<本日のディナー>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そこのカッコイイ彼氏〜。僕とディナーでもしない?』

 

 

博之がジムでひと汗流した後戻って来るとそんなメールが来ていた。着信は20分前。

こんな時間にディナーって、きっと大介にとってはお昼ご飯くらいの時間なんだろうと思いながら返事を返す。

 

 

『大ちゃんのおごり?』

 

 

『42歳の記念にね』

 

 

そんな言葉が大介からすぐに帰って来た時、博之は既に自宅のドアを嬉しそうに出た後だった。

 

博之は昨日42歳の誕生日を迎えたばかりだ。

忙しい恋人からの誘いはどんなプレゼントよりも嬉しいものだ。断るという選択肢など博之の中には最初からないに等しい。

恋人と自分を比べた時、時間に自由のきくのは自分の方で、忙しいのが常な恋人は放っておくと自分の存在なんか忘れてしまったんじゃないかと思うくらい連絡もくれない。

だからこんな風に何もない日に食事に誘ってくれるなんて事はごく稀で、その貴重な一日を逃す手はなかった。

 

 

「遅い!」

 

 

これでも急いでやって来た博之に大介は膨れた顔で言った。

 

 

「も〜お腹すいちゃったよ。」

 

 

文句を言いながらも既に用意してあったのだろうカバンを手に取ると靴を脱ぐ間も与えずに博之をもう一度外へ押しやった。

 

 

「ちょっと歩くけど、いい?」

 

 

愛犬たちに「お留守番」と言いながらドアを潜った大介は先に立って歩き出す。

 

 

「ホントは車で行きたいけど、飲めないでしょ?だから歩きね。」

 

 

行き先を告げないまま歩き出した大介を追って博之も歩き出す。

 

他愛のない話をしながら10分ちょっと歩いた頃だろうか、大介が「ここ」と指差したのは1階だけがテナントになっているマンションだった。その一角に大介の目指した店がある。

中の様子は解らないがロッジ風の作りになっているのか、入り口の木のドアはあたたかい風合いがする。

ドアの両側に大きな窓。そこから中が丸見えにならないように植物が置いてある。

入り口の前には手書きのボードに『本日のシェフオススメコース』とメニューが書かれていた。

一見すると喫茶店のようにも見えるそのお店はメニューを見るとどうやらロシア料理店らしい。

大介の家に行く時よくこの前を通っていたが、気にして見たことがなかった。

 

大介がドアを開けるとチリリンと可愛らしいベルの音が響く。

店内は間接照明で仄暗く、二人は入り口とは反対側、奥のテーブルへと通された。

オープンキッチンになっているその奥には大きな窯が見える。

客席にも暖炉が作ってあり、オレンジ色の照明が薪の中から炎のように火を点している。テーブルもイスも木で作られていてその温もりが心地いい。

 

メニューを持って来てくれた店員さんが二人の間に灯りのついたキャンドルを置くと、その周りだけがほわんと暖かく明るくなる。

シェフのオススメコースを二人で頼み、お祝いにワインを開けて一日遅れのバースデーディナーとなった。

 

ロシア料理と言えばピロシキとしか思っていなかった博之はその日のメニューに驚いた。

 

 

「ロシア料理ってさ、知らないだけで結構食べてたんだね。」

 

 

「ね。僕も初めて知ったよ。」

 

 

ストロガノフを食べながら大介が「これもそうだったんだね」と笑う。

その言葉に頷きかけた博之が思わず聞き返した。

 

 

「え?初めて?大ちゃん、初めてなの?ここ。」

 

 

てっきり大介の馴染みの店なんだと思っていた博之は目の前で頷いた大介に目を丸くする。

 

 

「前から気にはなってたんだよ。でも1人じゃちょっと入りづらいかな〜って思ってて。表にはコースとかって書いてあるし。」

 

 

確かにコース料理だけのお店だったら入りづらいかも、と思った博之は大介の初めての理由に頷いた。

 

ラストのデザートとロシアンティーが運ばれてくるとほのかに甘い香りがした。

それが紅茶の中に入った苺とワインのせいなんだと店員さんからの説明を聞くと苺好きな大介は嬉しそうにカップの中を覗いた。

 

 

「そう考えたら大ちゃんとは結構初めての事が多いよね。」

 

 

「え?」

 

 

調度ロシアンティーに口をつけていた大介が聞き返す。

 

 

「ライブだって初めては大ちゃんだったし、これだけキッチリしてる人も初めてだし、そもそもこんなに長い間一緒にいるってのも初めてだし。」

 

 

博之がしみじみと思い返すと大介は口を尖らせて言い返した。

 

 

「そうだよね。ヒロはたくさん付き合ってる人いるもんね。」

 

 

「え!?いないよ!もうずっと大ちゃんだけじゃん。」

 

 

「どうだか。」

 

 

すました顔でケーキを頬張る大介に博之は少しだけ声を落として言った。

 

 

「オレ、あんなに真剣に付き合ってって言ったの大ちゃんが初めてだよ。オレの全部を見せられるのも、見ててほしいのも大ちゃんだけだよ。」

 

 

「ちょっと、ヒロ。」

 

 

店内を見渡せる奥の席に座っていた大介が慌てて周りを気にする。

 

 

「大ちゃんは?オレが初めてじゃないの?」

 

 

博之の真剣な眼差しに大介の視線が恥らう。

 

 

「ねぇ、こういう事したのはオレが初めて?」

 

 

そう言いながらテーブルの下で大介の膝を撫でる。

 

 

「ちょっ・・・!!」

 

 

慌てて身を引いたが、固定のイスではそれ以上後ろに下がる事も出来ず大介は横座りのまま膝を閉じた。

 

 

「大ちゃんの初めてはオレのものだよね?あの中を知ってるのはオレだけだよね?」

 

 

「ちょっと!!こんな所で何言い出すの!!」

 

 

途端に耳まで真っ赤にした大介が博之を睨みつける。その間も周りの様子が気になって仕方がないらしい。視線はあちこちに揺れる。

 

 

「ねぇ、大ちゃんと初めてシタ時、大ちゃん、何て言ったか覚えてる?『ヒロのベッド汚しちゃう』って・・・イデッ!!」

 

 

キッと睨み付けた大介がテーブルの下で博之の足を蹴った。その顔は怒りの為か恥ずかしさのせいかさっきよりも真っ赤になっている。

蹴られた足をさすりながら博之が大介を見上げると口をパクパクさせた大介がやっと口を開いた。

 

 

「お食事中にそーゆーお下品な事は言わないの!!」

 

 

まるで子供を叱るみたいに言う大介に博之はたまらず笑い出した。

 

 

「そっち!?大ちゃん、そっちなの!?」

 

 

「笑いすぎ!!」

 

 

プイッと顔を背ける大介に博之は顔を近付けて耳元で言った。

 

 

「食事中じゃなきゃ、また言って・・・イダッ!!」

 

 

今度は思い切り頭を叩かれた。

 

 

「もう帰る!!こんなエロ星人とは一緒にいられない!!」

 

 

そう言って立ち上がった大介の腕を博之はがっしりと掴み余裕のある顔で言った。

 

 

「こんなに美味しいデザート残して帰っちゃうの?もったいな〜い。」

 

 

そう言われて大介はテーブルの上に残っていたデザートを見て歯噛みした。

 

 

「た・・・食べ物残したらいけないからねっっ。」

 

 

そう言いながら座りなおした大介に博之はまたクスクスと笑い出す。するとじろりと睨まれて、

 

 

「なんか文句でもある!」

 

 

と低い声と似合わない仏頂面で言った。

 

 

「いえいえ、ないです。」

 

 

必死に笑いを噛み殺しながらそう答えると博之もケーキに口をつけた。

チラリと見た大介の耳はまだ赤いまま。

そんな様子に博之はまた口を滑らす。

 

 

「オレ、こんなに可愛らしい人と出逢ったのも初めてだよ。」

 

 

「ヒロっ!!」

 

 

真っ赤な顔をさらに真っ赤にして大介が小声で叫ぶ。

静かな音楽の流れる店内ではすべてが聞こえてしまうと思っている大介は真っ赤な顔を俯けたまま小さくため息をついた。

 

 

「もぉ・・・このお店、二度と来られないよ。お気に入りに入れようと思ってたのに・・・。」

 

 

心底残念そうな声で大介が言うものだから、博之はことさらに明るい声でこう返した。

 

 

「え?また一緒に来ようよ。美味しいじゃん、この店。」

 

 

「僕はヒロほど面の皮が厚くないの!!」

 

 

思わず声をひそめる事も忘れて怒鳴った大介は、その一瞬後に自分の声に店中の人がこっちを見ている事に気付いてハッとした。

 

 

「す・・・すみません・・・。」

 

 

小さい身体をさらに小さくさせて残った紅茶に口をつける。

 

 

 

 

帰り間際、会計の時も店員さんは丁寧に見送ってくれた。

「またお越しください。」と言うお決まりのセリフに「もう二度と来られません。」と大介は心の中で頭を下げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

   END20110604