<Wild  Butterfly>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホントは彼のすべてを縛っていたかったのかもしれない。

フラフラとヒラヒラと捉えどころのない彼だから。

決して自分だけのもにはならない彼だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大ちゃんはカメラでしょ?」

 

何気ない休憩中の会話。

最近じっくり星を見る時間もないなんて言ったらまるで彼そのものが星みたいにキラキラ輝いた笑顔でそんな事を言われた。

 

 

「いやさぁ、あれは組み立てるのに時間かかるから、パッと見てって訳にはいかないんだよ。時間がないとね。」

 

 

「そっか、大ちゃん忙しいもんね。」

 

 

「レコーディングにリハーサル。ヒロだって一緒じゃん。」

 

 

「あ、そっか!」

 

 

あっけらかんと笑う彼はまるで時間さえも悠々と泳ぐ煌びやかな熱帯魚。

ギリギリまでこだわってスケジュール的にはかなりタイトなはずなのに、彼の周りにはゆったりとした時間が漂う。

もともとそう言うマイペースなところはあったけれど、この歳になって焦る事を止めた彼はとても自由に生きている。

 

数年前は自分の歳と戦うように何かを残す事に執着していた彼。

どんな40歳を迎えたらいいのかなんて思いつめた顔をして僕に泣きそうな顔をして見せた。

ヒロはヒロのままでなんて他愛無い言葉に、まるで憑き物が落ちたみたいにするりと大人になった。

この柔軟性、捉えどころのなさが正しく彼だった。

 

しなやかになった彼は溢れんばかりの色気を振り撒いて行く。

僕はそんな彼の傍らでずっと見てた。

 

 

 

 

彼を彼として意識するようになったのはいつの頃だっただろう。

忙しさに自我さえも埋没させられたようなあの日々。

僕らはあまりにも近すぎて互いの境界線がぼやけて見えた。

彼は僕であり、僕は彼だった。

 

だから解らなかった。

彼の持つ野生に、僕の持つ独占欲に。

 

長い年月の間に僕は否応なく気付かされ、彼は自分とは違うホントは相容れない亜種だという事。

そしたら急に怖くなった。

彼がもう振り返らないんじゃないかと。

僕を必要とする事などないんじゃないかと。

 

だけど自由になった彼はとても美しくて、キラキラと、眩いばかりにキラキラと・・・僕のこの手で捕まえる事など出来ないくらいにキラキラと。

 

 

好きだと気付いた。

 

 

それが答えだった。

 

 

 

 

 

彼にカメラの存在を指摘されて、そう言えばとその存在を思い出した。

確かに忙しい事もあったがまともにファインダーを覗いていない。

写真を撮るのはもっぱら手軽なiPhoneだ。

 

片時も離さずあれほど覗いたファインダー。

仕事の時もプロのカメラマンの後ろから同じようにカメラを構えた。

決め顔をした彼がシャッターの隙間に笑いを噛み殺したその一瞬を狙うように。

幾度も幾度もシャッターを切り、その度に増えていく彼の表情は良く見知っているようで、全く知らない男のようで。

そんな彼を知る度にまたファインダーを覗く。

まるでそれが魔法の鍵穴のように。

ファインダー越しならばこの熱い視線に気付かれずに済むと、どこかで安心しながら。

僕の凝り性なんて解りすぎるほど解っているはずの彼がすべてその一言で片付けられるように。

案の定彼は「大ちゃん、はまってるね。」の一言でファインダー越しの僕に過剰なくらいのサービスをしてみせた。

 

 

上手く騙されていて。

 

僕の思いに気付かないで。

 

失うくらいなら最初からそれ以上を望んだりしない。

 

彼は羨ましいくらい自由なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

彼との時間が20年を迎えた。

一言で片付けてしまうには長い時間。

いつから好きだったのかすら忘れてしまった。

 

傍らにいることは当然のように見えて、儚く脆いものだと知った。

先の事は解らない。ただ少なくとも今はこうして傍らで笑っていられる。

 

人生の半分を共に過ごした。

そしてこれからその比重はますます大きくなるのだろう。

やがて彼を知らなかった季節は草木が芽吹くまでのほんの一瞬のように思えるのだろう。

 

 

節目というものを以前は気にしてなどいなかった。

それが5年前、誰からともなく言われたその言葉にその長い年月に思いを馳せるようになった。

彼もきっと同じだったのだろう。

お祭りのように慌しい一年を過ごし、落ち着いたと思ったらもう20周年だ。

5年なんてあっと言う間だった。

 

記念と言う訳じゃないけれど何か新しい事に挑戦しようと作り始めた曲。

そのうちのひとつに僕は彼のイメージを重ねた。

いや、曲を作る時は彼の声が何処からともなく頭に響いてくるのが常だけれど、初めから彼そのものをイメージして作ったのは初めてだったかもしれない。

 

ずっと心のうちで思っていた捉えどころのない彼のイメージ。

ヒラヒラと鮮やかに、煌く秘境の奥で悠然と舞う美しく自由な蝶のような。

花から花へと移り行く蝶のような。

 

 

僕はもちろん何も言わなかった。

それなのに彼からあがってきたタイトルを見て思わず彼を見返した。

なんだって彼は・・・。

 

 

長い年月の間にこんな事は度々出会う出来事だった。

けれどこんな端的に、まさしく僕の言葉そのものを突き付けられる事はそうある事じゃない。

彼は僕の音を聞くと言葉が浮かんでくる時があると前に話していた事があった。

 

 

 

「はっきりしてる時ばっかりじゃないんだよね。

なんとなく、大まかな感情とか情景が浮かぶ事は多いよ。

大ちゃんの曲はどれもみんなドラマがあるからね。」

 

 

 

確かにヒロの書いてきた詩を見た瞬間に僕が言いたかったのはこれだと納得する事は幾度もあった。

それほどに彼は僕の言葉を切り取って形にする。

けれどこんな風にはっきりと切り取られたのは初めてだった。

思いの伝わった嬉しさと、心の奥を見透かされたような恥ずかしさと、僕の中がぐちゃぐちゃになる。

 

 

これが自分の事だと知ったら彼は一体どうするのだろう。

 

 

今までずっと言葉にしたことはなかった。

思いは明らかに彼へと向かっていたけれどその明確な答えを口にする事はなかった。

きっと彼もそれを望んでいる。

自由でいたい彼の事だからきっと、その言葉を切り取ってしまったら自由に飛べなくなるのだろう。

際どいギリギリの思いを第三者の存在を介して作品の中に押し込めて、それでも僕らは何も言わずに過ごしてきた。

世界へ向けた擬似恋愛は実はとても身近なたった一人のためだけに生まれて来た事をひた隠しにして。

 

 

その言葉は音に乗せた瞬間に煌き出す。

危ういバランスのメロディライン。

彼は一体どれだけその隙間から言葉を拾ったのか。

 

 

レコーディングが終り、ツアーリハーサルに入ると僕は彼に打ちのめされた。

彼は何を抱いているのだろう。

マイクスタンドを愛しい何かを抱き締めるように歌う。

フワフワとヒラヒラと、彼自身が美しい蝶のように煌きをこぼしながら。

漂う色香を振り撒いて花から花へ、決して捕まらない蝶のように、誰の目にも触れさせない秘境の奥の蝶のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、そうか。

 

僕は彼を捕まえたかったのだ。

決して手に入らないからこそ、彼を繋ぎ止めておきたかったんだ。

 

 

カメラはそんな彼の一瞬を繋ぎ止め、まるで美しい標本のように彼の素顔を永遠にここに留めておいてくれる。

だから僕はファインダーを覗き、幾度もシャッターを押した。

永遠に彼を閉じ込める為に。

今それをしなくていられるのは、もっと生身の彼を閉じ込めているからだ。

僕にしか出来ない、僕にだから出来るたったひとつのやり方で。

 

 

彼の思いを僕は閉じ込めている。

一枚の写真よりもっと濃厚でもっと剥き出しな彼。

彼を語る上でもっとも重要でもっとも彩りに満ちているその声。

僅かな揺らぎも熱い息遣いも、その瞬間は僕だけのもの。

他の誰も知らない僕だけの彼。

動かない写真よりもっとリアルに彼を感じられる。

閉じ込めておける。

 

 

僕の中には彼の声が満ちている。

どの彼も僕の心を狂わせる。

優しく囁く彼も、激しく求める彼もその瞬間は僕にだけ向けられたもの。

だから僕はそっと閉じ込める。

彼の自由を願いながら僕だけのものになってくれる事を願って。

まるで彼自身を磔るみたいに。

 

艶めかしく歌う彼は僕の視線に気付いているのかいないのか、今日もヒラヒラと鮮やかに舞う。

時折見せるその視線に捕らわれているのは僕の方?

煌く彼は答えをくれない。

でもそれでいい。

言葉の呪縛に囚われるならいっそ何も告げないままで。

だって君は蝶だから。

なにものにも捕らわれない美しい蝶だから。

 

 

 

「大ちゃん?」

 

 

ふと彼の声に夢から覚めたように瞬き、僕を覗き込んでいた彼を見上げた。

 

 

「大丈夫?ちょっと休憩する?」

 

 

火照った顔を心配そうに歪めてペットボトルの水を差し出す。僕はやっと意識を取り戻す。

そうだ、リハーサル中だったんだ。ここは誰の目にも触れない秘境じゃない。

 

 

夢を見ていた。

かつて遠い昔、彼と共に駆け抜けた日々、僕は彼と共にいつまでも飛べると信じていた。

自分も彼と同じなのだと。

僕らは煌きながら飛び続けられると思った。

けれど・・・。

 

僕は羽根を失い、彼も傷付き地にまみれて・・・それなのに。

 

彼は再び宙を舞った。

目を疑うくらいに美しく、しなやかに鮮やかに再び宙を舞った。

彼は、彼は・・・。

 

 

僕に何が出来ただろう。

鮮やかに舞う彼を見上げる他に。

 

 

手にしたかった、共にあの空へ飛んで行きたかった。

願う事は夢見るように軽やかなのに、僕の身体は二度と彼と同じ宙を舞うことは出来なかった。

 

 

だから切り取ったのだ。

彼の一瞬を、無意識のうちに。

 

 

彼を、手に入れたかった・・・。

 

 

本当はいつだって、彼を繋ぎ止めておきたかった・・・。

 

 

 

「大ちゃん・・・?」

 

 

心配そうな顔の彼が何も答えない僕の額の汗を拭ってくれていた。

 

 

「のぼせた?少し水分取った方がいいよ。座る?」

 

 

オロオロと反応のない僕を甲斐甲斐しく世話する彼の頬を流れる汗。

ホラ、彼はこんなものまでキラキラと輝いて見える。

 

 

 

彼が好きだ。

たまらなく好きだ。

 

 

捕らえどころのない彼から得た、たったひとつの真実。

 

 

 

突然泣きたいような気持ちに襲われてそれを押し込めるように笑みを作った。

 

 

「ありがと。大丈夫。」

 

 

それだけ言うのが精一杯で、僕はもう何も出来ない。

彼はちょっとだけ安心したような顔をして、でもやはり心配そうな顔でイスを勧めた。

 

 

「ちょっと休憩にしよう。オレも喉カラカラ。」

 

 

そう言ってやっとタオルを掴んで汗を拭った。

 

羽根を休める美しい蝶。その姿を静かに見つめる。

 

この安息の時間がいつまで続くかは解らない。

僕は彼と共に飛べる蝶ではなかったし、彼が心奪われる花でもない。

細切れの一瞬を必死に留めるしか出来ない。

 

 

 

いつか終りは来るのかもしれない。

自由を求める彼はこの密やかな森を抜けて新たな空へ旅立つのかもしれない。

 

 

でもそれまでは、

 

 

せめてそれまでは・・・、

 

 

誰にも触れられることなく、ひっそりとその羽根を羽ばたかせていて。

 

決してこの手に出来なくても、

 

一瞬しか彼を閉じ込められなくても、

 

その一瞬は確かにここにあるのだから・・・。

 

 

 

 

 

 

僕は愛しさの中に彼を見つける。

 

誰のものにもならない、美しい蝶。

 

煌く旋律だけを纏って、彼は今日も美しく舞う。

 

 

 

 

   END 20120321