<砂漏の病み>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

待って、ねぇ、何処に行くの?待って!!

 

待って、僕を置いていかないで、僕を嫌いにならないで、ヒロ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッ・・・!!」

 

 

真っ暗な闇の中に見慣れたランプが点滅している。

肩で息をして飛び起きた僕。額から汗が滲んでいる。

自分の息遣いに少し落ち着いてみれば見慣れた僕のベッド。僕の部屋。

傍らでは深いリズムを刻む寝息。ヒロだ。

暗闇の中、その寝顔に安心する。

そっと僕が跳ね除けてしまったケットをかけなおす。

 

 

またあの夢を見た。

 

ヒロが僕のもとから去っていく夢。

 

このところ頻繁にこの夢を見る。

その度に僕はヒロに手を伸ばして掴まえようとするのに手が届かない。

ヒロの名前を大きな声で呼んでいるのに、ヒロは僕の声にも構わずに背中を向けて歩いて行く。

 

どうしてこんな夢を見るのか自分でもよく解らない。

別にヒロとケンカしたわけでもない。

むしろ今年に入ってからは仕事の関係もあって会う機会も増えた。2人でいる時間だって・・・。

それなのにこんな夢を見るのはおかしいと思う。

 

ヒロは僕に優しい。

それは今も昔も。

今だって僕を抱き締めて眠っていた。僕が飛び起きるまでは。

それなのに。

 

 

僕はそっとヒロが眠るベッドを抜け出してキッチンに向かう。変な夢を見たせいで喉がカラカラだった。

 

 

夢を見た原因・・・。

それが僕にあるとするなら、それはきっと『不安』なんだと思う。

 

ヒロは僕を好きだと言ってくれる。

優しく抱き締めて、いつだって僕を幸せな気持ちにさせてくれる。

だけど、それが怖い時がある。こんなに幸せでいいのかと。

 

ヒロの真っ直ぐな目にウソがない事は解ってる。

だけどこんな関係がこのまま長く続くなんて、そんな夢みたいな事あるはずがないと、僕は心のどこかでそう思っている。

ヒロは僕とは違うから。

ヒロはホントは女の人が大好きだって事も知ってるから。

 

ヒロの中で僕の位置づけってなんだろうって不思議に思う。

ヒロは僕の事をよく臆面もなく可愛いなんて言うけど、本来それはこんな僕みたいなオッサンに言う事じゃないって事はよく解ってる。

それは大好きなヒロにちょっとでも可愛く思われたいって思う僕の気持ちもあるけど、それだってヒロが連呼するくらい可愛いとは自分では思っていない。

僕なんか端から見たらいい歳したオッサンで、そんなオッサンが歳に抗ってカワイコぶりっ子してるって思われてても仕方がない。

あまりにもヒロが可愛いって言うから僕はヒロの大好きな女の子じゃないよって言った事もあるけど、そんな僕の言葉にだってケロッとした顔で、そんなの解ってるよ。でも大ちゃん可愛いんだもんとあの笑顔で返された。

 

ヒロの中で僕って一体何なんだろう。

女の子じゃないのに可愛いなんて言われてる僕は一体何なんだろう。

 

よく解らない。

ヒロが一体僕の何を見て好きだと言ってくれるのか。

 

僕にとってヒロはホントに特別で、初めて逢った時から目が眩むような男前で、あの瞬間から僕の総て。

自分の性癖が普通じゃないって事はもうかなり前から解かってたから、ヒロにときめいた事もずっと心の中に秘めておこうって思ってた。

だってそれでもそばに居たかったから。

どうしてノンケのしかも女好きな男なんか好きになっちゃったんだろうって恨んだ事もあったけど、でも恋って自分でもどうにも出来ないもの。

だからずっと諦めてた。

それなのに。

 

ヒロはいつから僕の事をそういう風に好きって思ってくれたんだろう。

一時期そんな風に騒がれた時、本当に嫌そうな顔をしてたのに。

あの顔を見て僕はすごく傷付いた。まるで自分の事を否定されてるみたいで。

そんなヒロがその垣根を越えて僕を好きって言ってくれたのは、一体どうしてなんだろう。

ただの興味?

それとも・・・。

 

解らないよ、解らない。

ヒロは本当に僕を大事にしてくれるけど、その腕がいつ離れて行ってしまうか、いつ他に好きな人が出来たと告げられるか、僕はいつもビクビクしてる。

実際、僕と付き合ってる時だって他に女の人がいたみたいな事もあったし。

それとも逆なのかな?僕の方が浮気なの?

疑いたくないけどそんな噂があった時、ヒロは言い訳もしないでただ一言、ゴメンねって言っただけ。

そのゴメンねは何に対してのゴメンねなのか未だに解らない。

 

結婚、したかったのかな・・・。

僕じゃしてあげられないもんね。

 

どんなに好きでもヒロの家族にはなれないし、家族を増やしてあげる事なんてもっと出来ない。

僕はいい。

だって自分のせいだもの。

もう随分前から僕にはそういうものが望めないんだって諦めてる。

でもヒロは・・・。健全な男の人だもんね。

その気になればいつだってすぐに相手なんて見つけられる。

僕じゃなくても・・・。

 

 

コクリと喉に流し込んだミネラルウォーターの冷たさに切なくなる。

 

 

どんなに愛し合ってもひとつになれない。

どんなに愛し合っても何も生まない。

僕とヒロの関係は平行線。

交わる事は決してない。

 

 

「せつないなぁ・・・。」

 

 

声に出したら自分の間抜けさに涙が出た。

 

こんな事ばっかり考えてるから変な夢を見るんだ。

こんなにヒロに大切にされて、こんなにたくさん愛してもらって、一体何が不服だって言うんだろう。

多分世の中のどんな恋人より大切にしてもらってる。

そんな事解ってる。

でも・・・。

 

 

この幸せをなくすのが、怖いんだ。

 

 

大切にされればされるほど、この腕をなくしたら生きていけない自分に気付く。

僕はいつからこんなに弱くなったんだろう。

ずっと1人で生きていくんだって決めてたはずなのに。

 

 

ヒロのバカ。

いつかいなくなるならもう僕に優しくなんかしないで。

そんなに真っ直ぐな目で好きだなんて言わないで。

そんな優しい声で僕を呼ばないで。

僕はあんな夢にすら怯えて、ただの夢に息を乱して汗を滲ませて、夜中に1人、こんな所で蹲ってる。

僕のベッドには僕の大好きな人がいるのに、僕を抱き締めて眠ってくれるのに、その腕に戻るのが怖くてこんな所で蹲ってる。

 

何処にも行かないでなんて言えるはずがない。

そんな女々しい事、言えるはずもない。

だってきっとヒロはそんな僕を甘やかして、行かないよなんてキレイな笑顔で言うから。

僕はそれを信じたくなる。それがヒロの本心じゃないかも知れないのに。

信じてしまったら、僕はもっともっとヒロなしでは生きていけない。

だから、僕のこんな気持ちをヒロに気付かれたらいけない。

僕の人生をヒロに背負わせたらいけない・・・。

 

 

「大ちゃん・・・?」

 

 

突然降ってきた声にビクリと顔を上げる。いつからそこに立っていたのか、ヒロが僕を見下ろしている。

 

 

「そんなところに座ってると風邪ひくよ。」

 

 

差し出してくれる手。でも僕はそれを掴めずにいる。

 

 

「どうした?」

 

 

ヒロは僕の隣に並んで座り込み、ごく自然な仕草で僕の肩を抱いた。

 

 

「ホラ、こんなに冷えてる。」

 

 

そう言いながら僕の身体をギュッと抱き締める。そのあたたかさが・・・。

 

 

「だぁいちゃん。」

 

 

ヒロの腕の中へすっぽりくるまれてその熱を感じたら鼻の奥がツンとした。

 

 

「また何かくだらない事考えてたんでしょ?すぐそうやって1人で答えを出そうとするんだから。」

 

 

クスクス笑うヒロの声が耳元に響く。

 

 

「もっとオレを信じなさい。オレは何があっても大ちゃんのそばにいるよ。」

 

 

抱き締められた腕の中小さく首を振る。

 

 

「イヤイヤじゃないの。そういう時はずっと一緒だよって言ってちゅうのひとつでもしてくれないと。」

 

 

そう言いながらヒロが僕の額にキスを落とす。

 

 

「ホラ、また泣いてる。」

 

 

ヒロの指が僕の頬を撫でる。

 

 

「1人で泣かないで。泣きたい時はオレのとこで泣いてよ。そうしなきゃこうして大ちゃんの事抱き締めてあげられない。」

 

 

ギュッと込められた腕の力。苦しいくらいのあたたかさ。

 

 

「オレはね、もう大ちゃんがオレの知らないとこで泣くのは嫌なの。違う誰かにこの顔を見られるのも。いつだってどんな時だって、オレが一番大ちゃんのいろんな顔を独占したいんだよ。」

 

 

吐息のように耳元で囁かれる言葉。

 

 

「大ちゃんの気持ち、丸ごとね。」

 

 

「ひろ・・・。」

 

 

縋りつくように身を寄せる。まるで子供みたいに。

そんな僕をヒロはあやすように抱き締めた。

 

 

「ベッドに行ってもう一回寝よう。もう怖くないよ。オレが守ってあげる。」

 

 

微笑むヒロに見惚れているとふわっと身体が浮いた。

 

 

「え?」

 

 

「暴れないでよ。さすがのオレでも暴れられたら落としちゃうかも。」

 

 

そう言って笑いながらヒロは僕を抱えたまま寝室へと向かった。

その腕は、やっぱり優しくてあたたかくて僕の大好きなヒロのもので、こんなふうに扱われている僕はやっぱり怖いほど幸せだった。

 

 

夢は、また見てしまうのかもしれない。

僕の中のこの幸せに対する恐怖がなくなるまではきっと。

ヒロを失えないと思えば思うほど、夢は鮮明に僕を裏切り続けるのかもしれない。

 

でも、今僕を抱き締めてくれているこの手は現実のもので、僕だけに向けられる微笑みも現実のもので、優しい言葉も甘いキスも総て夢ではない証拠に頭を預けた胸からはヒロの鼓動が聞こえる。

その規則正しく刻まれるリズム。

僕は今、泣きたいほど幸せだった。

例えこの先この鼓動を失う時が来るとしても、僕は今泣きたいほど、しあわせだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 END 20120429