<そばに・・・>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グッタリとした身体を鞭打つように片手を窓に引っ掛けてハンドルを握る。

カーステレオからはまだ誰も知らない2人だけの曲。

午前0時。対向車線のヘッドライトが流れる川に軽快なリズムが踊る。

それなのに、身体は溜まった疲労に重く沈んだまま。

 

 

今日は彼との仕事じゃなかった。たったそれだけの事が疲労感をこんなにも変える。

彼となら連日の鬼のようなミーティングでも明け方のレコーディングでも爽快感を感じるのに。

それこそ彼のオーダーはそんじょそこらのディレクターなんかより容赦ない。

それでもあの充実感や爽快感は疲労を上回るのだから不思議なものだ。

 

 

気を使って自宅まで送りましょうかと聞いたマネージャーに大丈夫と返し、事務所に停めておいた愛車に乗り込んで足りない爽快感を埋める為に首都高を飛ばす。

昔から変わらないこのクセ。

スピードを求めてしまうのはほんの少し踏み込むだけで変わる景色や、時にはヒヤリとするほどのギリギリ感がたまらなくクセになるからだ。

若い頃はそれはもう無茶を無茶とも思っていない乱暴なドライビングを誇っていた事もあったけれど、さすがに今はそんな事も出来なくなったし、しようとも思わなくなった。

歳をとって落ち着いたと言うのもあるのかも知れないけれど、それ以前に失えないものが増えたせいだと思う。

ヒヤリとする瞬間に彼の顔がチラつくと違う冷や汗が伝う。

あの人を失えない、あの人を残していくわけにはいかない。

不思議な事だけれど気分は妻帯者と変わらないのだから笑ってしまう。

 

 

何かを誓った訳じゃない。彼がそれを強要した訳じゃない。

それなのに容易に彼の唇を噛み締めた姿が浮かぶ。グッと涙を堪えて真っ赤になった顔が浮かぶのだから仕方がない。我ながら重病だと思う。

彼のことになるといつもそうだ。自分と世界の境界が解らなくなる。

彼だけが自分の中を支配しそれ以上もそれ以下もなくなる。

ただ彼だけ。

その潔さにいっそ笑いたくなるほど。

 

 

 

飛ばす首都高は無機質なランプを跳ね上げる。

行く先は決めていないはずなのに気付くと見慣れた通りを流している。

この道の辿り着く先を思い描いて苦笑する。

 

結局そういう事。

無意識に向かう意識に小さくため息をつく。

この時間の彼は愛犬とあの白い家で誰に気兼ねする事無く一人の時間を過ごしているに違いない。

本当の意味で彼が息をつけるのはそういう時なのだと思う。

誰にでも気を使う人だから、こんなに長く一緒にいるのに本当の意味でリラックスした顔を見せてくれるようになったのはここ最近だ。

だから彼の時間を邪魔する事にほんの少しだけ罪悪感も感じる。

 

今夜はやめておこう。連日のレコーディングで彼だってゆっくりしたいだろうから。

行ったらきっと彼は少なからず気を使う。下手すると仕事モードのスイッチが入るかも知れない。今だって休んでなんかいないのかも知れないけれど。

 

苦笑して自宅へ向かおうと車線を変更する。

視線をずらしたその端にチカチカと光るもの。

助手席に放ったカバンから顔を覗かせた携帯電話。

赤信号の隙間に受信メールを開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

happy birthday(*^^)/*
43歳おめでとぉ
またひとつオジサンになったねΨ(`
´#)

いつまでも美しいお声で僕の隣で歌ってね
ヒロにとってステキな1年になりますように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼からの可愛らしいメール。到底真似出来ない様ないろんなものがピコピコと動くデコメ。口の端が知らずに緩む。

0時調度に送られてきたメール。

そうか、今日は誕生日。忘れていた。

こういう職業、普通よりはそう言うのを意識してると思うけれど、忙しさに日にちの感覚が薄れていた。

それに彼も、あれだけ顔を合わせておいて全く触れないで不意打ちのメールだなんて、そう言うところが可愛らしいと思う。

 

青に変わった信号に急かされるようにアクセルを踏んで、後続車が少ないのをいい事に急な車線変更。

特別な1日だから突然のわがままも今日は許してもらおう。

 

一番最初に彼の声が聞きたい。

一番最初に彼の笑顔に出逢いたい。

そうしたらきっとこの1年もステキな1年になると思うから。

1年後も2年後も、そうやってずっと歳を重ねて行けたらステキだと思う。

自分の傍らに彼が笑顔でいてくれること、それが何よりの幸せだから。

 

 

すぐに見つかる彼の履歴をコールする。

短い呼び出し音の後にいつものあの微笑んだ声がする。

 

 

「もしもし大ちゃん?」

 

 

「おめでとうヒロ。」

 

 

耳元に響くくすぐったい彼の声。全身がひたひたと満たされて行く。

 

 

「メールありがとう。ねぇ、大ちゃん。」

 

 

「ん?」

 

 

「あいたい。」

 

 

囁くようにそっと告げる。

 

 

「大ちゃんにあいたい。」

 

 

電話の向こうから小さく笑う声。

 

 

「ん。気をつけておいで。」

 

 

言葉を微笑みに変えて答える。

携帯をカバンに戻すとアクセルを踏み込む。

微笑む彼の姿が浮かぶ。

気付くと疲労感は何処かへ消えていた。

 

 

 

 

 

 

       END 20120603