<変わらないもの>
彼が髪を切った。
舞台の役作りのためなのだと言うけれど、あの遠い記憶を呼び覚ます。
出逢った頃の彼。
まだお互い若く、手探りで希望にも満ちていた。
真っ直ぐな若芽のような意思を持ち、しなやかで幼い、小さな雛だった。
僕は彼の何に惹かれたのだろう。その真っ直ぐな目だったのだろうか、突き抜ける音だったのだろうか。
彼の手を握った時、世界は静かに動き出したのだ。
2人で始める事が決まった時、ビジュアルイメージを固める為に僕も髪を切ったり、着る物を決めた。
そして彼も。
彼がつけられたイメージはサッパリとした好青年に見えるように短めの髪だった。そう、今と同じように。
おおよそ20年の月日が経って再び目にした彼の短めの髪にどこか甘酸っぱい気持ちがよみがえる。
互いを名前で呼ぶだけで距離がグッと近付いた気がした。
多忙なスケジュールは僕らをより親密にした。
今は、目尻に刻まれた皺。
溌剌とした若さの代わりに手に入れた落ち着いた安心感。
互いしか知らなかった幼い関係は一度破綻を迎えたけれど、今は多くのものを内包する共生と言う関係を手に入れた。
愛しいと思う。
彼と共に生きる事を許されたこの時間を愛しいと思う。
レコーディングの間中、金魚鉢のガラス越しにその髪に触れたいと思っていた大介は、スタッフもまばらになった束の間の2人だけの時間になって初めて、その髪を愛おしそうに指に絡めた。
ゆったりと広いソファに愛犬と共に腰掛けてちょっと窮屈な思いをしながらも、こうして愛しいもの達に囲まれて過ごす事の出来る幸せにウットリと身を任せる。大介の足元にはアニーが、博之の膝に手を掛けるようにしてジョンがいつものように寝そべっている。
家族の団欒。そんな風に夢を見れるような穏やかさがそこにはあった。
博之は自分の髪を撫でる大介の手を好きにさせていたが、撫でるだけでは飽きたらず、短い髪を一房、軽く出はあるが握りだしたのでやんわりと声を掛けた。
「髪、おかしい?」
「え?」
「握ってるから。」
「あ・・・。」
無意識だったのだろう、その途端パッと手を離して、はねた髪を手櫛で整えた。
「ゴメン。おかしくないよ。似合ってる。」
「ホント?」
「ホント、ホント。」
大介はニッコリ笑って言ったが博之は伺うような視線を向けながらその短い髪を撫でた。
「短いの、いや?」
あまりにも不安そうな顔だったから大介は小さく苦笑して博之の髪に触れていた理由を明かした。
「思い出してたの。初めて逢った時のこと。」
「あぁ・・・。」
その一言で総てを理解した博之は小さく笑って見せて自らも懐かしむように目を細めた。
「あの時、以来かな?大ちゃんが知ってるのは。」
「ヒロはすぐ髪型変えるんだもん。」
口を尖らせてみせた大介の唇を他の人にはばれないように簡単に攫う。
「だって飽きちゃわない?」
「僕は飽きないもん。」
お返しのように大介からも人目を盗んで小さなキスを返す。二人は秘密を共有したようにニコリと笑う。
「大ちゃんはどれが一番良かった?」
「どれって?」
「オレの髪型。」
難しい質問に大介が首を傾げる。
「いっぱいありすぎていちいち覚えてないよ。」
「ウソ。オレ、大ちゃんの全部覚えてるのに?」
「僕のはヒロに比べたら全然パターンが少ないでしょ。」
抗議する大介にそうだっけ?ととぼけて見せて博之は大介の昔とは色の変わった髪を撫でた。
「オレは茶色い髪も結構好きだったんだけどな。可愛らしくて。」
「今は可愛くないもんね。」
「そんな事言ってないよ。」
「言わなくたって解るよ。」
お決まりのポーズのように拗ねて見せて博之の髪を強めに引っ張った。
あの頃はこんなふうに過ごせる時間が出来るとは思わなかった。
先の事は解らなかったし、そんな事を考える余裕もないほど毎日に追われていた。
互いが近すぎたせいもある。一緒にいる事が当たり前過ぎて10年後、20年後も当たり前のように存在すると思っていた。
いや、そんな想像を巡らすにはまだ若すぎた。
自分達が40を越えると言う概念は頭の中では解っていても、実感として理解はしていなかった。
総てがキラキラと輝いていた。出来ない事は何もないと思っていた。失うものなど何もないと思っていた。
博之の短い髪を指で遊びながら大介はあの日の事を思い出していた。
短い髪を照れ臭そうに撫でながら似合うかな?と不安そうな顔をして見せた彼。
思い切りのいい博之は髪を切る前は新しい自分に期待を膨らませていたくせに、すかすかになった涼しい襟足に心許なさを感じて不安そうな顔をしてそう聞いたのだ。
長めの時は女の子を泣かしてそうな男ぶりだったけれど、短い髪の彼は爽やかな好青年に変身していて、そのコンセプト通りの変貌振りにビックリした。
あの時も目を奪われた。
まだ互いの気持ちを交し合っていなかったからじっと見つめるのも憚られ、あの時もガラス越しに歌う彼をじっと見つめた。ガラス一枚が自分の熱い気持ちを遮ってくれるような気がして。
今日、そんな事を不意に思い出した。
あの時とは違う場所なのに何故かあの時の光景がよみがえってきた。
レコーディングブースの中に見える彼の短く切り揃えられた襟足が淡い気持ちをよみがえらせた。
小休止の甘いデザートを口に運びながら握り締めていた髪をくしゃくしゃと掻き回す。
「ちょっと大ちゃん。」
苦笑しながらも博之はその行為を咎めたりはしない。
優しい男なのだ、博之と言う男は。初めて逢った時から変わらない。
その優しさに傷付く事もあったけれどその優しさを失った時、大介はその存在の大きさに愕然とする他なかった。だから今はこんないたずらも総ては彼と共にあるという証なのだと思う。それは恐らく博之にとっても・・・。
「なんか若返ったんじゃない?」
悔しそうにそう言う大介に博之は嬉しそうに顔を輝かせた。
「ホントに!!ホントにそう思う?」
お決まりの決め顔で男前を誇る博之に思わずチクリとやり返す。
「ま、どうやったって重ねた年輪は隠せないけど。」
そう言って目尻に刻まれた皺を軽く引っ張った。
「それなら大ちゃんだってさ。」
両手で大介の皺を引っ張り返しながら、それでも博之はそんな皺を愛おしいと思っている自分に笑った。
「ちょっと!何笑ってんの!!」
負けじと両手で博之の目尻を引っ張り返して、薄い横一文字になったその目に爆笑する。もちろん博之だって黙っているはずはない。同じように引っ張り返してケタケタと笑った。
「・・・何、やってるんですか。」
部屋に入ってきた林がまるで子供のケンカのような光景にうんざりとした声をあげた。
2人は引っ張られた薄い目のままで同時に振り返った。
「あ・・・。」
そんな2人を母親のように叱る林は、大介がこっそり持って来ていた2つ目のデザートを目ざとく見つけて言った。
「こんな夜中に甘いものばっかり食べてると太りますよ。」
容赦のない林の言葉に必死で言い訳をする大介は、最近自分でも少し太った事を気にしていた。ライブまでには博之の隣に並んでも遜色ないくらいには・・・と思っているのだが、何分夜型の生活にどっぷり浸かっている食生活では半身浴を少しくらい長くしたところでさしたる効果があるとは思えなかった。
その事を知っているスタッフ達は事あるごとにチクリと大介をいじめるのが密かな楽しみになっている。その事を大介本人も解っているが、隣にいる博之が必死で庇うような姿を見せるから、大介にとってはそっちの方が嬉しかったりもする。
「残りは終ってからにしてください。ホントに夜が明けちゃいますよ。」
既にテッペンをぐるりと越えた時計を指して言われたセリフに2人は顔を見合わせた。
「何ですか?」
怪訝に思った林が2人を交互に見比べると、どちらも弱ったような顔でボソボソと口を開いた。
「なんかさ、最近言うことが、段々アベちゃんみたい・・・。」
コクコクと相槌を打ち合いながら上目遣いに林を見上げる2人に、林は今までの安部の気持ちがありありと解る気持ちがした。そしてそれと同時に安部が与えた影響力を感じずにはいられなかった。
どれだけ安部がこの2人を愛してきたか、どれだけ大切に育ててきたか、同じ立場の林には良く解った。
林は目の前の大きな子供にわざと安部を真似してニコリと笑って言った。
「安部さんみたいなステキな方に似てきたなんて、非常に光栄ですわ。」
その口調に2人は同時にここにはいない人物を思い描いて悲鳴を上げた。
「ちょっと!マジで背筋が凍るよ!!」
博之が大袈裟に身震いして見せると大介も「せっかくSさんの呪縛から逃れたのに〜」と泣き真似をしてみせる。
何年経っても変わらないこの力関係。それこそが総ての原点のように。
「ふざけてる暇があったら早く仕事してください。それこそ本当に安部さんに怒られますよ。」
身の凍るようなセリフを残して去っていく林に2人はクスリと笑いを漏らして互いを見つめあった。
「初心に戻って頑張りますか。」
「そうだね。」
そう言って笑い合って仕事の顔に戻る。
ペットボトルを一気に飲み干し立ち上がった博之がボーカリストの顔でレコーディングスタジオに消えるのを無言で見届けて大介も立ち上がる。
大介はいつもこうして見つめ続けてきた。振り向かず先を行く博之の後姿を。
その背中に届かない思いを募らせ、不安な思いを噛み殺して来た遠い時間。
今は、隣に並んで立っている。だからもう彼の後姿を見ても不安ではない。
思いは伝えるものだと、その背中が教えてくれた。
クリックが刻まれる中、大介は博之の後姿を見つめた。自らが選び、そして同時に自らを選んでくれた大切なボーカリスト。
彼の切り揃えられた髪。変わらない歌声。年月は容易く時空を越えてくる。
人生のおよそ半分を共に過ごした、いずれ大半を過ごすことになるだろう。
この歌声が途切れない限り、この音が消えない限り2人は共にあるはずだから。
短く切り揃えられたその後姿に大介は懐かしさと共に小さく笑みを零した。
愛している。
こんな時に溢れてくるようにそう思う。
自分達は決して激しく求め合うような関係じゃない。他の恋人同士に比べたら離れている時間だって長いかも知れない。
でも、こんなふうにじんわりと溢れてくる気持ちをどう表現したらいいか、代わるべき言葉を他に知らない。
ただ穏やかに、繰り返す波のようにそこにある。
ふとした出来事に昔を思い出しながら、淡い気持ちを懐かしみながら。
「大ちゃん。」
スピーカー越しに名前を呼ばれて大介はハッと我に返る。既にスタンバイを終えた博之がスタートの合図を待っていた。
「ごめんごめん。じゃあ始めようか。」
了承の代わりに小さく喉を鳴らして頷く。それを見届けて大介はオケをスタートさせた。
長い年月の間に変わった事、
変わらなかったもの、
どれだけ苦心しても変えられなかったもの。
それぞれの胸に抱えた思い、
溢れた気持ち。
時間は2人を優しく見守りながら過ぎて行く。
煌く音とあたたかな声に寄り添うように。
彼らの新しい音が生まれる。
そして今日もまた優しい時間が過ぎて行く。
END 20110717