<光の庭>









「ねぇ、僕が死んだら、泣いてくれる?」



突然彼がそんな事を言った。
いつもより薄暗い楽屋の中。鏡の前。久し振りに並んで座って、それでもスペースがなくてL字の隅に追いやられたような格好で不意に彼が言った。



「何?急にどうしたの?」



オレはその突然の言葉に一瞬思考を奪われて、笑いながらそう答えた。片手に今まさに入れようとしていたアイシャドー。片目だけ陰影のくっきりしたその視線で彼に問うた。



「・・・。何でもない。ってか、ヒロ、シャドー濃くない?狸みたいになってるけど。」



「え?ウソ。」



そう言って慌てて覗き込んだ鏡の中、片目だけくっきりのオレの後ろで可笑しそうに笑ってる彼の姿に何故だかホッとして、「大ちゃんだって黒いよ」なんて言い返して2人でケタケタ笑った。
この日の2日前、彼の父親が亡くなっていたと聞いたのはツアーが終わってしばらくしてからだった。








 

もともと彼は秘密主義なところがあって、ユニット結成時、あれ程過密スケジュールでそれこそプライベートな時間なんか皆無だったのにも関わらず、何故か全てが解らない人だった。
彼の行動で知らない事なんてひとつもない。24時間一緒に居て、それこそ日に何度トイレに行ったとか、そんな事だって数えようと思えば数えられるくらいだったのに、いつまで経ってもどこかに知らない彼が居るような気がしていた。
それは彼の頑なに秘された性嗜好に起因するものなのかも知れない。
そのことについてだって触れようと思えばもっと早くに触れておけばよかったのだ。時間が余計に口を閉ざすことを強要し、結局何も直接的な事は言えないままオレ達は終わった。
だから再び始める事を決めた時、お互いが仕事をして行く上で障害になるであろう隠し事は一切しないという事を決めた。言いたい事も言えない様な関係ではまた同じ鉄を踏むであろう事は明白だったからだ。
彼は恐らく彼の性格上、この条件を遵守する事に迷いもあったと思う。
けれど他の事は全て譲ったオレがこのひとつだけは頑として譲らなかった。オレは、彼との関係を終わらせる事だけはしたくなかったからだ。
再び2人で歩む事を決めるまでオレの中に少なからず迷いもあった。けれどそれを越えてまで彼と共に歩む決意を固めたのは、やはり彼の口ごもるその視線だった。
この人はどれほど多くの事を言えずに来たのだろう。そう思った。
せめて自分だけは、彼にとって遠慮のない間柄になりたかった。
恐らく人に自分の内面を見せる事に慣れていない彼は、その方法さえ解らなかったのだろう。だから半ば強引に彼の心を引きずり出す方法を取った。今では、それで良かったと思っている。





彼の父親が亡くなっていた事を聞いた時、オレは何故?と思った。
何故彼はその事をオレに告げなかったのだろう。
ツアーの最中ならなおの事、メンタルの部分で支えが必要だろう。それなのに何故、彼はその事を一切口にしなかったんだろう。
彼は親しいスタッフの他には一切その事を告げていなかった。もちろんオレにも。

人は死ぬ。
それが突然やって来る事は当然の事で、オレ達だってもうそう言う歳になったのだからそれなりの覚悟はある。
ましてこの道に入ったものは親の死に目に会えない事だってある。優先順位を繰り上げる事は難しい事だって解っている。自分の感情を押し殺して笑って見せなきゃならない事も。だからこそ余計に、その辛さを分かち合えると思っていた。
20周年のこの年は彼との仕事も多々あって、例年に比べれば頻繁に顔を合わせる機会もあったのに、彼はその後も一言もそれについて語らなかった。
別にすべてを語ってほしいと思っているわけではない。でもこれはユニット活動をする上で知っておいた方がいい事なんじゃないか。そうすればオレだって彼のメンタルでのフォローが出来る。ステージに上がればオレの他に誰もいない。
もっとオレを頼ってくれればいいのに。
そんな事を思いながらも日々は何事もなく過ぎていく。
彼の口から語られないその事をオレが聞けるはずもなく、ただ彼を案じる事しか出来ない日々。
彼はきちんと泣けただろうか。母親や妹を気遣って気丈な振る舞いを見せたままなんじゃないだろうか。
ああ見えて彼は本当に長男なのだ。オレからしてみたらそこまで頑張らなくてもいいんじゃないかと思う事も多々ある。家族の事も、仕事の事も。
それが彼の性分なのだろうけど、やはりここでも甘える事の苦手な彼が顔を覗かせる。最近はアベちゃんなんかにも「本当にヒロには甘えんのね」なんて呆れられている彼だけれど、あんなの甘えているうちに入らないとオレは思う。正直過去にはもっとこっちが苦笑するくらい甘えてきた女だっている。それに比べたら彼の甘え方なんて可愛いものだ。
彼にはもっと甘えて欲しいのだ。それこそこっちが苦笑しなくてはならないくらいに。
ずぶずぶの依存関係を望んでいるわけじゃないけれど、彼は線を引きすぎる。その事がオレには歯がゆくてたまらない。




夏のツアーでもアルバム制作でも彼は変わらない。いつも通り。
でも本当にそれでいいのか?彼の気持ちは置き去りにしてないのか?
愛犬が亡くなった時、あれほど悲しんだ彼が、今回に限ってそんな素振りを見せようとはしない。
彼にとって父親と言う人の存在がどれだけのものか、オレには正直解らない。この世界に入る時少なからず反対されたという事をいつか聞いたが、それだけだ。どんな人で、どんな風に彼の中に存在し、どれだけ彼に影響を与えた人なのか、そんな事は解らない。ただ自分がそうであるように、この歳にもなれば男親とは男同士の会話が出来るようになっていただろう。
一人の男として、自分を生み出してくれた親として、その人が彼に与えた影響は計り知れない。だからこそ、きっと彼の中には大きな喪失感が穴を開けているはずで、情の深い彼の事だ、言葉に出来ない思いを今なお抱えているだろう事は明白で・・・。
それなのに、オレは彼の傍らに居ながら何も出来ないのだろうか。
聞かされたからと言って何が出来る訳でもないのかもしれない。彼の代わりになる事は出来ないのだし、彼の父親を生き返らせることも出来ないのだから。
それでもそばにいる事は出来る。彼が悲しむ時、そっと肩を抱いてやる事は出来る。
もちろんそんな悲しみばかりに気を取られて何も出来なくなるわけにはいかない事も解っている。やらなくてはならない事はたくさんあるのだ。それでも彼はあまりにも普通過ぎた。





結局、彼から何も聞けないまま、冬も過ぎ、慌ただしい1年は終わりを迎えた。
年末年始の予定を聞くと、彼は年越しでライブをし、その後実家に顔を出してくると明るく言った。「お年玉も渡してこないといけないからね」と。オレは両親も兄弟も健在の実家に帰り、父親が不在の彼の実家を思った。
もし今目の前にいる両親のうち、どちらかが欠けたら・・・そんな事を考えるだけで切なさと罪悪感に襲われた。
オレの両親だって彼の両親とそう変わらない。いつ何があってもおかしくはないのだ。そう思っても実際目の前で変わらない姿を見せてくれる2人を失う事など想像出来なかった。
いつまで経ってもそういうものなのかも知れない。親が死ぬ事なんて考えられないのかも知れない。
頭では解っている。それなりの歳になれば人が死ぬという事も。けれど何故だか自分の親だけは死なないような気がしているのだ、ずっと。それが願望なのか、ただの甘えなのかは解らない。自分の親を特別だと思った事など一度もないが、それでもやっぱり特別なのだ。子供にとって親とはそういうものなのかも知れなかった。




正月明け、早々に開始したレコーディングでいつものように彼に会った。彼の穏やかな表情はやはりいつも通りで、お互いのソロ活動の前に済ませておかなければいけないいくつかの仕事を確認するとオレを早々にブースの中に追い立てた。
彼の前を見ている目が眩しかった。
もしかしたらオレ一人がこだわり過ぎていたのかも知れない。彼の中ではきちんと整理が付いていたものなのかも知れない。
人は死ぬ。身近にいた愛犬を亡くしている彼だから、当然その事に対する覚悟も、気持ちの落ち着けようも知っていたのかも知れない。そんな事に直面した事のないオレだけが一人その事にこだわっていただけで、彼は既に前を向いて歩き出していたのだ。随分と前に。だからオレに何も言わなかったのかも知れないし、言う必要を感じていなかったのかも知れない。
これだけ長く続いている彼との仲でも彼の両親に会った事など皆無に近い。デビューしたてにやったライブの時、楽屋を訪ねてきたあの時に挨拶をしたくらいだ。思えば顔だって既におぼろげだ。彼に良く似た母親の目元と、無骨そうな手を差し出してきた父親。そのくらいの事しか覚えていない。だからオレにとってはその人が亡くなったというよりも彼の大切な人が亡くなったという認識しか出来なくて当然なのだ。
彼の中で折り合いのついたものをオレだけが引きずり過ぎていたのかも知れない。そう思った。
彼はオレが思うよりも強く、そして大人だった。





季節が早回しで過ぎていくかのように、いつもより早く咲き始めた桜が4月を待たずに散り始めた頃だった。オレは舞台の初日を3日後に控え、慌しく日々を過ごしていた。
彼から電話があったのはそんな時だった。
彼にとってはこれから作業時間なのだろう。ニューシングルのトラックダウンが終わったとの知らせにオレは彼のスタジオへ車を走らせた。

「舞台に入る前に渡したかった」と彼の言葉と共に手渡されたCDに毎回の事だが期待が膨らむ。そんなオレを見透かしたように彼が「聴いてく?」と促してオレは彼のスタジオへお邪魔した。
毎回の事だがこの瞬間は妙な緊張感に包まれる。自分達が作った曲で、それこそ詩を書く時から幾度となく聞いている楽曲なのに、こうして完成したものを聞くと新たな発見がある。彼が表現したかった事がさらに明確に打ち出された完成品に思わず感嘆のため息が漏れる。オレを伺う彼の顔に自信が見える。そんな彼に頷いてオレも笑い返す。



「すごくいいよ。」



「当然。」



誇らしげに笑う彼に「ありがと。」とCDを翳して見せて立ち上がる。車のキーを確認するとスタジオのドアを開けた。



「今日、行ってきたよ。お墓参り。」



背中に掛けられた言葉に振り返る。



「大ちゃん・・・?」



「一周忌だったからね。」



穏やかに笑う彼の口から初めて聞く言葉。



「知ってたんでしょ?ずっと。」



「大ちゃん・・・。」



ドアノブに掛けていた手を離し彼へ近づくと背後でパタリと扉が閉じた。



「心配かけて、ごめんね。」



小さく首を振る。



「言ってくれれば良かったのに。」



オレの言葉に彼はくしゃりと顔を歪めた。



「気持ちがね、言えるようになるまでこんなに時間がかかっちゃった。」



「大ちゃん。」



「やっとね、こうして口に出して言っても平気になったよ。だから、ごめんね。」



「何で・・・。そういう時こそオレを頼ってよ。オレ、そんなに頼りない?」



「そうじゃないよ。」



彼は俯きがちに小さく笑った。



「ヒロに言ったら、僕は多分ダメになってたから。
強がり言ってるんじゃなくてね、ヒロは優しいからきっと僕を甘やかしてくれるって解ってたからさ、言えなかった。ごめん。」



「大ちゃん・・・。」



「知らない振りしてくれてて、ありがとう。おかげで乗り越えられた。」



そう言って笑う彼はあまりにも穏やかで、オレは黙ってそんな彼を抱き寄せた。



「意地っ張りだよね、大ちゃんは。今に始まった事じゃないけど。」



「それって褒めてんの?けなしてんの?」



「両方。」



「ひどい。」



そう言いながらも穏やかな笑みは変わらない彼にそっと尋ねる。



「大ちゃん、ちゃんと泣いた?もう溜め込んでない?」



「うん。大丈夫。」



腕の中で答える彼の手がそっとオレの背中に回される。



「僕はさ、一度寄りかかったらきっともう一人じゃ立てなかった。そうしてしまいたいって何度も思ったけどさ、それじゃダメだもんね。だからヒロが何も言わないでいてくれる事に甘えてた。これもやっぱり寄りかかってる事になるのかな。」



小さく笑う彼の声。オレはそっと彼の髪を撫でた。



「ダメだって決めてるのは大ちゃんだけでしょ?オレはもっと甘えて欲しいし寄りかかって欲しいよ。」



「ヒロ・・・。」



困惑する彼の表情に小さく頷く。



「ん、解ってる。大ちゃんがそれが嫌なんだよね。だからいいよ。大ちゃんの気持ちも解らなくもないし。」



「ごめん・・・。」



「いいんだよ。上手く言えないけど、口に出したら倒れそうな時って、あるよね。」



「ヒロ。」



「空気が抜けるみたいに、そこから弱い自分がどんどん出てきて踏ん張れなくなる、そんな感じだったんでしょ?先に進むために、大ちゃんはそうしないといられなかったんだよね。
・・・不器用な人だな、ホントに。」



愛おしさに思わず笑みがこぼれる。
彼のこの1年を思う。その不器用な振る舞いがオレをやきもきさせた事は確かだけれど、彼には彼なりの理由があると解ったから。
ただ一言、それを言う事が彼を彼らしからぬものに変えてしまうと怯えていたのは、むしろ彼自身だったのだから。
オレは黙って彼の髪を撫でた。何度も何度もゆっくりと。



「・・・そんなに優しくすんなよ。バカヒロ。」



そんな彼の憎まれ口にくすりと笑う。彼の語尾が滲んでいたから。



「ホントに意地っ張りだよね、大ちゃんは。」



「うっさいよ。」



鼻をすすりながら答えるその声にオレが声をあげて笑うと、彼の力強い拳がオレの肩をドンと叩いた。いつもは睨み付けてくるはずの彼の顔は変わらずオレの肩に伏せられたままで、それ以上彼の拳はオレの肩を打ち付けたりせずにそっとその拳のままオレの肩を小刻みに震わせた。
必死に何かを飲み込もうとしている彼の髪をそっと撫でながら、オレは「可愛い人だな」と言う言葉をそっと微笑みの中に飲み込んだ。




 

END 20130421