らない。けれどその声はやはり自分の視線の先からした。

 

 

「喉、渇いたでしょ?」

 

 

そう問われて初めて喉の渇きを自覚する。

自分はどれくらいここでこうしていたのだろう。戒められた左手、頬で感じる冷え切った床。この闇は、時間の存在すら忘れさせる。

コツと硬いものを踏みしめる音が闇の中に響く。次の瞬間、

 

 

「口、開けて。」

 

 

声と共に浴びせられた冷たい感触がダラダラと顔を伝った。

 

 

「お水だよ、ホラ。」

 

 

クスクスと笑う声が頭上に響く。顔を流れる水から逃れながらその声の主を探る。何で彼はこんな事をするのだろう。

 

 

「・・・ぃ、ちゃ・・・。」

 

 

掠れた喉が名前を呼べずに闇の中に沈む。小さく振るわせたその空気の音に、彼が動きを止めた。途端に顔に打ち付けていた水音が止まる。

 

 

「まだ僕をそんなふうに呼ぶの?」

 

 

どこか哀しい声だった。

 

 

「だい、ちゃ・・・ん。」

 

 

声のする方へ手を差し伸べてみる。けれどその手が掴んだものは虚しい空っぽな闇だけだった。

コツと、硬い音が遠ざかる。

 

 

「だいちゃん・・・。」

 

 

その音に声を縋らせる。

 

 

「もう、いいんだよ、ヒロ。もう、そんなふうに呼ばなくていいんだよ。」

 

 

小さな声が闇に響く。

 

 

「僕の事、嫌いになったでしょう?こんな事する僕を嫌いになったでしょう?」

 

 

その声はどこか嘲りの色を帯びて懇願するように闇に落ちる。

 

 

「もういいよ。もう全部終わりにしよう。一言言ってくれればいいんだ。お前なんか死ねって。そうしたら僕も楽になれる。」

 

 

必死に首を振った。

滴る水滴がパラパラと床を濡らす。

 

 

「本当はいつだってそう思っていたんだろう?こんな事する奴と好き好んで誰だって一緒になんていやしない。」

 

 

闇の奥から聞こえる声は決してその先の感情を覗かせようとはしない。

 

 

「だからいいんだ。死ねって言えよ。」

 

 

「だいちゃ・・・。」

 

 

悔しさにグッと目を閉じる。閉じた視線の先にも同じような闇。決して何も掴めない虚空にもう一度手を伸ばす。

 

 

「もう、終わりにしよう、ヒロ。」

 

 

坦々と告げられる言葉。

 

 

「どうして・・・。」

 

 

「君がいると僕は僕でいられなくなる。だからもう、終わりにしよう。」

 

 

凝らした闇の向こうに佇む彼の姿。その表情は見えない。

 

 

「もうすべて、終わりにしよう。」

 

 

冷たく響く声に必死に手を伸ばす。

 

 

「だいちゃ・・・。」

 

 

指先を掠める微かな温度。彼がその先にいる証。

 

 

「大ちゃん・・・。」

 

 

僅かな距離を埋めることが適わず温もりは空を切る。

 

 

「大ちゃん・・・大ちゃん・・・。」

 

 

ただひとつ自由になる声で彼を探す。

 

 

「もう終わりだって言ってるだろう?そんな名前で僕を呼ぶな。」

 

 

「大ちゃん。」

 

 

「呼ぶなって言ってるだろう!!」

 

 

 

ビリビリと闇を震わせて投げつけられる言葉。荒げた息遣いだけが残る。

 

 

「・・・だいちゃん・・・?」

 

 

「・・・ぅして・・・っ。」

 

 

ギリギリと唇を噛み締める音が聞こえるような悲痛な声。

コツと靴音が響く。パシャリと水を踏みしめる。

 

 

「消えてなくなれ・・・。」

 

 

「だいちゃん・・・。」

 

 

「跡形もなく。」

 

 

頭上から落とされる拒絶。朧気に見える面影を求めて手を伸ばす。触れる。見知ったぬくもり。小さく震える。

 

 

「だいちゃん。」

 

 

そっと確かめるようにそのラインをなぞる。

 

 

「その声を、潰してしまおうか。」

 

 

ヒヤリとした声。

 

 

「その目もその声もこの手も。」

 

 

「・・・っ!!」

 

 

ギリギリと捩じり上げられた右手に、初めて彼の体温が伝わる。

 

 

「こんなにしても何一つ失わない。不公平だ。全く不公平だよ・・・。」

 

 

伝わる温度が一層強く捩じ上げる。近付いた彼の輪郭が射るように貫く。その眼差しに小さく笑んだ。

 

 

「殺してよ。いいよ。あなたの好きにしてよ。それであなたが楽になるなら。オレはあなたのものだから。」

 

 

闇の先から自分を見つめているだろう彼を見つめる。

 

 

「ねぇ、大ちゃん。」

 

 

掴まれた右手を必死に伸ばす。掠めた指先が彼の温度を掬う。

僅かな静寂。

不意に彼の温度が離れる。

プツリと小さな音が響いて、戒められていた左手が鈍い痺れと共に解放される。

 

 

「だい、ちゃん・・・?」

 

 

「もういい。好きにしろよ。」

 

 

小さく震える声。

 

 

「早くここから出て行け。」

 

 

くぐもったため息に似た言葉。

自由になった両手を伸ばして闇の中の彼に触れる。冷え切ったこの場所でたった一つの標のよう。確かめるようにそのラインを辿る。

 

 

「出て行け。」

 

 

彼の温もりを両手に掴んだまま首を振る。

 

 

「出て行け。」

 

 

唇の動きを感じる距離で強く首を振る。小さな振動が彼の息遣いを伝える。

 

 

「ここにいる必要なんて、もうない。そもそも、」

 

 

喉の奥でくつくつと笑う。

 

 

「そんなもの初めからないんだよ。」

 

 

「ちがう・・・。オレはあなたのもの・・・。」

 

 

「なんだって言うんだ。そんな事、思ってもいないくせに。」

 

 

嘲笑が歪んで響く。

 

 

「あなたのものだよ、大ちゃん。だからいいんだ、ここにいる。」

 

 

思いを込めて静かに告げる。

 

 

「お前なんかいらない。」

 

 

「それなら殺して。あなたが持ってるそれで。」

 

 

彼の身体がギクリと揺れる。その腕を掴みそのまま手先を探る。

 

 

「あなたの好きにしてよ。ここの他に、行くところなんてないから。」

 

 

「・・・ヒロ。」

 

 

彼の手に掴まれたままのそれを自らの喉元へ向ける。

 

 

「好きだよ大ちゃん。」

 

 

「・・・めろ・・・離せ・・・。」

 

 

引き攣ったその声に首を振る。近付いたその距離に彼の喉がヒュッと細い音をたてる。

 

 

「・・・イヤだ・・・はなせっ。」

 

 

朧気にしか見る事の出来なくなってしまった彼の表情を伺うようにその距離を詰める。

 

 

「いいんだ、大ちゃん。楽にして。」

 

 

温もりを手の平でなぞる。

オレを見つめているだろうあなたの目、戦慄くように震えるその唇。愛おしむように触れる。

固まった彼の手がその距離に抗うように強く逸らされる。その手を再び引き寄せそっと目を閉じる。

 

 

「好きだよ、大ちゃん。」

 

 

喉元に感じるひやりとした感触。掴んでいたその手を離し口づけを強請るように頬に手を寄せる。

 

 

「・・・ぅあぁ・・・っ!!」

 

 

闇に響く彼の声。

プツリと何かを切り裂く音。

 

 

「大ちゃん・・・。」

 

 

生温かいしずくが頬に降り注ぐ。

言葉にならない壊れた息が彼の唇から漏れる。

温もりを失っていくだろう彼を引き寄せ、オレはその唇に口づけた。

 

 

 

 

 

 

 

        アナタハワタシノモノ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   END 20130127