<Wish>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来ちゃった。」

 

 

そう言って彼はでっかいバックを持って現れた。

つかつかと知った部屋に入り込んでベッドルームの一角に自分のスペースを作る。そんな事しなくてもこの家は彼のもので溢れているのに。

 

 

「家さ、ビルの上だからすごい揺れるんだよね。大ちゃん家の方が地上に近いじゃん。だからしばらくこっちに居ていいでしょ?」

 

 

そう多くもない荷物を自分の好きなように置くとポンとベッドに腰掛けて笑った。

 

 

「それにさ、一緒に居れば節電にもなるじゃん?一人の部屋に電気つけとくなんて勿体ないじゃん。」

 

 

そんなもっともそうな理由で人の家に居座ってもう1週間が経とうとしてる。

三陸沖に巨大地震が起こった時、全然連絡が取れなくて心配したのが嘘みたいに彼は今僕の目の前でいつも通りの生活を送っている。頻繁に起きる余震の恐怖はあるけれど、それでも一人増えた居候の心強さに僕は少しだけ安堵する。連絡の取れなかったあの時の気持ちを思えばうるさいくらいの彼の存在が今はありがたい。

 

何をしていても毎日は過ぎて行く。嘘のような速さで。

一時は麻痺したような僕らの世界も、やるべきいつもの仕事に引き摺られるように現実に戻ってくる。

こんな時、まともな感覚を取り戻すのが仕事だなんてちょっと皮肉な気もするけれど、でもそうやってこの国の人々は生きてきたのだと、何度も繰り返されてきたこの国の復興を振り返って思う。

 

 

非常事態だという事を忘れてしまいそうなくらい穏やかな日々。

それさえ忘れてしまえば愛する男と共に暮らすというこの生活はまるで夢のようで、こんな時に不謹慎だとは思いながらも一緒に居る大義名分があるという事がこんなにも心地良いことだという事を始めて知った。

 

僕らは決して許されない。どんなに取り繕ってみたところでそれだけは動かしがたい事実。

一緒に居るということの不確かさを埋める為に、もしかしたら僕達は歌を作り続けているのかもしれない。そんな風に思う時がたまにある。歌だけは僕らがそこに二人で存在していた事を証明してくれるから・・・。

 

僕はネガティブな思いを頭を振って追いやった。

こんな時だから余計にネガティブになってしまっているのかも知れない。僕らしくない・・・。

そんな理由がなくたって僕達は共にある。これは数少ない奇跡の1つだと僕らは信じているから。そして2人だからこの奇跡には意味があるんだと、他でもない僕達が知っているなら、それで良い。

 

 

彼の入れてくれたホットココアを胃の中に流し込むと、ふわっとそこから温かさが満ちてくる。

甘いのはココアのせいなのか彼のせいなのか、彼はここに居る間にちょっとしたバリスタにでもなれるんじゃないかと思う。

 

 

「眉間にしわよってるよ。」

 

 

僕の足元に座り込みながら同じようにホットココアを口にする彼が笑う。

 

いつもは愛犬の指定席となっているスタジオの僕の足元に近頃は彼が当たり前のように居座っている。

特に何をするわけでもない。特に言葉を交わすわけでもない。僕は仕事に没頭し、彼は雑誌をパラパラとめくっていたり、何かの小説を真剣に読みふけっている時もあった。時々愛犬達と戯れて、まるでもう一匹の愛犬のように同じように寝転がっていたりする。まるで以前からそうしていたように。

穏やかで緩やかな時間。

幸せなはずの時間を僕は何故か恐れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音の出ない鍵盤に軽く触れてシンと静まり返った暗いスタジオの中で立ち尽くす。

眠れない。

いつもは安心して眠る事の出来る彼の腕の中で彼の寝息を聞きながらどのくらいが経ったんだろう。一向に明けようとしない夜に僕はそっと彼の腕の中から抜け出してひんやりと冷気をまとったスタジオへとやって来た。

電気を点けるのも憚られ、薄く点いた廊下の明かりだけを頼りにいつもの場所で立ち止まった。

電源を落としているため鳴らない鍵盤にそっと触れ、その感触を確かめる。

カツンとあたる無機質な冷たさ。僕はそっとその手を引いた。

 

 

「大ちゃん・・・?」

 

 

不意にかけられた小さな声に驚いて振り向くと、入り口に佇む影。

 

 

「ヒロ・・・。」

 

 

「どうしたの?」

 

 

その影が近付いて来る。

 

 

「ゴメン、起こしちゃった?」

 

 

首を振る彼の影。温かい彼の体温が僕の目の前で止まる。

 

 

「冷えるよ。」

 

 

薄闇の中から聞こえてくる彼の優しい声。

 

 

「一緒に寝よう。」

 

 

そう言って差し出された手を僕は見つめるだけで握り返す事が出来ない。

 

 

「大ちゃん・・・?」

 

 

「・・・眠れないんだ。」

 

 

ポツリと零した言葉に彼は何も答えず黙って僕の次の言葉を待っている。

 

 

「僕は、ここにいていいのかな・・・。こうしてヒロと一緒にいていいのかな・・・。」

 

 

「大ちゃん・・・。」

 

 

「多くの人が苦しんでいるのに、僕はここでなに不自由ない生活をして、安穏と好きな曲を書いて、それが一体何の役に立つんだろう。寒さに震える事も、食べ物に困る事もない、そんな奴が作ったものに誰が共感してくれるんだろう・・・。こんな時に何の役にも立たない曲なんか書いて・・・。

 

時々、大声で叫びたくなるんだ。この辺にある嫌な感情が言葉に出来なくて、形振り構わず叫んだら少しは楽になるんじゃないかって思うんだけど、どうやって叫んだらいいのか、解らないんだ。僕はやっぱり見た目ばっかり気にして・・・ううん、そうじゃない。ぐちゃぐちゃの僕を引きずり出すのが怖いんだ。本当の僕はネガティブな感情ばっかりで、すごいどす黒いから・・・。

 

こんな時に曲なんか書いてる場合じゃないって思うし、もっと他にやるべき事があるとは思うけど、仕事を理由に僕は曲を書き続けて・・・でも少しだけ、こんな感情を曲で表現出来たら、きっとすごいものが出来るに違いないとか汚い欲とかもあって・・・でもそんな風に考えてる自分がすごい嫌で・・・。

 

考え出したら解らなくて、何が大切で、何が本当なのか。僕が今すべき事ってなんだろうとか、僕はここでこんな事してていいのかとか、よく・・・解らなくて・・・。」

 

 

吐き出した息が暗がりの中に重く消える。ひんやりとした空気が闇を余計に深く思わせて。

空気の振動が聞こえてきそうなほど静まり返った僕の世界に突然温かい太陽が触れた。

 

 

「泣いて、いいんだよ。」

 

 

耳元に落ちてきた言葉に顔をあげると、暗闇の中でもはっきりとその表情が解る。

 

 

「頑張りすぎないでいいんだよ。」

 

 

優しく向けられたその笑顔。僕をいつも見守っていてくれる穏やかな笑顔。

 

 

「叫びたかったら叫んでいいんだよ。叫び方が解らなかったら、オレが一緒に叫んであげる。自分の気持ちを押さえつけちゃダメだよ。そんな事してると、自分を見失っちゃうよ。」

 

 

「ヒロ・・・。」

 

 

「大ちゃんはさ、汚い感情っていうけど、オレはそれが正しい感情だと思う。欲があって当然。

 

ギリギリの時って・・・何かが生まれるエネルギーがあると思う。オレはキレイなだけのものには心動かされないよ。それを否定する何かを知ってるから、キレイなものに意味があるんだと思うよ。大ちゃんの曲には、それがあるってオレは思ってる。オレが大ちゃんの曲に共感出来るのもそういうところだよ。だからそんなに自分を否定しないで。」

 

 

そっと抱き締めてくれる温かい腕。彼の言葉はまるで何かの魔法のようで。

 

 

「こんな時って大ちゃんは言うけど、こういう時だから大ちゃんの音が必要なんだよ。きっとみんな待ってる。大ちゃんが音を届けてくれるのを。それを心の支えにしてる人が絶対にいる。だから大ちゃんは大ちゃんの音を作り続けていいんだよ。」

 

 

「でも僕は・・・。」

 

 

僕は彼の腕の中から抜け出し、音の鳴らない無機質な鍵盤を叩いた。

 

 

「ね。何も出来ないんだよ。」

 

 

何も発信する事のない白い鍵盤。闇の中でも薄く光るその冷たさにぎこちない笑みを落とす。

 

 

「オレがいるだろ。」

 

 

後ろから聞こえたその言葉に驚いて振り返る。

 

 

「オレがいるだろ、大ちゃん。オレはあなたの何?何の為に、オレはあなたのそばにいるの?」

 

 

「ヒロ・・・。」

 

 

「あなたの歌を歌わせてよ。オレはあなたの楽器だから。」

 

 

「楽器なんかじゃない。」

 

 

「楽器でいいんだよ。あなたから音楽を取り上げるくらいなら、オレは楽器でいい。」

 

 

「ヒロ・・・。」

 

 

彼の手が優しく僕の頭を撫でる。

 

 

「大ちゃんがそうしたいのなら、今すぐ被災地に行って歌ってもいい。だけど、今はまだそういう時じゃないでしょ?オレ達の出番はまだもうちょっと先。オレ達にはオレ達にしか出来ない役割があるだろ?その時の為に、今は今感じているこの気持ちを大切にしておく事なんじゃないかな。オレだって不安だし、出来ることならって思うけど、きっとそれはみんな感じてる事なんじゃないかな。だからさ、オレ達に出来ることができるまで、祈っていたらいいんじゃないかな。」

 

 

「祈る・・・?」

 

 

「そ。毎日毎日、祈るんだよ。言葉の力って結構すごいんだよ。声に出した事は現実になる。オレはそうやって大ちゃんに会った。だから祈ろうよ。」

 

 

優しく微笑んでくれる彼。この温かさが心地良い。

 

 

「ありがと、ヒロ。」

 

 

彼の温かな胸に頭を預けてそっと呟く。彼は背中をあやすように撫でてくれる。

 

 

「オレはいつでもあなたの楽器だからね。」

 

 

「うん。」

 

 

「あなただけの楽器だから。」

 

 

「うん。」

 

 

「さ、一緒に祈ろう。」

 

 

僕達は手を握り合う。見つめあい、静かに目を閉じる。

 

 

 

 

どうかこの祈りが     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   END 20110327